二十六日目
人は変わる、変わり行く生き物だ
生きていく為に
しかし
時に他者の強欲が望まぬ変化をもたらす
俺の大事な人が帰ってきた。ストレッチャーから俺たちの寝床に降ろされる。
静かに眠る彼女の姿は、何時か読んだ物語に出てくる姫のよう。
少し乾いた赤い唇に誓いを立てれば、死が二人を別つまで共にいられるだろうか?
俺の心は曇り空。
調整されたであろうアリスの人格が俺を……俺だけを愛してくれているだろうか?
助手が何か話しているようだが、全く耳に入ってこない。
今後の方針、アリスの容態、重要な事を伝えているのかもしれないが、アリスに触れれば全てを知ることが出来る。
俺たちは"半身"なのだから
諦めたのか、用件が済んだからなのか彼らが出ていく。
やっと……やっと俺たちだけになった。
眠る彼女のすぐ側に横たわる。
間近に見る彼女の血色は少し悪く、何処と無く青白い。
腕や手の甲にはガーゼが当てられ、額のはうっすらと器具の跡が見受けられるだけで、特段大がかりな処置が施された様子は無かった。
血流等も問題が無い。
後は彼女が自然と目覚めるのを待つばかり。
(………う……ん。)
アリスが小さく呻く。
俺は上体を起こして顔を覗き込むが、彼女の表情に苦痛の色は見られない。
むしろ、ほのかな柔らかさを含む。
「アリス……夢を見ているの?」
俺の言葉は彼女に届かず、独り言になる。
優しい夢を俺も見てみたい。
俺はアリスのように他者の思考を読むことが出来ないが、アリスに限ってはそうでは無い。互いの額を合わせて夢の共有を図る。
暗い深層心理をゆっくりと降りていくと、奥底から小さな光が見えた。光は段々と強くなり俺を飲み込み、視界を白く染め上げた。
細くて柔らかな手がアリスの額を撫でた。己の視界が歪んで周囲が見えにくいのに、ハッキリとその手だけ見ることが出来た。
その手の持ち主はヨアキム博士と思われる人物の隣に佇む。
周囲の人々はその人物に気付かない。時に二つに像が重なり、再び別れる。手の持ち主とアリスの調整に携わる者が重なるなど、あり得るのか?
いくら歪んで見えるからといっても、かなり不可思議な現象だった。
「ゴメンネ。」
手が再び額に触れると、泣きそうな女性の声が脳内に響く。
どこか懐かしく、温かで心地の良い優しい手。もっと触れて欲しい、赤子をあやすように頭を撫でて欲しい。次から次へと欲望が押し寄せる、今までに無い己の変化に戸惑う。
アリスの気持ちか、自分の気持ちか区別がつかないが……恐らく共に同じ気持ちなのだ。
謝る彼女が何者なのか知りたいが、アリスの夢がここで途切れた。彼女の目覚めが近いようなので、俺は接続を切って待つことにした。
(アッシュ……?)
ゆるゆると目覚める眼前の彼女に、少しばかりの幼さを感じた。
アリスを起き上がらせて、注意深く観察する。彼女を早く起き上がらせてしまったせいなのか、こめかみを押さえ倒れ込むように俺の腕の中に入る。
「アリス……。」
壊れ物を扱うように慎重に受け止める。見た目よりも少しばかり痩せたか?
腕の中の華奢な少女は、俺の心配を他所に左胸に耳をつけ、眼を閉じて心地良さそうにしていた。
(おはよう、アッシュ。)
「おはよう、アリス」
(L1は?)
「やっつけたよ。」
俺は優しく撫でながら、努めて穏やかな声で答えた。
無事に実験が成功したのだ。この結果、アリスの性能が証明され、これで互いが引き離される訓練や実験の回数が減るはずだ。
チラリとアリスを見ると、可憐な笑顔を浮かべている。記憶は一応健在のようだが、何故笑っていられる?
「アリス、約束覚えてる?」
(やくそく?)
俺の顔を見て、何故そんな事を聞くの?とでも言いたげな表情を見せる。
芽吹いた違和感が成長を始めていたが、L1戦の記憶を有しているのだから大丈夫なはずだ。
俺以外の男と交わした約束をきっと思い浮かべるはず。
しかし、成長した違和感が現実へと花開いてしまった。
(うん、覚えてるよ!私たちは二人で一人、どんなことがあっても離れない。今までも、これからも……でしょ?)
「……そう、だね。」
帰ってきた答えは、俺が教えた半身の性質。彼女の真っ直ぐな言葉と瞳に心が締め付けられる。
守れなかったのだ、彼女を。
キツくアリスを抱きしめ、ごめんと一言呟いた。
(何で謝るの?)
今の俺に、彼女の問いかける声は余りにも優しすぎた。押し止めることの出来なかった震えが、声に表れてしまった。
「もっと……強くなる。アリスを全てから守れるようになる。俺が約束を引き継ぐよ」
誰とも知らぬ人々と交わした約束。連れてこられた彼女の本当の願い、ここからの脱出。眠る彼女のうわ言から垣間見える家族の存在は、外に出たら向かうであろう場所。
俺が叶えるよ。
出来損ないの壊れた人間なんかより、俺の方がずっとずっと強い。
これ以上彼女を変えさせない、傷つけない。絶対に守って見せる。
誰からも俺のアリスを奪わせてなるものか。
(変なアッシュ、私アッシュとしか話さないのに。)
「あぁ……そうかもしれない。おかしいね、俺。」
アリスを腕から解放すると、名残惜しそうにしていたのに少し驚く。
すぐさま頬や頭を撫でてやると、アリスはフニャリと綻ぶ顔を見せてくれた。暫くの間そうしていると、部屋の扉が開く。
「よぉ、相変わらずイチャイチャしてるな~。」
茶化した口調でマーレイ博士がきた。検査かなにかだろうか?ベッドに座る俺たちに近くと、アリスを一瞥して話し出す。
「実験成功のお印をヨアキム博士からいただいた。今日からアリスもガーデンに行って良いそうだ。よかったなぁ、アッシュ。」
今から行くか?と誘われたので、アリスにどうするか訪ねると、行きたいと返事が帰ってくる。一つ頷くと、立ち上がり彼女の手をひく。
マーレイ博士の先導もと、手を携えて俺たちは行く。道中ガーデンについてアリスから幾つか質問を受けた。
楽しみでならないとでも言うように、無邪気な彼女に心が震える。
あぁ、どうか
何時か全てを思い出しても、その笑顔を俺に見せてくれ。
彼に切なさ乱れ打ち?
真面目に見えて歪み入れきれてない。
難しいですな。




