70.唯一の家族だから②
実際の時間にして、数秒の出来事だったのでしょう。
私たちは立ち尽くし、頭の中に流れ込んできた情報を処理する。まばゆい光はいつの間にか消えていて、私たちはぼーっと石板を見つめる。
バキバキ、パキッ――
石板がひび割れていることに、私は気づくのが遅れてしまった。
「セレネ!」
「――!」
ディルが私の名を叫んだ。と同時に、石板が激しく大きな音を立てて砕け散ってしまう。バラバラに壊れ、地面に残骸が積み上げられる。
一歩遅れたら壊れた破片の下敷きになっていたかもしれない。ディルが咄嗟に私の腕を引き、抱き寄せてくれたおかげで助かった。
「ふぅ、危なかったな」
「……ありがとう。助かったわ」
「どういたしまして。お前が素直にお礼を言うなんて珍しいな」
「……そろそろ離してもらえる?」
「ん、ああ」
少し、恥ずかしいと思ってしまった。
私はディルから離れ、砕けてしまった石板の残骸に視線を向ける。
「さっきの情報は……」
「お前も見たのか?」
「ディルも?」
「ああ。守護者が生まれた時の記録……いや、記憶か」
どうやら情報が頭に流れ込んできたのは、私一人だけじゃなかったらしい。触れた人が見るのではなくて、あの光に照らされた人が記憶を見るのでしょう。
そういう理屈なら、彼も見ているはずだ。
「あなたは見たのね」
「……は、はい」
「大丈夫か?」
「はい。突然だったので驚いただけです」
心配するディルに、ユークリスは笑って返事をする。困惑しているようにも見えた。いきなり脳内に情報を流し込まれたのだから、そういう反応にもなるか。
私たちは流れ込んだ情報を整理するように話し始める。
「今のは守護者たちが誕生した頃の記憶ね」
「ああ。守護者より先に魔獣が生まれて、それに対抗するために王と異能者たちが生まれた……っていう流れだったみたいだな」
「王の誕生は、人々の願いだったのかしら」
「そう聞こえた。いや、感じられたな」
流れ込んできた記憶は、誰かが私たちに物語を聞かせているようだった。誰なのかはわからない。もしかすると、始まりの王が残した記憶とか。
壊れてしまった石板には、独りぼっちの王が描かれていた。この石板を作ったのはかつのて王なのだろうか。
「重要なこともわかったな。守護者は王が生み出した……少なくとも、現代に残る六つの異能は、王から派生したんだ」
「そうみたいね。月と影は……この後に出てくるのかしら」
記憶は中途半端なところで途切れていた。
魔獣から人々を救った後、どうなったのかがわからない。平和が訪れたのか、それとも戦いが続いたのか。
人々を救った……と聞こえたから、戦いそのものは終わったのだろう。
私は以前にユークリスから聞いた月の守護者の話を思い返す。月の守護者は、王の子供である双子の片割れだったという。
今見た記憶が事実なら、この後に王と月の守護者は、政権をかけて争うことになる。
「影の守護者の名前が出てこなかったのも気になるな」
「そうね。私たちが同じ日に力を開花させたのだから、月の守護者の誕生と同じ時期じゃないかしら」
「かもしれないな。できれば続きを見たいが……」
「無理そうね」
私はそっと、壊れた石板に手を触れてみる。当然のように何も起こらない。まばゆい光が放たれることも、力が吸い取られることもない。
もはや石板から得られる情報は何もなさそうだ。
ただ、十分な手掛かりを教えてもらっている。守護者誕生のこと以外にもう一つ、私はとある名前に注目した。
「これからどうするか……」
「手掛かりならあったわよ。ディル、貴女にも教えたはずよ? シオリアが名乗ったもう一つの名前を」
「もう一つ……ああ、そうか」
ディルが遅れて気づき、両目を大きく見開く。
シオリアは自身を人間であり、魔獣でもあると言っていた。その時に名乗った名前が、ついさっき見せられた記憶にも登場している。
人類を脅かした原初の魔獣、六体の名前。
セラフ、ヴィクトル、ハリスト、ラファイ、ルフス、そして――
「アギア。その名前があったはずよ」
「覚えているさ。まさか、初代たちが倒した原初の魔獣と同一なのか?」
「わからないわね。名前が一緒ってだけかもしれない。けど、可能性はあると思っているわ」
人間が魔獣と化す。そんな事例は報告されていない。魔獣とは何なのか、その疑問に更なる難題を突き付けた。
研究者にとっては頭を悩ませる種かもしれないけど、私にとっては光明に他ならない。過去にない事例……原初の魔獣と戦った記憶。
それらが無関係とは、どうしても思えなかった。
ディルの横顔にも期待が浮かぶ。
「もしも、シオリアと原初の魔獣に繋がりがあるのであれば……」
「ええ、直接聞くことができるわね。当時の様子を、魔獣とは何なのか、私たちが持つ異能とは何なのか、その答えに一番近い存在よ」
もちろん、知っているとは限らない。
原初の魔獣は王と六人の守護者に敗れ、倒されてしまっている。その後の記憶が残っていなければ、私たちが見た記憶以上の情報は得られないかもしれない。
でも、同一の魔獣であるのならば、現代まで生き続けた……もしくは長い年月をかけて復活したということになる。
その月日は、人間の時間を遥かに凌駕している。
些細なことだろうと、私たちが知らない何かを知っている可能性は高い。というより、もはやそこにかけるしかなくなっていた。
石板は砕け散り、読み取れる情報はもうない。得られたのは原初の魔獣の存在と、王と守護者が誕生した日のこと。
現代に残る守護者たちの異能は、全て一人の王から派生したという事実だけだ。ここから先に進むためには、新しい情報がいる。
そのためにも……。
「シオリアを捕まえて、聞きだすわよ」
「……いいのか?」
「何? 今さら怖気づいたとか言わないでよ」
「そうじゃなくて、一応彼女は……お前とあの子の母親だろ?」
ディルが心配した表情で私に問いかけてくる。この人はいつも……本当に甘いわね。
私は小さく微笑む。
「だからこそよ」
「セレネ……」
「身内の問題は、身内で決着をつけるわ」
そうしたいと思う。そうじゃなきゃ、私は堂々と前に進めない気がするから。






