迫る脅威 その一
雲もなく、すっきりした青空。
鳥がさえずる中、穏やかな風が吹き抜ける。
その風が頬を撫でるが、私はそれを心地良く感じている場合ではなかった。
ヒュン! と風を切る音と共にラグ殿が持つ木の棒が、私目掛けて薙ぎ払われた。
つーか、速い!
「うぅ、わっと!」
私は、思わず足を後ろにずらしてそれを避けそうになったが、先日同じようなことをしてしまい、師匠に、
「避けたら逃げ癖がつくぞ。足を引く前に一歩踏み込んでみろ。自分の間合いで勝負をするんだ」
と超感覚派な助言を貰ったばかりだった。
それを咄嗟に思い出した私は、一旦下げかけた足を戻しつつ、それを前へと出した!
言われた通り、一歩踏み出してみたのだ!
そして、木の棒を振りかぶり、
「てぇやぁぁぁ!!」
と間合いを詰める!
…………ボス!!
何かがどこかに埋まるような音が聞こえた後、私の土手っ腹に痛みが走った。
「おぅふ……」
痛みのせいか、目からは涙が滲む……
心なしか、目の前のラグ殿がため息をついているように見える……
これは、やっちまったか?
「……あ、あれ?」
「エリー、確かに昨日は踏み込めと言ったが……」
そして、痛い者を見るような、呆れ気味の表情で私にこう言った……
「斬られると分かっていて踏み込んでくるのは違う」
その瞬間、何故だろう。
私の心の奥底に雷鳴が轟いたのだ!
き、昨日は「踏み込め」と言ったじゃないかー!
そう叫びながら!
「ふぅ……、いいか、エリー?」
ラグ殿は一旦棒を下げると、私に説明を始めた。
講釈の時間だ。
これは心して聞かなければ。
だが、ふとお嬢様が気になり、そちらはチラッとだけ視線を寄せてみた。
お嬢様はミトと一緒に花を摘んでいらっしゃる。
その様子は仲睦まじく、そして微笑ましい。
何故だ、何故私の胸は締め付けられる?
このキューっとくる感じはなんだ?
そして、ミトに対して沸き起こる感情。
何故ミトがお嬢様と楽しそうに花を摘んでいる?
……という、憎しみにも近いこの感情。
これはなんだ?
私は羨ましいのか?
私がこうしてラグ殿と鍛錬に勤しんでいる中、お嬢様と一緒に鼻歌交じりで花を摘むことが羨ましい?
くそっ、私としたことが!
あんな少女に、一体何を考えているのだ?
これではまるで嫉妬……
「聞いているのか、エリー?」
「……あ」
視線を戻すと、そこには顔を少し上げてしかめっ面で私を見下ろすラグ殿がいた。
「今、俺がなんと言ったか覚えているか?」
「え、あぁ、えーと。その、相手がなぎ払ってきたら、剣を立ててそれを受け止める構えを……」
「違う。なぎ払われそうになったら、一旦引いて間合いを外し、払い終わったところを見計らって素早く詰めると言ったんだ」
そして、ラグ殿は私に一歩踏み出して一気に間合いを詰めて来た!
同時に、私の首筋に棒を添えている……
「これが真剣ならお前の首は落ちている」
その言葉に、私は思わず唾を飲み込んだ。
「ふぅ、いいか、エリー。どんな時も集中しろ。相手の動きやその場の空気、気配、あらゆるものに対して敏感になれ。でなければ、死ぬぞ」
ラグ殿は私の首からそっと棒を引くと、そう言った。
でもそれ、今の私にはかなり難しいと思います……
「アリシアが気になるのは分かるが、まずは集中だ。相手から目を離すな。いいか?」
「は、はい……、申し訳ありません……」
「まぁいい。飯にしよう。もう昼になるだろう」
「そ、そうですね」
私はもう返事のしようがない。
この状況では、何を言われても従うしかない。
多分、師匠は怒っているだろうから。
森の小屋を発ってから十日は過ぎたか。
始めの方は賊や人さらい共に出くわしたが、それ以降は特に大きなことはなかった。
野生の狼が食事の香りに惹かれ数回寄ってきたが、ラグ殿が矢を射ることで全て撃退出来た。
その見事な手さばきと言ったら!
さすが師匠だ!
私も早くあぁなりたい!
咄嗟の事態に冷静な判断。
素早く武器を取り、素早く反応し、素早く対処する!
まさにラグ殿そのもの!
私の強さの憧れとでも言うべきか!
よし! 食事の後もしっかりと稽古をつけてもらおう!
「エリー、釜戸を出してくれ」
「はい!」
私は元気よく返事をすると、荷馬車から釜戸を引っ張り出した。
ーー
「思いのほか、行程が遅れている」
湯気の立つ器に舌鼓を打っているところで、ラグ殿が爆弾発言をした。
行程が遅れている!?
「ラグ様……」
「進んでいることは進んでいるが、予定では行程の三分の一は過ぎているはずだった。それがまだ十日程度。ペースが落ちた」
「それはどういうことでしょう? もしや、私の……」
「いや、それは関係ない。空いた時間を利用しているからな。はっきりとした原因といえば、恐らくミトだ」
お嬢様の表情が硬くなる。
確かにミトを連れ歩くようになってから一日の進む距離が短くなった。
それは確信している。
だが、ここまではっきり言われるとは思っていなかった。
恐らくお嬢様の心中は複雑だろう。
視線を落とし、項垂れている。
ミトはそれを横で見ており、お嬢様の裾を時折引っ張ったりしていた。
ミトなりに気遣っているのだろうか。
お嬢様は視線を落としたまま、ゆっくりと口を開かれた。
「し、しかしラグ様。この子を置いていくわけには……」
「それは今更だ。ミトを連れて歩く以上、ペースが遅れるのは仕方がない。問題は食料だ。始めから持ってきていた量と食事のペースでは恐らくひと月は持たない。切り詰める必要がある」
「切り詰める?」
私が恐る恐る尋ねると、ラグ殿は頷いた。
「今まで食事は朝・昼・晩と三回摂っていたが、これからは昼に程近い朝と晩だけにする。これで一食分は稼げる。後は狩りだ。道中でうさぎや鹿など、食べられそうな獣を見つけたらすぐに狩る。エリーの練習にもなるからちょうどいい」
ラグ殿……
このエリー、早くも師弟愛を感じ、涙が溢れそうになります……
そ、そこまで考えて下さっていたとは……
「現状でいけば、恐らくあとひと月と少しか。行程はそんなところだ。ところでアリシア。この先、ミトはどうするつもりだ?」
ラグ殿の質問に、ミトは我関せずといった表情で食事を頬張っていた。
「無事クロノシアまで行けたら……、侍女の修行をさせようと思っています」
お嬢様はそう仰り、ミトの頭の上に手を乗せた。
「まだ八つですが、器量の良さそうな整った顔立ちをしていますし。楽しげな笑顔は無邪気で愛らしいし……。しっかりと教育すれば、立派な侍女になるかと」
お嬢様……、なんというお慈悲、慈しみのあるお考え……!
なるほど、侍女見習いともなればミトの将来は安泰と言える。
あれ? 侍女に?
ーーでは、私は?
「おおおお、お嬢様! ミトが見習いとなれば、私は!?」
「あら、エリー。どうしたのです?」
「どどど、どうしたもこうしたも……、エリーが見習いともなれば、私の立場は……!」
そう、旦那様より仰せつかった「お嬢様専属」という立場が危ぶまれるのではないかと私はつい思案してしまったのだ。
「エリー、いらぬ心配は無用ですよ。あなたがいなければ私は何も出来ませんから。それに、あなたは私の専属なのでしょう?」
そう言われ、私はホッと胸を撫で下ろした。
良かった、この旅が終わったと同時にお払い箱なんてなったら、このエリー。
再就職先は田舎領主の家か農家か娼館か……
出来ますれば、この先もカムリ家にお仕えしたいと存じます。
「ふふ、エリーは心配性ね。ミト」
「……(ニコッ)」
お嬢様に言われ、ミトははにかんだ笑顔を見せた。
どうもこの少女、多くを話さない。
何とか聞き出せたのは、名前と年齢(十歳ほどかと思ったが実際は八歳)くらいか。
もしかしたら、あの襲撃のショックで、一時的に言葉を失っているかもしれないとラグ殿は言っていた。
そのうち、色々と話してくれるのだろうか。
ふとラグ殿を目を向けると……
私はゾッとした。
ゾクゾクッと背筋に悪寒が走る。
ラグ殿の顔が……、殺気立っていたのだ。
「お前たち、釜戸よりも後ろに下がれ!」
と、ラグ殿は自ら釜戸の前に立つと、私たちを背中の方へと促した。
お嬢様はミトを抱きかかえるように、私はすぐに剣を構えて飛び出せるように……していたが、それはラグ殿に手で制されてしまった。
私にはまだ無理ということか?
分かってはいるがショック……
「ラ、ラグ様……」
お嬢様はミトを抱きかかえながら、心配そうな声を出されていた。
「……来た!」
ラグ殿が小さく呟くと、私たちが通って来た道の向こうに土煙が見えた。
少しずつ大きくなり、次第にそれは規則的な隊列を組んだ馬の集団ということが分かった。
ーー剣士団だ!
「ラグ殿!」
「はやるな、焦ったら向こうの思うツボだ」
私は膝立ちになりグッと奥歯を噛んだ。
剣士団は私たちが見える位置に来ると、馬を止め、その背中から降りて来る。
その数ザッと二十人ほど。
数からして、恐らく剣士団の一個中隊だ。
私たちから程近いところに整列した。
剣士団は縦に二列に並び、隊列が崩れることなく整列している。
と、その綺麗な列が中央から割れ始めた。
その割れた通路を、カチャカチャと音を立てながら誰かが通って来る。
中から現れたのは、女だった。
艶やかなブロンドの癖っ毛。
その前髪を弄りながら、女は隊列の先頭へと歩いて来た。
その整った、あどけなさがある顔立ちとは別に、体躯は胸当てをしているが膨らみが分かるほど豊かな胸元。
色気が滲み出るようにくびれた腰元は衣類を纏わず、ヘソが見えている。
ヘソから下はスカートと膝上まで伸びたスパッツだけ。
足先までスラッと流れるように伸びた脚は細くてしなやかだ。
そして腰には……剣が下げられている。
この女も……剣士か!?
女は私たちを一瞥すると、こう言った。
鈴を鳴らすような心地良い声で。
「お嬢様、見ぃつけた!」
そして、その可愛らしい顔を醜く歪め、舌なめずりして見せた。
「初めまして、そしてさようなら。今から全員バラッバラにしてあげるね♪」
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