18.月の守護者
漆のような黒い髪。
ルビーよりも濃くて暗い赤い瞳。
月明かりは弱すぎてよく見えないけど、肌が焼けていないことはわかる。
野盗の類かと思ったら、顔立ちは整っていてそうは見えなかった。
何より驚いたのは、彼が唐突に戦意を消失したことだ。
今はもう、殺気も敵意も感じない。
「はぁ、疲れた。久しぶりにこんな動いたな」
そう言って膝の力を抜き、倒れるように尻もちをつく。
戦いは完全に放棄した姿勢と態度。
死を受け入れた私にとって、この態度には困惑を隠せない。
「なんなの……貴方は」
「ああ、悪いな。見ての通り、俺はもう戦う気なんてないよ。逃げたきゃ逃げればいいし、憂さ晴らしに攻撃したいならどうぞご自由に。どうせ殺せないからな」
「すごい自信ね」
「自信じゃなくて確信だよ。誰にも俺は殺せない……からな」
口から洩れた言葉は切なく、彼は悲し気に夜空を見上げる。
比喩や脅しで言っているわけじゃないのは明白だった。
と同時に、彼の思いを理解する。
「本気で、私に殺してほしいと思っていたのね」
「ああ、本気だったよ。誰も俺は殺せない。けど、君ならもしかしたら……って思ったんだ。結果はこの通りだ。また死ねなかった」
彼は大きなため息をこぼす。
心から残念がっている。
「ため息をつきたいのはこっちよ。思いもしなかったわ。殺してほしいなんて、初めて会ったばかりの他人にお願いされるとか」
「ははははっ、そうだよな。悪い。変なことに巻き込んで」
彼は無邪気な笑顔を見せる。
こうして会話をしているだけなら、とても恐ろしい怪物には見えない。
ただの人間、普通の男の人。
言葉の端々から諦めを感じること以外は……。
「そうよ。そういうお願いは一人で十分だわ」
「え? どういう意味だ? 俺以外に殺してほしいなんて言った奴がいるのか?」
「ええ、いたわ」
「へぇ……それ、誰か聞いてもいいか?」
一瞬だけ考えた。
その人物が立場ある相手だから。
ただ、口止めされているわけじゃない。
「この国の王よ」
夢の中に誘われ、王となった少年との邂逅。
そこで彼は私に言った。
ボクを殺してくれませんか?
とても十二歳の子供がする願いではなかった。
意図も語らない。
だから断った。
言ったところでどうせ信じないだろう。
そう思って軽く答えた。
彼は驚いたように両目を見開き、数秒呼吸を忘れて固まっていた。
「そう……か。あいつ、まだそんなこと考えてるのか」
「え?」
彼は懐かしむように目を瞑る。
ただの驚きとは違う。
わずかに納得しているようにも見えて、とにかく不自然な反応だった。
その反応はまるで……。
「知り合い、みたいに聞こえるわね」
「知り合い以上だよ」
「どういう意味かしら?」
「ふっ、あいつは俺の弟なんだよ」
軽く微笑んだ。
悲しい笑顔だった。
私はこの笑顔を知っている。
見覚えがある。
ついさっき見せられたばかりの笑顔……。
少年国王と不思議な怪物の顔が、重なったように見えた。
「貴方は……一体誰なの?」
「まだ名乗ってなかったな」
彼は立ち上がり、私と向かい合う。
「俺の名はディル・ヴェルト。ヴェルクシュト王国の元第一王子だ」
「第一王子……?」
「信じられないよな? 俺が王子だったなんて」
「……当たり前でしょう? この国に王子は……一人しかいなかったはずよ」
現国王であるユークリス。
王族として生まれた男子は彼だけだ。
記憶違いはしていない。
私はこれでもループの中で記憶と知識を蓄積している。
王子は一人、彼だけだ。
記憶を信じるなら、彼の言葉は間違いなく嘘。
なのに……私の直感が真逆の意見を告げている。
「信じられないだろうけど事実だ。俺は第一王子だった。あいつが……王の異能に目覚めるまではな」
「異能……貴方のその力も、異能なの?」
「ああ。俺に目覚めた異能は【月】。月の守護者」
「また聞いたことのない名前ね」
月の守護者……。
名前だけなら、太陽の守護者である私の家と関係がありそうね。
「知らないのも無理はない。月の守護者の存在は、王族しか知らない極秘だ。お前の影と同じ理由でな」
「なんですって?」
「太陽の守護者の家系に、稀に生まれる影の異能。その存在はかつて災厄を呼んだ。だが、もう一人いたんだ。影が生まれた時代に、王に叛逆した者が」
「それが、月の守護者だっていうの?」
彼は小さく頷く。
にわかに信じられない。
彼の話には根拠が欠けている。
唯一の根拠は、彼が持つ異能の力だけだ。
それでは不十分、普通に考えて彼の話は信じるに値しない。
だけど、聞けば聞くほど信じたくなる。
納得なんてできるはずもないのに、妙にしっくりくるような……。
この感覚はなんなの?
「少しだけ昔話をしようか? お前が知らない。王族だけが知る昔話……興味あるか?」
「……ええ。聞かせて」
「長くなるぞ?」
「構わないわ。どうせ今日はゆっくり眠れそうにないもの」
そもそも、帰りが遅くなって心配するような人はいない。
誰に迷惑をかけるわけでもない。
私がいつ帰るかは、私が自由に決めることだ。
それに……屋敷よりも月夜の下のほうが、なんとなく落ち着くの。
「わかった。じゃあ聞いてくれ。俺が生まれた意味を」






