9話 ターゲットはクソガキな件1
「マリー、よく似合っている」
「……ありがとう」
ブラッドリーさんが嬉しそうに笑みを浮かべるなか、私はとても嬉しいです――と装っている。心の中では死んだ魚のような目だ。
白のブラウスの丸えりの左には金色のバッチ。その上にピンクブラウンのワンピースを纏って、くびれには大きなリボン。フレアなスカートの裾からは可愛らしいレースが見える。靴も可愛らしいローファー。
まあなんて可愛いのでしょう。
だがそれを私が着ているのである。
三十路の私が。
殺せ。いっそ殺せ。
今までやってきた訓練とか、捕まった時の尋問から逃げる方法とかのどれよりもメンタル削ってくる。ポッキリ折れるというより、ガリガリと少なくなっていく感じ。
これで露骨に嫌な顔とか出来たならまだ、まだ良かった。自分はこれを着るのが嫌なんです、と主張出来るので。
だけどブラッドリーさんの前で出来るわけないだろう。眉間の皺がログアウトして、めちゃくちゃ喜んでいるブラッドリーさんに言えるわけないだろう。
三十路手前の元カノがロリータファッションして、元カレに可愛い可愛いと言われる。
色々とドン引きされそうな案件ですね。だけど私は見た目は幼女なんです。
そもそもだ。私がブラッドリーさんに「この学校行ってみたい」と言ったのだから、嫌がるのがお門違いというもの。
あの時のブラッドリーさんの喜びようと言ったら。自分の子供が出来たら、倒れちゃうんじゃない? 大丈夫?
転入試験は見事に受かった。ブラッドリーさんの養子ということになっている私は、お父さんはとても立派な人なんです、と熱弁した。ブラッドリーさんは私のことを、誰よりも大切な宝物、なんて言い出すしで、何故かお互いが照れるという事件を抜けば問題なくクリアした。
今日は転入初日。私は今まで体調が優れなくて、学校に行けてなかった設定だ。だからあまり動かなくていいんだって。
やったー。フィオナ、ゴロゴロするのだーい好きー。
そうやって少しでも喜べることを探しながら、今も平静を取ろうとしている。
「マリー。入学おめでとう。これは俺からのプレゼントだ」
ブラッドリーさんが私の前にしゃがんで、高そうな細長い箱を渡してくる。恐る恐る開けると、そこには可愛らしいリボンが二つ。ピンクブラウンのリボンに茶色の刺繍で私のイニシャルが入っている。
フィオナ、まだ発狂するのではない。大丈夫、私ならまだやれる。
「少し髪が伸びてきただろう。これで毎日髪を結ってやる」
「……わーい、嬉しいなぁ」
マジでブラッドリーさん、私を可愛い路線で育てようとするのやめてほしい。
ちなみにブラッドリーさんは私の髪を結うのに三十分かかった。私がめちゃくちゃ難しいリクエストをしたわけじゃない。いたって普通の二つ結び。
まさかブラッドリーさんにこんなギャップがあるとは思わず、母性が刺激されて朝からテンションの高低差に疲れる日だ。
王立マルクス学園に着くと、ブラッドリーさんは教員室へ、私は教室へ案内された。
今日はもう一人、転入してくる子が居るのよ、なんて話してくれたけど、それってもしかしてホーエンさん。
綺麗なピカピカな廊下を歩いていると、男性の教職の方と話している小さな男の子の姿。
あれ。
「マリーちゃん。この子も新しいお友達よ」
「ダニエル・ホーエンです。よろしく、マリー嬢」
そっと手を掴んで、手の甲にキスをされる。
「あらまあ」
女性の教職の方は嬉しそうに声をあげて、男性の教職の方は朗らかに笑っている。
いや。
いやいや。
いやいやいやいや。
「え? そういうキャラでいくんですか?」
「すまない。驚かせてしまったかい?」
「待って。ねえ待って」
「今日からよろしく。マリー・ブラッドリー嬢」
ウインクをして得意げな笑顔のダニエル。
このショタ、ホーエンさんなのは間違いないはずだ。顔のタトゥーはないし、目の色が髪の色と同じ青に変わっているのは魔法だろうとしてもだ。
何そのキャラ。
どこで訓練してきたら、そんな歯が浮くようなショタが爆誕するの??
拒否。断固拒否。いつものホーエンさんがいいです。
審議! 審議を要求!!
だがそんな訴えをここで出来るわけなく、キザ男の笑みを浮かべるホーエンさんと並んで、クラスのみんなの前で自己紹介。
「はじめまして、ダニエル・ホーエンです。ルトブルクから参りました。どうぞよろしく」
「……はじめまして、マリー・ブラッドリーです。サンテールの病院に居ました。元気になりましのでこちらに通うことになりました。よろしくお願いします」
ホーエンさんが最後に王子様スマイルをお見舞いすれば、教室の中の女子は頬を赤らめた。一方、私は虚無顔だ。
この人何がしたいの??
それにファミリーネームも隠さないし、国も隠さないし。恐れ知らず過ぎでは??
ホーエンさんを見つめれば、何を勘違いしたのか「ダニエルと呼んでくれ。マリー」と唐突に距離を縮めてきた。
優男ムーブか? このクラスの女子を全て掌握したいの? まさかホーエンさんって、ロリコ……。
「じゃあマリー・ブラッドリー。あなたはあちらの席に」
「はい」
先生が案内してくれた席へ着く。前と後と右からは自己紹介をされたので、私も簡易的にする。
さてあとは、と左側へ視線を向ければ、机に突っ伏している緑髪の男の子。
どうしたものか。こういうのは初めが肝心って言うし、自己紹介はした方が良いと思う。
「ねえねえ」
トントン、と机を小さく叩く。
むくり、と緑髪の男の子が身体を起こした。
「あっ。マリーちゃん、その子は――」
「え?」
隣の子が何か言ったと同時くらいだ。
ビチャッ。
「ウッ!?」
「アラン・ナルシア! 何をやっているのです!」
「うるせーなぁ。こっちは昼寝してんだよ。起こすんじゃねぇ、このブス!」
「アラン・ナルシア!!」
先生の怒号が響く。でも緑髪の少年はベッ、と舌を出して聞く素振りすらない。
一方私は、頭から何かビチャリと音を立てて机に落ちたものを見つめる。たぶんスライム。それに何の臭い付きの。
とても嗅いだことのある臭いだ。
どこで嗅いだ。
ゆっくりと緑髪の少年を見ると、馬鹿にしている顔。鼻で笑った後に、わざと鼻を摘んでくる。
「くっせ〜! お前、病院じゃなくて下水道から来たんじゃねーの?」
ああ下水道。
そうだ、訓練の時に下水道行ったときの臭い。忘れもしないあの悪臭。
それがこのスライムから。
周りは私から放たれる悪臭に悲鳴をあげた。遠くでホーエンさんが興味深そうに見ているのが映る。
「下水道の苦しさは……」
「はぁ?」
机に落ちたスライムを掴む。
思い出すのはあの悪しき下水道事件。
長期間、地上に出られない時は下水道で身を潜めるという拷問じみた訓練。そのなかで、下水道の水を浄化して飲み水にする、というものがあった。
もちろんそんなのやりたくないに決まっている。だけどやらないと進まない。
みんなして心を殺して下水道を飲むしかない。
浄化した水は案外飲めるもので、ブラッドリーさんも「普通に飲めるぞ」言っていたし。だけど私の班はそれを失敗した。何故か。浄化する機材が壊れていたから。
だから私は下水道の味を知っている。
とても、とても嫌な思い出だ。
「下水道の水を飲んでから言えやー!!」
至近距離でフルスイング。狙う先は緑髪のクソ生意気小僧の顔。
それは見事に的中して、汚い色のスライムはパァンッ、と音を立てて顔にぶち当たった。
数秒。
「うわー!? く、くせぇ!? うわー!?!?」
半狂乱になる緑髪。
席から立ち上がり、必死でスライムを取るさまに私は鼻で笑い返してやった。
ざまぁみろ!!
私に下水道事件、一週間の腹下しの思い出を蘇らせた罪だ!!
「アラン・ナルシア! マリー・ブラッドリー! 何をやっているんですか!」
「だって先生! アランくんが! ……アランくんが」
ん??
アラン・ナルシア??
…………ナルシア???
あれ????
「アラン・ナルシア……」
この子って、仲良くしなきゃいけないターゲットでは??