走り出す心
ラグ殿の言う通り、私たちは小さな町に入った。
と言っても、地図上に名前こそあるものの、町とは言いがたく、少し大きめの集落というのがしっくり来る。
そして、今その町は……
ーー凄惨な場と化していた。
霧が立ち込める中、馬の嘶きがあちこちから聞こえる。
集落からは煙が上がり、どうやら家屋に火が放たれたようだ。
集落の者だろうか。
泣き、叫び、逃げ惑っている。
中には祈りを一心不乱に捧げる者の姿もあった。
抗う者もいたが、相手の槍や矢で滅多刺しにされて地面に倒れてしまった。
無抵抗に対する、圧倒的な暴力の応酬。
うっすら見えるその様子を、私たちは集落の手前にある小高い丘の茂みの中から、腰を低くして眺めていた。
「人さらいか……」
ラグ殿は視線を鋭くし、奥歯を噛み締めたような表情を見せる。
ギリッと鈍い音が聞こえた。
聞きなれない言葉を聞いて、私はラグ殿に聞き返していた。
「人さらい?」
「小さな集落を狙って、そこの住人たちを集団でさらっていく連中のことだ」
「さらわれた人たちはどうなるのです?」
「奴隷商に売られる。男や子供は労働に、女は娼館だな。病人や老人は連れて行っても役に立たないから、その場で始末される」
それを聞いていたお嬢様は、視線を下に向けていた。
私は視線を集落へ戻す。
人さらいの集団は、人数こそ全て把握できないものの、見える範囲では全員馬に乗って住人を追い掛け回していた。
それぞれが黒装束を身につけて、剣や槍を手にしている。
逆らう者は容赦なく殺し、無抵抗の者は逃げられないよう囲うようにして追い詰めながら、集落の外側へと追いやっていた。
こう言ってはなんだが、統率が取れており、見事なチームワークだ。
しかし、こんなところで人さらいに出くわすなんて……
さすが旧街道といったところか?
「このままやり過ごす。動くなよ」
「え? ラグ様、助けないのですか?」
「連中はこっちに気付いていない。下手に動かなければ、いずれ去って行く。それまで待つんだ」
「で、でも! 目の前で人がさらわれていくのを黙って見ているなんて……」
「一人二人助けたところでどうにもならん」
「そんな……」
私の横でお嬢様とラグ殿がそんなやり取りをしている中。
私の目にある光景が止まってしまった。
「ラグ殿!」
「ん?」
私は思わず声を上げ指差した。
その指差す方には、集落の外れ辺りまで逃げてきたところを、追い掛けてきた人さらいに拘束された少女の姿があった。
他の者たちは集落から離れていくが、そいつと少女だけは私たちの近くにいる。
あの子だけでも何とかならないだろうか?
「ラグ殿、救えませんか?」
「さっきも言っただろ! 一人二人助けたところで……」
「でも、今なら救えます……!」
「……」
ラグ殿は目の前の光景を凝視している。
追って来た人さらいの一人は、がっしりとした体躯をしており、黒い上下の装束から伸びる腕は、しっかりと少女の腕を握って離さなかった。
少女はなんとか振りほどこうと体を遮二無二動かしている。
が、相手は倍以上の背丈の男だ。
敵うはずがない。
「ラグ殿……!」
その時の私の目は、きっと懇願するような目にだっただろう。
実際、心中は助けて欲しいと願ってやまなかった。
だが、ラグ殿は私とはチラリとも視線を合わさず、ただその光景を睨み付け、
「……ダメだ。動けば俺たちがいることがバレる」
と言うだけ……
私はもう一度少女を見た。
泣き、喚き散らしているところを、人さらいが頬を叩く。
そして体を強引に持ち上げて脇に担ぎ、降りた馬の元まで連れ去ろうとしている。
このままでいいのか?
あの少女はきっと売られる。
売られた先で人間以下の扱いを受け、ボロ雑巾のように使い倒される。
周りの人間が信じられなくなって、世界から自分だけが切り離されたと感じる。
周りが真っ暗になり、永遠の孤独が付きまとう。
二度と朝が来ない、明けることのない永遠の闇夜を過ごすことになる……
私は思わず立ち上がりそうになるが、それをラグ殿が止めた。
そして、肩に手を置き、ただ頷くだけ。
お嬢様は今にも泣き出しそうな表情をされているが、下唇を噛んでグッと堪えられている。
私はもう一度少女を見た。
人さらいは少女を担いだまま、馬に跨ろうとしている。
このままでは連れて行かれる!
ダメだ……!
ダメだダメだダメだダメだダメだ……!
何度も何度も胸の中で反芻するが、答えは出てこない。
葛藤が心を埋め尽くす。
留まれば私たちは見つからないが、少女は連れて行かれる。
助けようと駆け寄れば、恐らく殺される。
生きるか死ぬかと問われれば、もちろん生きる方を選択する。
だが、この場で何もせずにただ傍観するだけというのは、良心の呵責に触る。
仕方ないのは分かっている。
けれど、目の前でそれが起こっているなら、何とかしたいと、何とかしなければと思ってしまう。
どうすればいい?
私はどうすればいい?
どうすれば……
私はまぶたをギュッと強く閉じた。
浮かんできたのは幼い頃の私。
毎日叩かれ、罵られ、蔑まされた……
朝から晩までこき使われ、与えられる食事は残飯のようなもの。
泣けば笑われ、笑えば殴られ、理不尽な扱いを受けるだけの日々。
明けることのない闇夜の中で唯一望んだことは、ただ生きるということ。
あの子も同じ目に合うのか?
ーー私のように……
気付いた時、私は少女の元へと駆け出していた。
ここまでお読み下さり、ありがとうこざいます。
エリーの心は大きく揺さぶられてしまいました。
ーー
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