十日目
昔出会った女が言った。
「大丈夫、貴方の半身はきっと戻ってくる。私は知っているの、これは運命だって。」
涙で汚れる俺を慰めてくれた。
なぜ彼女はあんなことを言っていたのだろうか?
今はもう確かめる術はない。
──俺は不満だった。
白い衝立の向こうに半身を隠されてしまったからだ。アリスへの配慮かもしれないが、姿が見えない事に不安を覚える。まるで母親を見失い、不安に押し潰される子どものように。早く彼女のメディカルチェックが終わらないだろうか。
「珍しい事が起きるものですね。」
スタッフが珍しく笑っている。
画面に出ているのは何かの反応、おそらく俺の不安が数値化されて出ているのであろう。どうにかしてこの状況を打開しようと、アリスへと意識を向けることにした。
アリスの心の中は やはり、恥ずかしさでいっぱいだった。ドクターやスタッフ達に見られることではなく、俺を意識してのことだった。なんだか少しうれしいという感情を覚えた。
「うーん、ごめんなさいね。何を言いたいかわからないわ。」
どうやら彼女は分からないらしい。それはそうだろう、シンシアに彼女の声は分からない。俺だけが聞けるアリスの声。
「早く終わらせて欲しいそうですよ、シンシア博士。」
これ以上のアリスの独占は許さない。 早く終わらせるために、俺は彼女に伝えた。
「シンシア博士、これをみてください。」
スタッフの一人がシンシアに画面を見せる。俺に取り付けられた器具が、アリスの声を届けた時に感知したのかもしれない。
この現象がシンシアたちの好奇心を刺激する。もっと詳しく検査ができるよう、別の場所へと移動する。
(アッシュ、何かあったのかしら……?なんだか興奮?嬉しそうだったけど。)
(心配することでもないよ、アリス。彼女の知的好奇心を刺激しただけだ。)
(それって、なんだかこわい。痛いことされる?注射とか。)
(いや、そういう類いのものじゃないと思う……。あぁ、成る程。)
アリスは不安になっていた。おそらく牢獄の時のようなひどい仕打ちを受けるのでは、と考えているようだ。俺は彼女の不安を払拭するため、実験場所を特定する。たくさんのコードがついた向かい合わせの椅子、そしてヘルメット。痛みは伴わないと彼女を落ち着かせ、俺は手を握る。指を絡ませ、先ほどの不安から俺を解放する。やはり俺には彼女がいないとダメだ。
新しい場所に移動すると先ほど見たものがそこにあった。俺たちは向かい合わせに座り、固定されヘルメットを被る。
「アリス、これから映像をいくつか見せます。みたものをアッシュに知らせなさい。まずアッシュは受けとり、私の合図で受け取った映像内容を答えなさい。」
彼女はアリスにESP検査を施す。アリスから見たままの映像が、俺の脳内に広がる。その後シンシアから指示が出て、言われた通り内容を伝えた。そして思いもよらない言葉を耳にした。
「……アリス、同じ事を私にしなさい。」
その瞬間俺はシンシアに殺意を覚える。アリスは俺のだ。アリスと繋がっていいのはこの俺だけだ。今まで経験したことのない怒りと憎しみと嫉妬が、急速に俺を染める。いつか必ずこの女を殺してやる。しばらくの沈黙を待つと、何も得られなかったのか、彼女は苛立ちのこもった声で言う。
「……もういいわ。あなた、きちんと私にイメージを送っているのよね?」
アリスがこちらを見て、必死に訴える。
(ちゃんとやりましたよ。言われた通り。)
「……アッシュ、アリスはなんて?」
「言われた通りしたそうです。」
半身ではないシンシアが、アリスの声を聴くことなどできない。彼女は精神感応の判定が出ているのにも関わらず、俺にしか反応しないアリスに、欠陥品に対する不愉快さを覚えている。
そこに軽快な足音と共に男が一人入ってきた。彼女の同僚、ヨアキム博士の側近の一人マーレイが部屋に入ってきた。彼は意外にも常識人だったようで、彼女の行いを咎めたようだ。
「だって、あり得ないじゃない。精神感応系の適性値が出てるのに、特定の個体のみに作用する力なんて!私たちは周囲に影響する力を、壊れない強力な一振りの剣を造っているのよ。いくらアッシュの半身としてあてがわれたからといって、ほぼ無力なモノを作り出してしまったかもしれないのよ?これじゃぁアッシュに見合わないし、ヨアキム博士の名誉にキズが着くわ。」
シンシアの中でアリスが完全な欠陥品として扱われているようで、殊更ヨアキム博士の成果に傷がつくことを気にしていた。先程支配していた負の感情が、再び俺の中で暴れだす。
アリスはというと、この状況を深く理解できていないようで、静かに状況を見ている。ただ自分が非難されていることだけは理解できているようだった。
「だから落ち着けって。こいつの力がアッシュにしか効かないとしても、アッシュをより強くする可能性を秘めているならそれはそれで俺達の望んでた結果になってるだろ。精神感応系の能力範囲は確認されてるだけでも結構広い。まずは実験結果をクイーンに送って大まかな方針をたてるのが先だろ。」
精神感応系の能力を持つ子どもたちは数が少ない。クイーンに実験結果を送るということは、より最適な俺達の運用方法と研究をするためだ。
クイーンはこの研究所のシステム。人間の脳はコンピューターを越える。ならば人間を使い最高の電子演算装置を作るという発想のもと、俺と同じ作られた子どもをベースに設計されたコンピューターだと聞いている。
通知音が響くと、二人のドクターが画面を見た。
「やっぱりな、アッシュの脳内分泌物や血流なんかに影響が出て能力安定化の兆候があるな。アリスは脳の反応以外いたって普通か。クイーンの答えも特定個体への精神感応能力の可能性って出てるな。」
「なら、本当にアッシュだけなのか調べる必要があるわね。」
二人はとても楽しそうにしていた。これから俺達はこいつらに多くの実験、訓練を受けることになるだろう。
けれどもう辛くない。俺には半身がいるのだから。
独占欲の塊アッシュくん。




