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あの日見た空の色も青かった  作者: 木立 花音
第一章:出会いの日、8月1日
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出会いの日 八月一日

 空に向けていた視線を戻すと、周囲の景色に目を配ってみる。

 海の色が綺麗だ。空の色が、絵の具を塗り広げたように澄んだ水色に染め上げられていることで、その青が水面にも投影されている。陽光を照り返して輝く青い水平線は、格別の美しさだ。

 また、浄土ヶ浜の主役ともいえる白い流紋岩(りゅうもんがん)で構成される美しい海岸線と遠目にでも窺える浄土ヶ浜の砂浜は、なるほど、日本の快水浴場百選に指定されるのも納得だと思った。ただし……。


「暑い」


 いったい、今日の気温は何度あるのか? 東北の夏は涼しく過ごし易いという安易な考えを、早々に捨て去ることになりそうだった。 

 手荷物を詰め込んだバッグからタオルを取り出して額の汗を拭うと、木陰になっていそうな場所を探してみる。よく見るとバス停の奥には、屋根の付いた待合所がある。少し休んでから行こうと考えた逢坂部は、強い陽射しを避けるように、屋根の下へと潜り込んだ。

 木造りの壁と屋根。畳数枚分程度の空間には、大人が五人も並べば手狭になるであろう木製のベンチ。壁には経年劣化で色褪せた時刻表が貼られてある。

 無論、少しばかり日陰になったところで、暑い事には変わりがない。

 だが直射日光を避けられるだけでも、随分違うというものだ。ポロシャツの裾をパタパタと仰ぎ、頬から顎にかけて伝い落ちる汗を手の甲で拭うと、荷物をベンチの端に置いて腰掛けた。瞼を閉じると、暫し瞑想に耽ってみる。


 勢いで岩手まで来てしまったものの、この先の予定は何一つ決まっていなかった。

 取り敢えずは、今晩泊まるための宿を探さなくてはいけないだろう。バスの車窓からは、何棟かリゾートホテルの姿が見えていた。別にそこでも良いのだが、出来ればもう少し宿泊費を抑えたいのも本音。仕事を辞めてしまったのだから、財布の紐を締めておく必要があった。

 出発前に地図を確認した際、南の方角に幾つか集落があったような気がした。そこに安めの民宿など無いものだろうか?


「ふ~……」


 やがて彼は、諦めにも似た溜め息を漏らした。

 気が付けば、腐心しているのは金のことばかり。目先のことばかり考えていると心がさもしくなると言われるが、まさにこんな感じだろうか。

 金のことを考えるのは一旦止めにして目を瞑る。折角の観光旅行だ、楽しいことだけを考えよう。

 楽しかった出来事。

 将来の夢。

 親しい友人。

 初恋の女の子……しかし、それらは手に入れられずに失われた過去。若しくは、手に入るビジョンが見えない現実ばかり。結局、碌に楽しいことも考えられずに、ただ無心で、ありもしない思い出。行ったこともない何処か。成功をした自分。つらつらとポジティブな妄想を繰り返した。

 そうか。現実逃避をする為に俺は、旅行に出たのだろうか? と今更のように腑に落ちながら。


 そして……いつの間にか眠ってしまったのだろう。

 知らず知らずのうちに落ちた微睡みの中、右肩に僅かな重さを感じて、逢坂部は目を覚ます。

 違和感のある右肩を確認して、彼の思考は瞬時に凍りついた。


 ……女が居る。


 少女と呼ぶには、やや大人びた雰囲気を漂わせた女性が、彼の肩に頭をもたれさせ、肩から上腕の辺りまでを密着させて眠っていた。

 髪の毛は肩の少し下まで伸びた、やや内巻きの癖があるストレート。涼し気な麻素材でできた膝下丈の白いワンピースを着ている。殆ど荷物を持っていない軽装振りから、地元民だろうかと推測する。甘い香水の匂いに釣られて胸元を覗きこみ、大慌てで彼は視線を持ち上げた。


 意外と……大きい。


 細身の身体には些か不釣合いな谷間が、ワンピースの胸元から見えていた。いや、そんなことよりも彼女は誰だ? 二の腕に柔らかい物が当たっているこの状況は、存外に悪くない気分だが、さすがにこのままにしておくのも不味いだろう。


 声を潜めつつ、彼女の肩を揺すってみる。「ちょっと君、おい──」

 彼女は「ん……」と呻いて身を捩ったものの、再び寝息を立て始めた。

 やれやれ、と嘆息しながら、先程よりも強く揺すってみた。「頼むから、起きてくれ」


 すると彼女の瞼はゆっくりと開いた。ようやく、起きてくれたようだ。

 彼女は顔を上げる。

 目が合う。

 渾身の力で突き飛ばされる。

 その細い腕のどこにそんな力が、と驚愕しつつ彼は仰け反る。

 飛び跳ねるように待合室の壁際まで離れると、彼女は怯えるような眼差しで言った。


「なんなんですか、あなた」


 いや、それはこっちの台詞だ。と逢坂部は思った。


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