三十日目 その二
タイプTの楽しい時間は、終わりの時間が迫ってきたようだ。
何処か神秘的な女が、黒服に身を包んだ女に車イスを押されてやって来た。
見覚えのある姿に少しの喜びを感じた。何故なら彼女は俺たちの、俺の恩人だからだ。慈愛に満ち溢れた姿は、さながら聖女か何か。
俺が抱くこの感情は恐らく信仰心に近いのかもしれない。実のところ、博士たちは彼女がそうなるように設計・教育したという噂だ。多くの作られた子どもたちが持つ欲求、《愛情》を満たし依存させ統制させる安全装置のひとつとして。
「ごきげんよう、皆さん。」
誰よりも優雅で優しい、優しい声がかけられる。
その声に全員が魔法にかかったかのように反応する。端から見れば非常に滑稽な場面だろうな。
「ローザねぇさま!えーっと……」
見慣れぬ黒服にエリーの明るい声が戸惑う。切れ長のアジア系の妖艶という言葉が相応しい女性。俺は前に一度見たことがある。あれは外部訓練だったような……。
「あらあら、皆さん元気ですね。あぁエリー、彼女はオランと言います。はじめましてだったかしら?」
「はい、ローザねぇさん。6ヵ月前に会ったときは居ませんでした。」
皆は互いに視線を合わせ、エコーの言葉に同意する。
確かに、前回ローザに会ったときにはいなかった。オランと呼ばれた女は紹介されると、僅かに口角を上げ会釈した。あぁ、あれはさりげないが初対面には良い印象を与える。その眼の奥は笑っていなかったが。
ローザを中心に輪が出来始める。オランはBBやEEとローザの会話に加わる素振りはなく、時折ローザの言葉に相槌を打つ程度だった。
素性がわからない、アリスの力で探ってもらおうか?
いや、迂闊に接触させるのも危険が伴う可能性がある。ある程度の下調べをした上でアリスに調べてもらうことにした。
ふと、隣を見るとアリスがぼんやりとあの輪を眺めていた。
俺は彼女の手を引き促す。オランに触れさせるつもりはないが、ローザと面識を持つべきだと考えて彼女をエスコートする。
「あら、初めましての子かしら?」
アリスに気付いたのか、初めて俺と会った時のように優しげな表情で声をかけてくれた。
軽い会釈をするだけで声をかけないアリスに彼女は気をつかってくれたのか、手を伸ばして握手を求める。
アリスは俺に目配せし、同意を求めてきたのですぐにOKした。何故か少し驚いていたが、見なかったことにする。しかし、良い傾向だ、キチンと同意を求めてきて。
アリスは恐る恐る彼女の手に触れる。
ニコニコと握手をするローザと違いアリスは一瞬の戸惑いの後、蛇に睨まれたかのように固まった。
(なんだ?)
初対面の相手に戸惑いを見せる場合もあるが、それにしてもおかしい。
俺はアリスの僅かな違和感を察知する。
ローザ、見詰めているのは何故?
何を話している?
アリスの見聞きしているものが共有できない。
言い知れぬ不安が俺を襲う。何かの意志が、恐らくローザの意志が邪魔をしているのか?
周囲に悟られないよう表情の制御をするのはキツいな。
時間としては非常に短い時間だったような気がする。だが、体感時間は思っていた以上に長く感じた。
そうこうすると、アリスとローザの間にゆるりとした雰囲気が形成され始めた。二人の間に割り込む余地は今なのかもしれない。
「ローザ姉さん、話は終わりましたか?」
アリスの空いている手を引き、彼女から引き離す。
その様子をクスクスと可笑しそうに笑う彼女は先程と違い、俺の知る何時もの彼女だった。
「あらあら、ごめんなさいねアッシュ。もー、そんなにお餅を焼いてはダメですよ?ねぇ、オランもそう思わない?」
「そうね、ローザ。」
ローザが同意を求めて後方に視線をやると、オランが微笑を湛えて答える。今度はキチンと笑っているようだ。
「ちっっちが……!!」
「みてみてバル、アッシュが変~。」
「おーほんとだー、流石のアッシュもローザ姉に遊ばれてらー。」
ローザを中心とした輪は騒がしさを取り戻す。
あぁ、余計な指摘をするなよバーナビー。密かな想いを指摘され慌てふためく子どものように、大人げない態度を示した。
(俺らしくもない。)
自虐めいた言葉を内心呟く。
本当に俺らしくない。気を引き締めなければ。
例え悪い笑顔でこちらを伺うBが俺の心をかき乱してこようとも、耐えなければいけない。
数多の訓練で、戦いの場で起きる不足の事態に冷静に対応できる。しかし、恐らくこういった普段の場において、俺の経験は乏しく訓練も無い。
脱出した後の外での生活に必要となってくるスキルは、早めに会得しておくのも悪くないか。
思いの外やることが多いことに気づく。しかし、それでこそ遣り甲斐があると言うものだ。
愛する姫君の為なら尚更。
談笑しつつも、俺の頭の中はBBの利用価値も認めつつ計画を作成していた。
あぁ、楽しい。愉快な気持ちになってきた。
思わずアリスの両の手をしっかりと握る。彼女は驚いた様子を見せると、フフっと可笑しそうに笑いだした。何か変なことをしただろうかと考えたが、思い過ごしだった。
周囲はアリスも遊ばれている俺に笑ったと勘違いしている。
きっとアリスは俺が嫉妬して手を握ったと思い可笑しくて笑ったのだろう。
アリス、アリス
俺は今、とても楽しいよ。
暑い、暑い、暑い(エンドレス)




