スイカ、それから葡萄。
「もう9月かあ……」
同僚の彼女が微かに呟いたのを、俺の耳ははっきりとそう捉えた。
だから俺も、
「もう、9月ですね」
とパソコンから目を離さずにそう答えてみる。
「あ、声に出てました?」
彼女は驚いた顔をして俺の顔を見たようだった。
「私、9月ってなんだか落ち込むんですよね……」
彼女もパソコンの画面に視線を戻してそう続ける。
「なんとなく、わかりますそれ」
俺は少しの間、彼女と会話をしてみようと思って口を開いた。
「そう?」
「9月って、何かがこう……重い感じがしますよね」
「そうそう。夏から秋って嫌な変わり目。気候も不安定な感じだし……」
「でもこう、食欲の秋ですから。早く寒くなってもらって、鍋とかあったかいもの食べたいですね」
「鍋って、それ秋より冬に近い話しじゃない?」
彼女は笑う。
「……そうですかねえ」
俺がそう呟くと、彼女は思い出したように、
「あーでも食べ物っていうと、私この夏、スイカ食べ損ねました」
というものだから、俺は思わず顔をあげて彼女のほうを見てしまう。
「スイカって大事ですかね?」
と。
「え?何かおかしかった……?」
「……いえ、」
「スイカ嫌いですか?」
「そんな事はないですけど……」
俺はぼそりとそう言う。
「本当の事言って良いですよ。
私別にスイカが世の中で一番好きってわけじゃないので……。
むしろあまり好きじゃないですし。
ただ……夏っぽいから」
彼女はそう言う。
その後少しの沈黙が流れると、彼女は再び口を開く。
「じゃあ質問。秋に食べなきゃって思う果物はなんですか?」
「……葡萄?」
「やっぱりそうだよねー。あ、もうこんな時間。お昼休憩行ってきまーす」
彼女はそう言って席を立っていった。
俺はなんだか不思議な流れの会話だったな、と思いながらまた、集中してパソコンに向かうことにする。
視界のすみに、休憩時間を残して戻ってきた彼女の姿がうつる。
彼女は嬉しそうに、
「ありましたよ!」
と俺に言う。
「え……?」
「スイカですよ、スイカ。
一緒に食べましょう。夏にさよならしましょう」
「はあ……わざわざ買ってきたの?」
「はい。なんか一緒に食べたいと思って」
彼女は急に真顔でそう言うものだから、俺は黙って彼女がスイカを食べるのを眺める。
「んーやっぱりスイカはスイカですね……。あ、眺めてないで食べてください」
そう言われ、俺は差し出された爪楊枝でカットされたスイカを口に入れる。
「どんどん食べてくださいね、次もあるので」
「次?」
「はい。せっかくなので、葡萄。食べ損ねる前に食べておきましょうよ」
その瞬間、
ああ、なんだかこの子は面白い。
と。
俺はそう思ってしまった。
それを食べながら、財布を出そうとする俺。それに気付いた彼女はすぐに、
「あ、これ私のおごりです。勝手に買ってきたんだし」
と言う。
「じゃあ……今度鍋食べに付き合ってくださいよ」
俺は思い出したようにそう言った。
「わあ!嬉しいな。これで9月、頑張れそうですね」
彼女はそう言って笑う。
「私、9月の“く”って、苦しいって字で“苦月”っていうのがピッタリだと思ってたんですよね」
「苦月……。なるほど。
そうですね……そしたら10月は“自由月”、もしくは“充月”になるようにお互い頑張りましょうか」
俺はそう言ってみた。
「良いですね、それ。……すごく良い」
彼女は細い指先で葡萄を口に運ぶ。
その横顔を見て、彼女の髪色が暗くなったこと。
口紅の色が深い赤に変わったことに気がついた。
そして俺は、
「秋っぽいね、」
と小さく呟いた。