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あの日見た空の色も青かった  作者: 木立 花音
第一章:出会いの日、8月1日
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白木沢帆夏

「ひとつ質問があります」と彼女は言った。「どういうつもりですか。体目的ですか。それともお金ですか?」

「待ってくれ、前提からオカシイ。もう少し落ち着いて話をしよう。そう、一度状況を整理するべきだ」

 逢坂部は僅かに腰を浮かせると、慌てたように提案する。なぜ俺の方がうろたえねばならんのだ、と内心では憤慨しながらも。


 じりじりと待合室の壁際を移動していた彼女だったが、「あれ?」と何かを思い出したように声を上げると、彼の隣に移動する。そして、膝を閉じて座った。

 あんなに怯えてたのに今度は隣に座るのかと困惑しながらも、彼はバッグから手持ちのプリッツの箱を取り出し、彼女に差し出してみる。


「食べるか? 驚かせたお詫びだ」

「餌付けですか……? あまり感心しませんね」と言いながらも、彼女はプリッツの箱を受け取った。「サラダ味ですか。大幅に加点対象です」と呟きながらも、早速食べ始める。


 どうやら餌付けは成功したらしい。……じゃなくて、状況を整理しなければ。


「俺の名前は、逢坂部賢悟。埼玉から観光目的でやって来た冴えない男。浄土ヶ浜の夕日が撮りたくて時間を潰しているうちに不覚にも眠ってしまい、気がついたら君が隣に居た。掻い摘んで説明するなら、まあ、こんなところだ」


 しまった。いきなり本名を告げたのは失策だったろうかと彼は眉をひそめた。が、彼女は気に留めた様子もなく、ひたすらプリッツを口に運んでいる。


「美味しいですね。やはりプリッツのサラダ味に勝る食べ物は、この世界には存在しないと言っても過言ではないでしょう」

「いや、過言だよ。トマトプリッツも愛して。……じゃなくて、人の話聞いてる?」


 すると彼女はパっと顔を上げた。


「む、失礼ですね。ちゃんと聞いてましたよ。……でも、許してあげるべ。だって、あなたは悪い人ではなさそうですから。プリッツのサラダ味を愛する人に、悪人はいません」


 風船のように頬を膨らませた後、直ぐに目尻を下げて破顔した。そして、分かりやすく頬を染める。

 どうして、顔が赤くなるの?

 喜怒哀楽の激しい彼女のリアクションに戸惑いながらも、「それはどうも……」と彼は頷いておいた。


「それで君は?」

「はい?」


 彼女がキョトンとした顔になる。何故だ? 会話が成立しないな。


「だから、君はここで、何をしていたの?」


 読点が三つ並ぶほどの時間、彼女は考え込んだ。


「散歩の途中で、ちょっくら立ち寄っただけだべ。歩き疲れてしまったので、あなたの隣に座っていたら、いつの間にか眠ってしまった。ええ、そんなところです」


 含みのある物言いだな、と感じた疑問を咀嚼しながら、じゃあこうなっている原因は概ね君じゃないか、と気づき彼は肩をすくめた。


「つまり逢坂部さんは、観光目的で浄土ヶ浜までやって来た……と。そういう事ですね?」


 彼女は、最後の一本を名残惜しそうに口に運びながら、確認を求めるような声で言った。


「最初から、そう説明していたつもりなんだが」


 これにはいよいよ嘆息してしまう。彼女は「そうだったんですね」と頷いて腕組みをした。


「こんな、一時間に一本しかバスが来ない田舎のバス停に、どうしてあなたが居るのかと驚いてしまいましたよ」

「え?」


 君は何を言ってるんだ、と思わず間抜けな声が漏れた。いや待てよ、もしかすると、そういう意味なのか? 彼の胸中に、疑惑の雲が広がっていく。


「もしかして君は……俺のことを知っているのかい?」


 全身が粟立つ感覚を覚えながら、彼は鞠問(きくもん)した。

 彼女はフグのように頬を膨らませると、どことなく不満そうに彼の顔を見つめ返した。


「いえ……。まあ、全然知りませんよ」


 どっちなんだ? 拗ねたようでもあり、翻弄するようでもある彼女の口ぶりに、かゆくもない後頭部をかきむしる。


「でも」と気を取り直したように、彼女は再び笑みを浮かべた。「あなたの出身地なら知っていますよ。当ててみましょうか?」


 得意満面。豊満な胸を張る。


「出身地だって?」


 彼女はベンチに深く座りなおしたかと思うと、足を組み、こめかみに手を当て考える人のポーズを決めた。そして一秒後、

「ズバリ、埼玉県です」と答える。

 当然だ、と彼は脱力した。「ズバリも何も、逢坂部は埼玉以外では見られない、非常に珍しい苗字なんだよ。その事は、知っていたんだろ?」

 彼女は答えることなく、うふふ、と、えへへの中間くらいで笑って見せた。まさに無言の肯定というやつだ。

 だがそれでも、と彼は内心で安堵していた。どうやら彼女は、俺の後ろめたい事情を心得ている訳でもなさそうだ。

 思いだしたように彼は腕時計に目を落とすと、あと数時間ほど日没の時間であることを確認して一眼レフカメラの入った手荷物を手繰り寄せる。

 彼が立ち上がろうとしている気配を感じ取ると、彼女は慌てふためくように、こう提案した。


「あなたが宜しければ、なのですが。この周辺を少しだけ案内して差し上げましょうか?」

「え? 良いのかい?」


 突然の申し出に戸惑っている彼を余所に、少女は勢いよくベンチから立ち上がる。


「もちろんです。私は歩きで散歩していることからも分かるように、基本的に暇人です。同じように暇人であるあなたに付き合ってみるのも、悪くないことだと思いました」


 何の躊躇も見せない彼女の発言に、頭の中に再び暗雲が広がり慌てて打ち消す。他人、それも特に若い女性から、真っ直ぐに良心、または親切心といった感情を向けられることに、彼は非常に不慣れだった。

 いつもの悪い癖だ、と自嘲する。

 けれども、近隣の地理に明るくない彼にとって、彼女の提案は渡りに船だと言えた。だからその申し出に、乗っかっておこうと考える。


「じゃあ──申し訳ないけど、宜しく頼むよ」

「わかりました。では、善は急ぎましょう」


 と彼女は言うと、唯一の持ち物である麦わら帽子を椅子の上から拾って頭に被り、逢坂部の右手を引いた。

 他にも荷物があるんだちょっと待ってくれ、と彼女を宥め、また困惑しながらも、腕を引かれて立ち上がる。

 見た目によらず大胆な彼女の行動に、彼の心は疼きを感じていた。

 だが同時に、今日出会ったばかりの彼女に、不思議なほどの安らぎも覚えていた。


 ――君はいったい、何者なんだ?


 頭の中に素朴な疑問が浮かんだ直後、彼女は振り返るとくしゃりと笑う。


「岩手さ、よくおでんせ(来ましたね)」


 凛とした彼女の声が、乾いた夏の空に響きを放つ。

 陽が僅かに傾きつつも、未だに暑さの残る夏の日の午後。

 これが、逢坂部賢悟の運命を後々に大きく変えていくことになる少女、白木沢帆夏(しらきさわほのか)との最初の出逢いだった。


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