ネコ、ネコ、ネコ、ネコ。
今日も子どもたちは元気だ。
息子の授業参観。
先生の問いにみんな元気に返事する。
「これは〜?」
「ネコ!」
声をそろえて答える子供たち。
うむ、かわいい。
「じゃあ、こっちは?」
「ネコ!」
「そしたら、これは?」
「ネコ!」
「尻尾がないネコ!」
うむ、よく出来てる。
たぶんうちの息子も全部分かるはず。
まあ、ネコに関しては英才教育をしてきたつもりだしな。
「ちょっと難しいよ? これは?」
「ブサイクなネコ!」
何を言う、『ブサイクだけどかわいい』だろ。
「そうですね、これはちょっとブサイクなネコ。よく見てますね」
ブサイク『だけどかわいい』、が抜けてますよ先生!
「でも一番よく見るネコは、こんなかんじですね。迷ったらこれを思い出して」
「はーい」
という声に混じって。
「そんな普通のネコつまんない!」
「私はふさふさのネコがいい!」
そんな声も上がる。
誰もがネコに興味津々。
良い時代になった。
「じゃあ実際にかいてみましょう……タキウチ君! じゃあ、前へ」
おっと、まさかのうちの子ご指名。
ふふふ、驚くなよ?
「じゃあー、さっきのネコ一覧は隠しちゃいますね。では、かいてください。耳がすごく大きなネコ!」
「はい」
返事をしてすぐに息子は取りかかる。
そうそう、しゃっと払って、そこをピンと尖らせて、最後にまっすぐすーっと。
違う、まっすぐ!
あー、ぐにゃっとしちゃった。
「よくできました、拍手!」
先生の言葉に子どもたちがいっせいに手を鳴らす。
「最後、ここをギュッとかくところ、まっすぐのほうが良かったですね。でも、難しいのに完璧です」
先生も最後が少しグニャリとしたのが気になったようだ。
しかし、ついこの前まで、みんな一種類しかネコがかけなかったことを考えると、これはすごいことだ。
うちの息子はもちろん、このクラスの子の大半は、義務教育で習うネコ、八種類をかけるはず。
ここまで来るのは、大変だった。
いや、私が何をしたかなんてこの場では言わないけど。まあ、なんとなく、みんなには感謝して欲しいなんて思うわけで。
その後も、他の子が当てられて、それぞれに課題のネコをかいて、添削してもらっている。
ネコ、よし。
ネコ、よし。
ネコ、よし。
ネコ、うむ、よし。
「では、今日の勉強の内容をおさらいしましょう!」
最後に先生が、伏せてあった大きな模造紙を表向きにして黒板に貼り直した。
「では、しっぽが短いネコは?」
「三番〜!」
「正解!」
先生は言いつつ、紙の上の字を一つ指さして、もう片方の手でオーケーサインを作る。
「でーは、近づくとサッと逃げちゃうネコ!」
「七番!」
また正解だ。
元は『サッと視界から消えてしまって残像しか見えないのにかわいいと確信できるネコ』なんだが、そこまでのニュアンスは伝わらなかったなあ。
まあ、元はアレ一つだったんだからなあ。
私が目をやったのは、見慣れた懐かしいネコ。
1番 ―― 『犭苗』 [māo]:ネコ。
あれじゃあ、ネコの可愛さは伝わらない。
むしろなんだコレ。
けものへんに鳴き声つけただけとか、雑にも程がある。
学校で習うのも一度きり。
なんかもうね、ネコのよさ、みんなわかってない。
ネコ好きを自称する人でさえ一面しか見てない。
もう全ての日本人を、ネコ漬けにしたい。
全ての東アジア人を、ネコ漬けにしたい。
そんな訳で、ちょっとこないだまで、二千二百年前の秦にいた。
李斯という偉い人に会ってきた。
なんか有名な塾? かなにかにいたって知ってたから、そこに入って。
そりゃもう頑張ったよ。中国語勉強して、タイムスリップしてからはさらに古代中国語勉強しなおして。
何とかまともに話せるようになるのに二十年かかって。
まあその計算も込みでその時代に行って、李斯さんの同期生になったわけだけど。
それからはもう、あれね、現代思想とか現代知識のチート全力投入で、李斯さんを天下人・始皇帝の右腕と呼ばれるまでの人にするわけよ。
彼ののちの運命を知ってるとちょっと気が引けるところもあったけど、とにかく、彼には感謝された。
いや、元の歴史では李斯さんが全部自分で考えてやったやつだから、名実ともに李斯さんの手柄なんだけど。
そして、始皇帝が即位して、いよいよ中国全土の漢字を統一するぞ、と言う段になってね。
「李斯さん、ネコですが」
「ネコがどうしました」
「ケモノ扁ににゃー、では味気ない」
「そうですかな? わかりやすくてよろしい。何事も、単純に、鋭利に。答えは一つしか許さない。それが我が秦帝国でありますぞ」
「そこです、まさにそこなのです。いいですか、まずはこのネコをご覧ください」
「……うむ、かわいいですな」
もうここまでの時点で、いろんな猫に触れ合わせて李斯さんを猫好きにすることには成功してるわけだけどね。
「しっぽが無い」
私が言うと、
「確かに、しっぽがありませんな」
「しっぽが無いものとしっぽがあるもの、どちらもかわいい。しかして、これを伝えるに、『しっぽが長くかわいい猫』、『しっぽが無くかわいい猫』と、同じ猫の字を使えば、わざわざ余計な修飾句が必要になりましょう」
「確かに、それは無駄ですな」
「ですから、同じような発音で、『犭矛』『犭米』と書くのです。これであれば、話すにネコらしい言葉として、公文書にあってはしっぽのあるなしを容易に判別でき、法の支配を強めましょう」
私が説くと、李斯さん、頷く。
「なるほど、道理ですな。では、そうですな、鍋の中でとろりととろけているようなネコは、いかがする?」
「それはもちろん『犭淼』です。ネコは液体にございます」
「うむ、ネコは液体であろう。分かってまいりましたぞ。では、毛がふさふさでかわいいネコはもちろん『犭毛』でしょうな?」
「さすが李斯さん、その発想には感服いたします」
「お世辞はよせタキウチ殿。思いついておったであろうが」
「これは、失礼を」
「ではネコ好きの先達たるそなたも思いつかぬネコを……『犭秒』、これはいかがか」
「……刹那しか存在せぬネコ、でしょうか」
「惜しい。目が合ったと思ったら一瞬で逃げ行くネコである。想像してみよ」
「……かわいいものですな」
こんな具合で、ネコを増やした。ネコの字を増やした。
楽しかったな。
だから、今現在、ネコは何十種もあり、子供たちは少なくとも八種のネコを習うのだ。
否応なく、ネコの可愛さを理解させられるのだ。
うむ、よい。
「李斯さん、私はもう行かねばなりません」
「さほどの歳でもあるまいに」
「さだめでございます。……これは、お贈りするか迷うところでございましたが」
「……ほう、そなたの形見か?」
「……そう思っていただいて構いません。……ウサギを追う狗を、飼ってらっしゃるでしょう。黄色い犬です」
「む、猟犬であるな。今はもう役に立たん。昔は息子とよく行ったものだが。耄碌しておる。……だが、ずっとそばにおいておけば、情もわく。かわいくもある」
「字を、お贈りいたします。これは、李斯さんだけがお使いください。『犭耄』。狗と同じ発音にて。李斯さんの思い出の狗だけのための字でございます」
「……小粋なことをするの。ネコは全土に広めておいて、我が息子との思い出の狗には、わしのみのものとせよとな」
「左様にございます。どうぞ、その思い出を大切に」
「心得た。では、あの世でも達者での」
そんな感じで私はあの世界の生を終えて、タイムスリップして戻ってきた。
戻ったら元通りの体で、行った時のその時間に戻ってこれるので、私だけ、何十年か、余計に人生を過ごしているわけだけど。
「みんなは、じゃあ、どのネコが好き?」
先生が呼びかける。
「僕は犭秒!」
「私は犭尿!」
「えー、あちこちで粗相をしちゃうネコなんてどこがいいんだよ!」
「そんなおっちょこちょいなネコもかわいいの!」
生徒たちは口々に、どんなネコがかわいいか、声を上げる。
「そういえばうち、このまえ犭迷を拾っちゃって」
「いいなー! でも拾ったらすぐに犭迷じゃなくなるじゃない」
「でもそのあとは犭捏だよ、本当に人懐こくてずっと捏ねくりまわされるのが好きなんだ!」
おお、上手に使い分けてる子もいる。
うむ、よい。
「では、今日の授業はここまで。ご参観の保護者の皆さんも、ありがとうございました! この後、懇親会に残る方は――」
起立、礼、着席、で授業が終わった。
ネコ、ネコ、ネコ、ネコ。
良い世界になった。
そして、黒板にまだ残る、うちの子の書いた『犭卯』、耳の大きな可愛いネコの字を見ながら、いつもポケットに入れている小型版の史記を手に取る。
いつもと同じページが開く。
李斯さんの、最後の言葉。
「吾欲與若復牽犭耄倶出上蔡東門逐狡兔,豈可得乎」
(上蔡の東門から息子と犭耄を連れてウサギ狩りに行きたかったが、もうかなわぬのだな)
[訳注:犭耄……李斯の黄色い犬。李斯の故事成語以外で使われない忌字]
あなたのその運命だけは伝えるわけにいかなかったけど、あなたが世界に残したものは、この時代にも息づいてるよ。




