61.憎しみの獣①
国王しか入ることのできない地下の部屋。
多忙な国王が唯一、確実に一人になれる場所でもあり、秘密のお話をするにはピッタリな空間でもあった。
ユークリス・ヴェルト。幼い国王が私とディルの前で、頭を下げている。
「すみませんでした。兄さん、セレネさん」
「頭をあげてくれ、ユークリス」
「でも、ボクのせいでお二人にご迷惑をかけてしまいました」
「お前のせいじゃないだろ?」
「いえ、ボクのせいです。ボクがもっとしっかりしていれば……」
彼が私たちに謝罪している理由は、シオリアにゴルドフが味方した一件に関してだ。ゴルドフは国王からの命令に従い、シオリア陣営に加わっている。
もっとも、私たちが予想した通り、ユークリスは……。
「お前が指示したわけじゃないってことくらい、俺たちはわかってるから」
「……」
ユークリスは口を紡ぐ。
彼が私たちにゴルドフを嗾けたわけではなく、彼の代わりに政治的決定を下す大臣たちが、国王の名を使って命令したことに過ぎない。
彼自身がこのことを知ったのは、ヴィクセント家内の対立が噂になった後だった。
「それでも、ボクに力がなかったせいです。ボクがまだ子供だから……」
「それは……」
「仕方がないことでしょ? 年齢なんて好きに重ねることはできないんだから」
「セレネさん……」
落ち込むユークリスを見て、少し苛立った私は口を出してしまった。本当は何も言うつもりはなかったのだけど。
「貴方に責任がないわけじゃないわ。けど、決定したのは貴方自身じゃない。だったらもっと怒るべきでしょう? 勝手なことをしないでって」
「……そうですね。怒れれば……よかったですね」
ユークリスは申し訳なさそうに視線を地面へと向ける。
そういえば、彼が怒っているところを見たことがない。出会ってから短いし当然だろうか。というより、怒っている彼を想像できない。
もしかすると彼は、怒りたくても怒れない、のかもしれないわね。
つくづく、国王というのは面倒な立場だわ。十二歳の子供が、立つべき場所じゃない。
「なぁユークリス、お前から言って、今からゴルドフへの命令を覆すことはできないのか?」
「すみません。難しいと思います」
「どうして? 国王の決定なら、国王に覆すことだって可能でしょう?」
私とディルの質問に、ユークリスは悩みながら返答する。
「本来は、そうです。でもボクはまだ子供なので、国政に関して口出しができないんです」
「本当にお飾りの王様なのね」
「はい。そうなんです」
彼は情けなく、辛そうな笑みを浮かべた。
きっと私が知らないところで、様々な苦労をしているのでしょう。十二歳の小さな子供の背中に国民は期待する。だけど、彼自身は何も決めることができない。
決めたくても、周囲が許してくれない。なんて不自由……。
「じゃあ、国政に口出しをできるのは大臣たちだけなの?」
「いえ、主に支持を出しているのは姉さんです」
「姉……ああ、パーティーの時、貴方の隣に立っていた人ね」
「はい。普段は姉さんがボクの代わりに、国王としての仕事をしてくれているんです」
ユークリスの姉、ギネヴィア・ヴェルト。
政治に興味のない私でも、名前くらいは知っている人物だ。年齢は確か、私と同じか一つ上くらいだったはず。
つまり、ユークリスにとっては姉であり、ディルにとっては妹ということになる。
「今さらだけど、どんな人なの?」
「そうですね。姉さんはとてもまじめな人で、すごく頭がいいです」
「そう、どこかのお兄さんとは正反対みたいね」
「誰のことだろうなぁ」
ディルは隣でわざとらしく、わからないふりをしながら目を逸らす。ふと気づく。ディルはユークリスの話はするけど、妹であるギネヴィアの話はしない。
一度も、彼の口から話を聞いていない。だから私も、二人の間にもう一人、王族の女性がいることを忘れていたくらいだ。
気になった私は、何気なくディルに尋ねる。
「貴方、妹と仲が悪いの?」
「直球だな」
「違うの?」
「違う……別に仲が悪かったわけじゃない」
よかったわけでもない、と続きそうな言い回しをディルはする。
彼は小さくため息をこぼし、何かを確かめる様にユークリスに一度だけ視線を向けてから、私のほうへ顔を向ける。
「あいつとは昔から、馬が合わなかったんだ」
「やっぱり仲が悪かったのね」
「だから違うって。そう単純な話じゃないんだ。なんというかあいつは……いろいろと合理的なんだよ」
「合理的、ねぇ」
ディル曰く、ギネヴィア・ヴェルトは王としての素質を二人以上に有している人物だという。
気品あふれ、計算高く、知略に飛んで、多くの支持者を従える。まさに、上に立つために生まれてきたよう存在だと……。
しかし、彼女には唯一足りないものがあった。
それが異能だ。この国の王になるための絶対条件は、王の異能を開花させていること。他の全てが揃っていても、異能がなければ王の器とは呼べない。
現代において、王に相応しいのは結局……ここにいるユークリスだった。
「だから、仲が悪くなったの?」
「違うさ。そもそも俺たちが異能に目覚めた時点で、あいつは俺のことを忘れているんだ」
「そうだったわね」
「ああ。合わなかったのは性格的に最初から……けど、合わなかったというだけで、嫌いだったわけじゃない。少なくとも俺のほうはな」
向こうはどう思っていたか知らないし、今となっては知る方法もない。と、ディルは少しだけ寂しそうに続けた。
彼は彼で、妹であるギネヴィアのことを考えていたのだろう。口に出さなかったのは、彼女なら心配する必要がないから、だろうか。
「じゃあ、今回の決定にギネヴィアが関わっているということね」
「十中八九そうだろうな」
「間違いないです。ボクから姉さんに確認して、自分が指示を出したと言っていましたから」
「直接聞いたのね」
「はい……どうしてそんなことをしたのか尋ねました。そしたら姉さん、顔色一つ変えずにこう言ったんです」
ヴィクセント家の当主は太陽の守護者のほうが相応しい。私たち王族にとっても、そちらのほうが都合がいいわ。
「都合がいい……ねぇ」
「はい」
「そう、確かに合理的かもしれないわね」
太陽の異能には他者を強化する力がある。対して影の異能は、不吉の象徴とされて知る者からは忌み嫌われている。
二人が対立した場合、どちらに味方をしたほうが今後の自分たちに有益か否か……。
私が彼女の立場でも、同じような選択をしたでしょう。容易に軍隊を作ることができ、他の貴族からも支持されるであろう太陽の守護者のほうが、国にとっても有用だ。
そう考えると、別に責めるような行いじゃない。彼女はあくまでも、国の未来のために合理的な判断を下しただけに過ぎないのだから。
「ギネヴィア・ヴェルト……」
王としての素質を持ちながら、異能の有無によってその資格を得られなかった王女。幼過ぎるユークリスに代わって、国政を束ねる実質的な支配者。
ディルとはそりが合わない妹……少しだけ興味が湧いてくる。会って話をしてみたい気持ちはあるけど、それは今じゃない。
いずれ必ず、私たちは話す機会に恵まれるはずだ。その時を楽しみにしておきましょう。
「ゴルドフの件はもういいわ。覆らないなら正面からぶつかるしかないもの」
「ぶつかるのは俺たちじゃないけどな」
「ええ、それが不幸中の幸いだわ」
「本当によかったですね。協力者が名乗り出てくれて」
ユークリスの言葉に、私とディルは深く同意して頷いた。
決闘の三人目、最強の守護者ゴルドフ・ボーテンの相手に、命知らずにも名乗りを挙げてくれた人物に、私は珍しく素直な感謝をしている。
水の守護者アレクセイ・ワーテル。性格的には合わないし、あまり好きではない男だけど、私たちのために戦ってくれることに感謝している。
もっとも、未だに私のことをフィアンセと呼ぶところは、いい加減改善してほしいわね。
私は小さくため息をこぼす。
「これで勝機が生まれたわ。というより、勝利がほとんど確定したわね」
決闘は三対三の対抗戦。一人ずつ戦い、最終的に勝利数の多い陣営の勝ちとなるシンプルな形式だ。ゴルドフとの戦いは最初から捨てるとして、ディルと私が勝利すればいいだけの話。
「わかっていると思うけど、貴方が負けたら全部終わりよ? ディル」
「わかってるって。変にプレッシャーをかけないでくれ」
「負けるはずないわよね?」
「プレッシャー……」
ディルの相手は親衛隊の隊長だ。当日は太陽の加護を得て強化されていること。ディルが全力で戦えないことを考慮しても、彼が負けるとは考えられない。
ディルは以前、世界最強と言われているゴルドフにも勝利している。どんなルール上であろうとも、彼が負けることはない。
私はそう、確信している。
「頑張ってください。兄さん」
「ああ、頑張るよ。負けられないからな」
「そうよ。負けられないわ」
ディルが負けた時点で、私たちの敗北が決まってしまうようなものだ。決闘に敗れれば、私は当主としての地位を失う。
当主の座そのものに思い入れはないし、固執するつもりはないのだけど、今の立場が私たちの目的を達成するために、一番都合がいい。
他の守護者たちと対等に接し、適度に自由に行動できるこの場所を失うわけにはいかない。
「勝つわよ。必ず」
「ああ。お前のほうこそ大丈夫なのか? 相手は……」
「誰の心配をしているのかしら?」
相手は私の妹、ソレイユだ。彼女が本気で、私との戦いを望んでいるとは思えない。シオリアに利用されているだけだと思う。
それでも、理由なんて関係ない。
「私の前に立ちふさがるなら、誰であろうと容赦しないわ」
たとえそれが、妹であってもだ。
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