65.憎しみの獣⑤
「影よ――捕えなさい!」
私は右手をソレイユに向けてかざし、自身の足元にある影を鞭のように操る。影の鞭は撓り、ソレイユに向けて伸びる。
「太陽の輝きよ! 私をお守りください」
対するソレイユは胸の前で祈るように手を組み詠唱する。
太陽のごとき暖かな光が彼女の周囲を包み込み、強固な結界となって私の影から自身を守った。
結界に阻まれた影の鞭はソレイユの周りで漂う。再び攻撃を繰り出しても、結界に阻まれてソレイユには届かない。
「やるわね、ソレイユ」
「いっぱい、特訓しました!」
「そう、健気だわ」
太陽の異能……お父様が使っていたものと同じだけど、残り香とは比べ物にならない力の強度ね。
あらゆる障害から対象を守り強化する太陽の光。そして……。
「日の炎よ!」
ソレイユの頭上に、オレンジ色に輝く炎の球体が出現する。
まるで小さな太陽がそこにあるような熱気と圧力。球体から漏れ出る炎が渦を巻き、私に向かって押し寄せる。
私は左手を前にかざす。
「呑み込みなさい」
前方に影の壁を生成し、放たれた炎の渦を防ぐ。ただ防いでいるわけではなく、影の中に炎を吸収し、別の場所へ逃がしている。
直感的に、単純な防御の壁では突破されるような予感がした。だから影で攻撃を移動させるように切り替えた。
太陽の異能は強力だ。単純な火力だけなら、全ての異能の中でも最強とも言っていい。もし、全盛期のお父様が魔獣討伐に参加していたのなら……もっと手早く決着はついたでしょう。
相手がソレイユでも、太陽の異能を使いこなしているなら油断はできない。
ただ……。
「影よ、追え」
攻撃が止まったタイミングを見計らい、私は影を操りソレイユを攻撃する。防がれた初撃を考慮しつつ、攻撃の速度と強度を向上させた。
加えて攻撃する場所もピンポイントに、一か所に複数の攻撃を当てる。
いかに強固な結界であろうと耐久性があるのであれば破壊することは可能だ。ソレイユの結界にバキバキと日々が入り、彼女は慌てて炎を放つ。
攻撃で私の意識を防御に向けるつもりみたいだけど、甘すぎるわ。そんな中途半端な攻撃なんて、軽く影であしらってあげれば躱せてしまう。
明らかにさっきの攻撃よりも威力が弱かった。
連続で出し続けると威力が下がる?
私はそうじゃないことを知っている。お父様が操る炎をループの中で何度も見せられ、時に自らの身体で味わった。
太陽の異能はこの程度じゃない。
弱い理由は、明白だ。
「ふざけているの? ソレイユ」
「――!」
「気づかないとでも思ったの? 私相手に手加減なんて……何を考えているのかしら?」
「……」
ソレイユは口を噤む。
戦いが始まる直前の覇気はどこへやら。
彼女の攻撃から一切の敵意が感じられない。その瞳からも、わずかに見せていた戦意がいつの間にか消えてしまっている。
さっきの攻撃も、私の攻撃に耐えかねて反射で放っただけだ。
「勝つ気がないなら降参しなさい。でないと怪我をするわよ」
「……でき、ません……」
「……それはお義母様の命令だから?」
ソレイユは回答を詰まらせる。
その通りです、とはさすがに言えないでしょう。シオリアが見ている前で、自分は言われてやっただけですとは口にしない。
彼女は甘くて優しすぎるけど、変に意志は固い性格だから。
一度決めたことを、簡単に投げ出すような子じゃないことを、私はよく知っている。そういう性格にシオリアが漬け込んだのだとしたら、少しだけ不愉快ね。
おかげでこんな茶番を演じているのだから。
「お母さまのためだけじゃありません」
「そう? じゃあ何のためにそこに立っているのかしら?」
「……お姉さまを……取り戻すんです」
「――何を言っているの?」
ソレイユの口から漏れた言葉に、私は首を傾げる。
私を取り戻すと言った。一体どういう思考が働いて、そんな言葉を口にしたのだろう。その疑問は、彼女自らの言葉で明かされる。
「私が知っているお姉さまは……とても優しい人だった」
「そう見えていたなら勘違いよ」
「違います! ずっと見ていたからわかります! お姉さまが本当は優しい人だって! でも、今のお姉さまは苦しそうです」
「苦しい?」
ソレイユには、そんな風に見えているのね。
本当は優しい私が、無理をして強く振舞っているだけだと……。
私は笑ってしまう。まったく、見当違いもいいところだわ。
「私は自分の意志で行動しているのよ。苦しかったのはむしろ、こうなる前だわ」
「――! お姉さま」
「来なさい、ソレイユ。貴女の考えが間違っていることを教えてあげる」
「……太陽の炎よ!」
ソレイユの頭上に再び小さな太陽が生成される。
大きさも、発する熱量も先ほどとは明らかに違う。真剣な瞳からはうっすらと涙が零れ落ち、決意するように拳を握る。
ようやく本気で私に攻撃する気になったみたいだ。私は心の中でホッとする。そうでなければ意味がない。
彼女の勘違いを正すなら、その全てを受け止めて、上回ってこそ……。
「見せてみなさい。貴女の本気を」
「……いきます! 私が勝ったら、優しいお姉さまに戻ってください!」
「――ふっ」
豪炎を前にしても笑ってしまう。
優しいなんて勘違いをされて……私の性格を決めつけられているのに、不思議と苛立ちを感じないのはなぜだろう。
どうしてだろう?
ほんの少しだけ、その勘違いが嬉しいと思ってしまうのは。
私は目を瞑り、自分に問いかける様に胸に手を当てる。
「影よ……全てを呑み込め」
迫る太陽の光と炎。その全てを、私の影が呑み込んでいく。
一切の光が届かない漆黒に、音も迫力もなく消えていく様は、まさしく絶望と呼べるだろう。
眩しいほどに輝いていた小さな太陽は消失し、ポツリと残された彼女は、膝から崩れ落ちるようにしゃがみこんでしまう。
そんな彼女の前に、ゆっくりと私は歩み寄る。
「私の勝ちよ、ソレイユ」
「……どうして、お姉さまは変わってしまったのですか……」
しゃがみこんだ彼女の膝に、ぽつりぽつりと涙の雨が降っている。戦いの場で情けなく、敵を前にして涙を流すなんて……本当に滑稽だわ。
呆れて笑ってしまうほどに。
「勘違いもほどほどにしなさい。私は何も変わってなんていないわ」
「そんなわけありません! お姉さまはきっと何かに取り憑かれてしまったんです! そうじゃなかったら……こんなに変わってしまうなんて……」
「取り憑かれた……ね」
彼女にはそう見えたのでしょう。
あの日、異能を見せつけお父様と決別した時も、彼女は同じようなことを言っていた。優しいお姉さまに戻ってください……と。
彼女の記憶の中にいる私は、確かに優しかったのかもしれない。ループを経験する前のことは、もう遥か昔のことのように思えてくる。
思い返せば……そうだった。
誰もが私に辛く辺り、邪魔者扱いする屋敷の中で、彼女だけが唯一……変わらず接してくれた。
私が妾の子供だと知った後も、いつもみたいに無邪気に、お姉さまと呼んでくれた。私の出自なんて関係ないと、言ってくれているように……。
だから私も、彼女には優しく接しようと……できるだけ笑顔でいてあげようとしていた。我ながら健気だった……あの頃の私は、甘かった。
「ソレイユ、貴女には感謝しているわ」
「お姉……さま……?」
「けど、私は私なの。信じられないかもしれない。それでも……今、貴女の目の前にいる私こそが、本当のセレネ・ヴィクセントよ」
「っ……私は……」
彼女が流す涙は、とても悲しくて冷たく感じる。触れなくてもわかってしまうのは、姉妹だからなのだろうか。
いいや、きっと私の中に罪悪感が残っているからだ。
私のことを最後まで慕ってくれていた妹に、悲しい顔をさせ、不本意に戦わせて、涙まで流させてしまったことに。
それでも私は進まなくちゃいけない。妹の涙がしみ込んだ地面を踏みつけて、このふざけたループを抜け出すために。
私は立会人へと視線を向ける。
「勝負はついたわ」
「は、はい! ソレイユ様の戦意喪失につき、勝者はセレネ様となりました!」
立会人の声が響く。決闘の勝敗が決まったのに、歓喜も拍手の音も響かない。ただ静かに、立会人の声が響く中でたたずむ。
ようやく終わった。この馬鹿げた茶番劇が。
私が小さくため息をこぼすと、パチパチパチと拍手の音がコロシアムに響く。
すぐに視線を向けた。拍手していたのは彼女だ。
「おめでとう、セレネ」
「お義母様……」
「ソレイユもよく頑張ったわね。二人ともとてもいい決闘だったわ」
「……気持ち悪い」
思わず声に漏れてしまった。
ずっと思いながら我慢していた言葉が、このタイミングで口から出たのは、心底気持ち悪いと思ってしまったからだ。






