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メルは、州の車両局からの写真とデータに見入った。
段々と眉間に皺が寄るのが分かった。
昨日はNAUと警備員の遺族に呼び出されて、時間を取られた。今日も、午前中は新事件の応援で潰れた。午後になって、やっと参考人の調査に腰を据えたのだった。
手元の資料の人物はティム・ヘッドランド、二十一歳。免許証の情報によると、茶色の髪と瞳で、身長の割に体重は軽いようだ。
ティムの名前は、殺害されたキャシーの身辺調査から浮上した。キャシーはメール・アカウントに送受信メールを保存していなかったが、プロバイダーの協力で情報を得た。
携帯電話の記録と併せて、裏を取る地道な作業で残ったのが、ティムだ。
ペイジ博物館の上司はキャシーについて、長時間の発掘作業も楽し気にこなす健康美人だったと評した上で、付け加えた。
「キャシーはオレゴン州の実家と疎遠だったようです。そもそも人付き合いは、良くありませんでしたよ」
同僚や友人たちの証言では、最近キャシーの周囲に男性の影があり、付き合いがさらに悪くなっていたそうだ。
事件から一月ほど前に、キャシーが電話で「今、レシーダにいる」と友人に告げたエピソードがあった。レシーダは北のサンフェルナンド・バレーにある街で、キャシーの住まいからも行動範囲からも離れていた。珍しいから覚えていたと、友人は洩らした。
ティム・ヘッドランドの住所は、話題のレシーダだ。
「どうですか?」
黒い目を見開いてジョージが聞いた。メルは黙ってプリントアウトした紙を滑らせた。
「あ、車」
ほんの数秒で、興奮した声が上がった。ティムが車両局に登録している車は、逃走車のSUVと同種同色だ。
「車は、当たりですよ」
五日目に突入して、やっと出た手掛かりに、ジョージが目を輝かせる。
メルは「車種と色だけだぞ」と、二枚目のプリントアウトを渡した。二枚目は車両局だけでなく、前科から銃器登録、職業に至るまでティムに関するデータが記されている。あくまで警察で調べられる範囲だが。
「カリフォルニア州立大学ノースリッジ校の学生だ。学生だからとは言わないが、関係していても、ティムが主犯って可能性は低いだろう」
表面上、ティムは平凡な学生で前科もなく、銃の登録もしていなかった。事件の性質からすると、前科はまず関係ない。とはいえ、銃のライセンスや登録は、あってもおかしくなかった。
「ああ、そうですね」
記録を見ながら、ジョージは下唇を突き出した。子供が拗ねた表情だが、童顔が益々若く見えた。
「路上監視カメラまで調べた犯罪に、プレートを弄っただけで犯人自身の車を使うとも思えん」
メルが付け足した一言に、ジョージは黙って頷いた。
事件の夜、犯人たちは警備員が来るまでの短時間に、館内のカメラを避けたり壊したりしながら、本物のラ・ブレア・ウーマンを奪った。さらにキャシーを射殺して、建物後部の出入口から逃げた。
亡くなった警備員が至近距離で撃たれた事実は、司法解剖で結果が出ていた。外側にいた見張りの仕業ではないか、と考えられた。
「サイレンサーまで用意してましたしね」
書類を睨んで下唇を突き出したまま、ジョージが指摘した。現場で目撃者は銃声を聞いていなかった。
亡くなったチャールズ・ゴメスは陸軍に所属した経験もあり、異変に真っ先に駆け付けた血気盛んなタイプだった。当然、不審者を見た場合、銃を抜くのをためらうとは考えられなかった。
しかし発見時、チャールズの銃は、ホルスターに入ったままだった。
「最初から、警備員を撃つ行為は計算に入れていたかもしれん」
犯人が使用した銃はハイポイント社の9ミリで、銃の愛好者が欲しがるような品ではない。安価が取り柄の銃から発射された弾で、銃の前歴を照合したが過去の使用履歴はなかった。
キャシーの遺体から摘出された弾丸も、同じハイポイントの9ミリだった。チャールズを撃った銃とは別だ。
犯人たちは最低でも二人が、同じ種類の銃を持っていた。犯行のためだけに購入された品だろう。
「計算はされてましたけど、アクシデントは起きたわけですし?」
顔を上げたジョージは、まだ若干ながら不服そうだ。
「百パーセント、アクシデントとも決まってないがな」
喋りながらもメル自身、犯人たちにとって予想外の事態は起きたと思っていた。キャシー殺害に至った理由が、そのアクシデントだ。
わざわざ館内でキャシーを殺す理由は考えられなかった。キャシーは情報を与えただけでなく、一緒に館内に入った。共犯のキャシーを殺害するには、よほど想定外の事態が起きたに違いなかった。
「で、どうします?」
「どうするもこうするもないだろう。ティムに話を聞こうぜ」
携帯で時間を確認すると、午後五時近かった。夕方の時間帯に自宅にいるとも思えないが、電話を入れて警戒されるのは得策ではない。
まずはレシーダのアパートを訪ねようと、メルたちは腰を上げた。
「上がりか?」
てっきり自分の部屋にいると思った係長が声を掛けて来て、メルは足を止めた。殺人係に二十四人いる刑事に号令する係長は、通常オフィスの中に仕切られた小部屋にいる。
小部屋は結構だが、ブラインドを常に全開にしてオフィス内の動向を見張っているから、この上なく鬱陶しかった。
「いえ、聴取です。必要なら、任意同行します。詳しい報告は後ほど」
「相手は、金曜の夕方に、居場所が分かってるタマなのか?」
神経を逆撫でされる物言いに、メルは極力穏やかに答えた。
「必要なら、週末に出直します」
市の財政は破産寸前で、殺人係といえども相当な事情がなければ残業代は認められない。逆に、残業代の申請をしなければ、週末だろうが夜中だろうが、仕事に使って文句を言われる筋合いはないはずだ。
「何だ、効率が悪いな。ジョージ、たまには、早く帰って子供と遊んでやるのも、大事だぜ」
メルのすぐ後ろで、ジョージが不穏な雰囲気を醸し出した。いい上司ぶっても、係長は部下の私生活など一々覚えてはいない。
ジョージの妻は先月、子供たちを連れて実家に戻った。別居の話は係長にもした。
生返事を残して、メルとジョージはオフィスを出た。
「イヤになりますねぇ」
北へ向かう高速一○一号線に乗って、ジョージがぼそっと口を開いた。見事に渋滞に巻き込まれた手際の悪さを指した発言かと思ったら、違った。
「係長が言うまで、子供と会っていない状態を忘れてましたよ。もう一か月も離れているのに、会いたいと思わないなんて、どっか、おかしいんですかね?」
一般的にメキシコ系は、家族の絆を大事にして、親族家族で始終、何やかやと集まる。
しかしメキシコ系が一人残らず、家族大好き人間のわけはない。ジョージが本署の配属になった時には既に、家庭内別居状態だと聞いていたし、メルもジョージの妻に会っていない。
「俺に聞くな、俺に」
あえてそっぽを向いたメル自身、離婚経験者だ。ただ、かつての妻の言動から、警察官の家族が内に外にストレスが多い環境にある件は、身に沁みて知っていた。
「のびのび仕事ができて快適なんですよ、これが」
「すぐ寂しくなるぞ」
「なったほうがいいんでしょうね」
妙にしみじみとした声を出すジョージと、妻の溝は深いようだ。メルは肩を竦めて乱暴に言い放った。
「当たり前だ。このままだと俺ら、ホモだと思われるか、嫌われ者まっしぐらだぞ」
殺人係内だけでなく、強盗殺人課内でも、残業代が出ない時間外勤務を厭う者は多かった。無料奉仕をし続けては、残業代なしの状況が常態化する心配でもあったし、単純に対価の支払いがない労働は、しない姿勢でもあった。
同僚たちの足並みを乱して夜間や週末の捜査に時間を注ぎ込めば、点数稼ぎだと陰口を叩かれた。世知辛いロサンゼルス市警の信条は「To Protect and To Serve」(守ること・仕えること)だ。
辛気臭い話をしながら行ったレシーダでは、予想に違わず、ティムに会えなかった。二十戸ほどのアパートで、念のために駐車場も確認したが、車もない。
「まさか、もう飛んだって可能性は、ないでしょうね」
「さあね。今、慌てて電話を架けまくるよりも、明日の朝もう一度ここに来てみるほうがいいと思うがな。飛ばれてたら、クロだと判断はできるけどな。明日は、俺一人でもいいぜ」
「係長みたいなこと、言わないで下さいよ」
本気で聞いたが、ジョージは面白い冗談でも聞いたように笑った。いよいよ、嫌われ者ペアの道を歩く羽目になりそうだ。
翌日は、無駄どころの話ではなかった。
朝、七時半にティムのアパートを訪ねたメルたちは、帰宅した様子がない状況に落胆しつつ、近所で朝食を摂った。朝食の最中に、一報が飛び込んできた。
レシーダ近辺を管轄するウェスト・バレー分署の強盗殺人係が、ペイジ博物館事件の担当者に連絡を取りたがっていると、本署から連絡が入った。
首を捻りながらも、急いで伝達のあった番号に架ける。電話に出た男は、挨拶の類を一切、口にしなかった。
「ノースリッジで殺人事件が起きたんですが、通報者が、事件はペイジ博物館の強盗殺人事件と関係があると証言しています。現場、来ますよね?」
住所を聞くと、ティムの大学の近くだ。五分で行くと返事をして立ち上がった。
捜査が後手に回って被害者が増えたか、あるいは急転直下の解決か。
本当に五分で到着した場所は、大学から少し離れた静かな住宅街だった。白と黒のポリスカーが四台駐まり、現場保存の黄色いテープが張られた一画だとすぐ分かった。
近所の野次馬が路上に目立った。大き目の一軒家が現場かと思ったが、家の後ろにあるゲスト・ハウスだと制服警官に教えられて、庭に回る。
クリーム色の離れは古い。だが、ゲスト・ハウスにしては広めだ。開け放たれた玄関に向かったときに、ヒステリックな声がした。
「だから、何度も言ってるだろぉ。あいつだよ。あれが二人を殺して、歩いて行ったんだってば」
振り向くと、母屋のポーチで、小太りの白人の若者が髪を振り乱していた。何事かを説明しているらしいが、「あれ」とは誰のことだ。
若者の話を聞いている人物は私服の女性刑事で、メルを認めて目で合図を送って来た。見覚えはあっても、名前が思い出せなかった。ウェスト・バレー分署の刑事には違いないだろうが。
意味不明な聴取は一先ず女性警官に任せて、メルはゲスト・ハウスに足を踏み入れた。「現場」では、お馴染の血の臭いが鼻を突いた。玄関からすぐのリビング・ルームに、男が二人倒れていた。床の上のラグが血を吸って、どす黒く変色している。
二人とも半袖シャツにジーンズ姿だが、靴を履いていなかった。一人は俯せになっていて髪が黒い外見しか分からないが、仰向けになっているもう一人の青白い顔に、見覚えがあった。
喉を切り裂かれた無残な姿で、頬にも血が生々しくこびりついているが、顔立ちが分からないほどではない。
「ティム・ヘッドランド?」
高い声を出したジョージに、遺体の向こうでしゃがんでいた男が振り向いた。
「オズモンド部長刑事にラミレス刑事? ウェスト・バレー分署、強盗殺人係の、キング巡査部長です。被害者に面識が?」
さっき電話を取った男だ。身体の大きなアフリカ系で、メルよりも少々年下に見えた。
「被害者をご存知なんですね? やはり、この事件は本署の扱いになりますか?」
所轄でよく見る目つきで聞かれて、メルは苦笑が洩れそうになった。
緊急当番のときに大事件が発生し、勇んで出動したのに本署に持って行かれるのは分署の宿命だ。メルも分署勤めだった頃は、何度も経験した。
「まず、通報時からの情報を、教えてもらえますか? ウチの事件になるかどうかは、まだ、何とも。ただ、お宅のサポートは、どうしたって必要ですから、お願いしますよ」
下手に出ると、キングは満更でもない顔をした。本署風を吹かせて、良い結果に繋がったためしはない。メルは真面目な顔で続けた。
「亡くなっている男がティム・ヘッドランドなら、聴取したかった相手には、違いないんです」
捜査についても説明した。殺人係の刑事として事件を人に譲る真似は絶対にしないが、必要以上に守秘に走ると、何も教えてもらえない慣習は身に沁みている。
現場へ来る間に、係長へ報告はしておいた。関連の確認が取れ次第、本署の、メルたちの担当になる手順は間違いないが、ここは分からない振りをしておくべきだ。
とりあえずは渋い顔もせずに、キングは判明している事柄を教えてくれた。
「九一一通報が入ったのは、七時三十五分です。通報者は、外にいる男で、ロン・ニミッツ。カリフォルニア州立大学ノースリッジ校の学生で、被害者二人の友人だそうです」
まず、倒れている被害者は、ティム・ヘッドランドと、日本からの留学生の岩田和也で、ゲスト・ハウスは和也の住まいだった。和也もティムと同じ大学に通っていた。ティムやロンは、よく和也の家に来ていたそうだ。
ティムは昨日の午後から和也の家に来ており、ロンには、夜中に誘いの電話が架かった。少し離れたパノラマ・シティーに父親と住むロンが和也宅に来たのは、午前四時過ぎで、被害者の殺害直後だったそうだ。
「四時? それから通報まで、ロンは何をしてたんです?」
「失神していたと、本人は主張しています。事件の犯人についても証言の内容がおかしいんで、薬物摂取のチェックと精神鑑定は必要があると思いますね」
顰め面で説明して、キングは遺体の向こうのサイドテーブルを顎で示した。灰皿と、中にある茶色の物体はマリファナのようだ。
カリフォルニア州では広い範囲で、医薬目的でマリファナの使用が認められている。娯楽目的は違法だが、使用する者は多かった。
「見えるのはマリファナだけですが、鑑識が着いたら分かるでしょう。このゲスト・ハウスは、学生の溜まり場に持ってこいだ」
なるほどリビングルームは広いし、どっしりしたカウチは座り心地が良さそうだ。壁には巨大なテレビがあり、テレビの下の棚には大量のDVDが並んでいた。
メルが若干の違和感を覚えたのは、あちこちにアニメーションのポスターが貼ってあったり、キャラクターと思しきフィギュアが飾ってある光景だった。
大学生にしては少々幼い印象を与えるが、コミックを実写化した映画も人気の昨今だから、アニメーションもまた人気があるのかもしれない。
ポスターでは『銀河騎士団』と記されたタイトルの上で、目の大き過ぎる男女が珍妙なコスチュームでポーズを取っていた。
九千年前の人骨を欲しがるカルト的な臭いはしない。だが、結び付かないとも断言できなかった。第一、ゲスト・ハウスは和也の家で、キャシーと接触していたのは、ティムだ。
「で、ロンは、誰が被害者を殺害したと主張してるんです? 三時間あれば、ロンが殺した上で血を洗ったり、着替えたりしても充分でしょう。母屋が大家でしょうが、何か有効な話は?」
メルの質問にキングが答えようとした時に、表が騒がしくなった。鑑識班が到着した。
馴れた動作で仕事に取り掛かる鑑識員たちに場所を譲り、メルは外に出た。キングが素早く鑑識班に指示を出して、メルに続く。
母屋を一瞥して、キングは説明に戻った。
「大家は白人の老夫婦ですけど、全然ダメ。昨夜は寝てたし、日ごろ、和也とは家賃の受け取り以外は没交渉だったとか。店子として問題はなかったと言ってましたから、友人の出入りはあっても、派手なパーティーはなかったようです」
短時間で大家の話を纏めたのは結構だが、キングはメルの最初の質問に答えていなかった。まだ、母屋のポーチにさきほどの青年と女性刑事がいるのを横目で見ながら、メルはキングに同じ質問を繰り返した。
「ロンは、犯人が誰だと?」
弱り切った笑顔がキングの健康そうな顔に浮かんで、やっと声が出た。
「ラ・ブレア・ウーマン、だそうです。九千年前の人骨だそうですね。ペイジ博物館から盗まれていたんですか? ま、その骸骨が、ですよ。被害者二人をぶっ殺して、とことこ外に歩いて行ったそうですわ」
メルは、自分はさぞかし惚けた顔をしているだろうと思いつつ、言葉を探した。キングが心得顔で付け加えた。
「クスリの後遺症のフラッシュ・バックかもしれませんな」
メルが答える前にキングの携帯が鳴った。キングが応答している間に、いつの間にか背後に来ていたジョージが、小声で話かけた。
「カルトとクスリってのは、珍しい組み合わせじゃありませんよ。ラ・ブレア・ウーマンは、実はこの家にあるかもしれませんね」
ペイジ博物館での強盗殺人はカルト趣味の大学生たちの仕業で、仲間割れで一人が残りを殺害した図式なら、ロン・ニミッツ逮捕で解決だ。
願ってもない話だが、メルの後頭部では、もう一人のメルが「そんな簡単な話じゃないぞ」と囁いた。
「あの、すみません」
電話を切って会話に戻ったキングの表情で、メルは話の内容を悟った。
「やっぱりね、この事件は本署の担当になるそうです。一応は協力するように言われましたから、まあ、何か指示を出して下さいな。なんなら、ロンと話してみます?」
見え透いた慇懃無礼さでも、露骨に唾を吐かれるよりは数段ましだろう。
「助かります。ロンは本署に任意同行します」
メルも型通りに挨拶を返した。こういう場面で出すメルの笑顔は、感じが悪いと定評がある。