8.失礼なのはどっちですか?
守護の異能を宿した六家。
そのうちの一つであるヴィクセント家は、この国で王族に次ぐ地位と権力を有している。
領地、資金、人員。
あらゆる面で優遇されており、他の貴族と一線を画する。
だからこそ、求められる期待と責務も大きく重い。
テーブルの上に山のように積まれた書類がその証拠だ。
「この作業だけはお父様を尊敬するわ」
一枚一枚丁寧に確認していたら、それだけで一日が終わってしまう。
領地の管理に、国の政策についての意見など。
テーブルに座って書類作業しているだけで、どっと疲れを感じる。
これを毎日、文句も言わずにこなしていたお父様は本当に凄いと思った。
「はぁ、当主になったのは失敗かしら」
などと弱音を吐いて作業を続ける。
トントントン――
すると、ふいにドアをノックする音が聞こえてきた。
ノック音だけじゃ顔は見えない。
お父様が文句を言いに来たのかと思ったけど、それならノックなんてするはずないから別人だ。
「入っていいわよ」
「失礼いたします」
扉を開けて入ってきたのは執事服の男性だった。
彼の顔には見覚えがある。
確か、昨日までお父様の補佐をしていた人。
「当主様、お客様がお見えになられております」
「客? 私に? 誰かしら?」
「グランツ・アクタード公爵様です」
「アクタード……」
アクタード家は私のヴィクセント家とは親戚にあたる。
その現当主がグランツという名前だった。
記憶が正しければ、お父様との友人のような関係で良好だったはず……。
「どういう用件で来たのかわかるかしら?」
「いえ、お伺いしたのですが教えて頂けませんでした。ですがグランツ様からは約束があると」
「約束? そんなのした覚えは――ああ、お父様ね」
「はい。約束をされたのは前当主様だと思われます」
やっぱり私じゃなくてお父様に会いに来ただけね。
用件を話さないところを見ると、外に洩らせない内密の話でもあったのかしら?
もっとも、私には関係なさそうだし。
「そういうことならお帰り頂いて」
「よろしいのですか?」
「いいわ。私が約束していたわけじゃないもの。あ、ただもしお父様とお話したいということなら止めないわ」
「かしこまりました」
執事は一礼して部屋を去って行った。
私は仕事を再開させる。
その数分後、再びノックの音が部屋に響いた。
また別の来客でもあったのだろうか。
「どうぞ」
今度は返事もなく扉が開いた。
そして扉の先に立っていたのは、見慣れない男性だった。
一目で使用人ではないことがわかる。
貴族らしい華やかな服装に、顔は少しにやけているような下手くそな笑みだ。
「こんにちは、セレネ・ヴィクセント新当主殿」
「……誰でしょう?」
と、口では質問しながら私は察していた。
服についている紋章には見覚えがあったから。
「こうしてお会いするのは初めてですね。私はグランツ・アクタードです」
「……」
やっぱりそうだったのね。
「何のご用でしょうか?」
「セレネ殿が新たな当主になられたとお聞きしたので、いち早くご挨拶をしようと馳せ参じたのですよ」
「……そうでしたか」
嘘ばっかりね。
本当はお父様に会いに来た癖に。
そしたら急に当主が代わっていたから、慌てて挨拶なんて殊勝なことを言い出しただけだ。
浮かべた笑みから魂胆が見え透いている。
お父様と仲良くしていたのも、どうせヴィクセント家と良好な関係を築くためでしょう。
ほんの少しだけ、お父様が可哀想に思えるわ。
「でしたらもうお帰り頂けますか」
「え、いえ、まだ来たばかりですよ? これからお話でも」
「見ての通り私は忙しいのです。貴方の相手をしていられるほど暇じゃありません」
「なっ、そ、それは聊か失礼ではありませんか?」
にやけていた表情が一変した。
私の挑発に苛立って、眉間にシワを寄せている。
本当にわかりやすい人ね。
笑ってしまうほどに。
「失礼なのは貴方のほうよ」
「っ、何をおっしゃって――」
「私が許可をしたのは前当主と会うことだけよ。ここへ来ることを許可した覚えはないわ。そう伝えられているはずでしょう?」
「くっ、それは……」
この反応……大方執事にはお父様と謁見すると答えて屋敷の中に入ったのだろう。
実際はお父様には目もくれず、私のもとへやってきた。
「許可なく私の部屋に踏み入った貴方に、礼を尽くす必要があるのかしら?」
「わ、私はヴィクセント家とはずっと懇意に」
「それは前当主の話でしょう? 今の当主はこの私、セレネ・ヴィクセントよ。私は別に、貴方と仲良くしたいなんてこれっぽっちも思っていないわ」
「ぅ……」
彼は悔しそうに拳に力を入れている。
悔しくても反論はできないでしょう?
だって正論だもの。
これで本当に話も終わってスッキリしたわね。
「お帰り頂けますか?」
「……」
「お帰り頂けないのなら――」
彼の足元で黒い影が蠢く。
「なっ、こ、これは!」
「出て行っていただきましょう」
「影のち――」
彼は足元から影に飲み込まれ、引きずり込まれるように消えていく。
一瞬にして静かになった部屋で、私は大きくため息をこぼし、扉のほうへ視線を向ける。
「もう入っていいわよ」
「失礼いたします」
顔を見せたのはさっきの執事。
ずっと扉の前で待機していることには気づいてた。
「申し訳ございませんでした」
「いいわ。あの人が勝手にやったことでしょう?」
「ですが、お通ししたのは私ですので」
「そう。だったら次から気を付けてくれればいいわ。それから、前当主の約束は一旦全てキャンセルしてもらえる? 重要なもの以外ね」
「かしこまりました。早急に対処させていただきます」
「ええ、お願いね」
執事は一礼して部屋を出て行く。
再び作業を再開しようとテーブルに向き合って、大きく脱力する。
「はぁ……本当にめんどうだわ」
当主としての責務には、他の貴族との交流も含まれている。
今みたいなことがしばらく続きそうで、今から憂鬱だ。