目指せ! クロノシア国!
日が傾き、夕方に差し掛かった頃。
小屋の外から「ブルヒヒン」と馬の嗎のような音が聞こえた。
お嬢様と私は互いに「ん?」と顔を上げた。
「あれ? エリー、今何か……」
「ちょっと外を見てまいります」
そうお嬢様に告げ、小屋のドアを開けてみると……
なんと!
小屋の横に据えられた塀の柱に馬が三頭、括り付けられているではないか!
更にその横には荷車があり、上からボロ布を被された状態の荷がギッシリと積まれている。
「え!?」
一体何事かと驚いていると、ラグ殿が馬の向こうからひょっこり顔を出した。
目が合うのに笑いもしない。
相変わらずぶっきらぼうだ。
「今戻った」
「今戻ったって……、その荷は一体どこから?」
「話は中でする。あぁ、詳細を詳しく、な」
と、私の言葉を真似て皮肉ると、ラグ殿は私の横を抜けてスタスタと小屋の中へと戻っていった。
くそ! いつかブン殴ってやる……!
「お帰りなさい、ラグ様」
「様は余計だ。ラグでいい」
「そんな。私より年上ですし、おいそれと呼び捨てなどできません」
お嬢様にそう言われ、ラグ殿はまた、後頭部をボリボリと掻きむしった。
どうやら、困ったときの癖のようだ。
そして、お嬢様は満面の笑みをラグ殿に向けている。
くっ、この果報者が……!
「……好きにしろ」
そう言って肩に背負った袋を床に下ろすと、中からクルクルと巻かれた紙を取り出した。
それをテーブルに広げると……
「うわぁ……」
「ーーこれは、地図……ですか?」
「そうだ。この大陸の地図だ」
ラグ殿が広げたのは、一枚の地図だった。
この大陸とラグ殿は言ったが、バルト国とクロノシア国の名前だけが載っている。
これは地形だろうか?
ギザギザに線が走っていたり、点線が並んでいたりして、どう見るかがよく分からない。
ただ、一際太く描かれた線が、バルト国とクロノシアを結んでいた。
線の途中には、街だろうか。ところどころに名前が重なっている。
ラグ殿は、そこへ人差し指をトンと立てると、バルト国からクロノシア国へ、立てた指をツーっと走らせた。
「これが街道だ」
「「街道?」」
「二つの国を結んでいる主要な道のことだ。主に商人や旅人など一般人が使うが、時には軍隊も通る。人の行き来が頻繁にあって、かつ最も安全な経路だ。この道なら、クロノシアまで馬の足で四週間程度だろう」
「じゃ、この道を使ってクロノシア国に?」
私の質問に、ラグ殿は「いや」と言って、街道のさらに下にある細い線へと指を走らせた。
「俺たちは旧街道を使う」
ーー旧街道。
今の街道ができるまではこの道が主要な経路としてバルト国とクロノシア国を結んでいた。
だが、途中で森や山脈を越えるなど、その行程は険しい上に通る者への負担が強く、また身を隠せる場所も多いため、しばしば盗賊や山賊などのならず者達が、通行人や行商人を襲うことがあった。
しかし、他の道が一向に整備されないために長く使われてきたが、アリシアの父であるエンリケが、その巧みな外交手腕でクロノシアと不可侵条約を締結させた後。
両国の共同政策として、現在の街道が整備されたのだ。
ーーバルト国とクロノシア国の友好と絆の証として。
とラグ殿からの説明を聞いていたが……
巧みな外交手腕でと言うが、実はそこはちょっと違う。
いや、かなり違う。
だって。
実際は、ご主人様がクロノシア国の貴族家から嫁を迎えるという形で決着が付いた話なのだ。
ん? しかしラグ殿はそのことを口にしなかったな。
ということは、カムリ家に所縁のあるものしか耳にしていないということか?
あまり公言してよいことではないな。
うん、黙っておこう。
「ラグ様、何故こちらを使うのですか?」
お嬢様、ナイス質問でございます!
「そうですとも。どうして安全で便利で快適な街道があるのに、わざわざ危険な方を選ぶのです?」
私もちょうどそう思っていたところだ。
お嬢様、気が合いますね。
しかし、ラグ殿からの答えは……
「お前らはバカなのか?」
ときたもんだ。
それも呆れ顔……
ムキーーー!
私はともかく、お嬢様を!
あのアリシア・カムリ様を「バカ」呼ばわりとは!
この男、失礼を通り越して万死に値する!
ブン殴ってやるーーー!
「ちょっとエリー! 鼻息を荒くしないで下さい! ちゃんと話を聞きましょう!」
「はい、お嬢様」
そう仰るなら、私の怒りは一旦置いておきましょう。
ん? お嬢様、ため息はおやめください……
「はぁ……。もう、すぐに怒ってはいけませんよ。ところでラグ様。敢えて危険な旧街道を使うというのは、何かお考えがあるのですよね?」
「お前たち、手配書が回っていると言っていたな」
お嬢様と私は揃って頷いた。
「この街道は、主要な街と街を繋いでいる。人の流れや物流は街から街へと動くから、当然といえばそうなんだが。そういった街には、情報も早く届く。大きな街になればなるほど、情報が出回るのも早い。もし手配書が既にばら撒かれているとしたら、この街道上の街中では包囲網が敷かれている可能性がある」
マジか……
その話がマジなら、街道を通るということは、「どうぞ捕まえて下さい」と言ってるようなものではないか。
フェルディナント様……、実の妹を捕まえるのにそこまで……、鬼か……!
「その顔は察したな。お前の考えている通りだ。街道を行けばクロノシア国に早く到着できるが、捕まる可能性も高くなる。だが……」
ラグ殿はそう言って、旧街道を示す線の上で、指をトントンと動かした。
「旧街道なら話は別だ。通る者も少ないし、途中立ち寄る街も小さい。小さい街には情報が届くのも遅い。うまく行けば、手配書と入れ違いで旅を続けることが出来るかもしれん」
「なるほど……」
「確かに……。ですがラグ様。もし、ならず者たちに襲われでもしたら……」
「そのために俺がいる。心配するな」
おぉー! とお嬢様はその瞳を大きく開かれ驚いていたが……
ラグ殿は少々呆れ顔か?
申し訳ありません、お嬢様。
そこは私もラグ殿と同意見です。
「道中の食料や野営の準備も出来ている。今日はもう夜になるから、出発は明日の早朝にするぞ」
「馬は、荷車はあのままでも大丈夫なのですか?」
「問題ない。ここに近付く奴の方が返って珍しいくらいだ」
じゃぁ、私たちはその珍しい部類にはいるんだろうな。きっと。
「ところでラグ様。馬や荷物はどこで?」
「初めは酒場の主人から借りようと思っていた。あそこ、なんでもあるからな」
そうなのかと、あの強面スキン頭店主の顔を思い浮かべてしまった。
「ところが、行く途中で山賊と出くわしてな。この森、たまに山賊や盗賊が逃走に使うんだが、うまい具合にあの荷車を引いていたから奪って来た」
「奪って? 山賊はどうなったのです?」
「身ぐるみ剥いで木に吊るしておいた。多分行商人を襲ったんだろうな」
「その、襲われた行商人は?」
「知らん。殺されたんだろう」
「「…………」」
ラグ殿の話を聞いていて、思わず身の毛がよだつほどの寒気を感じてしまった。
お嬢様をチラ見すると、そのお顔がどんよりしている。
殺した殺されるなんて話、こんな間近で聞いたことがなかったから、当然だろう。
ラグ殿、こんな乙女二人に生々しい話をするなんて……
少しは気を遣ってほしいものだ……
「お前たちは少しでも寝ておけ。疲れが残っていると明日からの旅は堪える」
ラグ殿はそう言うと、ベッドの方へと座り直し、酒瓶を煽った。
と思えば、すぐに横になってしまった。
着の身着のままで寝るのか、この男……
私たちも早々にシェラフを敷き込み中に入る。
明日からいよいよクロノシアに向けて旅立つ。
そう考えるとなんだか落ち着かず、なかなか寝付けなかった。
お嬢様はと言うと、すでに安らかな寝息を立てられている。
流石です、お嬢様。
私も眠らなければ……
ーーそして翌朝。
クロノシア国の国境までの道のりはおよそひと月と聞かされてぶっ倒れる私であった。
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