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LAダウン  作者: 宮本あおば
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 やっとスティーブと合流できたときには、午後一時を回っていた。

「グラハム博士がトルーマン博士を、『面白い』と評していたそうだが、よく分かったよう」

 疲れた声を出したスティーブに、ルイスは「博士は午前中から、かなり面白かったですよ」と軽口を叩いた。

来た時と同じくスティーブが車の後ろに座り、マードック臨時首席が変えた内規から、話が始まった。

 以前はボランティアや新しい技術員がアクセスできる倉庫や、キャビネットは限られて、作業や役割にも細かい区分があった。

 ところが臨時首席が制限や区分を減らして、技術員キャシー・コーリックは、ラ・ブレア・ウーマンのキャビネットにアクセスが可能になった。とはいえ、スタッフ用出入口のコードまでは知らなかったそうだ。

「ペイジ博物館でラ・ブレア・ウーマンは、LWと呼ばれているそうだ。LWは、やはり盗まれていたよう」

 重々しく告げたスティーブに、ルイスはさらに不真面目な口を利いた。

「警察も博物館も青筋を立てている状態で、実は盗まれていなかったら、驚きですよ」

 三春も助手席で肩を動かして笑っていた。

「ペイジ博物館では、LWが一部の人間に対して魅力的だった事実は、意識していたらしい」

 スティーブもLWという呼び方が自然になってきた。説明は続いた。

 実はLWの本物が、博物館に展示された経歴はない。頭蓋骨は複製で、首から下は人体標本が「ラ・ブレア・ウーマン」のコーナーに展示されていた。

 もっとも、展示に使われた人体標本も、当時はまだ合法で販売されていた本物の人骨だったが。

トルーマン博士も事件が起きて初めて知ったが、本物のLWはぞんざいに収納されていた。逆に、かつて展示に使ったLWの頭蓋骨の偽物と、首から下の標本が奥に大切に入れられていた。

 にも拘わらず、賊はきちんと本物を盗んで行った。真贋を入れ替える扱いをした責任者は、現在まだ療養中のジョンソン首席学芸員らしい。臨時首席も知ってはいた。

 ルイスはハンドルをゆっくり回して訊いた。

「でも、トルーマン博士は知らなかった。キャシー・コーリックは知っていたんでしょうか?」

 韓国街で会った警官の助言通り、北側のハリウッド方面に向かっているが、車の流れはスムーズではない。皆が韓国街を避けているのかもしれなかった。

「トルーマン博士は、マードック博士が教えたと思っている。それと、キャシーが亡くなったときに抱えていたのは、犬の骨だ」

 脳裏にキャシーの白い顔が浮かんで、反射的にルイスは身震いしてしまった。声まで、ほんの少し震えた。

「犬って、LWと一緒に発掘された犬ですか?」

「うん。犬の骨もLWの近くに収納されていた。犬の骨は、証拠物件として警察が持って行ったそうだ。キャシーは、オカルト好きな性格だったらしい」

 ふう、と大きく息を吐いて、スティーブが座席に凭れて低い姿勢になった。さっきから少し頬が赤く、だるそうだ。

「昼酒は回る」

 ぼそっと三春が声を出し、スティーブがにたっと笑う顔が、バックミラーに映った。

「LWの安否確認は必要だったからなあ。マティーニ付きのパワーランチは重罪でもないだろう。他の話も聞けたし」

 納税者が聞いたら立派な重罪だと見なすだろう。昨夜も深酒をしたトルーマン博士は、ランチにマティーニか。博士の肝臓に同情したくなった。ルイスは鼻を鳴らして「聞いたのは、それだけですか?」と、先を促した。

「時々、ペイジ博物館の中で奇妙な事件があったそうだ。だから、ジョンソン首席は、ボランティアや新入りのアクセスを制限していたんだ」

 トルーマン博士はペイジに勤めて、十年ほどだ。次席学芸員に次いで三番目のトルーマン博士ですら、LWの収納にトリックがあった事実は知らされていなかった。

 しかし、展示物の位置や角度が時折、微妙に変わる出来事には最初の数年で馴れたし、何度かLWの倉庫の近くで女性の声を聞いた体験もあった。

「マジで?」と、思わず上げたルイスの叫びが、三春の声と重なった。巨体をもぞもぞと動かして、助手席の三春が後ろを向く。

「どんな声ですか?」

「歌だって。何度か女性がハミングする声を、トルーマン博士は聞いている。声についてジョンソン首席に質問したこともある。ジョンソン首席は、心配するなとだけ指示したそうだ」

 思いも寄らない内容に、ルイスは信号が変わったのに気付かなかった。後ろから怒りのクラクションが鳴った。

「科学者がお化け話を真面目に受け取るのは、アリなんですか?」

 まさかLWの本物が展示されなかった背景に、お化けという非科学的な理由があったとは思えない。いや、思いたくない。トルーマン博士が、以前から飲み過ぎていただけではないのか。

「興奮するな。ペイジ博物館がLW盗難を隠した態度と、奇妙な出来事は、繋がりがあるかもしれないなあ」

 えらく荒唐無稽な話をしているのに、スティーブは冷静だ。

「どんな繋がりですか? そもそもペイジ博物館の態度も、LWの怪談も、ジョンソン首席なら全部ちゃんと説明できるでしょう。療養中でも、何とか面会できませんかね?」

 ルイスの提案にスティーブは鼻から息を出して、首を横に振った。

「先週末から、容態が思わしくないそうだ。我々が行っても、話は聞けないだろう」

「タイミングが悪いですね。ジョンソン博士が倒れなければ、今回の事件も起きなかったかもしれませんよ。少なくとも、キャシー・コーリックはLWにアクセスできなかったようだし」

「かもしれないし、外の形で起きたかもしれない。いずれにしろ、合い鍵を渡したり暗証番号を教えた臨時首席は、何も教えてくれないだろうな」

 唇を曲げるスティーブに、今度は三春が訊いた。

「ジョンソン博士ほどじゃなくても、LWについて知ってる人はいないんですか? 次席のポーター博士は?」

 わざとらしく眉間に皺を寄せると、スティーブが説明を始めた。

ポーター博士は、おそらく臨時首席の失脚を待ってはいる。だが、外部との接触には、消極的だ。

 ペイジでの勤務年数もトルーマン博士より数年長い程度で、LWについて多くを知っている様子はない。専門も古代植物学で、元々興味は薄かった。

「話を聞くのなら、自然歴史博物館の学芸員か、退職した元学芸員を探したほうがいいよう」

 人差し指を立てて、スティーブは主張する。

ペイジ博物館が開館したのは一九七七年で、LWはペイジの開館まで自然歴史博物館に所蔵されていた。当時の館員ならば、何か知っているかもしれない。

「一番いいのは、ペイジの初代首席学芸員だが、もう既に亡くなっている」

 スティーブの言葉で気付いた。ジョンソン首席も、開館以来のスタッフではなかった。

「オフィスに戻ったら、自然歴史博物館の関係者を探そう。またグラハム博士に頼んで、伝手を辿ってもらってもいい」

「了解」と、答えながら、ルイスは昨日、オートリー博物館で出会ったトーマス・グレイ氏を思い出した。

 グラハム博士は、グレイ氏の専門が近いと説明した。しかし、グレイ氏は今も、博物館関係の仕事だろうか。

「ロサンゼルスでこんな仕事をするとは思わなかった」

 ぼそっと三春が呟く。確かに、元々は土木工事関係の部署へ配属されたし、A市では土木事業関係の所属だと聞いていた。NAUのスタッフとして研修しても、A市の利益には結びつかないのではないか。

 戸惑いながら、少し顔を助手席に向けると、三春はニタリと笑った。

「楽しい」

 感想は喜ばしいが、絶対に暗闇では見たくない笑顔だった。

 オフィスに戻ると、ジョセフとトムは出かけていた。壁のホワイトボードに「イベント打ち合わせ」とあった。通常業務を全部二人に押し付けているな、とルイスが頭を掻いたときに電話が鳴った。

 スティーブが早かった。

「え? 今、外にいるんですかあ?」

 電話の相手は身分を名乗った上で、レンジャー・ステーションの外にいる旨を伝えたらしい。ルイスたちは顔を見合わせた。

 すぐに部屋に入って来た人物を見て、ルイスは内心、首を傾げた。

 二十代後半に見える白人女性で、かなりの美形だ。ダークブロンドとブルーグレーの瞳が、すっきりした鼻筋とよく調和していた。

 ハリウッドのオーディション会場でも場違いではないほどだが、シンプルなブラウスとスカートが市の施設には合っていた。

「ルイス・ロングさんは?」

 開口一番に言われて、ルイスは思わず立ち上がった。

「サラ・シモンズです。チュマッシュ、サンタ・イネス政府から来ました。昨日、電話でお話しましたね」

「わざわざ来たんですか」

 つい声が大きくなった。昨日の電話で、チュマッシュ族の反応を尋ねた際には、特別な動きはないとルイスに伝えただけだ。事務的に、しかし感じは良かった。今日になって、何か起きたのか。

「気になった件ができましたので」

 優雅に動かした顔の近くで、ウェーブの掛かった髪が揺れた。チュマッシュと名乗るからには、ネイティブ・アメリカンの血を引いているわけだが、とても見えない。スティーブが自分のデスクから名刺を取ってサラに渡す。

「よくNAUの事務所が、レンジャー・ステーションだとご存じでしたね」

 驚くポイントが違っていた。そういえば電話した際、ルイスは所属は名乗ったけれど、オフィスの場所までは伝えていない。

「最近は部署名だけで色々なことが分かりますし、うちの渉外・広報は、トングヴァ族とも行き来がありますから」

 微かに微笑んだサラに、スティーブが「さっすがですねぇ」と、舐めていると思われかねないリアクションを返す。

 しかし、サラは不快な顔もせずに、スティーブに勧められて来客用のセットに腰を下ろした。

もはや話すべき相手は、ルイスでないと分かっているだろう。トルーマン博士との面会の百倍も残念だ。

「昨日、電話の後に、上司や年寄りたちが実は事件に注目していたと分かったんです」

 単刀直入にサラが切り出した。

「ペイジ博物館の事件があってから、部族の上部は捜査の進展を心配していました。下の私たちには、何の伝達がありませんでしたが」

 何かを思い返すように、サラは唇を尖らせた。

「どんな心配ですかあ? ネイティブ・アメリカンのイメージなら、黙っている必要はありませんよねえ?」

「おそらく、イメージ程度の問題ではありません。もっとも、現実問題として心配すべき内容かも判断できませんが」

 きわめて真面目な顔のサラだが、スティーブは首を傾げた。椅子をソファー・セットの近くに運んだルイスと三春も、顔を見合わせた。いったいどんな内容だ。

「心配はLW、失礼、ラ・ブレア・ウーマンがチュマッシュ族だと言われている件と、関係がありますかあ?」

「いいえ。LW、と呼ぶのは楽ですね。LWはおそらく、トングヴァでもチュマッシュでも、なかったはずです」

 サラは微かに白い歯を見せて、スティーブの質問に答え、説明を加えた。

「最近、3Dのレーザー・スキャナーを使った分析で、LWの頭蓋骨が、当時ロサンゼルスに住んでいたネイティブ・アメリカンとは違っていた、と分かりました。もっと北のサン・ホアキン・バレー周辺から出土した骨と一致するそうです」

 爽やか、かつ分かりやすい話し方だけれど、ルイスの頭には疑問符が飛び交った。

 チュマッシュは、LWが自分たちの一族ではないと知りつつ、行方を心配していた。しかも、ネイティブ・アメリカンのイメージ関連ではないとは。見当も付かない。

 トングヴァ族のロブレス氏のほうが、断然、分かりやすかった。

 サラの説明に膝を乗り出したルイスに、三春が囁いた。

「サン・ホアキン・バレーって、どこ?」

「北だって言ってるだろ。フレスノのほうだよ。いや、後で教えるから」

 ソファーの近くで雑音を立てたルイスたちに、一旦サラは言葉を止めてから、スティーブに視線を戻して口を開いた。

「もっとも、LWがチュマッシュでも、トングヴァでもない件は、以前から伝えられていました」

 確かな自信に満ちた口調だけれど、サラはあくまで真摯な話しぶりだ。高過ぎない鼻から、すっきりとした顎の線に、ルイスはつい見惚れた。

「タールピットから出土した人骨はLWだけ、との事実に関係してますかあ?」

 例によってどうしてもスティーブの話し方は、ふざけているように響いた。しかしサラは気にした風もなく頷いて、言葉を継いだ。

 LWの存在について、一九一四年に発掘される遥か前から、チュマッシュ族にはタールピットに何かがあると言い伝えがあった。

「文字での記録ではありません。一族のごく一部に口碑として受け継がれた伝承で、LWが発掘されるに至って『LWの話だったらしい』と認識されました」

 流暢な説明に、興味深げにスティーブが頷いた。ルイスはサラの説明がどこへ行くのかと、聞き入るばかりだ。

「古代から、ネイティブ・アメリカンはタールピットのアスファルトを、防水や防腐材として使用していました。同時に、タールピットの危険さも承知していたんです」

 言葉を切って、サラは複雑な笑いを浮かべた。

「ここから先は、私の推測です。口碑を把握している年寄りが頑固で、若い世代を信用しないので。だから、LWの心配も、私たちに伝えなかったんです」

「信用しない理由は、若いからだけですかあ?」

 本筋とは全く懸け離れた質問をスティーブが投げて、サラの顔がはっきり分かるほどに強張った。

「一枚岩の組織なんて、ありませんよ。それともロサンゼルス市は、どの部署でも職員の間に問題がない、とでも?」

「これは失礼」とスティーブが謝った声と被るように、サラが解説に戻った。

 厄介なタールピットの湧出は、古代、精霊の仕業だと考えられており、精霊の機嫌を取るためには人身御供が適切な処置だった。

「しかし、チュマッシュもトングヴァも、身内をアスファルトに突っ込むのは嫌でした。だから、周辺に大勢いる部族の人間では有難味がないと、手前勝手な言い訳を作ったんです」

 推測だとは断ったけれど、まるで見て来たようにサラは話した。

「ありそうな話ですねえ」

 二度、三度とスティーブが首を縦に振った。ルイスにも納得できる筋書きだ。

「LWはおそらく、出身部族を離れて南下してきた旅人でした。チュマッシュはLWと犬を殺し、副葬品と一緒にタールに葬ったんです」

 きれいな形の眉を顰めて、サラは付け加えた。

「一部で言われているように、ロサンゼルスで最初の殺人事件かもしれません。年寄りの口が堅い原因は、我が身可愛さに旅人を殺した過去を、知られたくないせいもあるでしょう」

「充分、辻褄が合う説ですねえ。では今、LWの行方を心配する意味はなんです? LWが盗まれても、チュマッシュの殺人が指摘される可能性は低い」

 スティーブの質問は、ルイスも知りたかった。けれど、サラは肩を竦めて首を振った。

「私は年寄りたちの心配の理由が分からないので、ロサンゼルスまで来たんです。NAUで何か掴んでいないか、と」

 サラが顔を上げたときに、開け放したドアからパーク・レンジャーの一人が顔を覗かせた。

「来客中? 会議の時間なんで、ちょっといいかな?」

 スティーブが目を剥いた。

「もうそんな時間か」

「出直しましょうか?」

 首を傾げたサラが目を瞬いた。一瞬だけ、幼いような表情が浮かんだ。

「いや、長い会議じゃありません。お時間が大丈夫なら、待っていてもらえますか?」

 立ち上がりかけたサラを制したスティーブが、ルイスに顔を向けた。

「コーヒーも出してないけど?」

 叱責する響きはなかったけれど、ルイスは慌てて立ち上がった。来客があまりに予想外で、すっかり忘れていた。

 スティーブが忙しくオフィスを出て行くと、サラとルイス、三春の三人が取り残された。

慌ててコーヒーを出したルイスに「お構いなく。お仕事を続けてください」とサラが微笑んだ。柔らかく喋ると、少しだけハスキーな声が、甘く響いた。

 ところが、三春がいきなり不躾な質問を投げて、ルイスの度肝を抜いた。

「君、本当にネイティブ・アメリカンなの? 見えないね。映画のインディアンとは、全然、違うな」

「あなたこそ……普通の人間にすら、見えませんけど」

 明らかにむっとしたサラが言い返す。三春は蛙を連想させる大きな口を開けて、ゲラゲラ笑った。

「親父の名前は、フランケンシュタインっていうんだ」

 内心で、似ている自覚はあるんだと感心しながら、ルイスは三春に「アメリカは人種問題に敏感なんだから」と声を上げてから、サラに謝った。

「すみません、三春は日本から研修に来ていて、アメリカ国内の事情には疎いんです」

「日本人なの? 日本って、礼儀を重んじる国じゃなかったかしら?」

 今まで大きく表情を変えなかったサラが目を見開いてから、唇の片端を上げた。瞳の青が際立つようだ。

「うん、そう。お詫びに靴でも買ってあげようか? 安いけど、足が痛くなんないヤツ」

 まだ笑いながら三春が意味不明な言葉を口にし、今度はサラが「ええっ」と、高い声で頬に手を当てた。実はルイスが思うほど、ポーカーフェイスでないのかもしれない。

 目元がピンクに染まって、何というか、とても愛らしかった。

「それ、新しい靴でしょう。さっき、オフィスに入って来た時から、歩き方が微妙だったよ」

 三春の言葉に、ついサラの足元に目をやった。

 スタイリッシュで踵の細いパンプスだが、トルーマン博士の持ち物のように、高価なブランド品だろうか。

 靴の上の締まった足首や、美しい曲線の脹ら(ふく はぎ)をじっくり見てしまう前に、ルイスは急いで視線を戻した。

「いやだ、恥ずかしい。気付いても黙っているのが、優しさじゃないかしら?」

 否定しないところを見ると、外れてはいなかったようだ。言葉はきついが、サラの目は笑っていた。

「俺の婚約者も昔、デートに新しい靴を履いてきてさ。後で、どれだけ辛かったか聞かされて、呆れた。痛いのはダメだ」

 ブランド物の知識といい、婚約者は三春を、洞察力のあるフェミニストに教育したらしい。

 いや、フェミニストの素質を見抜いたのなら、目が高いと、改めて感心するしかない。

「恰好を付けなくても、NAUは皆、気にしないよ。君は、有能な人だから」

 付け足しのような一言に、サラはわずかに微笑んだだけだったが、本当に嬉しそうに見えた。女性を喜ばせる台詞も、婚約者のトレーニングの成果だろうか。

 ルイスもサラを微笑ませてみたかったけれど、いつもの軽口で悪印象を与えるのは避けたかった。まず「痛む靴を履かなくても、充分きれいな足なのに」と口にしなかった判断は、良かった。セクハラだと取られかねない。

「あなたの婚約者は幸せね」

「俺は、もっと幸せ」

 話題が三春の婚約者でなければ、微笑み合うサラと三春は、「美女と野獣」か「キングコング」の世界だ。

 ルイスは咳払いして、「さっきの話だけど」と無理矢理、割り込んだ。

「部族のお年寄りから、LWの口碑を聞き出せないかな? 口碑の内容が分かれば、今、LWの行方を心配する理由も分かるかもね」

 気の利いた会話ができないなら、せめて仕事の話でもするべきだ。スティーブは、自分抜きで話を進められて怒る上司ではない。サラが真面目な顔に戻った。

 上目遣いにならないように意識して、ルイスは笑顔を作った。

「もし内容や、心配の理由が分かったら、NAUにも教えてもらえると助かるんだけど」

 チュマッシュ族の感情が分かれば、今後のトングヴァ族への対応にも役立つかもしれない。もちろん、LWの調査に使えれば、言うことはなかった。

 サラが真顔でブルーグレイの瞳をルイスに向けた。ほんの少し緊張する。

「私の従兄が今、口碑を聞き出そうとしているわ。成功するとは思うけど、問題は時間なの」

「時間が掛かったら、まずいのかい?」

 我ながら間抜けな質問だとルイスは思った。早いほうが良いのに決まっている。

「実は私、今は休暇中なのよ。私がいなければ、成功率は高いと、従兄は考えているわ。でも、広報アシスタントとして外部と接触するのは内規に触れないから、NAUに来てみたの」

 口元を引き締めて少し考える風にしてから、先ほどよりもゆっくりサラは話した。しかし、ルイスは今ひとつ、サラの状況が掴めなかった。

「ええと、つまり?」

「私の休暇は来週いっぱい。休暇の間に聞き出せればいいけど、過ぎると面倒かもしれないわ」

 先ほどからの喋り方に比べて、サラは歯切れが悪かった。居留地に戻っても、情報のやり取りだけなら何が面倒なのかと思った。

 それでもルイスは「なるほどね」と納得顔を作った。その場凌ぎの軽率さで泣きを見た経験は、一度ならずあるけれど。

「君の従兄が、早々に聞き出してくれると期待しよう」

 あえて朗らかな声を出したルイスに、唇を噛んで頷いたサラの表情が気になった。

 口碑を知る老人たちとは、よほど気まずい関係にあるのか、居留地内で複雑な人間関係があるのだろう。サラはいつも足に合わない靴を履いているのかもしれない。

 会議から戻ったスティーブを交えての話は、長くなかった。ルイスたちがサラから聞いた内容を伝えたからだ。

 帰り際にサラは、三春とルイスにも名刺を差し出し、携帯の番号も書き添えた。

「来週末まで、マリーナ・デル・レイにある友達のコンドに居候なの」

説明するサラを、三春がごく自然に「時間あるときに、ご飯でも食べよう」と誘った。驚いて三春を凝視したルイスに、にやりと笑って三春が「三人でね」と付け加えた。

 サラは明るく「電話して」と返してくれた。

 足が痛いサラを車まで送ってからオフィスに戻る間に、ルイスは冗談めかして三春の肩を叩いた。

「日本の婚約者に電話してやるぞ。アメリカでナンパしてるって」

 今日も日差しが強かった。心なしか駐車場沿いの壁にびっしりと這っている蔦も、萎れて見える。

「馬っ鹿だなあ。ルイスが誘えないでいるから、代わって誘ってあげたんじゃないか。あれっだけ気に入ったなら、行動しなよ」

 舌打ちと共に後頭部を軽く指で突かれた。「あれっだけ」とは、なんだ。

「気に入った? 俺がサラを?」

「自覚がないほうが重症なんだよな」

 三春は心得顔で、人差し指を立てて見せた。巨大モンスター三春のそういう動作は愛嬌があるが、今だけは腹立たしい。サラを魅力的だと思ったのは、確かだけれど。

 オフィスに戻ると、サラが来る前にする予定だった作業に戻った。自然歴史博物館の元学芸員探しだ。

 三春はインターネットで検索を始め、ルイスは、まずグラハム博士に電話をした。

 グラハム博士は、自然歴史博物館の人類学と文化人類学の関係者への問い合わせは引き受けてくれた。しかし、言葉を濁しながらも、あまりあてにしないよう付け加えるのを忘れなかった。

 残りの時間を使ったリサーチの収穫は少なかった。退勤時間を過ぎて、三春が「目が痛い」と太い指で眉間を押さえた。

「結局、元学芸員の名前や連絡先は、分からなかったよ」

 不満げな三春をルイスは慰めた。

「仕方ない。現役だと、所属団体のメールアドレスは見つかるのにね」

「ペイジ博物館の前首席学芸員が、ヴィンス・ハミルトン博士で九六年に亡くなったってのは、分かった。あんまり意味ないかな?」

「知らないよりは、良いよ」

 大したフォローにもなっていなかったが、ルイスも少し前に読んだ記事を、三春に伝えた。

「七七年にペイジ博物館が開館したとき、自然歴史博物館からの移送で、LWの大腿骨が一本、なくなってるんだ。紛失か盗難かは不明だって。意味あるかな?」

「さあね。後になって、意味が分かるかもしれないね」

 意味深な言葉を投げた三春だが、次の瞬間には大きく伸びをして吠えた。

「ああ、お腹が空いた。アメリカでは何を食べても、盛りが大きくて嬉しいよ」

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