整形美人<4>
「真田ぁ。神楽くんのあの脊椎。湾曲の具合の緩やかな曲線が絶妙だと思わないか?」
「はいはい」
細かく語りだす松平に付き合う気は、俺にはまったくない。
神楽くんの骨格の云々を、俺はさらりと聞き流し、男の常で、居酒屋に集まった客の中の、自分好みの美人に視線を注いだ。
正直、俺には男の脊椎の絶妙な曲線よりは、女の胸の柔らかな曲線の方に興味がある。
但し、松平越しに、だ。
そうすると、奴は俺が奴の話を熱心に聞いていると思うらしい。
「お前も判るか。やっぱり、お前はいい奴だ!」
適当にうなずいているだけなのに、松平がテーブル越しに俺に抱きついてきた。
やばい、こいつが酔いつぶれるまでには帰らないと、支払いまで俺持ちになる。
「松平、お前の神楽くんに対する情熱は判ったから、場所変えようぜ」
俺がそういうと、松平は身を離したが、肩はがっしと掴んだままだ。
「そうだな! 神楽くんの骨格の素晴らしさはこんな場所では語りつくせない。お前の家に行こう!」
以外にしっかりとした足取りで立ち上がると、独り決めした松平は、まっすぐにレジへと向かってくれて、俺はほっとした。
「悪いな、松平」
「何の。いつも世話を掛けてるし」
俗物の俺と違って、骨格以外に興味の無い松平は、こういう時の金払いは非常にいい。二人共に平均的なサラリーマンの家庭で育っているが、骨格関連の研究書ぐらいしか使う当てのない松平には余裕があるが、酒だの食事だの風俗だのに普通に金を使う俺は、いつもカツカツだ。
しかも数年前に分不相応な買い物をした所為で、余計に貧乏になってしまっている。
タクシーを拾って、行き先を告げた。
松平の意識がもったのはそこまでだ。いきなり、俺の肩が重くなったと思っていたら、松平がもたれ掛かって眠っている。
肩を貸すぐらいは我慢するべきだろう。俺は家に着くまでの数十分の道のりを松平の頭を肩に乗せたまま、タクシーの後部座席に納まった。
「すまんな」
「どうせ、呑むなら、何処でも同じだ」
道中でちょっとだけ酔いの冷めたらしい松平は、俺に頭を下げたが、どっちみちココは駅からは遠いし、バスはとっくに出た後だ。
目の前には、一件のマンションが建っている。一階にコンビニがあるくらいだが、元々酒屋だっただけあって、酒の種類だけは豊富だ。
すまなさがる松平に、俺は調子付いてあれこれと酒を買わせ、好みのつまみをそれぞれに買い込んで部屋へと戻った。
男の一人暮らしらしく、適当に乱雑な部屋だが、なれた松平は気にせずに、散らかっているモノを適当に退けて、じゅうたんの敷かれたテーブル前に座り込んだ。
女房が出て行ってからというもの、応接セットのソファは使われることも無い。
松平が背もたれ代わりにして、もたれ掛かるくらいだ。
まぁ、こじんまりとはしてはいるが、それでも国立大学の助教授の買い物としては分不相応なマンションは、もちろん賃貸などでは無い。
モデルルームのように整えられたキッチンも、今ではカップ麺のお湯を沸かすことにしか使われなかった。
これで大学から遠かったのならば、俺もさっさと売っぱらって、頭金で消えた貯蓄の一部を取り返したのだろうが、いかんせん、大学から徒歩十分圏内の物件だ。
売って賃貸に移るも面倒くさいし、引越しは意外と金が掛かる。
それに月々の支払いを考えると、それほど大差がなかったのも理由だ。
「神楽くんは俺の理想だ!」
「はいはい。古風で日本人の見本みたいなんだろ?」
但し、骨格が。と付けそうになった台詞を飲み込む。
冷めかけた酔いも、また入れた酒で復活してきた松平は、人目の無い俺の家とあって、押さえが効かない。さっきから、幾度も繰り返し神楽くんの惚気を聞かされ、俺はひたすらうなずくだけだ。
胸骨がどうの、脊椎の湾曲だの、尾骶骨の美しさだの。
正直、他人が聞いてもおそらくは惚気だとは判別がつかないだろうそれをひたすら聞いている俺は、我ながら辛抱強いと思う。
「なぁ、お前もそう思うだろう?」
「ああ。そうだな」
確かに神楽くんの顔は綺麗だった。
もう少し、俺が若くて節操が無ければ、お願いしたいくらいではあったが、松平ほどの男を夢中にさせるような魅力は感じられない。
「お前が神楽くんの良さを判っても、お前には渡さないからなぁ」
「ああ。判った、お前を応援しているから、頑張れ」
俺のそばににじり寄ってきた松平の舌は、すでに呂律が廻っていなかった。
「そう、か。おーえんしてくれ…る…、」
間延びしてくる答えを聞くまでもなく、松平はソファにもたれ掛かって眠っていた。
「やっと、寝てくれたか」
俺は松平の身体をソファに引き摺り上げ、毛布を被せる。
俺もごろりと横になって、残った酒を引き寄せた。
ベッドへ行くのもたるい。正直、疲れた。
松平の相手をすることではない。学生時代から、コイツを流すことには慣れている。骨格フェチなだけで、コイツ自身は悪い男じゃない。むしろ、研究馬鹿で世間知らずなくらいだ。
俺が疲れているのは、むしろキツイ目をした、あの整形美人の方だ。
「一筋縄じゃいかないぞ」
松平がどう思っているかは知らんが、松平を蹴り上げようとした動きを見ても、そうとうのタマであるのは判る。
俺は松平の前途に不安を覚えた。