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そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)3.7 < chapter.1 >

挿絵(By みてみん)




 それは四月初旬の、良く晴れた日の出来事だった。

 もうあと数分で勤務終了時刻になろうかというころ、特務部隊オフィスにベイカーがやってきた。

「すまないロドニー、今日は残業だ。食中毒が発生した」

「え? 食中毒? 雨期でもないのに?」

 犬耳をピンと立たせて驚いているのは、人狼族のロドニー・ハドソンである。人狼族としては小柄な体躯、童顔、柔らかなミルクティー色の髪。大きな瞳と悪戯っ子のような無邪気な表情も相まって、実年齢より十近くも幼く見える。

 首をかしげる可愛い部下に、一つ年上の隊長は詳細を説明した。

「患者はリンデンベルク卿とその息子。発生時刻は本日正午ごろ。食中毒の原因はサルモネラ菌だ。鶏卵を素手で触ったのち、手を洗わずにそのまま軽食をとったらしい。現在二人は中央病院で治療を受けているが、息子のほうは症状が重く、予断を許さない状態だ」

「卵を触って……って、それ、市販されてる卵ですか? 殻の表面って消毒されてますよね?」

「普通はな。この卵は一般流通しているものではなく、養鶏場の体験学習で産みたての卵を収穫したものだ。次亜塩素酸ナトリウム溶液による洗浄は行われていない」

「あー……知らなかったんですかね? 産みたて卵は雑菌だらけだって……」

「そのようだ。だが、リンデンベルク家のほうは養鶏場側の衛生管理義務違反として処理したいらしい。親子揃って無知を晒したとなれば、社交界の笑いものにされてしまうからな」

「あの、でもそれ、養鶏場が可哀想すぎるような……」

「だろう? だから今から養鶏場に行って、別の原因をでっち上げる」

「別の?」

「リンデンベルク卿に恨みを持つ人物が親子の飲み物にサルモネラ菌を混入させた、ということにする。それなら養鶏場も、卑劣な犯人によって名誉を傷つけられた被害者だ。処罰の対象にはならない」

「その『卑劣な犯人』は?」

「情報部のほうでちょうどいい死体を用意している。俺たちの仕事は特務部隊の馬車でド派手に登場し、人目を引くこと。その隙にシアンとナイルが『付近をうろつく不審な男』を発見し、追跡、交戦の末に男を捕らえる。が、サルモネラ菌の扱いを間違えた男は自らも感染していて、拘束した時には手遅れの状態だった……という筋書きだ」

「男の自宅からはリンデンベルク卿への理不尽な恨みを綴った日記やメモが……っていうアレですか?」

「その通り。お約束のパターンだな」

「じゃあ、俺たちはとくに準備はしなくていいんですね?」

「ああ。とりあえず、出発前に便所に行っておけば大丈夫だ」

「遠足並みの心構えですね」

「そう、これは遠足のようなものだ。ただし、我が特務部隊ではバナナはおやつに含まれない。持参するおやつの選定には細心の注意を払うように。分かったな?」

「ハッ! バナナはおやつに含まない、了解であります!」

 二人はビシッと敬礼し、それから視線を合わせたまま、口を真一文字に引き結んだ。

 仲良し幼馴染の、よくある『にらめっこバトル』である。




 日没直後の養鶏場には保健局や市の職員、地元騎士団支部員らの姿があった。協力して施設の管理状況や鶏の健康状態、危機管理マニュアルなどをチェックしているようだ。彼らはベイカーの姿を見るなり、挨拶もそこそこに養鶏場側の潔白をアピールし始めた。現場組の彼らも、リンデンベルク家の思惑に気付いているのだ。養鶏場の経営者と同じ市民階級として、貴族の横暴を阻止すべく、誰もが必死に言い募る。

 ベイカーとロドニーはそんな彼らに、「大きな声では言えないが」と前置きしてこう言った。

「いや、実はさ、俺たちもリンデンベルク家の言い分は嘘っぱちだと思ってんだよ。だから養鶏場側が有利になりそうな書類、できるだけ沢山かき集めてもらえねえか?」

「特務部隊が市民の援護に回るには、法的に確かな証拠が必要だ。だが、それらの書類をここに置いておけば、不当な手段によって棄損される恐れがある。今夜中に関係書類の写しを公文書館に持ち込み、改竄不能な『公文書』として登録したい。一度登録してしまえば、原本が何らかの事情で失われたとしても、写しのほうを証拠書類として採用できるからな。これまでの作業で疲れているだろうが、もうひと頑張り、お願いできるだろうか?」


 自分たちは味方だ。

 君たちには今、この瞬間、弱者のためにできることがある。


 そう示し、具体的な目標を掲げたことで、正義に燃える公務員たちは俄然やる気になった。彼らは適切な衛生管理、健全な経営がなされていたことを示す書類を片っ端からピックアップし、コピーを取り、公文書館に収めるためのファイリング作業に取り掛かる。

 ベイカーは事務所に残り、ロドニーは「邪魔が入らないように見張っている」と言って外に出た。そして馬車で待機するシアンとナイルに、軽く手を振ってGoサインを出す。

 文書のファイリング作業は、少なく見積もっても一時間はかかるだろう。保健局や市の職員がその作業に集中している間、シアンとナイルは自由に動くことができる。

「行こう」

「ああ」

 二人は馬車の荷台から軽作業用ゴーレムを下ろす。

 木を隠すなら森の中。人を隠すなら雑踏の中。ならば、死体を隠すのに最適なモノとは何か。

 この問題の解として、二人が選択したのは軽作業用ゴーレムだった。

 情報部が用意した死体は、着ぐるみのように人型のゴーレムを着込んでいる。中身を抜いてしまった分、ゴーレムには強度もパワーもなく、フラフラと不安定な動作しか行えない。だからこそ、ベイカーとロドニーの協力が必要だったのだ。多少挙動が怪しくとも、今ならそれを見咎める『人の目』はない。

 周囲を見回るふりをして、徐々に雑木林のほうに向かう。


 このまま雑木林の奥まで進み、ゴーレム巫術を解除して、たった今取り押さえたように偽装すれば――。


 その計画は、途中まではとても順調に進んでいた。

 だがしかし、だ。

「どうしようシアン。これ、本物じゃん……」

「あ、ああ……本物……だよな?」

 養鶏場裏の雑木林には、既に死体が転がっていた。それは男の死体だった。ひどく痩せこけていて、顔にも体にも赤い発疹がみられる。痒みを伴う皮膚炎であったのか、全身、掻き壊したような小さな傷でいっぱいだった。完全に塞がった傷口や乾いた瘡蓋かさぶたから、これが死の直前に現れた発疹でなく、慢性的な皮膚炎の類であったことが分かる。

 死体の手にはノートの切れ端のような紙が握りしめられていた。シアンとナイルは手袋をつけ、硬直した死体の指を慎重に開かせていく。

「これは……遺書、だな……?」

「っぽいね? えーと……僕が卵アレルギーになったのは、卵の食べ過ぎが原因と言われました。大好物なのに食べられないなんて、辛い。辛すぎる。養鶏場なんて滅んでしまえばいい。みんな食中毒になってしまえ……って、ナニソレ。アリなの? そういう動機もアリだったりするわけ?」

「まあ、自分でそう書いているんだから、そうなんじゃないか……?」

「じゃあどうするの、こっちの死体」

「あー……クソ。このまま持って帰るのは無理があるな……」

 二人は同時にゴーレムを見た。

 怨恨による犯行に見せかけるため、別件で逮捕された無戸籍者の死体を持ち込んでいる。出生登録すらされていない無戸籍者は足がつきづらく、マフィアには重宝される。この男もそんな身の上を利用して、強盗、殺人、強姦、拉致監禁など、あらゆる凶悪犯罪に手を染め続けた。そのような男であれば、一般的な市民の常識では理解不能な、理不尽極まりない逆恨みで凶行に及んだとしても誰も不思議に思わない。そんな理由から、この男が『養鶏場サルモネラ菌バイオテロ事件』の犯人に選ばれたのだ。

 だが、困った事になった。

 真犯人が別にいたのなら、この男の死体はどう処分したら良いものか。

 軽作業用ゴーレムは『周囲の警戒』のために連れている。犯人の死体が見つかって警戒の必要がなくなったならば、通常は術式を解除する。いつまでもそのまま連れ回していたら怪しまれてしまう。

 それに、このゴーレムは中身を抜いてしまったせいで動きがおかしい。三つか四つの子供に見せても、「このゴーレム壊れてるよ?」と言われるだろう。このままここに人を呼べば、ゴーレムの挙動に不信感を抱かれてしまう。

「ん~……この状態で持って帰れないなら、行きとは別の方法を考えないと……」

「しかし、俺たち自身はほぼ手ぶらでここまで来た。ゴーレム以外には死体を隠せそうな道具も、運べそうな手段も……」

「治安維持部隊相手に、『木の裏に隠しておく』なんて杜撰な隠蔽工作は通用しないだろうし……」

「……ゴーレムに穴を掘らせて、埋めてしまおうか?」

「いいと思う。でも、ゴーレムの中に死体を入れたまま、ゴーレム自身に『穴を掘り進んでもらう』ほうがバレないんじゃない?」

「掘り進む?」

「両腕を掘削用ドリルに換装すれば、まっすぐ真下に掘り進んでいけるけど? 普通にスコップで掘るより小さな穴で済むから、落ち葉とかで隠すのも楽だろうし」

「じゃあそれでいこう」

 二人は頷き合い、手際よく隠蔽工作を行った。

 そしてベイカーの通信機に犯人発見の一報を入れ、この一件は『食中毒』から『異物混入事件』へ。そこから先はベイカー、ロドニーの巧みな誘導も功を奏し、予定通りの理想的な決着を見た。


 問題はその先である。


 全ての作業を終え、養鶏場を後にする一行。シアンとナイルは途中でベイカーたちと別れ、雑木林へと引き返す。そして目印にした木を頼りに、埋めた死体の回収を試みた。

 しかし不思議なことに、どこを探しても、目印にしていた木が見当たらない。いくら夕闇の中であるといっても、それほど大きくもない雑木林で、自分たちの現在地を大きく見誤るとは考えられないのだが――。

「……どういうことだ? 一本だけ、他と違う木があったよな……?」

「うん。白樺っぽいのが生えてたよね?」

「白樺? いや、ポプラだろ?」

「え? いや、何言ってんのさ。『この木なら目印になるな』って、シアンが白樺の根元を選んだんじゃん」

「確かにセリフはその通りだが、俺が選んだのはポプラの木だったぞ?」

「……ホントに?」

「そっちも、冗談で言ってるわけじゃないんだな?」

「当たり前じゃん。え? ってことは、何? もしかして俺たち……」

「……あの時点で、《幻覚魔法》の影響下にあったのか……?」

 二人はごくりと唾をのみ、目だけで役割を分担した。シアンは周囲の警戒に当たり、ナイルはカードケースから《強制解除》の呪符を取り出す。この雑木林に何らかの魔法がかけられているとすれば、この呪符で解除できるはずである。

「……発動、《強制解除》!!」

 パンと弾けるように広がる強制解除スペル。視覚化された魔法呪文に絡めとられ、現在発動中の魔法がかき消されていくと――。

「……嘘だろ? なんだ、これ……」

「景色が全然違って……うわっ!?」

「うっ……!?」

 唐突な攻撃に反応することはできなかった。

 二人はそのまま、意識を失った。




 特務部隊側に連絡があったのは、現場で別れてから二時間後、午後十一時を回ってからだった。

「シアンとナイルが行方不明?」

「ああ、回収予定の死体も、二人の所持品も見当たらない。何か知らないか?」

「そう言われても、俺たちも途中で別れたきりだからな……」

「だよな? ったく、何があったんだかなぁ~……」

「俺も行ったほうがいいか?」

「いや、あまり人を増やしたくない。なんというか……おかしいんだ。ここは」

「おかしい?」

「まったく同じ木が二本生えている」

「どういう意味だ?」

「そのままの意味だ。同じ種類の樹木という意味じゃあないぞ? 焼き増しした写真を二枚並べたような、寸分違わぬ『同じ物』があるんだ。それも一つや二つじゃない。雑木林のあちこちに、印刷ズレでも起こしたような『ダブった景色』がある」

「あー……それは、異常だな? 空間が歪んでいるのか?」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。ミイラ取りがミイラになったらお前らにも出動命令が下されるだろうが、まあ、そうなるとしたら明日の朝だ。今夜はせいぜいベッドの中で、俺たちのご武運をお祈りしてくれたまえよ」

「いや、祈ることは祈るがな? そんなに偉そうで自信満々な弱音を吐かれたのは、人生初ではないかな?」

「よく言うぜ。お前、鏡見たことないのか? じゃあな」

「ああ、また」

 ピーコックとの通話を終え、ベイカーは足元に寝そべる狼の顔を見た。柔らかなミルクティー色の狼は、人狼族のロドニーである。風呂上がりのリラックスタイムは、たいていこうして獣の姿になっている。

 特務部隊は明日も通常勤務。他の隊員たちは既に私室に入り、就寝準備を整えている。リビングルームにいるのはベイカーとロドニーの二人だけだった。

 不安そうに首をかしげる狼に、ベイカーは殊更明るく笑って見せる。

「そんな顔するなよ。大丈夫、現場入りしてるのはピーコとター子とラピだぞ? いざとなったら、付近一帯が焦土と化す程度さ」

「……隊長、目が泳いでますよ……?」

「そりゃあな? せっかく上手く解決したと思ったんだぞ? 養鶏場が廃業に追い込まれた場合に生じる億単位の損失を未然に防ぎ、職を失う七十余名の従業員とその家族数百名の生活が守られたと思ったのに……これ以上、いったい何が起こるんだ?」

「いつものことですけど、情報部が関わるとロクなことがありませんね……」

「ああ、本当に。なぜあの連中が関与すると、こうも怪奇現象が連発してしまうのか……」

「隊長、どうぞ」

 そう言って、腹を見せて足を広げる狼。

 ベイカーは何のためらいもなく、床に転がる狼に覆いかぶさる。そしてそのまま、モフモフの毛に顔を埋めて涙声で訴えた。

「どう考えても! 絶対に! 何かおかしいだろ!? なんで毎回こうなる!? 女王陛下のバースデーパーティーまでにやらなきゃいけないことが山積みなのに! 何故、今、やることを増やす!?」

「胃薬足りてます?」

「大丈夫!」

「頭痛薬は?」

「まだある!」

「睡眠導入剤飲んだらどうですか?」

「いや……あれ、よく眠れすぎて緊急時に起きられなくなるから……」

「それじゃあ、隊長が落ち着くまでモフモフ提供しますね?」

「うぅ……すまないな、ロドニー……迷惑をかける……」

「いえ、全然♡」

 言葉だけでなく、事実、ロドニーは『幸せ全開!』といった表情でされるがままになっている。仲間とのスキンシップが大好きな人狼族にとって、幼馴染にグルーミングされるこの状況は苦痛でも何でもなく、ただただ幸せな時間なのである。

 風呂上がりの二人がじゃれ合うこの様子を、たまたま通りかかった幾人かの隊員が目撃していた。だが、誰もが「本番前かな?」と気を遣って声をかけずに素通りしていた。この勘違いに気付いていないのは、本人たちばかりである。


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