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あの日見た空の色も青かった  作者: 木立 花音
第二章:彼女と別れるまでの十数日間
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再会①

 翌朝。何時もより大分早い時間に目が覚めた逢坂部は、休暇に入り、民宿で寝起きするようになってから初めて、鏡の前に立った。

 やや内巻きの癖がある下ろした髪の毛を、ブラッシングする。眉の形を整えながら、彼はふと思った。幸の薄い顔だなと。また何処となく、白木沢帆夏に似ているとも。

 もっとも彼女の場合は、堀が浅くてアッサリめな目鼻立ち。一重でもしっかりと整った薄い瞳と、同じように形の良い薄い唇。そこから醸し出される儚さや可憐さから感じる幸の薄さ。

 彼の場合は、希望の光が見えない濁った瞳。虚ろな表情から感じられる字面通りの幸の薄さだ。


 似ているようにも思えるが、決して同じではない。

 二人の決定的違い。その事実に思い至り、彼は諦めにも似た笑みを湛えた。


 白いロング丈のティーシャツを着て、ボトムは紺色のテーパードアンクルパンツを履いた。ベージュの開襟シャツを上から羽織ると、高崎美奈子から送られた最後の手紙を、バッグの中に忍ばせる。

 皮肉な話ではあるが、良い結果になろうとも──恐らくは悪い結果になるだろうが──何れにしても、これを、今日中に開封するだろうと考えたのだ。


 美奈子と過ごした当時の記憶に思いを馳せる。

 それは、間違いなく逢坂部の二十五年間の人生の中で、最も輝いていた日々の記憶だった。

 十年振りに美奈子と再会できたとして、何を話すつもりのか? 正直わからなかった。今更好きだと伝えたところで、恐らく彼女も困惑してしまうことだろう。

 ならば有難う、とでも伝えるのだろうか? 素晴らしい思い出を有難うと、伝えるのだろうか? 簡単に考えるとそれは、美しい台詞のようにも感じられる。だが、一方的に文通を打ち切った自分が告げる言葉なのだろうかそれは?

 考えるほどに思考が、堂々巡りになっていくのを彼は感じていた。


 六時五十分か。時計に目をやり、もう一度鏡で全身を確認した後、和室の扉を閉める。木目の廊下を歩き、歩くたびに軋む階段を下りて民宿の玄関まで行き着くと、既に帆夏は靴を履き座って待っていた。


 彼の姿を認めると、彼女は顔を上げてニッコリと笑った。「おはようございます。逢坂部さん。御洒落なんて出来る人だったんですね」

「まあ、流石に今日くらいはね。持って来た衣類の中で一番良いものを選んで着てきたつもりだ」

「褒めたのは、服だけじゃないですよ。……顔もです。なーんてね。じゃあ、行きましょうか。がんぱっぺし!(頑張りましょう)」


 努めて明るい声を、彼女は出した。今日の服装は、白いシャツの上に花柄のワンピース。ローヒールのパンプスの踵を直しながら、元気一杯に立ち上がる。

 彼が不安な気持ちを抱き塞ぎ込んでしまわぬよう、意図的に明るく振舞っているようにも見える。いや、実際にそうなんだろう。逢坂部は心の中で、帆夏に対する謝辞を述べるとともに、目頭が熱くなるのを感じていた。


 路線バスに揺られ、宮古市の駅前でバスを降り、レンタカーを一泊二日で借りる契約をして出発する頃には、八時も過ぎようとしていた。

 朝の道路は岩手とは言え、かなり混雑していた。車道は通勤中の車でごった返し、歩道は、駅から溢れ出てきた学生たちにより埋め尽くされていた。補習授業、もしくは登校日なのだろうか。

 赤信号で停車すると、横断歩道を渡る高校生の何人かが視線を向けてくるようで、居心地が悪かった。彼らの目に、俺たちはどんな風に映るのだろう。希望に胸を膨らませる若者達と未来の見えない自分。自分との差を感じ取り、逢坂部は僅かに気落ちしていく。

 混雑の状況から推測すると、二時間では着かないかもしれない。そんなことを考えながら、沈黙を紛らわすためにカーラジオを点ける。またバス事故の話題を報じていたので、慌てるようにチャンネルを変え、音楽を適当に鳴らした。


「会えたとして、何を話すつもりなんですか」


 横断歩道を渡る人波に目を向けたまま、帆夏は意を決したように問いかけてくる。

 極限まで潜められた声。おそらく、いつ話題を切り出すべきかタイミングをうかがっていたのだろう。だが、自分は美奈子と何を話したいのか、この段階に至っても逢坂部の考えは纏まっていなかった。さて、どうしたものか。悩んだ末彼は「わからない」と正直に答える。


「実際のところ、俺は彼女に対して感じていた気持ち。そこにまだ未練を残してるんだろうと思う。だが、たぶん向こうは吹っ切れているだろう。そんな事はおぼろげながらも理解しているんだ。だが──俺には、思っているよりも時間がない。こんなことを言っても、君には理解出来ないだろうが……。今、どうしても向き合っておかなければならない、悔やんでいる過去の一つ。そう感じているんだ」

 すると彼女は、ふう……と溜め息を一つ漏らした。

「なんとなく、分かりますよ。でも、あまり悲観的にならない方が良いと思います。どんな結果になったとしても、笑って帰ってきましょうよ?」


 大きな声で笑いながら、がんばっぺしと、もう一度言って拳を握る。

 間違いない。彼女は意図的に、大きな声を出している。そう分かる態度だった。

 次第に市街地を離れると、田園地帯が多くなってくる。飛ぶように流れていく車窓の景色と、物憂げな帆夏の横顔を交互に見つめて彼は思う。

 今日もまた俺は、この十九歳の少女に背中を押されて、勇気付けられている。そんな自分の事が悲しくなると同時に、彼女に対して申し訳ないと心の底から思った。


 もう少し早く、君と出会いたかった。


 君がもし、俺の同級生であってくれたなら。


 君がもし、俺の恋人であってくれたなら。


 俺のくそったれな人生も、もう少し輝いたものになっていただろうか?


 逢坂部はそんな有りもしない妄想を、ずっと考え続けていた。

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