このお話は……
このお話を読もうとしてくださって、ありがとうございます。
どうかご安心ください。このお話は、まぎれもなく『名作』です。あなたの貴重なお時間を決して無駄にはいたしません。
……ただ、ひとつだけお願いがあります。この先をお読みになるのは、今から三分後にしていただけないでしょうか。
ええ、たった三分です。カップラーメンの待ち時間と同じくらいの、ほんの短い時間です。でも、あの三分って意外と長く感じますよね。ちなみに私は五分待つタイプのカップ麺が好きです。まあ、いつも早めにフタを開けて食べちゃうんですけどね。硬めの麺が好きですし、食べているうちにどのみち柔らかくなるんです。
それにしても、技術は日々進歩しているのに、なぜカップ麺の待ち時間は短くならないのでしょうか? お湯を注いで五秒で食べられるようになってもいい時代じゃないですか? メーカーは時間よりも味にこだわって競い合っているんですかね。そう考えると、現代人というのは、時間には恵まれているのかもしれませんね。
……おっと、つい余計なおしゃべりをしてしまいました。では、今から三分ですよ。ちゃんと待ってくださいね。このお願いを守っていただけなければ、この作品を“おいしく”味わうのは難しいでしょう。その場合、いかなるクレームも受け付けられませんので、あしからず――。
はい、三分経ちましたか? ありがとうございます。お待ちいただけて、嬉しい限りです。
さて、この三分間、あなたは何をして過ごされましたか? 三分でできることって、なんでしょうね? トイレを済ませる? スマートフォンをチェックする? あるいは軽いストレッチなどもいいですよね。
ところで、大変心苦しいことを申し上げなければなりません……。
この先をお読みいただくには、さらに十分お待ちいただきたいのです。
ええ、なんだかお別れの予感がします。あなたがもうここには戻ってきてくださらないのではないか、そんな予感が……。
それはとても寂しいことですが、仕方のないことかもしれません。
ですが、どうか誤解しないでください。私は何も、あなたの貴重なお時間を無駄にしたいわけではないのです。この十分間、あなたは何をなさっても構わないのです。好きなことをして、そのあとでまた、ここへ戻ってきてくだされば……ええ、わかります。後回しにすることって、少しストレスを感じますよね。でなければ、テレビのCMがあんなにも嫌われているはずがありません。
確かに、十分間は長いです。ですが、できれば私はあなたとまた会いたい……。
では、十分後に……。
はい、あれから十分後のあなた、こんにちは。
お帰りなさい。再びお目にかかれて、本当に嬉しく思います……。そして、この十分を、あなたが有意義に過ごされたと信じ、心から喜び申し上げます。
ただ……ええ、もう察しがついてしまいましたよね。さすがです。いよっ、慧眼の持ち主。
もう、この物語を読む必要なんてないんじゃないか――そうも思いましたよね。でも言わせてください。
この先をお読みいただくのは、今から一時間後にしていただきたい、と。
どうか怖い顔はしないでください。舌打ちもおやめください。手はパーにしましょう。私はチョキを出します。
一時間……ええ、本当に長いですよね。何をして過ごしましょうか? テレビドラマを一本観るにはちょうどいい時間ですね。CMを除けば、もう少し短いかもしれませんね。短めの小説なら、一冊読み切ることもできそうです。おっと、読書はまずいですね。この物語のことなど、完全に忘れてしまうかもしれません。ははははは。
散歩はどうでしょう? 自然の中を歩いたり、公園のベンチでぼんやりしたり。気持ちがいいですよ。いや、散歩に一時間は長すぎますかね。それなら、買い物をすればちょうどいいかもしれませんね。料理をするのもよし。あっ、あなたもカップ麺で済ませちゃいましたか? あとは部屋の掃除、それからゲームなんかはあっという間に時間を吸い込んでくれるでしょうね。
では、また一時間後に……。
ああ、これは奇跡でしょうか。またあなたにお会いできるなんて……!
私のことを、片時も忘れずにいてくださいましたか? いえいえ、さすがにそこまで思い上がるつもりはありません。ただ、こうしてあなたが戻ってくださったこと、その事実が、私は十分に嬉しいのです……。まるで、長いコールドスリープから目覚めた気分です!
さて、あなたにとってこの一時間は、どんな時間でしたか? 充実していましたか? それなら私も本望です。
ふーっ、目がお疲れではありませんか? 大丈夫ですか? そうですか。
ところで……ええ、そうなんです。またしても言いづらいお願いをしなくてはなりません。
この先をお読みいただくには……その……今から十時間、お待ちいただきたいのです。
ああ、私のことをタチの悪い知り合いみたいだと感じましたか? たかり屋だと。ちょっと頼みを聞いてあげたら、つけ上がりやがって、と。全然、金返さないな、と。
ええ、わかります。そう思われても、仕方のないことです。十時間はさすがに長すぎますよね。もしあなたを後ろから殴って気絶させるとしても、五回くらいは殴らなければならないでしょう……。ああ、そんなことをしたら、この物語自体を忘れてしまうかもしれません。
……このやろっ!
あ、いえいえ。なんでもありませんよ。今のはただの独り言です。
ええと、十時間というのは、そうですね。東京からアメリカへ飛べるくらいの時間でしょうか。パスポートはお持ちですか? グッドラック。楽しい思い出をたくさん作ってきてくださいね。
あるいは、もし今が夜であれば、眠るにはちょうどいいタイミングかもしれませんね。眠って、いっそこの物語のことはすっかり忘れてしまってもいいかもしれません。ぜひ、読書もどうぞ。
それでは、またお会いできることを願っています。では、十時間後に……。
生きとし生けるものに……感謝。
まさか、また本当にお会いできるとは。私のことを忘れずにいてくださったんですね。もう感謝という言葉では足りません。本当に、本当にありがとうございます。
十時間……長かったでしょう。もし、あなたが眠ったり、何かに夢中になったり、あるいは日常に追われたりして、この物語を忘れていたのだとしても、いいんです。思い出し、こうして戻ってきてくださった。それだけで、私は十分です。
でも、もしもあなたが、ずっとこの続きを心待ちにしてくださっていたのだとしたら、それはもはや狂気、いや、狂喜です! いやー、本当にありがとうございます。
ははは……ですが、ええ、本当に大変心苦しいのですが……。
この先をお読みいただくには、一週間お待ちいただきたい。
ええ。おっしゃるとおりです。長すぎますよね。でも、週刊誌だって一週間に一度しか出ませんけどね。いえ、この物語が週刊誌並みの価値があるだなんて、そんな厚かましいことは申し上げません。とにかく、えっと、時間がほしいといいますか、え、いや、別に寝ててオチを考えていないわけではなくて……ああ、十年! いえ、二十年待ってください! そうすれば、あなたはこの物語を読み終えたとき、心の底からこう思うでしょう。『名作だった』……と。
そう、コンコルド効果ってやつですね。人は投資した時間が長ければ長いほど、価値を感じ、手放しにくくなるという、あれです。
お待ちいただく間に、最後に置くのにふさわしい『いい感じの一文』を考えておきますから。時間とは……みたいな。
……いや、ちょっと待って、だから待って! 怒らないで! 手はパーに! グーはやめて! 待ってっ!
――時間とは、待つ者には長く、待たせる者には短い――