1.オバちゃん召喚
「なんじゃこりゃあ……」
麗奈はその顔に似合わない名前以外、ごく普通の……いや、腐通のオバちゃんだ。今年で齢42。「よんじゅうにさい」というよりも「しじゅうにさい」という感じの、昭和のおかあちゃん的な外見である。
ただし、未婚で子供もいない。それどころか処女である。現実の男よりも二次元を愛し、穏やかに暮らしている。
そんな彼女の目の前には、見たこともないイケメンたちが、綺麗に整列していた。全員ただ美しいだけでなく、内面の煌めきがダダ漏れちゃっているような、麗しいキラキラしたオーラを感じる。イケメンが眩しくて、目を覆わずにいられない光景だ。
その中で一層キラキラしたイケメンが、一歩前に出てきて、麗奈にこうべを垂れた。
「聖母さま」
後ろのイケメンたちがそれに倣い、復唱した。一斉に大人数がお辞儀をした事で、ザッという音が響く。
麗奈はポカンと口を開け、その光景を見ているしか無い。
こんな縁もゆかりもないイケメンの群れに、頭を下げられる謂れはないはずだ。まして麗奈は聖母などでもなく、派遣で働くオバちゃんである。何か人違いでこんな事になっているとしか思えない。
そこまで考えてから、麗奈はハッとした。
(っていうか、ココどこよ?)
麗奈は派遣のお仕事を終え、一人暮らしの家に帰る途中だった。特に変化のない、いつも通りの行動だ。帰る途中にコンビニによって新作のお菓子が出ていないかチェックし、何も買わずに帰ったはずだ。
だけどひとつ角を曲がったら、何故か目の前がイケメンワールド。
麗奈は振り返ってみた。本来ならそこにあるはずの民家は、神々しく美しい白壁だった。金の装飾が施されて、明らかに麗奈が住む下町の壁じゃない。上も異様に高い天井で、豪華極まりないシャンデリアがぶら下がっている。外を歩いていたら、絶対にありえない光景だ。
ゴトンと音がした。麗奈がトートバッグを落とした音だ。
「突然の無礼をお許しください。私はこの国の騎士団長のラルバスと申します」
麗奈はゆっくりと、視線をシャンデリアから目の前のお辞儀するイケメンに移した。「イケメンはお辞儀してて顔見えなくてもイケメンなんだなー」と、変な事を考えながら。もちろん、現実逃避だ。
「現在この国……いえ、世界は大変な危機に瀕しております。ゆえに、禁忌とされております聖母さま光臨の儀式を行わせていただきました」
ここまで聞いて、「あ、コレ知ってる」と麗奈は思った。
所謂、異世界召喚モノだ。多分そうだ。
だけど同時に、40過ぎた現実的な部分が否定する。
それはフィクションの世界の話だ、と。
この設定をそのまま受け入れるには、麗奈は年をとりすぎていた。年をとると変化に弱くなる。現実どうこうを別にしても、急に違う環境にぶち込まれるのはツラい。対応するだけの体力がない。というか、仕事帰りでクタクタだ。
「帰りたい」
素直な感情がそのまま声に出た。
本来なら自分の部屋で、部屋着になって一休みしている時間のはずだ。なのに、家に帰れないどころか緊張を強いられている。
目の前がイケメンだらけなのも、突然知らない場所にいるのも、何もかもが無理だった。この世界が困っていようがどうしようが知った事じゃない。今麗奈自身が困っている。むしろそれを救えと言いたい。
「申し訳ございません」
ラルバスさんとかいうイケメンが、益々頭を下げた。動きにくそうな正装っぽい格好なのに、腰が90度以上曲がっている。麗奈は「わあこのイケメン柔軟……」と、また関係ない事を考えた。やっぱり現実逃避だった。
「召喚の儀については記録があるのですが……その、お戻りになられた記録が存在せず……」
麗奈は「あ、コレ知ってる」と、再び思った。というかテンプレすぎて震えた。
多分、何らかの偉業を成し遂げないと、帰る手段が見つからない系。しかもその偉業がヘラクレスも真っ青の無理難題な冒険で、ステータスがスチートでも、何度も死にかけるアレに違いない。
どうせなら転生で若くなってやり直す方がマシだろうに、どうして42歳のオバちゃんのまま召喚しやがるのか。ましてこれで変なチート入って不老不死だったら笑えない。
嫌な予感しかしなくて、麗奈は小さな声で「ステータスオープン」と言ってみた。
名前:中野 麗奈
性別:オバちゃん
年齢:42
職業:聖母(派遣)
技能:奇跡 加護 癒し 翻訳
性質:腐食 不老不死
その他:異世界人 独身
「あああああああ」
麗奈は呻いた。
開いちゃった。ステータス開いちゃった。しかももはやどこツッコんで良いのか分からないようなのが開いちゃった。でも取り敢えず問題の不老不死があった事に絶望しておく。
元々美人ではないので、老ける事は気にしていない。恰幅が良いのも、年相応にオバちゃんらしくて良いと思っている。
だがしかし、どうせ不老不死であるなら若くありたい。美醜以前の問題で、体力的な意味で。それならばもう少しこの状況を楽しめもするだろうに。
ただ、ツッコミ以外に疑問もある。
(なんでステータスにHPとかMPが無いんだろう?)
普通、そこに力や知力あたりのパラメーターなんかも併せて表示されるものではなかろうか? ゼロであればゼロで表示されそうに思える。それも無いのか、それとも麗奈に数値化して見る能力が無いのか。
麗奈は騎士団長ラルバスさんを見た。ラルバスさんはまだ自らの柔軟さを見せつけている姿勢だ。
もしかしてと考えて、ラルバスさんのステータスが見られないか確認してみる。
名前:ラルバス タナカ
性別:男
年齢:28
職業:カウィテ国所属 騎士団長
体力:2350
魔力:189
力:105
知力:15
精神力:56
技能:剣技 馬術 家事
性質:真面目
その他:長男 独身
あっさり見る事が出来た。ついでにイケメンたち何人かのステータスを覗き見て、どうやら麗奈が特殊なのだと理解した。
「えと……ラルバスさん?」
「はっ」
呼ばれても、ラルバスさんは顔を上げなかった。いくら柔軟でもそろそろ苦しいんじゃ無いかと思う。それに話しにくい。麗奈はまず彼に顔を上げてもらい、疑問を口にした。
「ステータスって……なんかこう……体力とか知力とか、そんなの表示されないんですか?」
麗奈の質問に、ラルバスさんはハッとした表情になった。次いで、その顔にじわじわと喜びが浮かび上がってくる。
さすがイケメン。一連の流れがドラマのワンシーンのようだ。顔が良いって素晴らしい。
「聖母さま……ステータスがお見えになるのですね? そして、そこに不要なものが無い、と」
体力も知力も必要だろうに、ラルバスさんは嬉しそうに『不要』と言った。首を傾げる麗奈に、彼は説明を続ける。
「聖母さまにはそのような不浄の力は不要なのです! あなたさまのお力はただひとつ、『愛』だけなのですから!」
『不要』な上に『不浄』ときた。
『愛』とか言われても、今の麗奈には二次元以外にその愛を向けるところはない。
大体、聖母として呼び出して何をさせたいのかも分からない。詳しく聞いてみたいのだが、イケメンたちはラルバスさん筆頭に雄叫びを上げて大喜び中だ。とても聞ける雰囲気じゃない。
どうしたもんかと悩む麗奈の視線の端で、何か華奢な影が動いた。つられて、そちらへ視線を向ける。
(うわ、背景に薔薇背負ってそうなのきた)
そこには、周りのイケメンたちと一線を画す、いにしえの少女漫画みたいな中性的な騎士が居た。瞬きするたび、睫毛がバシバシしてる。瞬きの風圧で飛ばされないか心配なレベルだ。
「本日より聖母さま専属となりました、騎士ルルベルでございます。詳細はどうぞ私のステータスをご覧ください」
声も中性的だったけれど、名前で多分女だろうなと判断がついた。本人もご覧くださいと言っているし、素直にステータスを確認させていただく。
名前:ルルベル スズキ
性別:女
年齢:19
職業:カウィテ国所属 薔薇騎士団員
体力:1230
魔力:1028
力:82
知力:80
精神力:42
技能:剣技 馬術 異世界文字読解 予測
性質:おっさん
その他:異世界よりの転生者 独身
個人的にはこの国の苗字について、膝付き合わせて腹割って話したくなるところだが、今回重要なのは「その他」の項目についてだろう。
ルルベルさんの美しいお顔を見つめると、彼女は優しく微笑んで頷いた。
「お分りいただけたと思いますが、私は聖母さまと同郷の者にございます」
麗奈は「はいはいテンプレ」と思った。お約束がすぎて、もうツッコむ気力もわかない。
だけど、気持ちは楽になった。
やっぱり、見知らぬところに突然放り出されたも同然の状態で、同郷の者に出会えるのはホッとする。
(……良かった。少なくとも、会話が出来る)
幸い言葉は通じるようだけれども、異世界の人と意思の疎通が出来るかどうかはまた話が別だ。同じ世界であっても、国が違うだけで価値観は変わる。価値観の違いが争いを招くことも多い。
平和に育った日本人として、出来れば争いは避けたいところだ。まともに会話出来る可能性は、高いにこしたことはない。
もっとも、これが罠である可能性もある。同郷と聞くと、人は警戒心が薄れるものだ。気を許しすぎない方が良いだろう。
そこまで考えて、麗奈はまだ名乗っていない事に気が付いた。ラルバスさんのセリフの感じからいくと、一般的にはステータスは見えないようだ。ここらで名乗っておくべきだろう。
「あ、私は中野と申します。よろしくお願いいたします」
いつものクセでぺこりと頭を下げたら、ルルベルさんもお辞儀を返してくれた。その条件反射的な動きで、彼女が同じ世界出身どころか恐らくは日本人であろうと予測する。
「あの……早速なのですが、一体私はどうしたのでしょう?」
随分と漠然とした質問だが、ルルベルさんには通じた。
「既にお気付きであると思いますが、異世界に召喚されております」
麗奈は頷く事で、話の先を促した。
「この世界はほんの数百年前まで、かなり原始的な暮らしをしておりました。そこに私のような転生者が現れるようになり、短い時間で一気に文明を進めたのです」
どうやらこの辺もテンプレの、「元の世界の方が文明が進んでいる」って世界のようだ。今現在がどのくらい近付いているのか不明だが、雰囲気的にはまだ元の世界の方が先にいっている気がする。
その考えは、続く言葉で肯定された。
「……と言っても、まだ追いついてはおりません。正確には違いますが、イメージとして明治・大正辺りをご想像ください」
予想以上に具体的だった。では電話や電気はあるけれど、普及はしていないといった感じだろうか。ついでにルルベルさんが元・日本人の可能性が上がる。
「また、世界の違いの都合上、エネルギー事情も変わっております。こちらでは化石燃料ではなく、魔力を使用いたします。詳細は恐らくご想像の通りです」
ルルベルさんは、説明を大胆に端折った。言外にテンプレですと聞こえてくるようだった。
だが、問題はない。先ほどのふんわりした麗奈の質問にルルベルさんが答えてくれたように、ここはこれで通じるし、これ以上詳細に聞いても理解は出来ない。
「続きまして召喚された理由についてですが、こちらは騎士団長からの説明通りに世界の危機ゆえにございます。一気に文明が進んだ弊害が現れまして……」
文明からの害といえば、真っ先に浮かぶのは公害だ。ただ、公害をどうにかするのに麗奈を呼ぶのはおかしい。それならば専門家が呼ばれるはずだ。第一、エネルギー事情が違うのに同じ公害が出るとも思えない。
「ここから先は、私がご説明いたします」
さっきまでテンションが上がりすぎて会話出来る気配のなかったラルバスさんが、いいとこ取りで割り込んできた。それにあわせてルルベルさんが一歩退く。
「実は……魔力を使用しすぎた結果、人が正常を保つに必要なバランスが崩れ始めたのです」
ラルバスさんの話によると、空気中の魔力と人間の中の魔力は、お互いに干渉しあっているらしい。ところが、空気中の魔力が減ってきたせいで、人間側の魔力が歪な動きを始めたそうだ。
魔力の歪みが呼んだものは病。
結果、世界中に病人が溢れかえり、このままだと人類が滅亡する勢いなのだという。
仕組みは違うが、やはりこれも公害のようだ。どの世界でも、人間のやる事は大差無い。
「原因に気付いた頃には手遅れでした。空気中の魔力の自然回復もある事はあるのですが、もう追いつかないのです。これを人為的に回復させる手立ては我々にはなく、禁忌である聖母さま召喚が最後の道です」
言いたい事はなんとなく分かった。分かったけれど、それで麗奈が呼ばれた理由は分からない。
ごく一般的なオバちゃんである麗奈は、当然、魔力の増やし方など知らないのだ。呼ばれたところで何が出来るというのか。
ラルバスさんを見てみたが、彼は縋るような視線を向けてくるだけだ。イケメンのそんな視線は、第三者として見たい。見られる当事者だと逃げたくなる。
麗奈は思わず視線を逸らした。逸らしついでにルルベルさんに目で訴えた。色んな感情を込めて。
ルルベルさんは優しい笑顔で頷いてくれた。そして内緒話をするようなポーズをとる。
麗奈は素直に耳を差し出した。
「異世界人の妄想力が、空気中の魔力を増やすのですよ」
麗奈はガバッと頭を動かし、ルルベルさんを見た。ルルベルさんも麗奈を見た。
問いかけと肯定。
今日会ったばかりの二人の視線の中で、無言の会話が成立する。
(まじか……なんだこの世界)
妄想力なら、確かに人より上かも知れないけれど。
そんなもんで救われる世界とか、結局すぐ滅びそうで怖い。