フェルディナントとシン
視点を変え、お兄様の様子を描いてみました。
セリフが多めで、しかも政治っぽい内容……
これは非常に難しい……
時はやや遡る。
時刻はちょうど昼下がりで、アリシアとエリーがラグを追い掛けて、彼の小屋の前に座り込んだ辺り。
場所はバルト国の城内にある剣士団の詰所の一角。
豪華な扉の横には「バルト国剣士団第三大隊大将 フェルディナント・カムリ」と彫られた大理石の表札が掛けられている。
ここはフェルディナントの私室となる。
剣士団に関する書類や国境の状況、団員の勤務表など、雑用務を捌くために、剣士団や近衛兵団、騎士団の上席者にはこうした個人的な部屋を与えられるのだ。
有事の際には会議室にもなるし、泊まり込みにでもなればこの部屋で寝起きをすることにもなる。
そういった部屋があてがわれるのは、立場以上に責任を負うということの表れでもあるのだが、フェルディナントに関して言えば、高待遇の表れは「認められる=権力者」という彼なりの解釈がなされていた。
今の立場は本人が努力した結果ではあるが、随分と自分勝手な解釈と言える。
その私室では、先の酒場で起こった一連の出来事の報告が行われている真っ最中。
彼は部下の報告を、革張りのクッションがよく効いた椅子の上で、踏ん反り返って聞いている。
不機嫌そうな表情で、こめかみに青筋を立てながら。
「つまり何か。貴様は妹を前にしてスゴスゴと逃げ帰って来たというわけか?」
フェルディナントの前にいるのは、あの酒場でラグに凄まれて逃げ出した、あの剣士である。
フェルディナントは剣士の報告を聞いているうちに、眉間にシワを寄せ、こめかみに立てた青筋はピクピクと脈打ち始めた。
「あ、い、いえ! 決してそのようなことは……」
「では聞くが!」
一流家具職人が作った豪勢な装飾が施された机の前で、フェルディナントは踏ん反り返った姿勢から机に前のめりになると、その上に拳をドン! と叩きつけた。
剣士の顔が思わず歪む。
「その男は確かに剣を抜かず鞘だけで貴様らをいなしたと言うんだな?」
感情剥き出しでそうまくし立てるフェルディナントに対し、剣士はビクつきながら、
「は、はぃ……!」
と答えた。
フェルディナントは舌打ちし、また椅子に踏ん反り返って腕を組んだ。
「わ、私たちも油断していました! あのような場所に、まさか……」
「ーーまさか……。何だ?」
「あっ……、い、いえ!」
剣士の言い訳じみた言葉に、フェルディナントは眉尻をピクリと持ち上げた。
それを見た剣士の顔から血の気が引いていく。
「……貴様。よもや油断が招いた結果だ、とでも言いたいのではないだろうな?」
「そ、そんなことは! け、決して……」
「まさかあんなところにそんな奴がいるとは思わなかった。貴様の報告はそう聞こえるぞ……!」
フェルディナントは剣士をその目で捉えたまま立ち上がると、机の傍らに立て掛けていた剣に手を伸ばした。
「誉れ高いバルト国の剣士が、ゴミ溜めのような薄汚い酒場の酔っ払い風情に退いたとは、末代までの名折れ……。貴様ぁ!」
「あ、あ、あ、あーーー!」
フェルディナントは鬼のような形相で、剣を……
「死をもって償え……!」
抜こうとしたその時ーー
「それくらいにしておいてやれ」
私室の入り口の方から声が聞こえた。
「ん? シンか?」
フェルディナントに名前を呼ばれ現れたのは、藍色に揺れる髪に鼻筋の通った、整った顔立ちの男だった。
彼はフェルディナントを見てクスクスと笑っている。
意地悪そうな顔をしながら。
「相変わらず頭に血が昇るのが早いな、お前は」
「ーー何を! 部下の仕出かした過ちを正すのは、上官の役目だ!」
「とは言え、何も殺すことはないだろう。駒は駒らしく扱えばいいだけのこと。それに、こんなところで斬ってみろ。部屋中、血だらけになる」
と、入り口から室内へと歩んできたシンは、フェルディナントから叱責を浴びていた剣士の肩に手を乗せ、笑顔を向けて見せた。
「なぁ、お前もそう思うだろう?」
その笑顔を見た剣士は何故か青ざめ、口元が引きつってしまったが……
「ふ、誰だって油断くらいはするさ。ところでフェルディナント。厄介なことになりそうだぞ」
「厄介なことだと?」
フェルディナントはシンの制止を受けて剣をしまい、椅子に座ったところだった。
まだ細身ゆえ貫禄こそないが、分厚い黒革の下のクッションの心地良さがフェルディナントを包み込む。
「お前の妹が父君を殺したせいで、クロノシア国との不可侵条約に揺らぎが出るかもしれん」
「……何だと?」
シンの言葉に、フェルディナントは下唇を噛んだ。
そんなこと、考えもしなかったからだ。
「どう言うことだ? 何故不可侵条約が?」
シンはフェルディナントの前に置かれた机まで寄ると、その上に軽く尻を掛けて腰を据えた。
そして足を組むと、背中を捻って肩越しに彼の方に顔を向けた。
「元々、クロノシア国との不可侵条約はカムリ卿の優れた外交手腕があったからこそ、締結出来たと聞いている。だが、あのクロノシア国だ。簡単に締結出来るとは思えん。これは俺の勝手な推測だが、クロノシア国とカムリ卿の間で何か取引があったと見ている」
「取引だと! それは外交とは言わないぞ!」
「まぁそう声を荒げるな。それに外交こそ取引が必要だと思うぞ。相手の条件を飲みながらも、こちらが利潤を得るような策を施す必要があるんだからな。ある意味駆け引きが上手くなければ無理だ。その辺は、お前より妹の方が優れているのかもしれん」
そうシンに皮肉を言われ、フェルディナントは面白くなさそうな顔を見せた。
「まだお前にその話はしていないぞ」
「情報は早く伝わるものだ。お前が考えているよりも早く、な」
シンはそう言うと机から離れ、フェルディナントに振り返った。
「フェルディナント。これからどうするつもりだ? お前の妹はあれから行方知れずと聞くが……」
そう言われ、フェルディナントは眉間にシワを再度寄せると難しそうな表情を見せた。
「妹は何としても探し出す。父上を殺したのだからな。その罪は必ず償わせる!」
「そうか。だが、クロノシア国の件はどうする?」
「それはどういう意味だ……?」
「カムリ卿亡き今。クロノシアにとって条約を反故するには絶好の機会だ。お偉方は卿の国葬を計画しているそうだが、そんなことをしている暇はない。恐らく、クロノシアは共同政策として整備したあの街道の所有権を渡せと言ってくるだろう。そうなれば、街道に通行料が発生し、その税収は全てクロノシアに徴収される可能性がある。そうならない為にも、クロノシアと一席設ける必要があるんだが……」
シンは目を細め、フェルディナントを見据えた。
「誰がクロノシア国との交渉に赴くんだ? 」
そう言われて、フェルディナントは焦りを隠せず、動じてしまった。
「そ、そんなこと! 外交で解決する問題だ! 私は剣士だぞ! 私の範疇ではない! それよりも私は父を殺した妹を……」
「そこで提案だ」
大声でまくし立てるフェルディナントに対して、シンは静かに、ただ静かに、諭すような口調で彼の口を止めた。
「妹の捜索は俺たちが引き受けよう。お前は安心して外交に臨めばいい」
「何?」
シンの提案に、フェルディナントは眉をひそめた。
「第三軍が出ると言うのか? たかが人探しで?」
「ただの娘じゃない。それなりの家柄の、それなりの立場の人間だ。それに軍を動かす訳じゃない。金が掛かるだろ? 基本は剣士団の捜索に俺たちが加わるだけのこと。悪い話じゃないと思うがな?」
「まぁ……」
「よし、決まりだ。俺は準備に取り掛かる。後で剣士団の予定を教えてくれ。あー、お前は俺と一緒に来てくれ。もう少し詳しく話を聞きたい」
シンは部屋の片隅で強張っていた剣士にそう言うと、「じゃあな」と言って私室を出て行った。
剣士もそれに続き、そそくさと出て行く。
残されたフェルディナントは、机の上に視線を落とし、シンの言葉を頭で反芻していた。
「俺が……外交だと?」
一人残された私室で、困惑した表情を浮かべながら……
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