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その8 夜、瞑想の時間

 天丼屋から出る頃には時計は九時をまわっていて、空には一面の星たちが輝いていた。

 今なら星空にとけることができるだろうか? などと逃避をしてしまうのもしょうがない。なぜならたった今俺は奴の手……いや、腹により、店で一番高い天丼を食べられて二千円もの出費をこうむったからだ。

 奴の発した『せっかくのおごりなんだから高いのを食べないとね~』という言葉には、もう涙も枯れていた。


 部屋に帰ってから、サキは終始独り言を言っている。

「私の考えは間違ってなかったんだわ。前提が合ってるならそれ以外だって合ってるはずよ。となると勝負は明日。絶対に暴いてみせるんだから」

 まさに自己中心という言葉が似合う発言で、俺はそれを右耳から左耳に受け流すことにする。受け流している間俺はどうしていたかというと、奴を尻目に某携帯ゲーム機に熱中していた。

 いつもなら話を聞いていないことに気付くと怒号が飛ぶのだが、今日は想像にのめり込んでいるのかこちらの様子に一切気がついていない。


 ふと時計を見ると十時を半分ほど過ぎていた。いい加減いい時間だということもあり、ゲームを止めて部屋に備えてあった浴衣や石鹸を手に大浴場に向かうことにする。

 さて、ここで声をかけずに向かうと機嫌を損ねてしまうだろうか。多分……としか言いようが無いが、奴は機嫌を損ねるだろう。「私に無断でどこに行ってたのよ!」と。

 起こる問題は少ない方がいいだろう。俺は念のため奴に声をかけておくことにする。

「今から風呂行くけど、お前はどうする?」

 しかし奴からの返答はなく、今はそんなこと聞いている暇がないという風にうんうん唸っている。

 いつも思うことだが、一体何がそんなに楽しいのだろうか。

「とりあえず鍵持っていくから、何かあったら携帯によこせよ?」

 聞いている気はしないが、返事を待ったところで時間の無駄だと思ったのでそれだけ言って部屋を出た。


 大浴場は一階の奥にあり、そこまでは廊下を抜けて階段かエレベーターで降りて、さらに廊下をこえる。いたって平凡なルートである。

たとえばその途中に落とし穴があったりだとか、上からタライが降ってくるだとか。そういうハプニングは一切無い。

 何の問題も無く辿り着いた脱衣所には人が全然いず、貸切と言っても過言ではないくらいだ。

 夏休み明け最初の休みなのだから当たり前と言えば当たり前だろう。

 こんな時期に観光地に来るのは喧騒に巻き込まれたくない旅行のプロか、夏休みなど関係ない社会人の独り者やその集い。もしくはそのどちらでもない俺たちくらいだろう。といっても、俺たちと同じ考えの人間などいるはずもなく、もしいるのなら見てみたいものである。

 正直、サキみたいな奴は一人で充分だから居ないでいてほしい。

 そんなつまらないことを考えながら開いた扉の先は、広い石床の大浴場。

 宿の風呂ならこれだろうというくらいに型に嵌っている平和平穏な風景に、何故だか感動の二文字が浮かんでくる。気づかない間に随分〝異常〟に毒されていたようだ。

 ざっと体を洗い飛び込んだ湯船は、まるで恋でもしたかのように胸をキュンと締め付けて俺の心を離さない。もういっそ、部屋に帰らずここにいたいくらいの気持ちだ。


 湯船に浸かりながら今の自分を取り巻く状況を考える。

 サキは何故あんな性格になったのだろうか。昔は普通の女の子だったはずなのに。

 俺の部屋にある本でも勝手に読んで毒されたのだろうか。いや、それはない。なぜなら俺の部屋には鍵がかけられ、窓も部屋を留守にする際は常にロックしている。奴が奴の独断で俺の部屋に上がることはできないはずだ。それに奴が興味を示す本があるとも考えづらい。

 ならば宇宙人に連れ去られて脳をいじられたという考えは? そんなのを考えると俺もサキと同じ脳になってしまう。ありえないことはありえない。フィクションはフィクションだ。俺も超常現象的な物は嫌いではないが、それはあくまで傍観者として。フィクションとしてであって、自分からわざわざ首を突っ込もうなんて考えたこともないししたくもない。


 テレビか悪い友人にでも毒されたのだろうか。それが一番確実だが、ここまで酷くなるものかと考えると……いや、二十歳を超えても自分が実在しない幻想の国の女王だと考える人間はいる。奴もそういうものだと思えばありえることじゃないか。

 そうか、交友関係さえなんとかなっていれば防げたのかもしれないのか。しかし今それに俺が巻き込まれることの必要性はないわけで、防ぐために過去の俺がずっと一緒にいるというのもおかしなことだ。

 これから巻き込まれないように逃げるにしても、今回のようにお袋を味方につけてくるだけ。となると俺にはもう奴を更生させるか、高校生活の間だけ我慢して他の県にでもオサラバするかという話になる。

 前者は不可能と思っていいだろう。後者はこの高校生活の間にどのくらいの無茶を言ってくるかによるだろう。

 俺がサキから逃げる方法は未来にしかないというのが悲しく、そしてむなしい。

 奴がもっと可愛らしく、毎朝起こしてくれたり、俺のために弁当を作ってくれるような清純可憐な女の子なら、こんなわけのわからないことに悩まされなくて済むのに。人生とはそう都合よくできていないものだと、痛いくらいに教えてくれている。

 考えれば考えるだけ自分の不利さが目立つようだ。どうあっても避けて通れない未来だけが垣間見えてしょうがない。


 部屋に帰ってみれば、サキの奴は未だに唸りっぱなしている。

 他の事をした形跡どころか、一㎝も動いた形跡が無いというのは見事としか言いようが無いだろう。

 0時をまわっていることもあり、他の事をするのもなんなので翌朝に備えて、布団に潜りこむことにした。

 家族旅行で数回、そして修学旅行で味わった覚えのあるベッドのスプリングが、心地よい支え方をしてくれる。沈むようで沈まない、硬そうでいて柔らかい。

 それに足すように、まるで自分の為にしつらえたかのような丁度いい具合の枕。高さ、幅、沈み具合。全てにおいて申し分無い。

 唯一勿体無いのが掛け布団だ。経費削減の為か、それともリネンの都合か、清潔さの問題か。どこへ行ってもベッドには薄手の毛布とシーツ。日本人としては掛け布団はやはり分厚めの和装を羽織りたいところである。

 などと考えていると、心地よさの中で産まれた睡魔が布団と言う名の暗闇に潜み、俺の脚に手をかけたかと思うと、徐々に徐々に夢と言う名の泥沼へと引きずり込んでゆく。

 今日寝たら本当の世界で目が覚めて、そこには器量がよく清楚で可憐な幼馴染が笑顔で俺が目覚めることを待っていてくれる。

 もしそうならたとえ長き眠りであろうと喜んで身を投じよう。

 お願いです神様、しがない男子のちっぽけな幻想を叶えてください……。

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