四十日目
道具の手入れは俺たちの日課だった。今回の任務に合わせて用意したものは、殺傷能力を落とさず小さく感知されない機能を持たせたもの。見た目も日常で使われる装身具に似せている。この国は少し埃っぽい為、細かい場所の手入れを入念にしておく。場合によっては使うことが無い可能性もある代物だが、あれば役に立つのだ。
ソレが終われば言葉の訓練と会話に必要な情報のインプット。自然であるために多少の訛りをいれながら話す作業は至極簡単だが、くだらないゴシップから流行りの情報覚えるのは本当にどうでもいい。俺はその他にアリスの手話はアジア地域の基準のため修正を最後まで入念にやっておく。気を抜いた瞬間にボロが出ないようにするためだ。
(どうかな?大丈夫かな?)
(あぁ、バッチリだよアリス。きっと上手くいくよ。)
(本当に!?やったぁ!)
嬉しそうな彼女を見れば、俺も笑みがこぼれる。いざとなれば能力で全て消し去ってしまえばいい。そうすれば彼女も失敗に悔やむこともないのだから。
(さぁアリス、そろそろお昼だよ。)
午前の予定を全てこなし終えた頃、正午を告げる時の音が鳴った。その音を合図に俺たちが食堂に向かうが、マーレイと執事のように付き従っていたポーターの姿はなかった。俺たちは構わず昼食を楽しんだ後、ゆっくりと庭へと向かう。
綺麗に整えられた薔薇の園。小さな噴水には睡蓮が咲きほこり、隣家との境界には整えられた生け垣が植えられていた。
噴水の水に戯れ、薔薇の香りを楽しみ、色や形をめでて歩いた。
(アッシュ、アッシュ!ガーデンよりも沢山の色の花があるわ!本当に素敵ね。)
彼女の手話が喜びに躍動する。そしてくるくる回り、彼女のワンピースもまた花のように美しく広がった。
とても任務の前だとは思えないほどのゆったりとした時間を過ごしていた。
(アリス、あまりはしゃいで離れないで。さぁ、彼方の生け垣の方へ行こう。丁度あの屋敷側だから。)
俺から離れぬように彼女の手をとって向かった。
近づいてみたものの、案の定隣家の様子を伺うことができなかった。だがもしかしてと思い、生け垣に沿ってしばらく歩くと唐突に生け垣から人間の手が生えてきた。
(え?え?なにあれ?)
(アリス気をつけて。)
有事に備え、彼女を己の後ろへ下がらせる。戦闘用アンドロイドであれば今のアリスといえども無傷では済まされない。
「うーん、もうちょっとぉー。よいしょぉ!」
威勢のよい掛け声と共に少年の上半身が現れた。彼は難所を乗り越えた喜びからかガッツポーズをしている。不法侵入をしていることに気づかぬまま。俺はため息混じりに少年、今回の対象の家族として資料に載っていた人物ポールへ問いかける。
「こんな所で何をしているんだ?」
「あ………。」
──あ、じゃない。「あ」じゃ!
しまったなどと顔で語るな。 いかにも頭の悪そうな少年だ。今頃、任務がなければ消しているところだ。小さな怒りを内側に押し込め、穏やかな中に疑うような目をして努めて普通の人間の反応を演じる。後ろのアリスが俺の感情に反応し、服を掴んで制してくれたお陰でもあるが……な。
「いいいいいいや、俺は怪しいものじゃねぇよ!?」
「そう言われてもな──」
「お前、ここの家の奴か?俺はポール。この国の英雄シメオン大佐の息子だ!ぜんっぜん怪しい奴じゃないぜ!」
ポールが尋ねてもいないのに身分をあかしてきた。全身を使って怪しくないと主張してそれで通用すると思っているのだろう。この時代を生きているのに安全な場所で育った恵まれたヤツだった。
「わかったわかった、お前があのシメオン大佐の息子だということは信じるよ。なんせそっち側から来たんだからな。」
「ありがとう!えぇ……と──」
「アッシュだ。後ろはアリス。」
(宜しく……です。)
ポールはアリスを見た途端、頬を染める。目線を反らして小さくなった声でヨロシクと答える。
あぁ、俺のアリスを汚すな人間。
「それで?どうしてこんなことをしていたんだ?」
「それは……変な奴がいたからだ。」
「変な奴?」
「そうだ、最近俺んちの庭で夜中に変な声が聞こえたんだ。それで窓を見たら変な形の生き物?がこっちの方にいって……。」
「ソレを調べるためにここまで来たのか?ソレだったら家の人が気付くだろう?」
「俺だってそう考えたさ!だけどメイドも警護の連中も誰も知らないって……。俺は確かに見たし聞いたんだ。」
(それってもしかして──)
(あぁ、恐らくアリスの思った通りだと思うよ。何処かに出入口がある。逃げた奴は処分された可能性が高いがね。)
「成る程。その変な奴は屋敷の方からこっちに来たのか?」
「いや、多分コンサバトリーのある棟の方からだと思う。あっちは父上が仕事関係の人しか入れない場所だから、俺も詳しく知らないんだ。」
これは良いことを聞いた。べらべら自分の家の安全面を全く考慮せず喋ってくれたことに俺は感謝した。ある程度の目星をつけて行動できるのは有利だ。後はマーレイの得た情報と照らし合わせて精度を高めることにする。
「と、兎に角この件は家の人に内緒にしてくれよ!」
「あぁ、わかったよ。今後は気を付けろよ。」
じゃぁなとポールは慌てた様子で戻って行った。その姿を暗い微笑で見送るアッシュは無言でアリスの手を引き陰り始めた日の光にあてられ、薄いオレンジに染まる自分達の家に戻って行った。
それからというものの、アッシュは片時も己の半身をそばから離さなかった。窮屈そうにして時折出される彼女の訴えさえも聞き入れずに。
(ねぇアッシュ?)
(駄目だよアリス。)
二つある寝台の一つに、俺たち二人は眠る。研究所の自室の寝台よりも大きいが、隙間なく寄り添い彼女を眠りへ誘う。彼女は小さなため息つくと、俺の力の波を受け入れ少しの時を経て深い眠りへと落ちるのだった。
「アリス……眠ったか……。」
──さて
暫くした後、アリスの完全な眠りを確認するとアッシュは部屋をあとにする。本来こんな事をするはずのない彼が向かったのは、書斎だった。どうしても確認したい事があったのだ。
──確かこの辺りを見ていたはず。
厚い専門書の間を丁寧に探していく。あの時、彼女が夢中になって読んでいたあの時。何を見ているのか気になって声をかけたら咄嗟に隠したあの冊子。彼女に作り笑いを浮かべさせ隠し事をさせた元凶を探す。
──あった……!
見つけたのは薄汚れた、表紙に何も書かれていないノート。頁をめくって見ていけば平仮名と少しの漢字で書かれていた。
今日も一人つれてかれた。
その子はまだ7つだといった──
「なんだコレ。」
彼女が言っていた計算式とかではない。誘拐されたと思われる人物が書いた日記だった。読み進めていくほど、一人の恐怖と売られていく子どもたち、謝罪が多く綴られていた。母の元へという気持ちは、段々と綴られなくなっていった。
読み進めていくうちに気になる箇所が出てきた。
今日はボスからお使いをまかされた。
この国のことばをはなせなくても、てがみをわたすだけだと言われた。
マダムパトリシアのところへいく。
あそこはあまりすきじゃない。
お店はへんなにおいするし、マダムがなんだかつめたいの。
今日のボスはずっときげんがわるい。
おきゃくさまとケンカしてた。
かえりに灰色のかみのおじさんがあたまをなでてくれた。
またくるって言ってた。
ほかのおきゃくさまとちがう。この人、やさしいのにこわい。
今日お使いのとき、灰色かみのおじさんにあった。いっしょにおいでと言われたけど、こわくてにげたの。
ボスに言ったらぎゅってされてもうお使いしなくていいと言われた。
灰色かみのおじさんが来てからずっとボスがへん。
こわいよお母さん。
──マダムパトリシア、そう言えば今日きた女もパトリシアと言ったな。変な匂いの店って言うのも娼館と捉えるならわからんでもない。もしや、同一人物?いや、考えすぎか。
こんな物が紛れ込むのは明らかにおかしい。恐らく標的はアリス。彼女が反応しているのが何よりの証拠と言えよう。
これが今回の訓練の一環ならば注意する必要がある。
日記の内容は全て記憶し、元の位置に戻す。そして眠る彼女の元へ帰っていったのだった。
文字ずれて小文字が先頭になってしまう……ムズい。




