ぱちんと弾けた夢
三月。
高校生活の終わりは、君との学校生活の終わり。
体育館にずらりと並ぶ私たち。正装した先生たち。朗々と響く生徒たちの声や歌。後ろから聞こえる、お母さんたちのすすり泣き。
それらが実感させる。
ああ、卒業するんだって。
ちらりと斜め前を見る。まっすぐに前を向いた君がいた。
みんなと同じブレザーに身を包んだ君の横顔。流石にもう伸びることをやめた背丈。広くなった肩幅。
毎日のように見ている君なのに。見ているだけで胸がきゅうっとなった。
泣いてしまわないようにと私は君から視線をはがし、前を見る。
「ぐすっ」
「すんっ」
時々誰かの鼻をすする音を響かせながら、式は順調に進んでいった。
卒業式が終わった後、卒業証書を片手に体育館前で写真を取り合った。
「卒業しても連絡するからね」
「もちろん」
涙声のすみれ。私の目にも涙がにじんでいる。
「泣かないって思ってたのに、前に並んでる先生の目がうるうるしてるんだもん」
普段おちゃらけている社会の先生も、厳しい体育の先生も、優しい国語の先生も、みんな目が潤んでいて、それを見たらもう涙をこらえるのが無理だった。
後ろのお母さんたちなんて、卒業証書をもらう時「はい」って返事しただけで泣いている人もいるんだもん。
「歌がまた、泣けるよね」
「そうそう」
ハンカチで涙を拭ってから、私たちはしんみりとした気分を吹き飛ばそうと無意味にはしゃいだ。あちこちで輪っかが出来て、先生を囲んでいたり、友達同士で笑い合っていた。
お母さんとおばさんは、他の保護者たちが固まっている一角でおしゃべりをしている。お母さんたちも感慨深そうな表情で、話に花が咲いていた。
みんな別れを惜しみながらも、これからの希望をかかえている。
あれ?
あたりを見渡していたら、視界の端でみんなとは違う動きのする人影がちらついた。
気になってそっちを見ると、みんなが立ち話をしたり写真を取り合っている中、君と有栖川さんが輪から抜け出していった。
私の心臓がどくどくと嫌な音を立てた。二人の姿は人気のない体育館裏へと消えていく。
「ごめん、私部活の子に挨拶してくる」
「うん、わかった」
クラスメートに適当な言い訳をして、私は君と有栖川さんの後を追った。
いた。
体育館の角を曲がると、二人の姿が見えた。
私は二人から見えないように、植えられた木の後ろに回る。
「ずっと好きでした。私に第二ボタン、くれませんか」
有栖川さんの綺麗な声が、私の耳まで流れてきた。
胸の前で祈るように両手を握り、頬を染めて君を見上げる有栖川さんは綺麗だった。
大きくてぱっちりとした二重の瞳はきらきらと潤んでいる。運動部のマネージャーだったのに、透けるような白い肌にはにきびの一つもない。ほっそりとした顎の上にある桜色の唇は、君の答えを求めて半開きになっていた。
ブレザーの下のブラウスに包まれた豊かな胸、チェックのプリーツスカートから伸びる足が、女の私にすら眩しい。
テレビの中から出てきた、女優やアイドルみたいな有栖川さん。彼女からこんな風に告白されて断る男子がいるだろうか。
ううん。きっといない。
答えは分かり切っていた。
背を向けている君の表情は、私からは見えない。見えないけど、きっと驚いて固まっている。それから嬉しそうにこう言うんだろう。「もちろん。俺も好きだった」って。
だって有栖川さんは事あるごとに君の話題に上っていた。
可愛いって。いい匂いがするって。優しくって最高だって。胸がでかいって言ってた。
いつもニヤニヤした顔で。
お前とは大違いだなって。
そんな君が断るわけがない。
きっと君は有栖川さんの告白を受け入れる。有栖川さんは嬉しくて泣いちゃうかもしれない。最近格好よくなった君と、可愛い有栖川さん。誰が見てもお似合いで、幸せな二人。
嫌だ。嫌だ。そんなの嫌。
聞きたくない。この続きを見たくない。
見ていられなくなって、私は二人に背中を向けた。
聞かないですむように、見なくてすむように、私は両手で耳を塞ぎ、ぎゅっと目をつむる。こんなことをしても意味がないことくらい分かっているのに。そうせずにはいられなかった。
胸が苦しい。息がうまく吸えない。
そっか。私。私……。
今までふわふわと漂ってきた感情が、形を持って、すとんと落ちてきた。
……好き。
私は、君のことが、好きなんだ。
ううん、ずっと気が付かないふりをしていただけ。
本当はもっと前から……好きだった。
私は耳を塞いでいた手を下ろし、目を開けた。そのまま空を見上げる。
あーあ、ついに気付いちゃった。
今頃になって気付くなんてね。遅い、遅いよ。
もう手遅れじゃない。
見上げた先には白い校舎と校舎の上に広がる空。青くて、明るくて。でも少しぼんやりとしている春の空は、眩しく揺らめいて、きらきら光っていた。
爆発しそうな心の中を抑えて、歩き出す。泣きだしたいような気持ちのまま、みんなの輪に戻って、なんでもない顔でみんなに挨拶していった。
一通りみんなに挨拶し終わった頃、お母さんがこっちへ来た。
「お母さんはもう帰るけど、千尋はどうする?」
「最後だから歩いて帰る。定期だってまだ使えるし」
「そうね。高校最後の下校、楽しんでらっしゃい」
「うん」
私はひとつうなずくと、くるりと高校から背を向けた。足早に校門をくぐり、校舎から離れていくたびに私の心は抑えきれなくなっていく。
ずっと見ないようにしていた。気づかないようにしていただけで、ずっと前からあった感情に振り回されて私の心は荒れ狂う。
家族への想いじゃなかった。友人とも違っていた。
ばか、私のばか。
あんなに側にいたのに。あんなに長く過ごしていたのに。君のこと、こんなに知っているのに。
……想っているのに。
もう手が届かない。君は私以外の誰かのものになってしまった。そのことがこんなにも苦しい。それこそ、息が出来ないくらいに。
君が好き。
好きで、好きでたまらない。
君を失いたくない。君との空気がないと駄目。
息が、苦しいよ。
……私は、こんなにも君のことが好きだったんだ。




