44.私を殺して
今から百二十年ほど前。
彼女はフルシュ家の当主となった。
フルシュ家では代々女性が異能に選ばれるため、当主も女性しかいない。
当たり前のように異能を宿し、名家の男と婚姻を結び、順風満帆な日々を送る。
しかし、悲劇は起こった。
彼女は子供が生めない身体だったのである。
事実を知ったところで手遅れ、どうしようもなかった。
異能は親から子へと受け継がれる。
他人に宿ることはなく、自分の意思で受け渡しをすることもできない。
だからこそ、守護者の家系にとってもっとも重要なことは、異能を宿せる子供を残すことだった。
彼女はそれが果たせない身体だった。
様々な手段を試した彼女だったが、ついぞ解決することはなかった。
自分の代で異能を絶やしてしまう。
彼女は恐怖した。
こんなことが世間に知れれば、どれほど激しい非難をされるかなど想像するに余りある。
時間が経つにつれ、周囲から不安の声があがる。
フルシュ家はいつになったら世代交代をするのだろう、と。
不安は疑惑に変わっていく。
歳を重ねるごとに疑いの目は多くなる。
次第に彼女が感じる恐怖も膨れ上がった。
だから、彼女は隠した。
自らの異能を駆使し、偽りの後継者を作り上げた。
それを次の世代、また次の世代と続けている……。
「それが今の私なの。実際の当主は、もう四代前から変わっていないわ」
「にわかに信じられないな」
「ええ、でも……」
ここにその証拠が眠っている。
二度と目覚めないような深い眠りの中に彼女はいる。
信じられなくとも信じるしかない。
「つまり、本当の貴女は……」
「ええ。今年で歳は百四十を超えたわね。貴女の七倍くらいは年上よ」
おかげで彼女の不気味さがよりわかった。
人形と話しているからだけじゃない。
見た目とは大きく差のある年季に、私は無意識に萎縮していたみたいだ。
百を超える老人を相手に、なんて横柄な態度をとっていたのかと。
今さら反省したところで意味はないし、態度を改めるつもりもないのだけどね。
「会議で協力を断ったのもこれが理由ね」
「そうよ。私の本体はここから動けないわ。人形を移動できるのも、私の異能が及ぶ範囲だけなの。この森の木々の根は、地中で王都とも繋がっている。だから王都とこの森の中だけは自由に移動できるわ。話に上がった街には、残念ながら力が届かないの」
納得した。
これなら理由も話せないし、一大事でも協力はできない。
知ってしまえば仕方がないと思えることでも、言えない理由があるから理解されない。
大変な事情を抱えている。
「事情はわかったわ。それを話して、私に何をさせたいの? なんの理由もなく私に真実を話したわけじゃないのでしょう?」
「ええ、もちろんよ。このことを知っているのはフルシュ家でも一部の信頼できる者たちだけ。外部の人間で知っているのなんて、貴方たち二人だけだわ」
「そうでしょうね。軽はずみに教えられることじゃないもの」
それほどの秘密を共有したのだから、相応の願いがあって当然だと思う。
彼女は呼吸を整え、一呼吸おいて話し出す。
「貴女に話したのは、やってほしいことがあるからよ」
「何をしてほしいの?」
私が尋ねると、彼女は徐に自分の本体に視線を向ける。
「さっき話した通り、私の本体は百四十を超えたわ。人間の寿命はとっくに超えている……それでも生きているのは、異能の力で延命しているからなの」
「森の異能、癒しの力ね」
「ええ。森は生命で溢れているわ。その力を少しだけわけてもらうことで、私の命を繋ぎとめているの。ただ……不老になったわけじゃない。限界なのよ、もう」
彼女は悲しそうに微笑む。
命の終わり、死を感じている。
驚きはしない。
年齢を聞き、彼女の身体を見れば明らかだった。
癒しの力をもってしても、老いから逃げることはできなかったのだ。
「当然だけど、本体が死ねば人形も消えるわ。そうなれば最後、フルシュ家の異能は途絶えてしまう……それだけはダメ。私が生き永らえてきたのは、異能を絶やさないため! 待っていたのよ、貴女を」
「私を?」
「そう。私は知っているわ。貴女のもつ影の異能には、他の異能を吸収する力があるわね」
「――!? どうしてそのことを」
ヴィクセントでも私しか知らない影の異能の力。
まさか彼女が知っているなんて。
「伊達に長生きしていないわ。その力を使えば、私から異能を取り出せる。そしてそれを、他人に渡すこともできるわ」
「他人に渡す? そんなことしたことないわ」
と言いながら、出来ないとも思えなかった。
ただの感覚でしかない。
吸収とは真逆の、例えば石板に力が吸われた時の感覚に沿ってやればできるかもしれない。
異能の力の完全吸収も、対象が抵抗せず受け入れた状態なら可能だ。
「もうじき、私は分家の人と婚姻を結ぶわ。その人は私の事情も知っている。婚姻は形だけ、実際には別の方と子供を設けて、その子を本家の子として扱うつもりでいるわ」
「その子供に異能と移してほしい、と言っているのね」
「ええ」
「わかっているのかしら? そんなことをすれば貴女は死ぬわよ」
彼女の命は異能で延命している。
異能を失えばどうなるかなんて、考えるまでもない。
彼女はわかっているのだろうか。
自分が死ぬということを。
いいや、そこじゃない。
わかっているの?
貴女は――
「私に自分を殺せと言っているのよ」
「……ええ。そうよ」
彼女は偽りなく、まっすぐ私を見つめて言う。
「貴女に私を殺してほしい」






