35.もう一度どこかで
ディルは重力の中を駆けた。
目で追えない速度で。
今も尚、重力による制限は機能している。
にもかかわらず、今の動きは――
「その速さ! まだこれほど動けたのか!」
驚くゴルドフに、ディルは連続で拳を叩きつける。
いつの間にか両手の剣は消え、拳の表面を血液で覆い肉弾戦を仕掛ける。
ディルの動きが戻っている。
まさか今までは手加減していた?
私にはそんな風には見えなかった。
ならどうして、この重力の中であれほど動けて――
疑問の答えは一瞬だけ見えた彼の腕にあった。
拳の先、手首をこえ腕の奥まで血の線が伸びている。
そういうことね。
彼は血液で肉体を補強している。
素の力だけでは抗えない重力に、血液操作の力を連動させることで身体能力を向上させた。
両手の剣を解除したのも、血液を肉体の補強に回すため。
「そういうことか!」
戦いの中でゴルドフも気づいた様子。
ディルの拳を剣で受けながら反撃するが、元通りになった速度の前に翻弄されてしまう。
どうやら重力操作を発動中は、大地を操る力は使えないようだ。
かといって重力を解除すれば、ディルを抑えるものがなくなる。
解除した瞬間、これまでの数倍の速度に対応しなくてはならない。
必然、彼は重力を解除しない。
だが肉弾戦ならば――
「ぐっ……」
ディルのほうが強い。
圧倒的な速度を前に、ゴルドフは防御で手一杯になる。
形勢は逆転した。
このままいけばディルが勝利する。
もちろん、このままいけばの話だ。
相手は世界最強の騎士。
これで終わるはずがないことは、私以上に彼が知っている。
故に決して攻撃の手を緩めない。
ゴルドフが倒れるまで、拳を握り殴り続ける。
細かい打撃を受けてダメージが蓄積された今、大きい一発が入れば倒れるだろう。
その一発を打ち込むため、ディルは勝負に出た。
正面から真っすぐに、ゴルドフの懐へ踏み込む。
「させるか!」
その瞬間、ゴルドフは重力を解除した。
重力を解除することはすなわち、ディルの縛りを解き放つことになる。
血液による強化によって、彼の速度は数段階上の次元に至っていた。
が、だからこその隙が生まれる。
ディルも予想外だったのだろう。
このタイミングで重力を解除されることは。
想定以上の速度が出たことによって、攻撃のタイミングがずれる。
ズレたタイミングを戻すため、ディルはブレーキをかける。
「おおお!」
そこにゴルドフが斬撃を合わせた。
捨て身の一撃だった。
防御を捨て、刺し違えてでも倒すという強い意思が籠った一撃にディルも応えた。
ブレーキをやめ、一瞬のうちに加速して拳を振るう。
「ごあっ!」
「くっ――」
ゴルドフの斬撃は肩に、ディルの拳は腹部に。
ほぼ同時に直撃した。
数秒の静寂が場を支配する。
そして――
「強い……な」
敗者は剣を手放し、倒れ込む。
残った勝者は拳の力を緩め、大きく息を吸う。
「こっちのセリフだ。まったく、強すぎなんだよ」
倒れたゴルドフを前に、ディルは仮面を外して呟いた。
戦いはディルの勝利で終わった。
私はゆっくりと二人に近づく。
「ご苦労様ね」
「……一言だけか? もっと他に労いの言葉とかないのか?」
「なに? 格好良かったわ、とか言って欲しかったの?」
「――いや、それは予想してなかった」
ディルは安堵した笑みをこぼす。
死闘を終えた後だからか、普段よりも雰囲気が砕けている。
「強かったわね」
「ああ。間違いなく世界最強だ」
「あら? 勝ったのは貴方でしょう? だったら最強は貴方のほうじゃなくて?」
「……違うさ。俺は怪物だからな」
人の基準には入れない。
そう言って彼は首を傾ける。
「そう。貴方はそれでいいのね」
「ああ、それより後は頼むぞ? ここまでやったんだ。失敗なんて勘弁だぞ」
「わかっているわ」
「ならいい。じゃあ俺は先に帰る」
背伸びをしながらディルは私に背を向ける。
その後ろ姿は気だるげで……だけどどこか楽しそうに思えた。
だから気になった。
「ねぇ。この人が知りたがってた質問の答え、教えてもらえない?」
「……ん? なんのことだ?」
彼は振り返らず立ち止まるだけ。
「……やっぱりいいわ。また後で」
「おう」
話す気がないなら、聞いたところで無駄ね。
勘だけど、いずれ聞かなくてもわかる日が来る気がした。
それまで待っていてもいいと思う。
「さて」
この人が起きる前に、必要なことは済ませましょう。
◇◇◇
「ぅう……」
「お目覚めですか?」
「――! ああ、生きているんだな。俺は」
「ええ」
夜空の下、眠っていたゴルドフが目を覚ます。
彼はゆっくりと身体を起こす。
「ここは?」
「森の外です。私の力で安全な場所に移動しました」
「そうか。すまないな。それで……あの男は?」
「逃げました。深手は追っていましたがさすがの速度で、私では捕らえられませんでした」
「そう……か。お互いに無事ならそれでいい」
ゴルドフは立ち上がろうとして、足に力が入らず尻もちをつく。
「まいったな。立てない程とは……」
「仕方ありません。それほどの戦いだったのですから」
本当は私が力を吸収したから、余計に疲れたのだろうけど。
改めて恐ろしい。
最後の、ディルの拳を腹部で受け止めて外傷だけで済んでいる。
あんな攻撃を受けたら普通、内臓までダメージがいくはずなのに。
「本当によくご無事で」
「紙一重だった。俺の剣で動きを止めていなければ、あの拳は腹を貫いていた。あちらも深手を負ったのなら、当分は大人しくしているだろうが」
「ええ」
実際はもう回復している頃でしょう。
残念ながら相打ちにすらなっていない。
彼は不死だから。
「また逃がしてしまったな……だが次は勝つ。もし先にあの男が現れたら伝えておいてほしい。俺がいつでも相手になると、な」
「はい。そうします」
どうしてこの人は楽しそうなのだろう。
人々を守るために剣を振るう騎士。
けど、それだけじゃなくて、この人は求めていたのかもしれない。
自分の全てをぶつけられる相手を……。
ただ、今の話をディルにしたらきっと――
勘弁してくれ。
そう答えるでしょうけどね。






