42.深窓の令嬢
森の守護者ミストリア・フルシュ。
彼女の本宅は、世界最大の森林の奥地にある。
正確な位置は公表されておらず、フルシュ家の人間以外はたどり着くことも困難とされる。
広大な森は彼女の領域であり、そこで生きる動物たちも彼女の傘下。
部外者を惑わせ、外敵を排除する。
故に、勇気ある者を除き、誰も森には近づかない。
「ここがフルシュの大森林ね」
「ああ」
「自分の家名を森の名前にしてしまうなんて。この森が自分のものだとでも主張したいのかしら」
「実際その通りだろ。ここはフルシュ家の領地だ」
夜も遅くなり、静けさが漂う森の中に私たちは踏み入る。
王都で見かける木々よりも数段高い木が生い茂り、空に輝く星々や優しい月明かりを遮る。
「不気味な森だな」
「そう? 夜なのだから当然じゃないかしら?」
「時間帯の話じゃない。生えてる木も見たことない種類ばかりだぞ。それにさっきから……」
「ええ、気づいてるわよ」
森に入った直後から、ずっと視線を感じている。
一つや二つじゃない。
まるで森全体から監視されているような……。
「動物か?」
「だけじゃないわね。おそらく異能で私たちを見ているのでしょう。動物たちが襲ってこないのは、彼女が言いつけているからかしら」
「だといいがな。で、これ結局どこに屋敷があるんだ?」
「さぁ?」
「おい、まさか……」
「そういえば場所は聞いていなかったわ」
彼女が私に伝えてきたのは一言だけ。
屋敷の場所なんて話していないし、もちろん私も知らない。
やれやれとディルがため息をこぼす。
すると、前方からざざっと何かが迫る足音が聞こえた。
「何か来るぞ」
「そうみたいね」
お互いに警戒を強める。
暗闇の中で光る瞳。
人間の腰の高さくらいに目がある動物で、一匹ではなく複数匹が集まっている。
暗い中でハッキリとは見えないけど、木々の間から差し込む月明かりが先頭の一匹を照らした。
「狼か」
「その群れね」
狼は肉食の猛獣。
人間を襲うこともあるという。
私たちは身構え、にらみ合う。
数秒経ち、襲ってくる気配はなかった。
狼たちは背を向ける。
そのまま何もすることなく立ち去っていく。
「何だったんだ?」
疑問に感じた私たちに、狼は立ち止まり振り返る。
まるで――
「ついてこいって言ってるのか?」
「狼の言葉がわかるの?」
「いやわからないけど、雰囲気的にそうかなと思って」
狼は私たちが動くのを待っているようだった。
立ち止まり振り返ったまま待機している。
普通ならありえないことだけど、この森は普通とはほど遠い。
異能によって監視され、動物たちも彼女に従っている。
「行きましょう。案内してくれるというなら」
「そうだな。どの道、適当に探しても迷うだけだ」
私たちが歩きだしたことを確認すると、狼は前を向き進み出した。
本当に案内してくれている?
これも彼女が下した命令なのだとしたら……恐ろしい。
動物たちを従える……。
すなわちその気になれば、彼女は容易に軍隊を所持できるということだ。
しばらく進む。
狼たちに案内され、森の奥へと入っていく。
風景は徐々に変わっていった。
木々の種類も変化し、一本あたりも巨大になっている。
自分の身体が小さくなったと錯覚してしまいそうだ。
道中、猛獣たちの姿を見かけたが、一匹も襲ってくることはなかった。
いつでも迎撃できるよう警戒していた私とディルは、次第にその警戒を緩めていく。
そして――
「ここが……フルシュ家?」
「みたいね」
森の中にぽつんと一つ、古い屋敷が建っていた。
大きさは私の屋敷と変わらない。
ただ異様に古い。
壁や屋根にツルが巻き付いているし、所々に緑のコケも生えている。
ストレートな言い方をすれば、汚い。
「本当にここで合ってるのか?」
「入ってみればわかるわ」
いつの間にか案内してくれた狼たちの姿がなくなっていた。
扉はわかりやすく正面にある。
私たちは屋敷へ近づく。
古い扉が音をたてて開くと……。
「いらっしゃいませ」
一人のメイドが出迎えてくれた。
どうやらここで間違いなかったみたいだ。
「お待ちしておりました。セレネ・ヴィクセント様でお間違いありませんか?」
「ええ」
「それでは当主のところへご案内いたします」
狼の次はメイドに案内され屋敷の中を進む。
屋敷の中は外観ほど古くはなく、清掃もいき届いて綺麗だった。
使用人たちも多く働いている。
見るからに普通の屋敷、貴族の暮らしの光景……ただどうしてだろう?
違和感があった。
何かが違うような……。
「おい。一応伝えておくぞ」
「どうかしたの?」
「こいつら全員、人形だ」
「――!」
そういうこと。
違和感の正体は屋敷ではなく使用人たちだったのね。
ディル曰く、屋敷の中から人間の匂いがしないという。
つまりここは人間の屋敷ではなく、人形たちの屋敷なのだ。
「当主様、お客様がお見えになりました」
「――お通しして」
「かしこまりました」
部屋の前で言葉を交わし、メイドが扉をあける。
その先で彼女は待っていた。
椅子に座り、私たちにニコリと微笑む。
「ようこそ。ヴィクセントさん」
ただの笑顔。
私にはそれが不気味に覚えた。
森の奥深く、人形たちと暮らす彼女は……異常だ。






