第2章 第2話 戯れ
「わぁっ、すごい奇跡! 同じクラスどころか席まで隣同士なんて!」
俺たちが所属することになった1年B組の教室に入ると、黒板に書かれた席を見て藍羽が声を上げた。席の並びは五十音順。神室藍羽は廊下から二列目の最後尾。そしてその左隣が佐藤光輝。さらにその左隣の列が前から舞、結愛、龍華という並び。正直これはラッキーだ。最悪の事態は俺から芋づる式に結愛の正体まで知られ、学校にいられなくなること。席が離れれば一緒にいる機会も減る。ヤクザだということはバレてしまったが、俺たちの関係だけは死守しなければならない。
「さっきは敵対するみたいなこと言ったけど、それでも仲良くはいたいよね。こーくんが悪いことをしなければわたしたちは親友同士。ずっと仲良くしてたいよね?」
「だな。無理にギスギスする必要はないよ」
懸命にアイコンタクトしようとしてくる舞から目を逸らしながら俺たちは自分の席に着く。早めに三人とは接触しておきたいな……でも藍羽がそれを許してくれるとは思えない。入学初日の通学路で一緒にいる姿を見られたんだ。関係性を疑うのは当然。なんとか入学式が終わるまで逃げ続けないと。
「……わかってたことだけどさ。治安、悪いね」
「そうか? この程度……いやなんでもない」
名前が書ければ誰でも受かる馬鹿高校。やはり派手な髪をしている奴やなんかチャラチャラしている奴が多い。でも普段いる空間と比べればこんなの幼児の集団と変わらない。思わず否定してしまったが、慌てて同意することにする。
「あの三人とはどういう関係?」
「俺だって一応中学には通ってたんだぞ? 友だちくらいはいるよ」
俺の動揺を見逃さなかった藍羽が核心を突いてくるが、この程度は既に予測済み。藍羽との会話中に考えていた台詞で返す。全員ヤクザですなんて答えよりこちらの方がよほど現実的。「ふぅん、そっか」と当てが外れたようにつぶやき、藍羽は何か考え事をするように髪を指で弄り始めた。
勉強や運動の成績は俺がわずかに上。なのに最終的に一杯食わされる。それが俺と藍羽の関係性だった。だがそれはあくまで過去の話。藍羽が立派に学業に勤しんでいた同じ頃、俺は実際に命のやり取りを経験してきた。大丈夫、逃げ切れる。何もアクシデントが起こらなければ。
「あ、あの! 友だちになってくれませんか!?」
相手の裏をかこうとする俺たちの思考を止めたのは、教室中に響き渡る声だった。声がした方を見ると、昔からの友人同士だったのだろう。教室の真ん中の席でたむろするギャルっぽい一団に話しかける結愛の姿があった。勇気を振り絞った顔をしている結愛と、ポカンとするギャルの集団。一瞬静寂が訪れたが、すぐにそれをかき消す爆笑の渦が巻き起こる。
「なに友だちになってくれませんかって! 小学生かっての!」
「もしかして今までお友だちできたことなかったんでちゅかぁ!?」
「誰があんたと友だちになんかなるかよばーか!」
クラス中から笑いものにされ、ギャルたちに馬鹿にされて、結愛の顔が一瞬で羞恥に赤く染まる。ぎゅっと握られた拳は悔しいからか、それとも自分の情けなさからくるものか。いずれにせよ結愛の今までの人生では味わったことのない感情だろう。
「ちょっとあなたたち……」
「待った」
このいじめになりかねない状況に立ち上がり抗議しようとする藍羽。それを手で止めた。手のひらを同じく立ち上がった龍華に向けて。
「なんで止めるの? 友だちなんでしょ!?」
藍羽が怒っている理由に裏なんてない。疑いをかけている相手だとしても、馬鹿にされることは容認できない。本当に正義そのものだ。
「……たとえば簡単に跳べる跳び箱があったとして。跳べなかったら跳び箱を責めるのか? 誰でも跳べるようにもっと低くあるべきだって抗議するのか?」
友だちを作るために友だちになってくださいと頼み込むのは普通ではない。こんなの誰でも知っている常識だが、結愛は知らなかった。だから笑われた。それだけのことだ。
「笑われるのが嫌なら挑戦しなければいいだけだ。でも結愛は跳ぼうとしてるんだよ。それをこうすれば簡単に跳べるよなんて段数を減らすことはしたくない。だから黙って見守っててくれ」
馬鹿にされたくないならずっと『お嬢』でいればよかった。でもそれが嫌だから……普通になりたいから結愛はここに来たんだ。変わったことをすれば馬鹿にされる。そんな当たり前の、普通の世界に結愛は飛び込んだ。何も恥ずかしいことじゃない。藍羽のことがなくても俺は手を出さなかっただろう。
「友だちがほしいんだったらさ、俺となろうぜ」
そう言ってギャルの集団に混ざってきたのは髪を金に染めてワイシャツのボタンを胸元まで開けたチャラチャラした男。かっこよさげな台詞とは裏腹に、その表情は下卑たものだった。
「でもただの友だちじゃつまらないだろ?」
男の汚い腕が結愛の背中から肩に伸びる。……俺は手を出すつもりはなかったんだ、本当に。多少の苦難なら受けるべきだと覚悟していた。
「どう? 俺と夜の友だちに……」
だがその手が結愛の胸に触れそうになったその時。俺の主人が汚されそうになった瞬間。
「その辺にしとけよ」
俺の身体は勝手に動き、その腕に掴みかかっていた。目立つことをしてはいけないとわかっているのに止めていた。こいつは普通の人間じゃない。初対面の女性に手を出そうとするクズだったから。もちろん感情だけで動く俺でもないが。
「なんだお前。ヒーロー気取りか?」
「別にこの子を守るためにやったわけじゃない。あんたがかわいそうだから止めてあげたんだよ。こんな無理矢理でしか女子の身体に触ることができないあんたが惨めすぎてな」
「あぁ!?」
結愛の肩にかけられた腕が俺の胸倉へと矛先を変える。次の瞬間殴られてもおかしくない状況。こっちの方がよっぽど落ち着く。
「てめぇ調子乗ってんじゃねぇぞ。俺を誰だかわかってんのか? 西中の鬼、田中様だぞ?」
「あー……言いづらいんだけどたぶんそれ馬鹿にされてるよ。だってめちゃくちゃダサいもん。西中のお……鬼? 鬼って。もう一度言ってほしいんだけどお願いしていい?」
ヤクザがカタギに手を出すことは許されない。正当防衛でもない限りは。だから殴ってもらいたかったんだが、どうやら入学早々暴力沙汰を起こす勇気もないらしい。鬼の異名が聞いて呆れる。
「……痛い目見なきゃわからねぇようだな。喧嘩無敗の俺に楯突いたこと、後悔させてやるよ」
できることと言えば胸倉を掴む力を強めるだけ。喧嘩無敗か……喧嘩の弱い俺なら当然敵うわけもないはずだが、どうにも拍子外れだ。少し苦しくなったので鬼さんの腕を掴んで放そうとすると、簡単に引き剥がれてくれた。
「お前……この……馬鹿にしやがって……!」
俺は喧嘩が弱い。それを自覚できるくらいには経験を積んできた。でもこいつは違う。狭い世界でレベルの低い相手と小突き合って、それで自分は強いと勘違いしてきたのだろう。
「俺様に喧嘩売りやがって……! クソ……クソが……!」
「売ってないし買ってない。ゴミを渡すことを売買だと勘違いしてるなら話が別だけど」
あの舞が俺が絡まれてるのに退屈そうにあくびをしている。つまりはそういうことだ。子どもがおもちゃで殴りかかってきても相手にしないのと同じ。次元と認識が違い過ぎてやり取りにならない。ま、ヤクザがカタギに勝ったところで何の自慢にもならないが。
「……やめなさい。彼が怖がってるでしょ?」
どうつなごうかと考えていると、結愛が俺の腕に手を当てた。たぶん俺の目的を理解してくれたな。
「わかったよ。迷惑かけてごめん」
男の腕から手を離し、制服を整える。そして誰にも目を合わさず教室を出る。
「大丈夫? 怪我はない?」
「……おう。大丈夫」
教室の中から小さく声が漏れてくる。これで結愛の失敗の印象も薄れるだろう。失敗を学んだ。それは結愛の心の中だけに留めて置ければいい。
「……自分が悪者になって、大切な人を守る。そういうつもり?」
後で龍華に怒られるだろうな。そんな心配をしている俺の背中に、藍羽の声が投げかけられる。
「そんなの間違ってる……みんなが幸せになれる道を探すべきだよ」
「最終的にはそうなればいいなって、俺も思うよ」
警察という正義の名のもとに正しいことを行う藍羽と、ヤクザという皮を被り続けるしかない俺。考え方が違うのは当然だ。でもまぁ、今回の目的はそれだけじゃない。
「何だよあいつ……調子に乗りやがって」
「相談しておくか……葛城先輩に」
小さく漏れ出た教室内の会話を聞き、心の中で作戦が成功したことを喜ぶ。俺の家族だ。成長していても大物のクズであることは間違いない。だから派手に動けばつながる可能性があった。
「変わってないと思ってたけど……変わっちゃったね。昔のこーくんは、そんな顔をする人じゃなかった。やっぱり……わたしが……っ」
「事件が起きないと動けないのが警察だってことはお前が一番よくわかってるだろ。だから黙って見てろよ。俺が兄貴に復讐するところを」




