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あの日見た空の色も青かった  作者: 木立 花音
第二章:彼女と別れるまでの十数日間
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知ってますよ?

 空を見上げる。

 頭上を覆いつくしているのは一面の青だ。青いキャンバスを削り取ったかの如く、細い雲が何本かの筋を形成している。

 空は果てしなく広く、またどこまでも高い。

 ふと、彼は思う。

 自分が中学生だったころ盛岡で見上げた空も、こんなに澄んだ青色だったのだろうかと。いまひとつそう思えないのは、鬱屈した感情のフィルターを通して見上げたからなのだろうなと。

 汚れていたのは大気ではない。”俺の心”だ。


 一眼レフカメラを抱え、(ひさし)の付いた帽子を目深に被り宿を出る。今日は徒歩で、浄土ヶ浜の海を目指した。

 砂浜には今日も、多くの観光客の姿がある。

 バス停で出会った少女が教えてくれた説明を、頭の中で反芻しながら、何度も水面や岩場にカメラを向けた。昨日とは違ったアングルから撮影するように心がけ、一ヵ月という滞在期間でより多くの思い出をファインダーに収められるよう、無心でシャッターを切り続けた。


 今日は、昨日と違う展望台に上ってみた。

 同じ場所でも違う角度から見る景観は、また新鮮に目に映る。こんな素晴らしい土地に実家を持っている彼女のことが羨ましい──そんな事を考えながら、何度もシャッターを切った。

 昨日、エメラルドグリーンに輝いていた水面は、今日は深い青に見える。日によって、こんなにも違う表情を見せるのかと、彼は驚いていた。

 展望台に居た他の観光客が、「まだ行っていないのなら、子安地蔵も見てくると良い」と教えてくれた。逢坂部は頭を下げて感謝の意を伝えると、案内通りにその場所を目指して歩いて行く。

 足場の良くない岩肌の上を歩き、小石や砂が流れ出ずに溜まっている場所に辿り着く。この場所は『賽の河原(さいのかわら)』と呼ばれており、ここで小石を拾って地蔵に拝みに行くのだと教えられたのだ。

 ひと一人がようやく通れるような細い道を上がっていくと、屋根のかかった木製の(やぐら)があり、その中に子安地蔵が安置されていた。地元の人々が、家族の健康と、大漁を祈願して拝んでいる神様なのだそうだ。

 彼は、『両親が末永く健康で居られますように』と、祈った。特に弁護士である父親には、だいぶ気苦労をかけてしまった。

 面倒を見て欲しいと懇願したわけでもない。だが結果としてそうなったし、その原因は事故を起こした自分にある。だから儀礼的に、そうお願いをしておいただけのことだ。


 地蔵をカメラに収め、海を様々な角度から撮影し、浄土ヶ浜に併設されているレストハウスで遅すぎる昼食を取って帰途についた頃には、日がすっかり西に傾いていた。

 ひとつだけ残念なのは、方角の関係から太陽が山の陰に隠れてしまうことか。もし、水平線がオレンジ色の光で染めあげられるなら、どれほど美しい光景となるのだろう。


 浄土ヶ浜の海から離れると、防波堤に遮られていた海沿いの道を歩いて、民宿を目指していた。

 夕暮れ時をむかえ、吹く風も涼しさを増してくる。日は山間に顔を隠し、次第に藍の色が濃くなり始めた街並み。冷え込み始める大気。まるで自身の鬱々として澱んだ心中を、暗示しているようだった。

 何もかもを、疎ましく感じていた。

 つらつらとそんな事を考え歩いていた時、ずっと前方の路上に、彼女の姿を見つける。

 昨日、バス停で出会った少女だ。

 どうやら腰の曲がった老人と二人、並んで歩いている所のようだ。やがて小さな路地の前で老人と別れると、手を振って老人を見送っている最中、不意にこちらに気が付き顔を向けた。


「あ~、逢坂部さんだ」


 屈託のない笑みを浮かべた端正な顔が見える。少女は質素なデザインの白いブラウスを着て、ボトムは淡い青色のジーンズ。彼女は千切れんばかりに手を振りながら、足早に走り寄って来た。


「こんばんは」と逢坂部は挨拶を送った。「え~と……ゴメン、実は昨日、君の名前をうっかりと聞きそびれてしまったんだ。今更で悪いんだけど──」

「ほのか。白木沢帆夏(しらきさわほのか)、十九歳だよ。あ、年齢は昨日言ったんだっけ」


 てへ、と彼女は舌を出した。だが、十九歳という年齢を強調したくなる気持ちを、彼は理解できると思った。二十歳(はたち)という大人への希望に胸を膨らませつつも、未だ十代、そんな思春期の真っ只中にも留まってる多感な時期が、十九歳なのだ。人生で一度しかない、特別な時間。

 だからこそ彼女は、こんなにも輝いて見えるのだろうか? 夕焼け空に浮かび上がる横顔のシルエットを見て、彼は思った。


「なるほど、帆夏ちゃんか。良い名前だ。真夏の太陽のようにエネルギッシュな君にはピッタリだね」

「エネルギッシュ! そんなに褒めてもなにもでませんよ~」


 照れくさそうに破顔した彼女を見て思う。それにしても──こんな、打てば響くような褒め言葉を口走るなんて、やはり俺はどうかしている。


「私の誕生日って十月なんです。まだもうちょっと先ですね。でも名前に入る漢字は夏。なんだか変でしょう?」

「そうだね」と逢坂部も首を捻る。「それならば、秋の一文字を名前に取り入れるべきなんじゃないのかな」

「最初は両親も、そう考えていたみたいです。でもね、実を言うと私には双子の妹が居るんです。だから名前に、二つの季節を分けて使った。先に生まれた私に夏。後に生まれた妹に冬です。なんでも、長い時間も季節も乗り越えて、二人で生きていけるように。そんな願い事がこめられているんだそうですよ」

「へえ、なんだか良い話だね」

「そうでしょうか? 秋が付く名前を二つ思いつかなかっただけ、とか親は言ってましたよ? なんだか、適当な決め方って思いませんか?」


 そう言って晴れやかに笑い、「妹も私と似て、可愛いですよ?」と意味ありげに口添える。彼の顔を見て、一度逸らし、口角を歪めてにししとまた笑う。

 限界まで赤味を強めた西日のせいだろうか。彼女の顔は薄っすらと上気して見えた。自分のことを可愛いと無遠慮に口走る姿に、心臓を指で擦られるような不思議な疼きを覚える。不意に息苦しさを感じて視線を逸らすと、先ほど思った疑問を口にしてみた。


「そういえば、さっき一緒に居たお爺さんは、知り合いか何かだったのかい?」

「いえいえ、全然知らない人ですよ」

「そうだったの?」

「ハイ。()()()()()|、道に迷っているように見えたので、声を掛けて教えてあげたのさ」

「なんとなく……?」

「ああ、ごめんなさい」と彼女は自分の頭に手を乗せた。「私は、読心術が使える……と言えば大袈裟ですけど、薄っすらと他人(ひと)の考えてることが分かってしまうんです」

「読心術だって?」


 何を言っているんだろう彼女は。当惑して逢坂部が肩を竦める。

 そうですね、と言いながら彼女は中空に目を向けた。やがて口角を上げてにんまり笑みを浮かべると、今度は、うふふと笑った。


「信じちゃいましたか? 読心術は流石に嘘ですよ。えーとですね、その人の仕草とか口の動きから、考えてる事を予測しているだけです。例えば、そうですね……」


 帆夏はイタズラっぽく口元に指を添え、遭坂部の顔色を上目遣いで窺った。


「……だから知ってますよ。あなたが──胸の内に何を抱え、そして思い悩んでいるのかも」


 まさか──驚きで顔を向けた瞬間、ざあっと強い海風が吹いた。長めの髪が風に煽られ大きく翻ると、帆夏の顔は大半が覆い隠されてしまう。彼女がどんな表情を浮かべてその台詞を口走ったのか、窺い知る事は叶わなかった。

 風が凪いだ後で見えた彼女の顔は、先程までと全く変わらぬ柔和な表情だった。


「君は、一体――」


 搾り出すように発したその声は、自分でも、もどかしく思えるほどかすれていた。


「あれれ? そんなに狼狽えちゃって。もしかして図星でしたか? だって、容易に想像できちゃいますよ。そんなに難しい顔ばかりしていたら」

「俺は、そんなに酷い顔をしてるのかな?」


 逢坂部が弱ったように愛想笑いを浮かべると、帆夏は顔に掛かった髪の毛をかきあげて「ええ、しています」と言い、「でも心配しないでください」とさらに口添えた。


「たとえそうだったとしても、余計な詮索などしませんから。どうか、私の言ったことは忘れて下さい。でも──私の名前は、忘れないでくださいね。白木沢帆夏──それが、私の名前です」

「もちろん、忘れないよ。たぶん、この先もずっと」

 彼の言葉を受け取ると、彼女は満足そうに顔をほころばせた。

「じゃあ、肌寒くなってきましたし、民宿に戻りましょうか?」


「ああ」と彼は頷き、歩き始めた彼女の後に続いた。

 時々顔をこちらに向けて、今日の夕食のメニューがどうのこうのと楽しそうに話す華奢な背中を見つめて彼は思う。

 彼女と話をしている間、心中で澱んでいる不安や苦しさという負の感情が、薄まっていくように感じられるのは何故なのか。複雑に絡んだ心の糸がほぐれていくような安堵感。心中を暖かく埋めていく感情に、彼はただ身を委ね続けていた。


 夏はまだまだこれからなのだと、何処からか響く虫の声が告げた。


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