最愛の人
この度ホラーに挑戦してみました。
痛くて。
熱くて。
動けない。
「――っ」
力が抜けて、膝をつき、身体に深々と食い込む包丁を見る。
震えた指で柄に触れても、それをどかす勇気はなく、そのまま目線を上げ、呆然と彼女を見つめた。
「……」
現状と、すぐ前に立つ彼女の姿が、全く理解できなくて、頭が空っぽになる。
「……どう、して」
口から漏れるのは、弱々しい自分の声で。
相手に聞こえているのか、それはわからないけれど。
それでも、声に出して訪ねた。
――どうして、お前はそんな”幸せそう”に笑っているんだ?
高校時代、仲の良い先輩がいた。
霧山 摩耶先輩という、部活に強引に勧誘してきた、押しの強い人だ。
誘われて断り切れず、活動に参加している内に仲良くなった。
『おっす~、今日も良い子にしてる~?』
友人ような気軽さで、一緒に過ごす事が増えていった。
『あーつーいー。おーんーぶー』
『はいはい、自分で歩いて下さい』
『ケチ~』
『子供みたいにムクレないでくださいよ。ほらっ、あそこの自販機でジュース奢るんで、そこまで頑張って下さい』
『おおっ、これはあれだね、間接キッスのイベントだねっ。や~らしぃっ』
『……阿呆な事言ってないで、行きますよっ』
『ごめんごめん♪』
『……』
この人と男女の関係になる事は、望んでいなかった。
俺はまだ、”恋愛”というものを経験した事がなく、ふざけたり、悪戯をするこの先輩との付き合いは、このままでいいような気がしたから。
けれど、先輩の方は違ったみたいだ。
『あのさ、ちょっと真面目に聞いて欲しいんだけど……いい?』
ある日の部活帰り、途中まで一緒に歩いていた時の事。
前髪の毛先を指で触れながら、目線をあちらこちらとせわしなく動かして、先輩は切り出した。
『何ですか? 』
『うん、あのね――――』
覚悟を決めたかのように、一度頷くと真っ直ぐに俺を見つめて、口を開く。
告白、された。
『……』
『……』
俺は散々迷った末に。
『ごめん、なさい』
仲が良かったからこそ、真剣に向き合い、断った。
俺の中で答えが出ていないとはいえ。
なぁなぁで、済ますのはいけない事だと思ったから。
そこで、関係が途切れてしまうかもしれなくても、自分が友人と認めた人の思いを軽々しく扱って良いとは思えない。
『……あはは、そっかぁ』
俺の言葉に、先輩は笑う。
その弱々しい笑みで。
『……』
無理しているのがわかって。
心がチクりと刺されたように痛んだ。
好きかどうか分からなくても、肯定した方が良かったんじゃないか?
そう思いそうになって、いやちゃんと先輩の事を好きな人が付き合うべきなんだと自分に言い聞かしたーーーー。
その後は、前のように接していたつもりだけど。
先輩はどこかぎこちなく、俺も以前のように接するのが難しくなった。
『ねぇ、今日部活の帰りに寄ってみたい所があるんだけど、一緒に行かない?』
『そう、ですね……』
『……』
『……』
そんな日々を過ごす内に。
このままではいけない、と。
彼女が心を痛め続けてまで、俺が傍にいるのは駄目だと。
そうやって、迷いに迷って、決断した。
――自分から離れていこうと。
この決断が最善かはわからない。
けれど今のままでいるより、マシなはずだと言い訳して。
決意した翌日から、少しずつ先輩を避け始めた。
当初は、タイミングが悪かっただけ、そう先輩は思ったようで、大して気にもとめていない。
けれど、時間が経ち、さすがに可笑しいと気づいたようで、俺に問い詰める。
いつもの明るかった先輩の、切羽詰まった表情に心が痛んだ。
それでも、これが先輩のためになるはずだと、思っていた。
友人関係を続けたい俺といても、傷つけるだけで良い事なんて、一つもないと。
それが間違いだと気づいたのは。全てが終わった後。
”あの日”それは起こった。
学校帰り、校門で待ち伏せしている先輩から逃げだして。
先輩が呼び止めても、無視したまま歩いて。
気づけば走り出していた。
そうして逃げる俺と、追う先輩。
徐々に先輩との距離が離れていき、信号機の前までたどり着く。
明滅する信号。
俺は、全速力で走った。
道路を渡りきって、汗を拭いながら、振り返ったら。
『あっ――――』
先輩は信号無視して道路を渡り。
『せんぱーーーー』
気づけば車が、先輩に向かって突っ込んでいた。
瞬間、音が消える。
ドン、とぶつかって、モノみたいに転がる先輩をただ見つめる。
『――――っ!』
色んな感情が暴れ出して、何も考える事ができない。
そんな俺を置き去りに、人だかりが一気に増えていく中。
『……』
先輩はムクリと起き上がった。
『……』
身体の至る所が血で汚れ、折れ曲がった手足を使って、こちらに歩み寄る。
『……』
そして。
『……』
俺に、抱きついた。
『……あはは、つーかまえたっ』
以前のような、明るい声。
今の状況に全く似合わない、優しさを含んで。
『……』
その言葉を最期に、先輩は息を引き取って。
力つきて、俺に持たれかかった。
『……』
目の前で起こった出来事が、どこか遠いところで行われているような奇妙な感覚。
『――っ』
それから、しばらくの間、記憶が曖昧だ。
けれど。
あの血まみれの姿が、先輩が浮かべたあの笑みが。
その日から、脳裏に張り付いて、離れない――。
その日から、人を、特に女性を避けるようになってしまった。
高校時代は、友人すら避けて一人でいるようになり。
何となくで入った大学も、必要以上に誰かと関わる事もなく。
一生、こんな生活を続けていくのだろうと、漠然と思った。
そんな折り、彼女と出会う。
セミロングの髪を茶色に染めて、コロコロと笑うのが印象的な、女の子。
誰とでも親しげで、常に誰かの傍にいるような、そんな子だった。
当然、俺はその子と関わるつもりもなかったが、相手は違ったようで。
ひたすら声をかけてきた。
あまりにしつこく、俺が何度無視しても、誘いを断っても、あきらめない。
もしかして、俺の事を……なんて考えていたら「あっ、先輩の事恋愛対象としてみてません」
聞いてもいないのに、そんな事を言い出し。
『私、好きな人がいるのでっ』
宣言するように言った。
この言葉に、安心した。
それなら、あんなことは起こらない。
そう思えたら、心の重りが少しだけ解けたような気がして、交流をはじめる。
とはいっても、積極的に関わり合いたいとは思えないので、あくまでぐいぐいとこちらを引っ張る後輩に渋々付き合うという形。
そうやって時間が過ぎて、二人きりで遊ぶのも、何も思わなくなり。
そして、いつものように、連れ回された帰り道。
偶然か何かか、高校時代の通学路として使っていた道を歩き。
”あの”信号機の前で立ち止まった時に。
『先輩』
すっと、静かに俺に近づいた彼女は、とても幸せそうな笑みを浮かべながら。
――俺を、刺した。
『えっ……』
『……』
痛みと、笑顔と、熱さと。
すべてがぐちゃぐちゃに混ざり合って混乱し、何故笑っているのか尋ねると、彼女は答えたのだ――――。
「これで、”オネエちゃん”も寂しくないから」
それはいつもの笑みではなく。
あの日。
――つーかまえたっ。
先輩が俺に対して浮かべていた笑みと一緒……
「お前……もし、かして」
「多分先輩が思っているとおり、だと思いますよ?」
かすれた言葉に、いつもの調子で返事をされた。
その事が、今の状況と相まってとても恐ろしい。
彼女が俺の思っている通りの子なら、行動は理解できる。
けれど、その表情が理解出来ない。
恨むなら、理解できるし。納得もできる。
刺された事だって、仕方ないの事だって受け居られる。
でも、刺した彼女に怒りや恨みの表情は一切なく、ただ幸せそうな表情を浮かべるだけ。
混乱した俺に「もしかして、私が先輩を恨んでいると思っています?」と声をかけられ「違うのか」と返せば、「違いますよ~」と言った。
「私は、”好きな人”が、”幸せに”なれるように、行動しただけですよ?」
ますます、理解できない。
理解出来ないまま、倒れ込んだ。
意識が徐々に黒く塗りつぶされてゆく。
その中で。
――これで2人はずっと一緒です。
――オネエちゃん、私がそこにいっても、仲良くしてね?
――先輩だけに、構ってばかりだと、私泣いちゃうよ。
――私、オネエちゃんの事大好きだから。
――先輩もお元気で。
そんな彼女の言葉と。
もう、ひとり。
せんぱいのこえが。
きこえーーた、きが、し――。
――モウ、ハナ■ナイ。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。