67.憎しみの獣⑦
タコ足の攻撃に加え、最初に殺し切れなかった魔獣まで加わっている。ディルは立会人を安全な場所に避難させている。彼の援護は得られない。
ゴルドフとアレクセイは異変に気付くだろうか?
いや、気づいたとしても戦えるようなコンディションじゃない。全て彼女の計算の上……私たちが弱ったところを殺すつもりだったんだ。
ここに来て、ようやく彼女の不自然な余裕の正体がわかる。
彼女は最初から、この決闘で勝つつもりなんてなかった。私たちを戦わせて、仲よく疲弊させることが狙いだったんだ。
私たちはそれにまんまと乗せられてしまった。
けれど、誰が気付けるだろう?
身近にいた人物が、魔獣を引き連れ、自らも魔獣の力を宿して敵に回るなんて。
「貴女は……結局誰なの?」
「私はシオリアよ。そう言っているでしょう」
「貴女じゃないわ。その中に紛れ込んでいる……魔獣の意志に聞いたのよ」
「……ふふっ」
シオリアは不敵な笑みを浮かべ、自分の胸に手を当て名乗る。
「私はシオリア……そして、アギア」
「アギア……それが、魔獣としての名前なのね」
「そうよ。最後にその名をよく覚えて死になさい」
ついに私たちを守っていた影の壁が破壊されてしまう。咄嗟にソレイユを抱きかかえ、影の中に避難しようとする。
が、それよりも早く、私の背後からタコ足の一本が伸びる。鞭のように撓らせるだけではない。足の先端は鋭く尖っていた。
ソレイユを逃がすことに気を取られ、自身の防御を怠ってしまった一瞬の隙。私は視線を向けることが精いっぱいで、影は間に合わない。
久しぶりに……懐かしい感覚が全身を襲う。
――死。
「さようなら。忌々しい子」
「お姉さま!」
ああ、こんなところで私は死ぬのか。
ディルが知ったら怒られてしまうわね。それより、悲しんでくれるかしら?
また、どこからやり直せばいいのだろう。
次は上手くやれるように……。
私は諦めから瞳を閉じた。けれど、いつまで経っても痛みはなく、死の瞬間は訪れない。だから私は目を開けた。
その視線の先に映っていた光景に、私は目を疑う。
「……え?」
「ぐ……は……」
「あら……どうして邪魔をするの? ラルド」
「お父様……?」
私に迫った攻撃は、私に届く前に止められていた。
自らの肉体を盾にして、ギリギリで届かないようにタコの足を握りしめ、食いしばった口元から大量の血が流れ落ちる。
私のことを守ってくれたのは……お父様だった。
「どうして……」
「お父さま!」
ソレイユの悲痛な叫びが木霊する。
直後に正気に戻った私は、周囲の影を極限まで広げ、鋭利な無数の刃物のように変形させる。動きが止まったタコの足をバラバラに斬り裂く。
「っ……やってくれたわね」
「……」
私はシオリアと向き合う。
胸の奥からこみ上げる激情のような感覚に苛まれながら。
「けど残念ね? 今度こそ貫いてあげるわ」
「貴女は……」
「させるかよ」
「――!?」
突然、隕石でも落下したかのように上空から何かが飛来する。
落下したそれは地面を大きくえぐり、私たちを守る様に立ちはだかる。
「遅くなって悪かった。無事か?」
「ディル……」
駆けつけてくれたのはディルだった。
その右手には、血液を操って生成した剣が握られている。お父様やソレイユがいる状況で異能を使っていること、普段なら注意する場面だけど……。
ディルも察していた。
シオリアという怪物が、異能を隠して戦えるほど甘い相手ではないと。
「あなたはセレネの……ふふっ、そういうことね」
「お前は……何者だ?」
「それはこっちのセリフだわ! まさか影以外にも、私たちが知らない異能が生まれていたのね!」
私たち……?
その言い方はまるで――
「他にも仲間がいるのか? この計画も、お前一人のものじゃないな」
「どうかしらね。まぁいいわ。目的は果たせなかったけど収穫はあったもの。貴女たちの命は、次の機会にちゃんと貰ってあげる」
「――!」
シオリアの足元に沼の穴が生成されている。
彼女の身体は徐々に穴の中に吸い込まれていく。
「逃げる気か?」
「ええ、状況が変わったわ。追ってくるなら好きにしなさい。追えるなら……だけど」
「っ……」
ディルは血の剣を振るってシオリアを攻撃する。しかしタコ足に阻まれ、彼の攻撃はシオリアまで届かなかった。
「くそっ!」
「貴方とは今度遊んであげる。さようなら……セレネ、ソレイユ……それから、ラルド」
「シオ……リア……」
「勘違いしないでね? 貴方のことは……ちゃんと愛していたわ」
そう言い残し、シオリアは穴の中へと消えてしまう。彼女がいなくなった後で、タコ足も穴の中へと戻って行った。
穴は閉じ、残ったのは倒された魔獣の死体だけ……。
「完全に逃げたな。どこにも気配がない」
「そうみたいね」
「怪我は?」
「ないわ。いいタイミングできてくれたわね。助かったわ」
ディルが駆け付けてくれなければ、私たちはあのまま殺されていたかもしれない。一人ならともかく、ソレイユを守りながらの戦闘は終始不利だった。
もちろん彼女を責めるつもりは一切ない。ただただ、自分の至らなさを痛感しただけだ。その結果、流れてしまった血の意味も……。
「悪いな、もう少し早く駆け付けておけば……」
「貴方のせいじゃないわよ」
私が弱かったせいだ。
「お父さま! お父さま!」
「ぐっ……ぅ……」
地面に仰向けで倒れ込むお父様に、ソレイユが必死で呼びかけている。腹には大穴が空いて、流れ出る血で小さな血だまりができそうだ。
「待っていてくださいお父さま! 今すぐ私の力で!」
ソレイユは太陽の加護をお父様に与える。
まばゆい光がお父様を包み込む。優しくて暖かい力が流れている。けれど傷が治ることはない。大きく空いた穴はそのままだ。
「無理よ。その加護は、他人を強化することはできても、癒すことはできないわ」
「そんな……ならお姉さまの!」
私は首を横に振る。
「私の異能にも、傷を癒す力なんて備わっていないわ」
「っ……」
太陽と影、どちらの力に頼ろうとも、深々と空いた穴は塞がらない。森の守護者の異能ならあるいは……いいや、不可能だ。
これほど深い傷を治す手立てはない。ぽっかりと空いた穴から、地面が見えそうだ。
「……いや、無駄ではない」
「お父さま!」
「少しだけ……苦しさが和らいだ……ありがとう、ソレイユ」
「お父……さま……」
ソレイユの涙がお父様の頬にポツリと落ちる。
お父さまは僅かに腕を動かそうとした。ソレイユの涙を拭ってあげようとしたのだろうけど、力が入らず動かせない。
お父様は死ぬ。あの傷で意識を保っているのが不思議なくらい見ればわかる。
異能もないのに、生身で魔獣の攻撃を受けたのだから当然だろう。
わかっていたはずだ。それなのに……。
「どうして、私を助けたの?」
「お姉さま……」
「あの攻撃は私に向けられていた。ソレイユじゃなくて、なんで私を庇ったの? お父様は、私のことを憎んでいたのに」
「……ふっ、勘違いするな」
お父様は震えた声で答える。もはや力もなく動かせない首を、無理矢理私の顔が見える様に回して。
「お前のことなど……嫌いだった」
「……知っているわ」
自分が嫌われていることなんて、改めて言われなくてもループの中で私は理解している。だからこそ理解できないんだ。嫌いな相手を、命をかけて守る意味は何?
その疑問に、お父様はゆっくりと口を動かす。
「嫌いだった……だが、心から憎んだことは一度も……ない」
「え……」
思わぬ一言に、私は驚いてしまう。
私はずっと嫌われていて、憎まれていると思っていた。だからこんなにひどい扱いを受けているのだと……。
「憎んでいない……? ならどうして、私に……」
「憎んではいない。ただ……苛立った。お前を見ていると……嫌でも思い出してしまうから……あいつの、顔を」
「――お母様の」
「そうだ。お前の母親……ニーナの顔だ」
私は、自分の母親のことをよく知らない。
私が生まれた時、すでに母親は亡くなっていた……と、聞かされている。会ったことはもちろんないし、名前だって聞いたことがなかった。
聞いても誰も、教えてくれなかった。だから初めてだった。私の……母親の名前を知ったのは。
「ニーナ……それが、お母様の名前」
「ああ、教えていなかった……か」
「ええ、聞いても答えてくれなかったわ。一度も」
「……そうだろうな……口にすれば、思い出してしまう。あいつと過ごした……わずかな時間に、私は多くのものを貰った」
お父様は過去を思い出すように虚ろな瞳で空を見上げる。どこか幸せそうな顔をしていて……お母様と過ごした時間がどういうものか気になった。
いや、それ以上に思ったのは……。
「お母様のこと、愛していたのね」
「ああ、愛していたさ。心から……」
「……」
「シオリアと……同じくらいにな」
「お父さま……」
お父様はソレイユに視線を向ける。
少しずつ声量が落ちて、呼吸もゆっくりになっているのがわかる。命の終わりが近づいているんだ。ゆっくりと……終わりに向かっている。
ディルもそれを悟ったのだろうか。
彼は私たちの邪魔をしないようにゆっくり、私たちの視界から外れる様に距離をとっていた。彼なりに気を使ってくれているらしい。
ソレイユといい、ディルといい、甘い人たちばかりね。
私なんかとは違って。
「私は……お母様のことをよく知らない。会ったこともないし、今まで名前すら知らなかった」
「セレネ……」
「ずっと思っていたわ。どうして……私は生まれてきたのか。誰にも……望まれていないのに」
「それは……違うぞ」
消え入りそうな声でお父様は口を動かす。
小さくなった声は、耳を澄ましていないと聞こえないほどか細い。私たちは自然と、呼吸する回数すら抑えて、お父様が発する小さな声に耳を傾けた。
「何が、違うのよ」
「ニーナは……お前が生まれることを……心から喜んでいた。我が子の誕生を……喜ばない親などいない」
「……いるじゃない、ここに」
「私とて……嬉しかった」
また、お父様の口から信じられない言葉が聞こえる。
「愛する人との子だ……嬉しいに決まっている。だが……その後、彼女を失った私は……お前に辛く当たった。苦しさを……怒りで誤魔化した」
まるで後悔しているように、お父様の瞳からぽつりと涙が流れ落ちる。
「セレネ……すまなかったな」
「――!」
初めて聞いた言葉だ。
お父様からの謝罪なんて、ループも含めて一度だって聞いたことがない。それも、こんなに優しい声色で……。
なんなんだ……何なのよまったく!
「お姉さま……」
「今さら……遅いのよ。そんなこと言ったって」
「今だからこそ……だ。どうせ、これが……最後……だからな」
命の終わりを告げるカウントダウンが始まったような気がした。
私の瞳は潤み、視界がかすれていく。瞳に溜まった涙が頬をゆっくりと流れる。地面に落ちてしまう我慢するように。
「セレネ……これからは、自由に生きればいい」
「何よ、そんなこと……」
「ああ、お前はもう、自由に生きている……のだろう? だから、それでいい……何も、気にすることはない」
声が徐々に、聞こえなくなっていく。
私の涙は唇の横まで流れて、あと少しで顎まで届く。
「自由に……好きに生きなさい。お前の……母が……そうだったように」
「言われなくても……そうするわよ」
「そう……か。なら……安心……だ」
「お父さま!」
「ソレイユを……頼む」
「……ええ」
お父様の最後の遺言と共に、私の涙は地面に落ちた。
ソレイユの悲しい叫びがコロシアムに木霊する。
最初から最後まで、とんだ茶番だった。一番の道化は私だろう。結局守られて、愛されていたことさえ、気づけなかったのだから。
【作者からのお願い】
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次回をお楽しみに!






