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苦手な方はご注意ください。

弾丸よ、下天を穿て

作者: 秦 元親

史実改変 諸説あり 誤字脱字注意




  俺は道具だ。


 俺には人としての名前などはない。


 与えられたのは道具としての名前のみだ。

 

 【杉谷善住坊】


 それがモノとしての俺の名前らしい。

 ただそれでもいいと思っている。名のある茶器は一つで国まるまる一つを買えてしまう。名のある刀は全国の諸将が領地を掛けてまでも取り合うという。

 槍の癖して帝様から正三位を賜った奴だってある位だ。


 俺は道具でいい、道具でいいからそんな武者たちが血を流してまでまで取り合う道具になりたいのだ。

 道行く皆が平伏し、猛者共の間では絶えぬ話題となり、大名ならず朝廷までもが欲する刃に俺はなってみたいのだ。


 そうなれる好機が俺に廻って来た。一発で絶えぬ恩賞が、たったの鉄砲の一発で主からも、将軍からも、浅井も朝倉も本願寺も雑賀も根来も絶えぬ喝采が飛び交うそんな好機が迫り来ている。

 

 キタ。

 微かにだがしっかりと響く馬が地を蹴る音。まだまだ距離としては遠い。

 耳を澄まさなくても勝手に情報が流れ込んでくる、ん……。ただ予想外に敵の数が少ないようだ。

 流石噂にたがわぬ豪胆さと言った所か。だがその油断がお前の命を、織田家の命を奪うことになるぞ。

 

「いやはや、あの六角の馬鹿殿の勘も当たるもんですなぁ」

 それを言うなら朝倉も浅井も大馬鹿者だ、どうして挟み撃ちにしたというのに金ヶ崎で信長を殺せんかった、普通ならあそこで織田を撃滅できただろうに。

 まぁ此方としては一向に有り難い事だがな態々仕事を与えてくれて。

「なぁにここを通るように仕向けてあるだけさ」

 此奴は甚八。こいつも俺と同じ道具であるはずだ。

 出会ってそう日も経たないし此奴との関わりもほぼないがそれでも分る。

 此奴は異質だ。

 道具が所有者を馬鹿にしておるのだ、思ってはいてもそれは言ってはならない、本当は思ってすらいけないのだ。

 所有者がやれと言ったら有無を言わずにただ命に従う、例えそれが死に直結するような命令でも、例えそれが死ぬと分かっている事でもただ黙って行動する。それが俺達、俺達道具のあるべき姿だ。

 

 どんどんと耳の奥底の音が大きく強く響き渡る。

 俺と甚八は静かに向かい合って首を縦に振った。

 頃合いか……。


 銃口から玉と玉薬を突き落とし、雄と雌の交尾の如く朔杖を使って押し込んだ。

 火縄から薄っすらとちらつく白煙。

 火皿に口薬を取り込め火蓋を閉じて幽閉し、火縄に息を吹き込みいつものように火鋏に付ける。

 

「早いな。流石は甲賀五十三の家に名を連ねる者だけはある、鉄砲の腕は雑賀仕込みか?」

 はぁ、先程の火縄に吹き込む息と別の種類の吐息が漏れ出してしまった。


「忍びたるもの確かでない情報など口にするでないわ、偽りの情報に踊らされるな」

 やっとのことで種子島の装填を終えた甚八は呆れ交じりの俺の言葉を聞いて頬をかいた。

「名前はどこかで俺をかっさらい刀のように打ち付け鍛え上げた職人、甲賀五十三家のうちの一つである杉谷家から賜ったもので。種子島の術は雑賀で仕込まれたのではなく雑賀、根来寺の脱兎から教わっただけよ」

 ただこの言葉に返事などは帰ってこなかった

 そうして甚八は言うのだ。

「善住坊、お前信長を討ち取ったらどうする気だ?」

 何気なく甚八は俺に質問を投げかけて来た。


 どうするって……。


 どうするんだ……。


 俺はただ主の命に従うだけ、俺はやれと言われたことをやればいい。やりたい事なんて道具の俺には無かった。


「俺は身を立てたい。雑賀の鈴木某のように、伊賀の百道の如く。俺は俺として、道具ではなく人として出世したいんじゃ」

 やはりこの男は変わっている。

 そして救いようのない馬鹿だ。


「善住坊、どうせ六角などもう終わりだ。観音寺の城を捨てた時点で奴らの命運はもう尽きている。ならこの仕事を終えたら、一緒に甲賀を出よう」

 甚八から躱せようのない矢が放たれた。それは意図も容易く俺の心の臓腑を抉り取った。

 道具なモノが所持者の下から一人でに消え去る、思いも考えたことも無い話だ。

 

 絶対に考えてはいけない話だ。

 

 それをこの男何事も無いようにまるで今宵の晩飯でも考えるように呟くのだ……。そして俺も……。

 確かに六角の命運などはほぼ尽きている事くらいは分かっている、分かっちゃいる。

 もう六角にかつての力など、かつての足利義尚や足利義種を圧倒し撃退したころのような力など無い事くらい。

 

「俺たちは人だ。自由に生きるのこそが人だ。俺は俺の価値を分かってもらえるもの以外には仕える気などビタ一もない。だから六角じゃ駄目だ。世に出よう、朝倉でも足利でも武田でも上杉でも北条でも三好でもちゃんと分かってくれる主君の下に行こうではないか、織田の殿様を撃ち倒して」

 なんという男だ。

 陰に生きる我々にはこの男は眩しすぎた。この男は生まれる場所をどうやら間違えたようだ。

 放たれた矢は俺の心にぽっかりと穴を開けてしまった。

 俺に初めてのやりたい事の種が撒かれた、そんな感覚だ。

 どうやら俺も此奴と同じ大虚けで大馬鹿者で異常者なようだ。


「考えて置く」


「即座に否定して俺を斬り殺そうとして来ない当たりやはりお前も俺と同じの様だな」

 

 パカラ、パカラ。

 

 荒ぶる馬の息、擦れ合い奏でられる鎧の音色。

 直ぐ傍まで獲物は迫っている。

 火蓋は切って落とされるのであった、それは正しく文字通りに。


 気付いたころには足が勝手に動いてしまっている。俺を守り隠していた緑を捨てて苔むした崖のような岩の上に飛び乗った。

 一人だけ先行するつわもの

 いいや……。


 迷わず俺はその全く異質の覇気に満ちた男に一瞬で狙いを定め。

 距離は12間程度。

 いける……。


 構うことなく、そして殺意を込める間もなく容易く引き金を引いた。


 バーン。


 銃口から吹き出る火焔と、霧。

 辺り一帯に広がる黒色火薬たまぐすりの匂い。

 最後に眼に移したものは衝撃と急な炸裂音で竿立ちになった馬とそのまま地に落下する織田信長。


「我は杉谷善住坊である、織田信長討ち取ったぞ」

 喜びのあまりか忍びの法度破りをしてしまっていた。

 表に出てはいけないはずの忍びが自ら進んで前に出てしまった。

 だが……。織田信長は死んだ。あの距離だ、外すはずなど。

 

 体に走る衝撃。落下を感じるまでもなく俺は奥の森林に打ち付けられていた。


「馬鹿まだやってねぇ」

 俺の体に触れた甚八の声はその後の銃撃砲火によって掻き消された。

「とのののののお」

「いたぞ彼奴だ」

「おのれ杉谷」

 

 甚八の銃撃が当たったか、当たってないかなど関係ない。

 ただそれを確認する前にはもう手筈通りそこから逃げた。奴らが本当に臣ならば、奴らが主君の事を尊敬しているのならば俺達を追うのではなく、主君の様子を見に行くだろう。

 奴らは誠の忠臣だった……。

 

 何の追撃一つもなく俺たちはそこからの離脱に成功した。

 本当に何の危機すら感じない楽な仕事であった。



「織田の殿様を撃ったのは杉谷善住坊という人物。ただし杉谷善住坊という名の俺だ、尾張の者共俺の事を杉谷だと勘違いしてやがるからな。それでこの功を引っ提げて俺はこれから浅井の所に行くつもりだ」

 お前も来るか?

 俺にはそう聞こえた。

 

「それと、お前は名を変えろ、道具としての他人に付けられた名ではなく自らで選択した人としての名を。それにこの世に杉谷善住坊が二人いては敵わん。俺が杉谷善住坊だ」

 屈託のない笑顔で元甚八、現杉谷善住坊が笑うのであった。

 

「俺は里を出る」

 そんな馬鹿けたことを平然と言ってしまう俺も大馬鹿者なのだろう。

 

「もう俺はモノとして暮らしを辞める。俺は人としてこれから生きていく。俺は根津甚八、これから俺も好きに生きていく」

 どうしてこんな名前にしたんだろうか、ああそれはいい。

 ただもう俺は引き返すことが出来ない。

 停滞することを、モノとして六角甲賀に居続けることはもう辞めだ。


 俺はこの男のようになってみたい。


「根津甚八か、うん。いい名前だ」

 善住坊は赤子のような無垢な笑顔で笑うのだ。只今生まれ落ちたばかりの人であるこの男はとても光輝いていた。

 善住坊は本物の人間に成ったのだ。


「去らばだ、根津甚八。短い間であったが中々に楽しい日々であったぞ」

 善住坊は振り返ることなく浅井領の方面に向かって走り出していった。

 そしてそれはそれはとても美しく、俺は憧れを抱いていた。

 

 彼奴に比べてなんと俺は惨めな事か……。

 人間に成りきれていない、俺はこの時をもって里を出た。


---------------


 織田信長は生きていた。

 あと男にはどうやら天が味方に付いていたらしい。浅井や朝倉の失敗を笑ったが私達もどうやら笑われる側の人間らしい。

 あの男は【杉谷善住坊】を徹底的に探し出した。

 そして杉谷善住坊は捕まった、浅井を捨てた男によって杉谷は織田の大虚けの手に引き渡された。


 そこから先は聞くだけでも、それを想像するだけでも、聞くに堪えない、想うに堪えない話であった。

 私は信じたい。杉谷善住坊が彼奴ではないことを。


 ゆっくり、ゆっくりと嬲るように鋸で無残に、無慈悲なまでに殺された男が俺のよく知っているあの男ではないということを私は信じたい、私は信じることしかできない。


 もし殺されたのが彼奴だとしたらきっと私の事を恨むであろう。

 私は残念ながら忠誠とか信義とかは教わってないんだよ。


 ただ、滝川一益が、甲賀出身のあの男が非常に俺を人として評価したので俺は滝川の家臣に……。

 即ち織田家の傘下で身を立てていた。

 本願寺とも雑賀とも武田とも戦った、長篠では武田相手に鉄砲を嗾けた。

 ただ私はまだ何物にも成れていなかった。

 小物は嫌というほど殺した、ただあの時の信長並みの敵を誰一人として撃てていない。


 この男滝川は武田攻めの所までは良かった。

 ただ私はその後この男は突き放し見捨てた。

 なぁにがあの茶器狂い私は鶴だだ、俺の事を雀扱いしやがって。

 でなんだ、上野を貰ってからはロクに戦もせず、どこぞの大名たちと上辺だけの外交をしているだけではないか。

 この時に私は真田昌幸という人物と出会うことになるがその時は全くもって眼中になかった。小県ちいさがたの、信濃の領地の小さい国衆の一人。

 武田信玄の名に囚われ続ける男そんな印象しか抱いていなかった。


 この時私は小田原と上野箕輪城を行き来するだけの日々であった。


 ただ私は気が付いていた、北条は織田に組する気などないと。本当に上辺だけで織田と付き合っているのだ。

 ただ最後の関東管領はそれに気が付くことは無かった。

 

 天正十年……。

 とある一人の将が私が過去に成せなかった事を成してしまったのだ。

 織田信長が死んだ、それにより大いに全国は乱れた。

 北条も当初は滝川との協力関係を継続すると伝えていた。


 私はここで滝川を裏切った。

 北条は牙を研ぎ続けて来た、獅子はとても狡猾なのだ。安心を与えて置いて一撃で滝川を織田本領に逃げ帰らせた。

 鶴は猿によって落された。

 雀達もまた狸や竹の雀、鱗を持った獅子などの下に散ってしまった。


 ただ北条も駄目だった。

 あの汁掛け妖怪はやはり自らの代で北条を潰す男だった。

 徳川、上杉この両名との戦いで天下を取る機を逃してしまったのだ。

 機を逃したのに未だに頑固、固執する事しか出来ない。

 一度固執してしまったらもう二度と変えることは無い。

 だからどこぞの百姓にも従わなかった。どれだけ豊臣方が北条に気を配ろうとも北条はそれに応じようとしない。

 そして天下の大軍勢は小田原に向かって進軍を開始した。

 ここまでは良かった、私は内心ではうかれていたのだ。

 

 滅ぶときは一瞬だ。


 そして儚くすらない。北条の本城勢は戦うことすら無い、戦ったのは史城の連中の身みだ。

 小田原城が囲まれようが、八王子城、山中城、韮山城、松井田城、鉢形城、館林城が落されようが、豊臣秀吉とよとみのひでよしが戦を忘れてバカ騒ぎを目の前でしてようが決して彼らは動くことなかった。

 軍議は、小田原評定は踊るされど進まずだ。

 城は落ちた。反撃すらもなく敵の軍師の甘い囁きに耳を傾けてしまったのが落城理由だ。

 豊臣秀吉を撃ち殺すその瞬間を駄目な主君によって阻まれてしまった……。


 私はその後忍城おしじょうに小田原が開城した事を伝えに馬を走らせた。

 此処の城代はでくのぼうであった。

 それは真田昌幸という人物の奥底を知ったためか……。

 あの表裏比興の者は忍城をわざと落とさずに戦を見ていた、伊達がどう動くか、戦は北条に傾くのか、最後の最後まで関東を眺めていた。

 もし北条が動いたならば、殿下の子飼いである石田三成の首を手土産に小田原に赴くために。


 あの男は武田信玄に囚われたふりをしているだけだ、私はあの男の事を見誤っていた。あの男は、我が主君はとても素晴らしき人物であったのだ。


 すぐさま北条家にいた真田の縁者小山田茂誠に近づいて、小山田茂誠の真田への帰順に付き従った。

 上田について分かった。やはり真田は何かやる家だと。


 信玄さえも落とせなかった砥石城を落せたのは、徳川を撃退できたのは偶然ではないと、真田は必然的に勝利したのだ。


 私は鉄砲の腕と北条の風魔一党に所属していたということを買われて出浦盛清いでうらもりきよが率いている透破すっぱの下で働くこととなった。


 北条が滅びたことによって天下は統一されてしまった。

 ただ真田家だけは次の戦があると信じて刀を打ち、研ぎ澄まし続けた。


 ただ予想以上に平穏は長かった。


 日ノひのもと兵の一部は海を渡ったらしいが真田には関係のない話。

 それでも私は己の技術を磨き続けた。


 次こそは誰かを撃つと、次こそは当てると。


 太閤が死んでも利家が死んでも私は変わらなかった。

 世の中は太閤が存命の時から徐々にだが不穏な空気が立ち込め、乱れ始めていたから。


 案の定に世は乱れた。

 家康は無断で婚姻を重ね、石田三成は襲撃され、またまた家康は前田・上杉と立て続けに難癖を付けた。上杉はそれに真っ向から刃向かった。


 全国の大名は豊臣の名の下に上杉を討伐せんと集結して北を目指した。

 それを好機と見た茶坊主が兵を挙げた。

 徳川は待ってましたと言わんばかりに反転して決戦に向かうのである。


 しかしこれを本当に待っていたのは真田だ。


 どちらの陣営が勝ってもいいように父弟、兄に別れたふりをしたのだ。

 そして徳川は真田領に大軍勢を率いてやって来た。

 かねてよりたてられていた作戦の通りに真田の嫡男である信幸は砥石城を落す。さすれば信幸は砥石城防衛の為にこれから行われる戦に兵を出せない、合戦のその先を見据えた昌幸様は兵力の温存のために砥石城を落させたのだ。


 敵の大将である徳川秀忠は完全に昌幸様の手で転がされ、手を足も出ない状態まで追いやられる。

 徳川の陣を攻めた、攻めた。


 私は徳川秀忠に銃口を……。

 確実な照準、絶対に外さない距離、終いに引き金を引くだけだった。


 でも……。


 それを制止する者が現れた。出浦盛清いでうらもりきよは、出浦昌相いでうらまさすけは私から徳川秀忠を撃ち取る機会を奪ったのだ。

 私は反論したさ、それでもただ出浦様は目にも止まらぬ速さの拳を顔面に飛ばした。


 大馬鹿者だと。


 徳川秀忠を生き残らせねばならないと、美濃で徳川家康が死んでみろと、徳川の家は豊臣であった次男の秀康と後継ぎに選ばれた三男の秀忠が後継者争いを起こすと、争いが起きれば奥羽勢も我先にと江戸を攻めてくるだろう。

 豊臣も豊臣で秀頼は未だ幼少。争いの火種は絶える事の無い、此度の戦だって加藤も軍師官兵衛も参加していないだろう。

 さすれば後は上手いように両陣営を渡り歩いて真田の領土を拡大させるのみ。

 昌幸様を一番に理解している出浦様だ、確かにあの時はその言葉が本当に現実になるのではないかと思えた。


 ただ現実はそうはいかなかった。

 勝ったのは徳川家康、石田勢は紙きれのように敗北していた。

 過去のあの京で起こった乱のように数年は続くと思われていた戦いは太陽が昇って沈まぬうちに終わりを迎えていた。

 

 あの時撃っておれば……。 あの時引き金を引いておれば……。

 私はまた何物にもなれずにいた。

 


「爺様、根津の爺様」

 ああ、声がする、少年のように澄んだ声。

 何だか夢を見ていた、長き長き夢を。

 儂は今どこにいるのじゃ。


 ああこれは馬の上か、それにこの重み。

 鎧なんぞ着込んじまって。


「おい甚八」

 夢は醒める。色褪せていた世界はどうやら元々白と黒で作られていたらしい。

 一面火薬煙と黒煙ばかりじゃ。


 一帯に響き渡る人による怒号と鉄砲による鬨の声。


 此処は戦場だ。

 ここは総掘りを埋められた城の外、ああ段々と思い出してきた。

 儂も随分と年を取ったものだ。

 これが最後の機である。


「甚八」

「申し訳ありませぬ信繁様、少々昔の事を思い出しておりました」

 織田の殿様を撃った頃を……。

 心で思ったつもりがいつの間にか口に出しておったらしい、周りの反応を見るに。


「まぁーた、爺様の織田を撃ったが始まった」

 呆れ交じりで小助は呟くのだ。

 織田信長、まるで数十年前の人物なのにもう遥か昔の男のような扱いだった。


「御味方毛利隊、本田忠朝を討ち取り、続く小笠原勢も撃退。勢いに乗り浅野、榊原、仙石、酒井隊を相手に突撃を開始しました」

 周りの状況を伝えんと早馬が信繁様に叫ぶ。

 毛利勝永か、流石の猛将よ。あの後藤みたく死に急がなかっただけの事はある。


「ハッハ、毛利は徳川の四天王越えか。私も松平忠直隊を破った。この勢いで突撃する、狙いは徳川家康本陣、大狸の首よ」

 我々は征く。

 赤き我々は戦場を駆ける。極楽に向かってではなく地獄に向かって、もう六文の渡し賃は払ってある。

 我々は身内を破ってまでも行かねばならない。


 馬は駆ける、赤鬼達は戦場に全てを懸ける。


「浅野が裏切ったぞ、浅野が御味方に攻撃を開始した」

 この白髪交じりの老人の声は戦場に良く響き渡る。

 道行く皆皆が狼狽した。

 道が、勝利への一本道が段々と開けていくのだ。

 


「見えた、あれが家康の本陣よ」

 白髪交じりのこの男の一振りによって一斉に赤鬼達が得物目掛けてしがみついた。

 大御所さえやれば、あの狸さえ討ち取れば豊臣方は勝利の美酒を味わえる。


「征け、逝け」

 まるで当主の出で立ちではないこの昌幸様の子倅は叫ぶのだ。


「我こそは真田左衛門佐」

「私の名は真田源次郎」

「某の名は真田弁丸」


 口々に皆真田と名乗りを上げる。自称真田信繁の軍勢の進撃。


「真田源次郎討ち取ったぁ」

 所々からも徳川兵が真田を討ち取ったと豪語する。

 真田を討ち取ったものもまた別の真田によって討ち取られることになる。


「殺せ殺せ」

 鹿の角を模して作った兜を被った小助が大音声を上げた。


「あれこそが真田よ」

「あの鹿角の男を殺せよ」

 敵兵共は皆々信繁様の思惑通りに小助をご当主だと思っておる、その近くにいる貧相な出で立ちの老人こそが真田の御大将だと言うのに。


 あの徳川家康ですら、顔を覚えてないのかそれを看破することは出来ないでいた。

 徳川家康が逃げる……。

 家康の周りの連中は我が身を盾にしてまで時を稼いだ。


「馬印を落せ、刈り取れ、根絶やしにしろ」

 信繁様は叫びながらも槍を振るい獅子奮迅の活躍を見せている。


「追え追え、其方らの活躍がこの戦いを左右する」


 それは一瞬の出来事だ。ほんの一瞬目を話しただけでそれは起きた。


 逆上した、また我々と同様に命を捨てんと突撃してきた徳川の兵が槍が信繁様の腕を掠めた。

 この男の声はよく戦場に響き渡り過ぎたのだ。

 赤鬼達は戦慄した、儂も肝に冷水をぶっかけられた気分じゃ。

 ただ敵は赤備えの一兵士が落ちたとしか思ってはおらぬのだろう、構うことなく身を挺しての時間稼ぎを行っている。

 動揺を抑えつつも一先ず兵共は囲みを破り家康を追うのであった。


「真田の兵たちよ、私はもう槍を振れる力が残っておらぬ、精々馬に揺られることしか叶わぬ。どうやら私は此処までじゃ」

 信繁様はとても悔しそうに嘆く。

「甚八此処に」

 馬を寄せて信繁様の下に寄る。


「我が十文字槍だ。お前がこれから指揮を取れ。指揮を振るい将軍の首をしかと撃ち取って来い。もうあの上田合戦のように躊躇せんでも良いぞ」


「信繁様は……」


「私か、私はこれから大坂城に戻るとする。万が一の為、もしもの為に秀頼公を守るとする」

 分る。この殿は嘘を付いている。


「しかし」


「これは命令ぞ、私は甚八お前に命令を下した。お前は真田の名を賜ったのだ。お前たちは私であり私もお前達であるのだ。私一人が消えても真田はことを成してくれるだろう。真田信繁とはこの隊よ」


 信繁様に九度山で死んでしまった昌幸様が、あの杉谷善住坊も信繁様から映し出された。

 十文字槍も握り締め静かに頷くことしか出来なかった。


 まるであの懐かしき善住坊と別れる時の様だ。

 

「佐助、お前は私の供としてついてこい」

 佐助と呼ばれる信繁様お抱えの忍び以外は皆振り向かずに家康の走った方向へと馬を進めた。


 何度も何度も家康を視界に捉えた、あと少し、あと少し。


 その度に、その都度敵味方の命が散っていく。


 朱塗りの朱槍も血で染められもはや別の色の槍である。


「追えよ、追えよ」

 馬の腹を裂く勢いで赤鬼達は奔った。

 狂えよ狂え、これが最後の戦なのだから。


 もう毛利も明石も大野も千成瓢箪の行方さえも知らない。

 ただ家康さえ討ち取れば、ただあの者の首さえ取れれば。

 

 味方も大勢脱落していく、それでも俺は。


 それでも私は。


 それでも儂は。


 ヒトになりたいのじゃ。

 例え日の本一の兵共を犠牲にしても。


 もう何処まで来たかすら分からない。

 だがどうしてこんなところに葬式の行列などが……。

 

 構わん。


「殺せよ、殺せ。棺も上から刺しておけ」

 ここには多分いない。分かってはいる、だがほんの一筋の希望に懸けてやらねばならない。


 俺はやはり……。

 私はやはり……。

 儂はやはり……。

  

 耳奥に微かに聞こえる馬匹の音。

 これは駿馬の音。


 戦場からはかなり外れてしまった、もしや。


 そう頭に浮かぶ前に靄の中を音のする方に向かって馬に駆けさせていた。

 風の如く、疾く駆ける。


 今までの、儂の生きた人生の中で最も速い風となった。


 馬に乗ってかける、ふてぶてしくも鎧を着こんだ狸。

 私は小田原の戦で一度あやつの顔を見ている。

 

 あやつこそが家康だ。間違えもない、間違えることも無い、いくら老け込んでもわかる。

 あの千種峠で馬を走らせた男と同種の漲るモノを感じる。


 馬を殺す勢いで駆けさせた、馬もその一命を使い果たす勢いで前の獲物に向かって突進する。

 振り返った家康は此方の存在に気が付いたようだ。

 

 だがもう遅い。

 十文字槍が家康の背中に吸い込まれていく。


 これで俺は。

 これで私は。

 これでやっと儂は。


 全身に走る衝撃。そして緩んでいく風と勢い。

 槍は空を突刺した。

 寸でのところで、また俺はほんの少しだけ届かなかった。

 まるで若き頃と同じだ。

 あとほんのちょっと槍が長ければ、あとほんの少し種子島の軌道がズレておれば、儂はヒトになれたというのに。

 何者でもない私は、いいや、まだだ。


 馬の勢いは完全に停止した。

 それでも。

 それでもいい。


 これが最後の、戦国最後の機。その機を無駄にする気などは俺にはない。

 俺は杉谷善住坊に、俺はあの頃のの道具に戻る。


 いいや、俺はそれすらも越えていく。

 俺は私の中の全ての可能性を。

 朱槍は摂理に従い地へと落下する。


 私は儂の中の全てを結集させてここに立っている。


「聞け、徳川家康。我が名は真田幸村、いざお前を撃ち取らん」

 それは煙を噴き上げ、命を噴き上げ未だに燃え続けている。

 

 あの頃のように、もう千種とは同じ道は辿らん。

 籠手の上に乗せられる最後の可能性。

 これほど小さく、これほど頼りない。

 種子島と比べれば一目瞭然だ。


 ー馬上筒ー。

 これがこの武器の名前らしい


 逃げる大御所の心の臓に構える。

 

 いけるか?

 ああ、いけるとも甚八。


 もう同じ事は繰り返さない。俺はここで。

 引き金に振れる指、引きも絞りもすでにすんでいる。


 やっとヒトに成れるぞ、甚八。

 

 千種峠のあの男に、小田原を攻めたあの男に、この戦国の勝者であるこの男に向かって引き金を……。


 豊臣方すべての可能性が込められた頼りなき筒は煙と紅蓮と共に弾を放出ー。

 

 轟音と共に一人の男からは赤い一閃が吹き上がった。

 そしてくるりと馬の向きを変え、焔に舐め上げられている太閤の城に向かって歩みを進めた。


 オギャー。オギャー。


 赤子の泣き叫ぶ声。こんなところにああ、捨て子だろうか……。

 可哀そうに。

 まるで昔の自分だ。

 多分自分も誰か知らない親に棄てられたから道具として生を受けたのだ。


 此方を見るなりこの赤子は泣き止んで笑う。

 まるで悲し気に、まるで憂うように、まるで寂しげに目の前に立った只今生まれ落ちた老人を嗤ったのだ。

 


---------------



 吹き抜ける風、さざめく海。

 何処からか童の歌が聞こえてくる。


「花の様なる秀頼様を、鬼のやうなる真田が連れて、退きものいたよ加護島へー」

 

 童は楽し気に口ずさむのであった。


「秀頼、どうして反旗を翻さないのです」

 もう夢に流れてしまっている、半ば狂いかけの女性が大男の息子に声を上げた。


「母上、私は秀頼などという名ではありませぬ。私は益田好次です。ねー四朗」

 大男はその似つかわしくもないひょうきんな声を出していた。


「ちちうえきらーい。ねぇあかしさま。きょうもでうすさまのおはなしがききたいです」

 

「仰せのままに」

 年中首から十字架を掲げている伴天連さんは無垢な少年の望みを叶える為に少年と共にどこかへ消えていった。


「では母上も御家にお戻り下さいませ」

 

「嫌じゃ嫌じゃ、私は大坂の城以外は家とは認めておらん。帰るなら大坂の城じゃ」

 この姫君は本当に我儘が過ぎる。

 まぁいつも通りの事なのだが。


「おい、幸村お前も手伝え」

 老人と大男が暴れる老婆を担ぎ上げて無理矢理に家まで連れていく。いやな仕事だよ。

 ふーう。今日もいつも通りの日々であった。


「爺様ー」

 私と共に暮らしている子供が手を振りながら帰って来た。

 

「爺様、今日も術を教えてください。投石ばかりで私はもう飽いてしまいました」

 未熟者が何を……。

 そう思ったが、内心は割と穏やかであった。


「そうじゃなぁ。ならこの爺が昔語りでもしてやろう。あの徳川家康を撃ち殺した話じゃ」

 この童は胡乱気な視線を此方に飛ばしてきた。

 まるであの姫君に向けられるような目線を此方に向けてくるのだ。


 だがなぁ。撃ったんだよ、確実に。

 彼奴が死ぬところもしかと確認した。


「徳川家康は偽物じゃ、あれは影武者じゃ。何故なら爺が本物の家康を撃ったからな」

 その声は虚しく、村々に木霊するだけであった。

 誰もが自分の話を真実として受け入れてはくれなかった。


 

 花の様なる秀頼様を、鬼のやうなる真田が連れて、退きものいたよ加護島へー。

 

 耳の奥に残るこの歌。

 いずれこの歌だって此方の話と同じく御伽噺となってしまうだろう。


 最早ただ移ろうだけ、死を待つだけの肉片。

 それでももう悔いはない。


 なぁ甚八よ、俺はちょっとでもお前に追いつけただろうか。



 


 


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[一言] こんにちは!つぶらやこーらです! 作品を拝読しました! 私のつぼは、汁かけ妖怪。これが出たとき、秦さんの、戦国に対する思い入れの深さが伝わりました。 生きる意味を求め、闘い、生きて、死ん…
[一言] 家康は死んでも、徳川家は倒れなかった。 男は『徳川家』を撃つことは叶わなかった。 そして歴史は流れる。もし、という仮定を含めて。
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