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第1話

そんなはずはない。

そんなはずは決してないのだ。


見渡す限り続く薔薇の庭園。

真っ白な石造りの東屋は美しく手の混んだ意匠で、色とりどりの薔薇の中でも一際存在感を放っている。

私はそんなフランスの王宮庭園のような豪勢な風景の中で、小さな拳を握りしめていた。足元には高そうなスカート部分と、同じく高級そうな落ち着いた色味の子供靴がレースの裾から覗いていた。白い石畳は東屋と同じ素材でできているのだろう。美しく管理されていた。


絶対にそんなはずはない。


確かに私はしがないアラサー独身彼氏なしの喪女で、昨晩しっかりと家賃5万の少々手狭な1LDKで自分のベッドに入って眠った筈だ。

ああ、明日もしごとかぁ、やだなぁ、なんて思いながらも気を失うように眠りに落ちた筈だ。


そのはずだ、

と無意味に脳内で繰り返す。


自分の両手を見ると、小さな子どもの手のひらだ。

かなり地面に近い視線の位置から察するに幼児程のサイズなのだろう。


周りを見渡しても私以外の人間は周りにいない。


夢?

こんなに夢の中って鮮やかな景色だっただろうか。

一番近くの薔薇は真紅で花びらがベルベットのように柔らかく見える。


夢、だとしても、こんな場所には来たことがない。

来たことがない、というのになんだか見覚えがある気もする。なんとなくテレビで流れていた映像だろうか、夢なら忘れているはずの記憶だってことも考えられる。


ここはどこなんだろう?


そもそも、夢で見る景色に「ここはどこ?」と思考することはあるだろうか。だんだん不安がいっぱいになってきて、微かに手が震えはじめた。それを反対の手でぎゅっと抑える。


「夢、じゃない」


その声は聞き慣れた自分の低い声ではなく。子供らしい高くてあどけない、少し拙さのある発音だった。しかし、言葉の意味は解るが、音として聞こえたのは聞いたこともない言語だった。英語を初めて聞いたときのような全く音として聞き取れなかった。


「え、気持ち悪い」


思わず呟くが、その声もまた聞き慣れない音に変わる。怖くて叫びだしそうになっているところを、遠くの方で誰かの声が聞こえるのに気づいた。


誰かの名前を呼んでいるようだ、誰かを探している。

段々とその声が近づいてくる。


その声の主が薔薇の軒から姿を表したときまた、奇妙な感覚になった。彼女は私を見つけると慌てた様子で小走りにこちらへ向かってくる。


「リリス様、ご無事ですか?」


心配そうに私の側へ来て目線を合わすためにしゃがみ込む彼女はやわらかそうな栗色の髪を頭の後ろでまとめ、濃いブルーの装飾のないワンピースを身にまとっている。そして白のエプロンをつけているところから、頭にメイドとか女中とかいう言葉がよぎった。


「リリス様?どうされました」


覗き込んでくるチャコール色の瞳は優しげでありながら、少し焦っているようにも見えた。


リリス、それが私の名前なんだろうか。だけど、彼女は誰なんだかわからないし、正しい返答が分からない。


相変わらず、訳のわからない言語が耳に届き、頭の中ではその言葉の意味を理解している。そして、彼女はアジア的な顔の作りではないが、コーカソイドのような特徴とも少し違う顔つきをしていた。


彼女は慌てて立ち上がると、後に手を振りながら合図をする。


「侍従長様、こちらにリリス様がいらっしゃいました!」


合図を受けた相手も、それに気付いてこちらへ向ってくる。数人の足音が石畳を踏むコツコツとした音が聞こえてくる。


「ミア、リリス様はどのようなご様子でしたか?」


そう言いながら近づいて来たのは、長身の男だった。こめかみには白髪が混じっているが、きっちりとその髪は撫で付けられている。


「それが、ぼんやりとされているようで」


今度はその侍従長と呼ばれた男が私と目線を合わせるように屈んだ。


「リリス様、なにかお気に召さないことがございましたか?」


「あ、の」


下手に演技をして合わせると後々面倒だと感じた私は素直に記憶がないことにして何もわからないことを伝えようと言葉を探す。それを彼らはじっと待ってくれている。


「あなた達は、誰ですか?」


ハッと息を飲む声がする。まさか、とミアと言った侍女と同じ青い制服を着た者たちが互いに目配せをしていた。


「大変だ、アルテミシア先生に連絡を!」


その声に反応した従者数人がバタバタと慌ただしく走り出す。


「リリス様、身体も冷えますのでお部屋に戻りましょう」


すっと侍女に抱きかかえられ、建物の方へどんどん歩く。少し離れていて気付かなかったけれど、屋敷は昔写真で見た中世ヨーロッパのお城のような石造りで、冷たそうな外観に反して玄関に入るとふんわりと暖かい空気が身体を覆った。


室内の飾りは決して絢爛豪華という訳ではないが、センスのいい絵画や美術品が所々に見受けられた。シンプルさの中にも質のいいものがきちんと手入れされた状態であるのがただの成金風情とは違う気がした。


そして、私の寝室であろうか、部屋の奥にある大きなベッドに寝かせられる。私がベッドに乗せられるやいなや、侍女の影から白衣を着た老人が姿を表した。


どこか、痛いところや違和感など確認され、健康状態もひと通り見終わった後に、側で控えていた侍従長ににっこりと笑いかけた。


「頭を打たれたとか、大きな怪我もないようですし、特に心配はいらないでしょう。記憶もなにか混乱されているんだと思います。暫くすれば元に戻ることもありましょう。ゆっくり休ませてあげなさい


異常がないことを聞いた侍従たちはそれぞれ安堵の表情を浮かべていた。恐らく医師である老人はゆっくりと立ち上がると、すぐに部屋を出ていってしまった。


確かにこの身体に異常はない。


だけど、記憶は「私」という不純物が入り込んでしまっている。そのせいで、この身体の女の子の記憶、或いは人格は何処かへ消えてしまっているのかもしれない。


それにしても、この身体の子は一体何者なんだろう?

たくさんの侍従達、そして豪華なお屋敷。

もしかして、お金持ちのお嬢様なんだろうか?


改めて周りを見渡す。


ベッドには清潔な白いシーツが敷かれ、枕元には沢山のふわふわのクッションが並べられている。手触りは良く、シンプルではあるが質の良いものなんだろう。


壁には赤い花の模様が並び、可愛らしいモチーフが女の子の部屋だと言うことがわかる。恐らく私の部屋なんだろう。


そして、私の名前は「リリス」


リリスという名前、なんだか聞き覚えがある。

それに、さっきから侍従達はたくさんいるが、家族のような気配の人物は一人も見ていない。


それはこちらとしては好都合だ。

記憶がないのだから話を合わすことができず、様子がおかしいのはバレてしまうだろう。いや、侍従長が既に誰かに伝達してしまっているかもしれない。


「ねぇ、ミア?」


私は近くにいた侍女に声をかけた。あの最初に私を見つけた栗色の髪の女性だ。

彼女は先程からベッドのすぐ脇に控えていた。


「いかがされましたか?」


「私、リリスっていう名前なの?」


そう聞くと、少し悲しそうに眉を寄せたが直ぐに、落ちついた声で返答があった。


「貴方様はリリス・ヘレボルス様というお名前で、先月7歳の誕生日を迎えられました。」


「そうなの、私に家族はいるの?」


「リリス様のお父君と、それから5歳年の離れた兄君がいらっしゃいます。お父君のお名前はアレハンドロ・ヘレボルス侯爵様、兄君はエンデン・ヘレボルス様です。」


エンデン・ヘレボルス、


聞いたことある。

いや、聞いたことあるというか、

これは不味いことになった。


エンデン・ヘレボルス、それは私の読んでいたウェブ漫画に登場するキャラクターだ。それも最強最悪の魔術師で、ラスボスってやつだ。


でもおかしい、エンデン・ヘレボルスは漫画の中では父親を事故で亡くし、若くして侯爵家の後を継ぐ一人息子だったはずだ。きょうだいはいない。


リリス、


それにこんなキャラクターいただろうか、


ふと鏡にうつっている自分の姿が見える。

肩より少し伸びた、燃え上がるような真っ赤な髪、その色と同じルビーの瞳。


あっ、


知っている。

この身体は「リリス・レッドローズ」のものだ!

リリス・レッドローズ、

彼女もエンデンと同じ漫画に登場するキャラクターで、主人公を虐めたり嫌がらせをする悪女として登場していた。しかし、家名が違うのだ。リリスはレッドローズ家の一人娘で、きょうだいがいなかった。蝶よ花よと育てられた生粋のお姫様だった彼女は女主人公の存在が面白くなかった。


そして、女主人公を散々いじめ抜き、その結果実家から勘当され、生活能力のない彼女は自ら命を断った。読みながらふと思ったものだが嫌がらせも記憶しているだけでは幼稚なものだったし、勘当されるほどのことだったのだろうか。そもそも、貴族社会ってのはピンと来ないし、ご都合主義なウェブ漫画なんだしこれがあたりまえなんだろう。


でも、漫画では出ていなかっただけで、リリスが跡継ぎのいないレッドローズ家の養子だったとしたら?そうであれば、何の情もなく切り捨てることも可能だとしたら?


思い出せ、思い出すんだ。


必死に頭の中で記憶の欠片をかき集める。


漫画のタイトルは

「茨の国のアリス」


戦争や疫病など様々な世界情勢が主人公達の世界へと忍び込んでくる過酷なストーリーだった。基本的に復讐のために命を削ったり、なかなか残酷な描写もあった。主人公アリスは前世の記憶をもち、しがない没落貴族の娘として生まれる。そして、稀有な魔力を認められ王立の魔法学校へと入学が許される。魔法学校卒業後は王宮付きの女騎士となる話で、戦地に赴くこともあり登場人物は容赦なく死をもって入れ替わっていく。


その割にはリリス・レッドローズはマシな死に方だったかもしれない。


だとしてもだ、私は死にたいわけじゃない。

どうにかして生き残る術を手に入れ、死亡フラグをへし折らねばならん。


そもそも、私の1番の死亡フラグとか何か。

そのフラグを分析し回避しなくてはならない。


主人公のアリスが現れるのは今から約10年後、

15歳のアリスが王立魔法学園へ入学するところから始まる。学校編から王立軍の魔法騎士として戦う騎士団編の全二編から成り立っており、私であるリリスが死ぬのは学校編、そしてリリスが卒業パーティで断罪されるのだ。


勿論、原因となる嫌味やいじめをしないのは勿論だが1番効果的なのは「レッドローズ家」にならないことだ。


そうと気付けば問題はどうやってお兄様に気に入られるか、だ。何故ここでお父様でないのか、というとお父様に気に入られたところで、事故で亡くなってしまえばその権限は兄へと移る。


兄からすれば邪魔で面倒としか思えない妹を簡単に養子へやってしまうだろう。そういう兄なのだ。


冷酷で慈悲もない。

そうで無ければ漫画の悪役にはなりえないだろう。

兄の人格形成には父親と母親の関係性も影響していたはずだ。物語には詳しく登場しなかったが、あまりよくないもので、母親は病気で亡くなっている。

父親は母親の葬儀にも興味を示さなかったそうだ。

母親が亡くなったのは確か、エンデンが5つのとき・・・計算上では私が生まれた年だ。


私の誕生と、母親の死。

この当たりに何か確執のようなものがあるのだろう。


「ミア、私のお母様は誰?」


そう聞くと、ミアは少し答えづらいのか、直ぐに返答はなかった。


「あの、私がどう申し上げれば・・・」


「いいの、お母様のこと覚えてないから悲しくはないわ」


いい渋っていたが、ミアは観念したようだ。


「リリス様とエンデン様は母君が違います。エンデン様の母君はホワイトローズ家ゆかりのエミリア様、リリス様の母君はレッドローズ家のエヴァ様です。」


つまり、一夫多妻制が認められていないはずだったから、私リリスは父親の不義の末に出来た子供ってことか!!知っている情報よりも更にマズイことになった。


「母上とエミリア様はどうして亡くなられたの?」


「リリス様の母君は不義密通をレッドローズ家から疑われ、自ら川に身を投げられました。エミリア様は・・・私にはお答えできません」


うん、行間が読めない。私の母であるエヴァは何故自殺したのかが全く分からない。自殺と言う体で誰かに・・・いや、まだ情報が少なすぎて分からないことが多すぎる。


漫画では、エミリアと父との間に愛は無かったような描写であったし、元々体の弱かったエミリアは病気で亡くなったような雰囲気で話が進んでいた。


確かに死因までは明言されていていない。となるとやはり今の兄妹関係っていうのは実際に会って確かめるしかないってことだ。


夕食まで休むようにとミアを残し、侍従達は元の仕事へ戻っていく様子だった。


「ミア、私は少し眠るから、あなたも休んでて」


急に頭を動かしたらかは分からないが、眠気に襲われる。中身は大人でも身体はまだ7歳だ。


「はい、本日は授業も中止になっておりますので、ゆっくりお休みください。」


そう言ってミアもすぐ脇の小さなドアから控室へ戻った。

ベッドの脇にはどうやら使用人が使用する小さなドアがありそこには使用人のための部屋が用意されているらしい。


壁の向こうに人の気配を感じながら微睡んでいると、気付けば意識は無意識の世界へと沈んでいった。









みたこともないほど長いテーブルの先で、静かに食事をとっている黒髪の男性、これはきっと父親のアレハンドロ・ヘレボルス。

そしてもう少し手前で同じようにつまらなさそうな表情でステーキをナイフで切っている少年が兄であるエンデンなんだろう。12歳の少年というよりは青年のような落ち着きがある。


私がいようといまいと二人とも興味ないと言わんばかりだ。二人して漫画の登場人物だからなのか、整った顔立ちが余計に近寄りがたいオーラを放っている。


私の記憶が混乱しているということは侍従長から聞いているだろうが、どうやらそれについて一声掛ける気もないらしい。


ちらり、と遠くに座る父親を見る。

この父親はきっと跡継であるということ以外に完全に子供に興味がないタイプなんだろう。


ちらり、とこんどは兄の方を見る。父親と同じ黒い髪であり、サラサラとしていててはだざわりが良さそうだ。透き通るような肌に切れ長の紫の瞳、我が兄ながら感嘆の息が漏れそうなほど整った容姿に少しゾッとする。昔見たとてもリアルな人形を思い出す。


しかし、会話はなく

マナーの行き届いた食事風景に食器の音も鳴らないなんとも息の詰まるような空間だ。


もし、どちらかの母親がいたら空気は変わっていただろうか、いや、それはない。同じようにお葬式のような食事風景になっているだろう。


「お兄様」


思い切って声を出したものの、会話を続ける勇気は出そうに無かった。氷のようなアメシストの瞳で見つめられればそれは蛇に睨まれた蛙だ。


「なんだ」


だが、負けてはならない。確かエンデンは12の頃から王立学校に通う天才児だった筈だ。


「あ、いえ、お兄様は学校でどのようにお過ごしなのかなと思いまして!」


「別に、ふつう」


一瞬こちらを見ただけで興味が失せたのか素っ気なく会話を終わらせようとしてくる。

あああああ、お前は機嫌の悪い女優か、と脳内で突っ込みを入れてから諦めずに頑張ってアタックするしかない。情報を集めないと私の死は確実なのだ。


「お、お兄様にはきっと素敵なお友達がいらっしゃって、楽しい学園生活なんですわよね?」


兄は少しこちらを見て、煩わしそうに口を開いた。


「いや・・・」

「煩い、静かに食事もできないのか。」


兄の声に被せるように父親の苛ついた声が被さってきた。


「失礼いたしました、お父様」


慌ててそう言って父親の顔を確認するが、私からは虫ケラを見るような蔑む目に見えた。何故だろう、この男は母親エヴァと愛人関係だったというのならどうして憎しみの目を娘である私に向けるのだろう。


確かにその目には父親の愛情は感じられなかった。


食事中に親睦を深めるのは難しそうだ。それならば、直接兄とコミュニケーションをとって兄妹の仲を深めるしかない。こんなに父親に嫌われているんだから、もしかしたら父親の手によって私はレッドローズへ養子へ出されるのかもしれないなぁとも思う。

やはり、本編でリリス・レッドローズは養子に出されたエンデンの異母妹という話は一つも出てこなかった。エンデンもリリスという存在自体知らないようだった。今の関係性を見ればきっと妹とか家族という認識はされていないのだろう。


気まずい雰囲気の食事は、静まり返ったまま終わった。


食事から自室へと戻る道中、ヘルボルス家の代々当主とその奥方の肖像画が廊下に並べられている。


1番端に飾られている絵を見たときに

これが、間違いなくエンデンの母親

「エミリア」であると確信した。


豊かな白銀髪は腰よりも長く、紫色の優しげな瞳をしている美しい女性。エンデンのあの透き通るような肌とアメシストの瞳は母親譲りなんだろう。

ただし中身は父親に似たのかもしれない、

漫画の内容を思い出して少し気が重くなる。



エミリア、彼女が生きていれば何か違ったのだろうか。でも愛人である女の娘を憎んだかもしれない。

それでも、エンデンが漫画のラスボスになってしまうぐらいひねくれてしまうことだってなかったのかもしれない。


私はどうしようもない状況にここに来てしまったことを呪った。肖像画に厚塗された絵の具に、私の赤い小さな影が反射して写り込んでいた。







自室に戻り、寝る前に温めたミルクを出してもらう。ミルクを両手で掴みながらミアに質問した。


「ミア、少し聞きたいことがあるの」


「はい、なんなりと」


「お父様ってどんな人なの?」


「閣下は大変この国でも有力な軍隊を持たれ、王ですら一目置く存在です。周辺諸国が安易にこの国へ戦を仕掛けないのもヘレボルス軍の存在があるからでございます。」


「そうね」


漫画でもヘレボルスは恐ろしい武力を持っていた。

王族ですら恐れる一族、それがヘレボルス。

この「殺すもの」という物騒な意味の名も4代前の王が戦地での恐ろしいまでの勇猛さから名付けた家名でもある。ヘレボルスは決して古い家門ではない。どちらかといえが実力主義な新興貴族だ。


主人公の最強の敵というのも伊達でない。


「ミア、そうじゃなくて、ミアはお父様は怖くない?私は怖いわ」


そう言うとミアはまた困った顔だ。


「こんなことを申し上げるのは大変不敬なのですが・・・侍従たちはみな閣下に畏れを持っています。それは畏敬のようなものです。リリス様がそう感じられるのは無理はありません。」


「ではお兄様は?」


「エンデン様ですか?・・・家庭教師のシビリアン先生から伺ったのですが、とても冷静で頭脳明晰だそうですよ。後、チョコレートがお好きなようです。」



それはいい情報だ!私が目を輝かせるとミアはホッとしたように笑った。


「明日、チョコクッキーをご準備いたしますね!」












さて、準備は万端だ!

お兄様に差し入れるクッキーも美味しい茶葉も用意してもらった。少しでも会話ができたらいいな、ぐらいの気持だが追い出されてもショックは受けないでおこうと心にしっかりと置く。うん、ショックは受けまい。


そしてノックして、


「お兄様!」


ドアを侍従にあけてもらって、ニコニコ顔で登場する私。兄はソファで読書をしていたようだが、こちらをちらりと見ると面倒くさそうな顔をした。なんだ、お前かと言わんばかりだ。だが、あの父親とは違いすぐに追い出したりまではしないだろう。


父親にも勿論試した。部屋のドアすら開けてもらえなかったのだから、上好だ。


「少し休憩になさりませんか?チョコの入ったクッキーもおもちしました」


侍従が後からティーセットを持って入ってきた。

チョコレートが好きなのは事前にリサーチ済みだ。


依然、面倒そうではあるがソファーに座り直した兄を見てガッツポーズをしたくなった。


そこまで、私は嫌われている訳ではないらしい。チョコクッキーの力だけではないと思いたい。


「お前、何か用があってきたのか」


「いいえ特にありません。お兄様と少しお話したかっただけです」


夕食ではお話したら叱られたので、と付け加えるとさらに興味なさげにクッキーに手を伸ばす兄。


「今まで、俺に話しかけたことは無かっただろう」


ここでのリリスがどんな生活を送っていたのかは知らない。漫画の設定では大切に育てられて傲慢になったとあったが、幼少期にもしこんな家庭で育っていたとしたら・・・孤独だっただろうな。

そして、見せかけだとしても優しくしてくれるレッドローズ家の家族に心から甘えていたのだろう。


それならば12歳のまだまだ少年であるエンデンはどうだっただろう?彼も孤独であったのではないだろうか。


「お兄様は私が嫌いですか?」


それに答えずエンデンは面倒だな、という顔をする。


「いえ、答えなくても結構ですわ!私にとってお兄様は大切な家族です。なのでこうやってお話したり少しでも仲良くしたいとおもったのです」


7歳のリリスにとっては自分が生きることに必死で、このまだ12歳の子供でしかない兄を気遣った事など無かっただろう。だから何かしら反応があるはずだ、と期待する。


しかし、そこにあったのは訝しげな顔だ。


「何か企んでいるのか?」


「お兄様と仲良くすると私に何かいいことがあるんですの?」


こてんと首を傾げる。

これは用意していた答えだ。

基本的に貴族の家の者たちはなんとかヘラボルスとの関係を作ろうと兄に近づいているのかもしれない。だから兄は反射的に近づくものを全て疑ってかかる癖がある。これが、彼を孤独にしている根本的な理由でもある。


私は現にヘレボルスだ。だから魂胆を持って近づく必要は無いのだと強調する必要がある。


「いや・・・」


「でもそうですね!お兄様と仲良くすると、私は幸せな気持ちになると思います。」


ニッコリと笑えば、心做しか無表情だった兄の表情が戸惑っているように見える。


何をしても暖簾に腕押しならば私の心は折れてしまっただろうが、これは手応えありだ。


「それではお兄様、私はこれで失礼しますね」

あまり長居して迷惑になってはいけないからと切り上げる。


初回にしては上々だろう。これを何日も繰り返す内に少しずつ私に心を許すはずだ。頑張れ私!負けるな私!








「ミア、私の髪おかしくないかしら?」


鏡の前でドレスの裾を摘みながら、後で支度を整えるミアに声をかける。


「大丈夫です、リリス様はどんな髪型でもお似合いですよ。兄君様もきっと気に入られます」


「そうかな?」


あの兄が髪型なんて気にはしないだろうが、かわいい妹でいることに意味はある。私が目指すのは、脱孤独、脱死亡フラグなのだ。


鏡で身嗜みを一通りチェックし終わると、私の日課となりつつあるお兄様訪問の時間だ。

毎日、という訳ではないが何かと理由をつけて3日に1度くらいの頻度で黒い猛獣との交流を計っている。


最初は兄の威圧に負けてストレスで死んでしまうかもしれないと思っていたが、流石悪役令嬢、簡単には屈しないメンタルを持っていたらしい。


意外に平気だ。



「お兄様!今日はチョコブラウニーをおもちしましたわ!」


いつもどおりに部屋に入れば、いつもどおりの面倒くさそうな顔でこちらをちらりと見る。だが、出て行けとは言われないので好都合とばかりに私は兄のそばでソファーに腰掛ける。


「よく、飽きないな」


その声には最初には無かった呆れのような雰囲気が漂っているが、怒ってはいないらしい。よしよし、作戦は順調にすすんでいる。


「退屈ではないですよ、お兄様とお話をするのは楽しいですわ!」


これは本心だ。情報が殆ど手に入らない生活をしているため、兄との会話は貴重な情報源になっている。


ふうん、と鼻を鳴らす仕草も最初の頃には見せなかった。大分打ち解けてきたのだろう。


「お兄様はもう魔法を使えるのですよね」


キラキラとした眼差しで兄を見上げる。

魔法が使える、という事前情報としてあるが全員が使えるわけではないらしい。魔法を付与して戦うヘレボルス家に生まれた子供は基本的に大きな魔力を持っている。ということは、私にも使えるのだろうけれどまだ魔法の授業を受けてはいない。


つまり魔法を見たことがないのだ!


「だめだ」


魔法を見せて下さい、と言う前に兄にNOを突きつけられた。先手を取られた。


やっぱりだめなのか・・・。


私があまりにもションボリした顔をしたので、兄はククッと喉を鳴らした。


「ここではな」


部屋の中では危険だから見せられない、という意味だったらしい。それよりも私は混乱していた。

あの鉄仮面の兄が・・・笑った、のか?

微かに表情が動いていた。


思わず固まっていると、兄に声をかけられる。


「なにしてる、見たいんじゃないのか?」


立ち上がりドアのほうからこちらを振り返って見る兄の表情はいつも通りだが、どこか声色は優しかった。


慌てて兄の後ろ姿を追いかけた。

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