「妹を見習え」と笑われ続けた私が家を出た翌日、王国が大騒ぎになりました
「セレナ! お前との婚約を破棄させてもらう!」
王都でも有数の美しさを誇る我が伯爵家。
その応接室に、鼓膜を震わす大声が響き渡った。
「……理由を、お伺いしてもよろしいでしょうか」
私は優雅にティーカップを傾けながら、婚約者であったはずのギルハードにそう問いかける。
「理由だと? 自分の胸に手を当てて、問いかけてみるんだな! エミリアの爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだ。妹の残した偉大な功績の数々を、お前は知らないわけではあるまい!」
そう言って、ギルバードは自分の腕にしがみつくエミリアへと軽く視線を移した。
エミリア。
私の妹。
愛らしいプラチナブロンドの髪を持つエミリアは、怯えた小動物のように肩を震わせながらも、その口元には優越感に満ちた笑みを浮かべていた。
「──エミリアは王都の食糧不足を解決する流通ルートの開拓! 長年赤字続きだったこの伯爵領の財政を、たった一年で黒字に転換させた! さらには毎年被害を出していた河川の氾濫を防ぐ、緻密な治水計画の立案! しかも……」
ギルバードの熱弁は止まらない。
先月流行した病に対する薬草の供給網整備、痩せた土地でも育つ新農法の導入、そして領内の孤児院への手厚い支援制度の構築。
それら全てが、か弱く心優しいエミリアの成し遂げた『奇跡の御業』なのだと、声を大にして彼女を褒め称えた。
「いやぁ、ギルバード殿の言う通りだ。エミリアは我が伯爵家の誇りだよ。この子は昔から天使のように優しくて可愛く、なにをやらせても完璧だった」
そう満足そうに頷きながら口を挟んだのは、同席していた私のお父様。
お母様は口こそ挟まなかったものの、エミリアを愛おしそうに見つめて両手を合わせた。
一方、ギルバードとお父様の称賛を一身に浴びたエミリアは、「そんな、大したことはありませんわ」と頬を染めて俯く。
その見事な謙遜ぶりに、ギルバードはさらに熱を込めて彼女の肩を抱き寄せた。
「それに比べて……姉であるお前はなにをした?」
「なにをした、とおっしゃいますと?」
「とぼけるな! お前はただ部屋に引きこもり、小難しい顔で書類を眺めるばかりで、領民のために汗を流したことなど一度もないではないか! エミリアの陰に隠れて何もしない無能な女など、私の婚約者には相応しくなかったのだ!」
「ええ、その通りね。セレナ、お前も少しは妹を見習ったらどうなの?」
お母様が心底呆れたというように溜め息をつき、お父様も侮蔑の笑みを浮かべて私を見下ろした。
「恥知らずな姉のせいで、エミリアにまで肩身の狭い思いをさせられては敵わん。ギルバード殿、セレナとの婚約を破棄し、エミリアと新しく婚約を結び直すことを正式に許可しよう。そしてセレナ……お前には、今日中にこの屋敷から出て行ってもらう!」
実の娘に対する、追放の宣告。
貴族の令嬢にとって、実家から追い出されることは社会的な死を意味する。
だが、私は一切焦ることはなかった。
婚約者と家族たちがぎゃあぎゃあと喚いている光景が、まるで滑稽な三文芝居かのように見えた。
「……承知いたしました。今まで育てていただき、ありがとうございました」
私は反論することなく静かに立ち上がり、完璧なカーテシーをしてから、彼らに背を向ける。
荷物をまとめるため応接間から出て行く前に、私はほんの少しの好奇心に突き動かされ、振り返った。
「出ていく前に……一つだけ、お伺いしてもよろしいでしょうか」
まさか私がなにか言うと思っていなかったのだろう。ギルバードとエミリア、両親の四人が一瞬だけ眉をひそめる。
「なんだ、今更未練がましく泣きつく気か?」
「いいえ」
私は首を横に振り、微笑む。
「みなさまは本当に、後悔なさいませんね?」
その問いかけに、四人はきょとんとした顔。
やがて、腹を抱えて笑い出した。
「はははっ! 何を言うかと思えば! 誰がお前のような役立たずを手放して後悔するものか!」
「せいぜい野垂れ死なないようにね、お姉様」
「そんな負け惜しみを言う暇があるなら、さっさと出ていけ!」
「野犬に食べられるなら、屋敷の敷地内を出てからにしてちょうだいね。掃除が大変だもの」
みんな、私の言ったことに疑問を覚えすらしない。
……まあいい。
最終通告はした。あとから泣きつかれても、後悔するのは彼らの方だ。
これ以上は、もうなにも言うまい。
「……左様でございますか。では皆様のご多幸を、心よりお祈り申し上げます」
頭を下げ、私は今度こそ応接間を後にした。
◆ ◆
(ギルバード視点)
あの陰気で無能な女、セレナを追い出した翌朝。
僕の周りには、いつもより和やかで温かな空気が流れていた。
最高級の茶葉が香る中、僕は愛しのエミリアと肩を寄せ合いながら優雅なティータイムを楽しむ。
目の前では、伯爵夫妻が目を細めて僕たちを見守ってくれている。
「セレナがいなくなっただけで、これほど清々しい朝を迎えられるとはな」
にやりと口角を上げる。
セレナとの婚約を破棄してばかりだったが、エミリアとの新たな婚約手続きはすでに進めている。
僕自身も侯爵家だという立場と、この伯爵家の影響力。
そしてなによりエミリア自身の圧倒的な功績を考えれば、王家も諸手を挙げて僕たちの婚約を祝ってくれるはずだ。
「それにしても……去り際のセレナの態度は、思い出すだけで腹立たしいな。『後悔なさいませんね?』だと?」
「ただの負け惜しみですよ! ギルバード様が気になさる必要はありません!」
不意に零してしまった声を、エミリアが拾う。
エミリアの言う通りだ。あいつのことを考えれば考えるほど、むしゃくしゃするだけである。
セレナよりも美しく、圧倒的な功績があるエミリア。
一方、あいつは部屋に引きこもり、小難しい顔で書類ばかり眺めているばかりだった。
領民のためになに一つ行動を起こそうとしなかった無能な女など、思い出すだけで反吐が出る。
「お姉様も、今頃はどこかで反省しているのかしら」
ああ……心優しいエミリアはこんな時にも、自分を散々貶めてきた姉のことすら気にかけている。
なんと慈愛に満ちた女性だろうか。
「エミリア、君は優しすぎるよ。あんな役立たずの心配などしなくていい。君は、これからも僕とこの国を支えてくれれ」
「ええ、もちろん。ギルバード様のお力になれるなら、私、なんだって頑張ります!」
恥じらうように頬を染めるエミリアの肩を抱き寄せようとした──その時だった。
「──失礼いたします!!」
バンッ! と乱暴な音を立ててサロンの扉が開かれた。
優雅な空気を切り裂くような無作法な振る舞いに、僕は思わず眉をひそめた。
突然現れたのは、王宮の文官服に身を包んだ初老の男だった。
その顔には滝のような汗が浮かび、肩で激しく息をしている。
見覚えがある。
王宮の中枢で働く、宰相の側近の一人だったはずだ。
「なんだ! 騒々しい。伯爵家のサロンに断りもなく踏み込むとは、いかなる用件だ!」
僕が鋭く咎めると、文官は転がるように私たちの前まで駆け寄ってきた。
「も、申し訳ございません! しかし、一刻を争う事態なのです! セレナ様は──セレナ様はどちらにいらっしゃいますか!?」
「セレナだと?」
僕は思わず聞き返してしまう。
王宮の人間が、あの無能な女に今更なんの用だというのだ。
「あのような出来損ないなら、昨日のうちに屋敷から追い出してやった。ヤツはエミリアとは違い、領民のためになにもしていなかったからな」
「ああ……」
当然のことを言ったまでなのに、文官はガックシと膝から崩れ落ちた。
「……お、追い出した……では、セレナ様は屋敷を出て、今はどこにいますか?」
「僕の知ったことか。どうせ、どっかでのたれ死んで──」
「とんでもないことを!」
僕の言葉を遮って、文官はこう捲し立てる。
「本日は王都の流通網の最終決済を頂かねばならないのです! それだけではありません、治水工事の承認も、新農法に必要な特殊肥料の手配も、全てセレナ様の判がなければ動かないのですよ!? のたれ死ぬなんて、もってのほかです!」
「は?」
思わず、聞き返してしまう。
こいつはさっきからなにを慌てているんだ。
流通網の決済? 治水工事の承認?
それらは全て、隣にいるエミリアが手掛けた事業ではないか。
「お前は酷い勘違いをしているようだな。それらの偉大な功績は全て、ここにいるエミリアが成し遂げたことだ。決済が必要なら、エミリアに聞けばいい。そうだろ? エミリア……え?」
隣にいるエミリアを振り返っると、彼女は何故か顔面を蒼白にし、ガタガタと震えていた。
ど、どうしたんだ、エミリア。
どうして、そんな顔をするんだい……?
「寝言は寝てから言ってください!」
声を荒らげる文官。
「長年赤字続きだったこの伯爵領の財政再建案を練り上げたのも、河川の氾濫を防ぐ緻密な治水計画を立案したのも、全てセレナ様ご自身です! 寝る間を惜しんで彼女が一人で行っていたのですよ!」
「さっきから、お前はなにを言ってるんだ……? それらは全て、エミリアがやったことじゃないか」
「そ、そうです。あれは、私が……!」
「エミリア様は、セレナ様が徹夜で仕上げた完成資料を受け取り、王宮や領地で『自分がやった』と表向きの発表をしていただけではありませんか。 実務を担い、計画を動かしていたのはセレナ様自身だったというのに!」
「貴様こそバカなことを言うな!」
エミリアの父上でもある伯爵が立ち上がり、声を大にして叫ぶ。
「セレナ、そんな大それたことをできるはずがない! エミリアこそが天才で、セレナはただの引きこもりだ! お前たち王宮の人間が、なにか勘違いをしているのだろう!」
「ええ、そうです! なにかの間違いですわ!」
伯爵夫人も必死に同意するが、文官は決して首を縦に振らず、冷静な口調でこう言った。
「勘違いをしているのは、あなたたちの方です。セレナ様という王国屈指の実務家を失った今、この国がどうなるのか分かっているんですか?」
エミリアの功績が、全てセレナのものだった?
まさかそんなバカな話が……僕が愛したエミリアは天才で、捨てたセレナは無能だった。
そうだ、そうでなければならないのだ。
「出鱈目を言うな! そんな妄言、誰が信じるというのだ! これ以上、エミリアを貶めるようであれば、しかるべき対応を──」
僕が激昂して文官の胸倉を掴みかかろうとした、その瞬間。
「──その者の言うことは、全て真実である」
威厳に満ちた声が、サロンに響き渡った。
開け放たれた扉の向こうから、数名の近衛騎士を従えて歩み出てきたのは壮年の男性だ。
豪奢なマントを羽織り、鋭い眼光で我々を見据えるその御方を見た瞬間、僕の全身からサッと血の気が引いた。
「こ、国王陛下……!?」
紛れもない。
この国の最高責任者──国王陛下だ。
僕は慌ててその場に膝をつき、深く頭を垂れる。伯爵夫妻もエミリアも、慌てふためいて僕の後に続いた。
「セレナ嬢から一報を受け、急いでここへ赴いたが……やはり遅かったか。ギルバード、そして伯爵よ。貴様らは、我が国において最も優秀な頭脳を持つ至宝を、あろうことか『無能』と罵り追放したのだ」
陛下の言葉に、僕は息を呑む。
「セレナ嬢は慎ましやかな女性だった。自分が表に出ることを嫌い、妹に功績を譲っていた」
「そ、それは本当なのですか……?」
「本当だ。だが、まさか実の家族と婚約者が、彼女の献身に気付きすらしていなかったとは……余の失態だ。まさか、貴様らがそれほど愚かとは思っていなかった」
「へ、陛下! これはなにかの誤解でございます! 私どもは決して──」
伯爵が必死に弁解しようとするが、国王陛下は片手を上げてそれを制した。
「言い訳など聞きたくない。セレナ嬢が不在となった今、この国は大混乱に陥るだろう。余はその対応をすべく、すぐにでも動かねばならぬ」
陛下の声に込められた静かな怒りに、僕は絶望的な恐怖を感じた。
書類ばかり眺めていたセレナが……実は、王国の未来を左右するほど有能だった?
エミリアは彼女の功績を取っていただけで、なにもしていなかった?
信じたくない。
信じたくはないが……陛下の言葉に反論できるほど、今の僕は冷静じゃなかった。
「本来なら極刑に処したいところだが……貴様らの愚行を見逃していた、余の責任もある。伯爵家への全ての優遇措置は即座に停止。また、本日より伯爵家の王宮への立ち入りを一切禁ずる。この処置がせめてもの温情だ」
「そ、そんな……! 優遇処置を停止されて王宮への立ち入りを禁じられてしまえば、我が家はこれからどうなってしまうのですか!」
伯爵夫人が泣き叫ぶが、国王陛下は吐き捨てるようにこう言い放った。
「知ったことか。自らの手で至宝を捨てたのだ、その報いを存分に味わうがいい。……ギルバードよ、貴様もだ。後の処分は追って沙汰するが、貴族であり続けられると思うなよ?」
「あ……ああ……」
喉の奥から、間抜けな音が漏れた。
美しい有能なはずのエミリアと紡ぐ、輝かしい未来。
エミリアは今、涙をポロポロと流しながら、俯いている。
その姿には最早、可憐な天才令嬢の面影はない。真実を暴かれて怯えるだけの惨めな少女そのものであった。
『みなさまは本当に、後悔なさいませんね?』
ふと、昨晩。
セレナが僕たちに言い放った言葉が、脳裏をよぎった。
あの時は、セレナの負け惜しみだと思っていた。
しかし違った。
あれは僕らへの哀れみ。
自らの手で全てを壊そうとしている愚か者たちへの、最終通告に過ぎなかったのだ。
「セレナ……っ!」
床に崩れ落ちたまま、すでに手の届かなくなってしまった『かつての婚約者』の名前を、空しく叫ぶことしか出来なかった。
◆ ◆
ガタゴトと心地よく揺れる馬車の中。
私は馬車の窓から、朝の光に照らされた街道の景色を眺めていた。
「今頃、実家に王宮の文官や陛下が、慌てて殺到している頃かしらね」
誰に言うわけでもなく、ぽつりと呟く。
昨夜、伯爵家を追い出された私は、すぐに国王陛下へ宛てて伝書鳩を飛ばした。
ギルバードから婚約を破棄されたこと、お父様から屋敷を追い出されたこと、そして王国を去ることを簡潔に記しておいたのだ。
以前から私の能力を高く評価してくださっていた国王陛下には、少し申し訳ない気持ちもある。
しかし、私にも我慢の限界というものがあった。
私がこれまで、自分の功績がエミリアの名前で発表されても黙っていたのは、曲がりなりにも『ここまで育ててくれた』という家族への恩義があったから。
けれど、婚約者まで奪われ、無能と罵られて追放されたことで、私の中の糸がぷっつりと切れてしまった。
「もう、あの他人のために自分を犠牲にするのはやめよう。今日から私は、自分のために生きるのよ」
そう口にした瞬間、長年背負っていた重荷が消え、驚くほど心が軽くなる。
今──私は隣国レグナリアに向かっている。
隣国からは以前より、内政官として働かないかと熱心な誘いを受けていた。
今度はそこで自分の仕事を、私自身の名前で公表して、正当に評価してもらうつもりだ。
やがて、馬車の窓から国境が近づいてくるのが見えた。
新しい人生の始まりを前に──ふと、実家で何度も浴びせられ続けた『妹を見習え』という言葉を思い出す。
「本当に見習うべきだったのは、どちらだったのでしょうね?」
馬車から見える風景は、驚くほど澄み切っていた。
お読みいただき、ありがとうございました。
気に入っていただけましたら、【ブックマーク】や下記の【☆☆☆☆☆】で評価していただけますと、執筆の励みになります。




