3歳と27歳 4
「ゆーきーはーやーくー」
「今行くから」
あー、行きたくない。トイレから出たくなくなったのは大学のテスト前以来だ。
リビングを見たとき、自分の目を疑ってしまった。
「お母さん、どうしたのこれ」
「ノアが暴れたのよ、おとなしいってきいてたんだけどねー」
棚は全て空きっぱなしで、上に置いておいたものは下に散乱していた。
「ゆーきーこっちー」
怖い。私に会いたいだけでここまでするなんて普通じゃない。
でも、1週間。あと1週間だけだから。
「それでノアは何したいの?」
しゃがんで目をあわせて言った。相変わらずこの子の目は好きじゃない。
「ゆきのへや、いくのー!」
「雪、大丈夫?何かあったら言ってちょうだい」
「大丈夫大丈夫。三歳だし」
「そうだけど……」
やっと母は理解したらしい、この子は普通じゃないと。
「はーやーくー、ゆきやくそくやぶるの?」
「行くから」
私の部屋は2階の奥だ。
「わたしの部屋は何もないわよ」
「ゆきのへやだからいくの!」
「へ、へえー」
私の部屋には本と机にパソコン、ベッドと洋服ダンスがあるだけだ。
「ゆきいちゅもここでねるの?」
「うん」
ボフ
私のベッドに入ったノアは
「ゆきもきてー」
「わかった」
2年前と変わらない。三歳児の隣で寝るだけだ。そのまま寝かせて放置すればいい。
「ゆきのにおいしゅるー」
「ノアの匂いもするね」
甘い甘いミルクの匂いだ。
「ゆきしゅきー」
そう言ってノアは私にギューっと抱きついた。
「あ、ありがとー」
服を幼いながらギュッと握られるのはどこか恐ろしかった。
「ゆき」プルルルルプルルルル
「ごめんね、ノア」
「や!」
「ノア離してくれないと電話でれないよ」
「でなきゃいいの!でたらうそつきなの!」
プルルルルプルルルル
「じゃあここででるから、ね、これじゃダメ?」
「……んー、ゆるしてあげる」
「ありがとー」
こんのガキが!
なんで私が許されないといけないのよ!
《もしもし、ミズキ?》
ミズキとは私の悪友だ。
《おう、久しぶり》
《どうしたの?》
《明後日空いてる?》
《空いてるわよ、あんた知ってるでしょ》
《確かに》
《笑ってんじゃないわよ》
《いつものとこで》
《うん、いつものとこでいつもの時間にね》
《じゃ》
《じゃ》
「痛い痛い痛い、ノアやめて」
「ミズキってだれ」
腕を噛まれたのだ。
涙を溜めた目ではなく、ツーッと冷めた目で見上げたノアは彫刻のようだった。
「お友達だよ」
「…ら…い」
「何?」
「ゆきにそんなのいらない!!!」
「うわ!」
体当たりされてバランスを崩した私の上にノアが乗ってきた。
「ノア、退きなさい」
「いーや!ゆき、あやまって!」
「なんで私が」
「あやまらないならおちよき!」
「いったい!やめ」
「やめない」
今日のブラジャーはやっすいぺらっぺらのブラジャーだ。しかも私は生理前でおっぱいが張ってる。それを潰してきたのだ、両手で。
くっそ痛い。
「いいから、やめなさい」
手をのばしてやめさせようとしたのだが……
「痛い!」
噛まれた。加減を間違えたら、ノアにけがをさせかねない。
「あー、もう、ごめん。ごめんってば!」
負けた。私はこの子に負けた。
「ゆきいいこいいこ!」
キャッキャッし始めたノアは私に小鳥のようなキスをし始めた。
「ノア、よけてちょうだい」
「まーだー」
「雪ー、ノアー、2人が帰ってきたわよー」
このお母さんの一言がなければ、私はどうなっていただろうか。
「ノア、下行こう」
「うーん、しかたないかりゃいったげる」
「うん」
私は下に降りた時に見た姉の旦那の笑顔が目に焼き付いて離れない。
"言ったでしょう、逃げられないって"