哀愛 後編
ーーピキキ……
シンが見ている前で、その球体に小さなヒビが入った。
「ん? レイア?」
シンはそのヒビに目を凝らす……
球体は大人の手のひらにすっぽり入る程度で、さほど大きいわけではない。
それは、第3軍の詰所の中にある一室。
レイアの使っている部屋の中に据えられた、台座に置かれていた。
その前に椅子を並べ、シンは足を組んでそれを眺めていたのだが……
「ふむ、制御装置にヒビ……か」
顎に手を据え、シンは訝しんだ。
「レイアめ、せっかくのプレゼントを……」
シンは立ち上がり、その球体の前に立った。
白……、というよりも水晶のような煌びやかさを持つその球体に、シンはそっと手を添えた。
「例の剣士……、本物のアトスか、もしくは奴に匹敵する実力の持ち主……か。 まぁいい。どちらにしても、邪魔な存在だ」
そして、添えた手で、球体を握りしめると、
「レイア、せめて最期は華々しく散ってくれ。あぁ、出来たらその相手とも仲良く……」
シンがギュッと力を込めると、その球体は粉々に砕けてしまった。
「さようなら。愛しきレイア」
ーー
レイアは立ち上がるともう一度宙にその身を浮かべた。
亜麻色の髪の毛がフワリとなびく。
彼女は両手を広げると、それぞれに魔力を集中させながら、ラグを睨み付けた。
「アトス、あのまま涅槃に留まっておけば良かったのに」
それを聞いて、ラグは「チッ」と舌打ちを返した。
「死んでも死に切れなかった。それだけのことだ」
「哀れな。生きて得るものなど、何もないというのに」
「……ある!」
ラグはレイアを睨みつつ、声を荒げた。
レイアはそんなラグを見て、目を少しだが細めた。
「一体何があるというのだ? 過去の栄光か? 勇者としての功績か? それとも、ただ生きるために足掻くというのか? 無意味に?」
「どれでもない! 俺は自分の信念のために生きている! それだけだ!」
「信念?」
「俺はお前たちに裏切られたことで何も信じられなくなった。この三年間、誰とも触れることなく生きてきた。
……また裏切られる。他人との関わりはそういうものだと思っていた」
ラグはそう言い、剣を少し持ち上げた。
刀身を見ると己の顔が映り込んでいる。
その中の自分と目が合うと、ラグもまた、目を細めた。
「だが、こいつらに出逢った」
ラグは目を細めたまま、アリシアやエリー、ミトに視線を寄せた。
この場にそぐわない、穏やかで温かな視線を。
「初めはしつこかった。帰れって言うのに、帰らない。下手くそな尾行はするし、家の前に居座るし、面倒臭い奴らだと思った」
そこでラグは口元を吊り上げた。
ーー微笑んだのだ。
「だが、信念があった」
ラグは再びレイアに視線を戻した。
その目からは、三人に視線を寄せたときのような温かさや穏やかさは消え失せていた。
ただ、相手を憎み、恨み、食らいつく。
そんな獣のように鋭く殺気のこもった目で睨まれ、レイアは少しだけ怯んでしまった。
「くっ、戯言を……!」
「俺からすれば、お前らの言葉が全て戯言だ」
ラグは姿勢を低くし、剣を構えた。
レイアの両の手のひらに集まる魔力もまた、膨れ上がっていく。
「誰かに必要とされ、志を共にする。そこで生まれるものは信頼だ。決して覆されることのない、信頼……」
「うるさい! 黙れ! 紅蓮よ、唸れ! 彼の者をその抱擁で永遠に焦がし尽くせ! 爆熱抱擁!」
レイアは叫び、魔法を詠唱した。
手を胸元にかざすと、放たれた炎がラグ目掛けて走る!
「ダメ! ラグ様、避けてぇぇぇぇぇ!」
それを見ていたアリシアが思わず叫ぶ!
その時、アリシアの服の袖をミトが引っ張った。
「ミ、ミト!?」
「……あの人」
ミトはそう呟いて、レイアを指差した。
「黒いのが、もうない」
「……え? それってどういう……」
「あの人、周りに黒いのがあった。けど、それもうない」
ミトはそこでアリシアを見上げた。
子供らしくない、真剣な目付きで。
その目がアリシアの胸元をギュッと締め付けた。
「あの人、きっと悪くない」
「……!?」
アリシアはミトの言葉に戸惑いを覚えつつ、ラグに再び視線を戻した。
「ラグ様……」
アリシアがラグを再び見たとき、ちょうどラグに炎が迫っているときだった。
それは先の魔法と同様、ラグを飲み込むほどの大きさだった。
身の丈以上の炎が唸りを上げながら迫る。が、ラグは動じない。
動じないどころか、逆に炎の中へと踏み込んで行ってしまった!
「ア、アトス!? 一体何を……」
ラグの行動に驚きを隠せないレイアだが、さらに驚くことがあった。
ラグが炎へと突っ込んできたところから、炎が割れていくのだ!
「な、何!?」
レイアはさらに魔力を込める!
炎は魔力を注がれ、さらに勢いを増したが、それでラグが怯む様子はなく、炎の割れ目は自分へと迫ってくる。
「ア、アトス! アトスーーーー!」
レイアが叫ぶと同時に炎は消えてパックリと割れ、中からラグが姿を現した。
剣を下方向へ薙ぎ払ったような姿勢を取り、レイアを睨み付けている。
「ーーア、アトス……」
レイアは両手を力なく下げ、困惑した表情でラグを見た。
ラグの視線が突き刺さる。
その視線に、どこか悲しさを覚え、レイアの目頭が熱くなる。
ーーな、泣いてはダメ……!
レイアは下唇を噛み締め、気丈にも涙が溢れるのを堪えた。
そして少しずつ後ずさる。
ラグは下に向けた剣の先を鼻先まで持ち上げ、ジリジリと間合いを詰めていく。
ーー空気が重い。
気を抜いたら押し潰されるのではないかと思うほど重たい空気の中。
レイアは俯いた。
息苦しく眩暈を覚えるが、歯を食い縛りながらそれに耐えていた。
そんな時だ。
不意にラグが口を開いたのは。
「ーーあの時もこうだったな」
レイアは思わず顔を上げた。
「お前が魔法を覚えた頃。俺が試し撃ちに付き合ってお前の魔法を吹っ飛ばした時だ。あの時もこうしていた」
ラグにそう言われ、レイアは堪えているものを吐き出しそうになった。
自分たちの犯したことは、決して許されることではない。
それはレイアも重々承知している。
だが、何か一つでも伝えられることがあれば……
それは許しを乞うための言い訳ではなく、ラグを、アトスを救うための手立てにならないだろうかと。
そうレイアは考えた。
考えたが、すぐに被りを振った。
傷付いた心を癒すことは、そう容易ではない。
アトスはこの世で一番信頼している者たちに裏切られた。
それによって心に付けられた傷は、もはや「癒す」などという生易しい言葉では治せない。
その傷を一生負い続け、生きていくのは彼自身なのだ。
レイアは肩の力を落とした。
自分ごときが今更何ができるというのか。
唯一出来る罪滅ぼしといえばやはり……
その時だ。
ーーレイアの胸元を、激痛が貫いた。
「……!?」
レイアは痛みを堪えながら胸元を抑える!
その顔は苦痛に歪み、返ってそれがレイアの表情に表れる感情を隠す手助けとなったことは皮肉だろう。
ラグもレイアの異変に気が付いた。
剣を構えたままだったが、眉間にシワが寄せられたのを、彼女は見逃さなかった。
……シン。私に見切りを付けたのね……
彼女の胸元には、魔力の流れを象った刺青が施されている。
「禁呪の鎖」と呼ばれるそれは、施した者が魔力を流し込むことにより発動し、対象の心臓を、無数の魔力の矢が貫くという、古来の拷問法だ。
それが今、レイアの心臓に向けて解き放たれたのだった。
それに加えてーー
……シンがレイアに施した「禁呪の鎖」は改良されていた。
対象者の心臓を貫くだけでなく、その者の中にある魔力を利用し、心臓を貫いた瞬間に周りを巻き込みながら爆散するようになっている。
胸元の激痛と共に己の中で膨らみ始める魔力を、レイアは感じ取っていた。
ーーこのままだと、魔力が暴発する!?
レイアは喘ぎながら顔を上げた。
そこにはラグがいる。
視線を外し、その向こう。
離れたところには、アリシアやエリー、ミトの姿があった。
アトスが信頼する人たち……か。
ラグに見えただろうか。
レイアがうっすらと微笑んだのが。
あの三人を見て、口元に微笑みを浮かべたのが。
……あなたたち、私がこんなことをお願いするのは筋違いですが……
レイアはスッと目を閉じた。
それを見て、ミトが叫んだ!
「ダメ! それはダメ!!」
アリシアは驚き、ミトを抱き寄せた。
「ミト! どうしたの?」
「ダメ! お姉ちゃん、それはダメ! ダメダメ!」
急にミトは泣き始め、そう声を上げた。
アリシアは困惑しつつ、ミトをなだめるが一向に治らない。
「ダメーーーーー!!!」
ミトの叫びと同時に、レイアの周りを炎が包み込んだ。
そして、火柱が彼女を取り囲むように取り囲む。
「レイア!? なんのつもりだ!」
ラグも驚きを隠せず、思わず叫んでしまった。
炎の勢いはさほどではないが、近寄れないほどの熱量が周囲に伝わっていく。
ラグは構えを解き、手で自分の顔を覆いながら、レイアからは決して視線を外さずに後ずさる。
「アトス、私は……」
レイアが何かを言おうとしたが、炎が舞い上がり、彼女を包み込むようにして飲み込んでいく。
その炎の中で、ようやく彼女は涙を流すことができた。
誰にも見られることなく、その胸に秘めた悲しみを悟られることもなく……
自分の犯した罪、所業を思い返しながら。
愛する人を裏切った、その重い罪を。
彼女は天を仰いだ。
炎の僅かな隙間からのぞく、青い空。
その空を目にした時。
彼女の胸元は弾け、乳房が露わになったかと思えば、そこに描かれた呪符が禍々しく光り始める。
そして、呪符は彼女の胸元を押し潰し、その背中からは魔力で象られた何本もの矢が突き出した。
レイアがゴボリと息を吐き出すと、口からは夥しい鮮血が溢れ、彼女の意識を刈り取ろうとする。
「アトス……、私は……」
残された魔力が膨れ上がる。
だが、それが周りに溢れ、巻き込み、爆散することはない。
そのために、この魔法を使ったのだ。
ーー自己犠牲魔法、星屑の灯火。
己の魔力をエネルギーへ変換し、全てを飲み干す炎を生み出す。
飲み干した後は魂の灯火を残し、やがて消え去る。
それはまるで、ろうそくに灯した弱々しく揺らめく炎のように……
「アトス、私は、私は……」
最期の時。
自らの体内から溢れ出す魔力の光の中で彼女が見たものはーー
「クラウソラス! 主人であるアトスが命ずる! 全てを断ち切れ、滅せよ!!」
神々しい光を纏った剣が炎を薙ぎ払い、炎の中に飛び込んできたラグの姿だった。
「レイアーーー!」
「ーーあ、あ、ア、ト、ス……」
レイアの目の前で、ラグがクラウソラスを振るう。
振られるたび魔力は消え、炎は散っていく。
クラウソラスが全てを斬り裂き、薙ぎ払っていく。
やがて炎は消え去り、ただ青空が広がるその場所に二人は立っていた。
そして力なく倒れそうになったレイアを、ラグはそっと抱き留めた。
「…….バカ」
「言ったはずだ、お前は俺が殺すとな……」
「ア、アト、ス……」
レイアは最期の力を振り絞り、ラグの頬に手を伸ばした。
震える手をやっと、やっと伸ばし、ようやく彼の頬に触れそうになったとき。
ーーその手は力なく、パタリと地面に落ちた。
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