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LAダウン  作者: 宮本あおば
3/28

 係長の機嫌は、すこぶる悪い。外回りから戻ったメルに報告を求め、正直な状況を告げると、机の上を芋虫のような指で叩いてみせた。事件発生から四十八時間を軽く経過して、まだ、はっきりした犯人像が見えていない。

「この事件がうちに回って来た理由は、分かってんだろうが?」

分厚い唇を歪めた係長に頷きながらも、メルは自分もひどい仏頂面になるのが分かった。

 昨日、今日と事件が頻発して、応援が限りなく少ない。班長のケネディ警部補が外出中の理由も、事件絡みだ。

 八月十二日深夜のペイジ博物館での事件は、管轄ならロサンゼルス市警内のウィルシャー分署の担当だったが、博物館側の対応や盗まれた物への配慮から、「ハイ・プロファイル」(重要事件)と判断されて、本署の殺人係に回された。

 殺人係は二班二十人で構成されて、一週ごとに発生事件担当を交代する。班の中で手の空いた者から、新事件を割り振られる手順だ。ちょうど、メルとジョージの事件が解決したばかりだった。

「もちろんです。ペイジ博物館側の意向を尊重して、捜査にはあたっています」

 顔を引き締めて、メルは硬い口調で答えた。

 通常、管轄分署から本署への担当の移行は、事件発生後すみやか、かつスムーズに行われるものだが、今回は違った。ウィルシャー分署が担当と聞いたペイジ博物館の責任者は青筋を立て、本署の担当を条件に盗まれた物を伝えた。

 お蔭で初動捜査に出遅れ感が生じたのは否めないが、贅沢を言って刑事は務まらない。

「カルト絡みで、FBIが(くちばし)を入れて来るかもしれん」

 係長はさらに渋い顔になったが、メルとしては「そうですね」としか答えようがなかった。FBIの名前を出せば焦って仕事をするとでも思っているなら、大間違いだ。部下への信頼がない状態は、よく分かっているが。

 半目になりつつ、内心で「このハゲデブ」と、罵ってみた。

「被害者の身辺調査で、やっと浮上してきた関係があります。それと、事件の目撃者から面談の要請がありました。何か思い出したのかもしれません」

 とりあえず今後の捜査の指針を持ち出したが、「ばかに悠長だな。やる気を見せろ」と言い捨てられて、作った表情が崩れそうになった。

 辛うじて堪えて、「聴取に向かいますので」と席を立つ。

 事件当夜の目撃者、三春からの伝言は、本署に戻ってくる車の中で聞いた。

 捜査員個人の留守番電話は、どこからでもアクセス可能だ。「すぐ会ってお話したい」と言うからには、重要な内容だと思いたかった。

 三春には電話を折り返し、三春とルイスの職場を訪ねると知らせてあった。

「それにしても、今頃になって何を思い出したんでしょうね」

 運転席でハンドルを握るジョージが、本署の殺人係に配属されて一年と少し経つ。四十代半ばのメルよりもわずかに年下なだけなのに、極端な童顔のせいで、三十代前半に見えた。メキシコ系にありがちな、背の低い固太りだ。

「さあな。事件直後の聴取では頭に血が上っていて、後から冷静になって何か思い出すのは、珍しくないだろ」

 午後の早い時間のことで、高速五番は渋滞もなく流れていた。ロス・フェリス・ブールバードの出口で下りた。

 右手にグリフィス・パークを市に寄贈したグリフィス・J・グリフィスの銅像を見ながら、クリスタルスプリング・ドライブに入った。

 ニューヨークのセントラル・パークのおよそ六倍の広さを誇るグリフィス・パークは、有名な天文台に加えて、ゴルフ場や劇場の設備もある。だが、基本的には舗装された道も少なく、自然がそのまま残されている。

「一昨日から事件は多いし、我々の犯人の足取りは掴めないし。嫌になっちゃいますね」

 ジョージがぼそぼそ愚痴るのを聞き流して、メルは車外へ目をやった。

 ロサンゼルス市警本署捜査員は、アメリカの片田舎の警官が一生かかってこなす数の事件を一年か、一年以内で片付ける。その事件馴れした強者でもちょっと驚くほど、一昨日から事件や事故が増えている。原因の分からない火災もあった。

 ペイジ博物館の事件捜査が進まない原因は、他の部署や組織との連携が取れないせいもあった。

 道の左右は市営のゴルフ場でグリーンと周辺の木々の緑が、疲れ気味の目に沁みる。黙っているメルに、ジョージは勝手に続けた。

「一昨日のウェスト・ハリウッドは、呑気そうでしたね。えらい違いだ」

「羨ましいか? 保安官事務所の壁に、補佐官募集中の垂れ幕が下がっていたぜ」

 我ながら皮肉っぽい声が出た。

 ウェスト・ハリウッドは、犯人の足取りを確認するために訪れた。

事件当夜、犯人たちは巧妙に路上監視カメラを避けて行動していた。市内のあちこちにある路上監視カメラにも、ほとんど写っていない。

 もっともラ・ブレア周辺は治安が良いため、設置してある台数が少ないところへ持って来て、近年は予算不足で、その内の何台も稼働させていない。

 目撃者のルイスが見た車は、フェアファックス・アベニューを北上する交差点の姿が写っていた。プレート・ナンバーにはテープを張ってカムフラージュし、運転手はハンドルに伏せていた。カメラの設置を知っていたに違いない。

 そのままのルートを走ったならば、犯人たちは確実にウェスト・ハリウッド市内に入ったはずだった。

「羨ましけりゃ、とっくに保安官事務所へ移ってます。ウェスト・ハリウッド勤務になるかどうかは分かりませんけどね」

 メルの皮肉を、ジョージは笑顔で返した。最近、会話の呼吸が合うようになってきた。

 ペイジ博物館からほど近く、ロサンゼルス市の繁華街の中に離れ小島のようにあるのがウェスト・ハリウッド市だ。

 かつて、ラ・ブレア・タールピットの土地の持ち主だったハンコック一族に所有された時期もあった。

 十九世紀から様々な理由で、ロサンゼルス市に併合されなかったウェスト・ハリウッドは、一九八四年に市として独立した。二マイル平方(およそ五キロ平方)に満たない土地に、三万四千人以上の人間が暮らしている。

「保安官事務所の組織は、でかいもんな。ビバリーヒルズ警察はどうだ?」

 調子に乗ってメルは混ぜ返した。

 ロサンゼルス市の内側にある小さな市では、ウェスト・ハリウッド市の南西にあるビバリーヒルズ市のほうが有名だ。ビバリーヒルズは独自の警察も消防署も持っている。

「柄じゃありません。ビバリーヒルズ市民みたいな人種は、苦手です」

「ウェスト・ハリウッド市民と、どっちがいい?」

 真面目な声を出したジョージに、メルは再度、突っ込んだ。ウェスト・ハリウッドは同性愛者が集うことでも知られている。

 また、ウェスト・ハリウッド市は、警察と消防をロサンゼルス郡のシステムに頼っているため、警察機構は郡の保安官事務所がステーションを置いて任に当たっていた。

「うへえ。私はロサンゼルス市警がいいですよ。先だって研修に来ていた人たちは、自分たちのほうが良いって言ってましたけど」

 急に話題を変えたジョージが言っているのは、二か月ほど前に姉妹都市ベルリンから視察に来た警官たちのコメントだ。外の姉妹都市、名古屋やボルドーからも来る。

 階級も若干ながら違うようだし、事件が起きた際の捜査員の投入ぶりも異なるようだ。事件が起きる頻度が違うのだから仕方ない。ついでに予算も。

 何より、市警察と保安官事務所のシステムは、外国人には非常に複雑に感じるらしい。

「そういや名古屋の連中も、警察と保安官事務所があるのは面倒だ、って顔をしてたな」

 遠い記憶を手繰って、メルは答えた。

 ロサンゼルス郡内で、独自の警察機構を持っていない地域を担当するのが保安官事務所と説明するのは簡単だ。しかしロサンゼルス市の中でも一部、保安官事務所の管轄になっている地域や施設があり、紛らわしいかもしれない。

「仕方ありませんよね。二つの組織で、ずっとやって来たんだから」

「まあな。馴れると、当たり前になるよな」

 アメリカの歴史では最初に保安官と、その補佐官たちによる組織が成立した。警察と警官があるように、保安官事務所と保安官補佐官がある。通常、郡に一人の保安官がおり、それを筆頭に残りは全員、補佐官という扱いだ。

 警察と仕事はほぼ同じだが、職員は自分たちを警官ではなく「保安官補佐官」と呼ぶ。ちなみに、ロサンゼルス郡保安官事務所は、保安官事務所としては全米最大の規模を誇った。

 メルは一昨日のウェスト・ハリウッドを思い返した。市内設置の路上監視カメラで、逃走車の確認を頼んだが、ヒットはなかった。

 犯人たちはロサンゼルス市内のカメラの位置も掴んでいたから、ウェスト・ハリウッドも同様だったかもしれない。

 事件が起きた際に、周辺市郡を管轄する警察や保安官事務所に連絡して協力要請をするのは、手順の一つだ。ウェスト・ハリウッドに限らず、ビバリーヒルズ市警にも頼んではあった。

 現場検証と聞き込みの間を縫って行ったウェスト・ハリウッドの保安官事務所のステーションは、やたらとガサガサした市警の分署に比べれば、落ち着いていた。

 むろんウェスト・ハリウッド市での犯罪発生率が低いせいもあるが、治安の問題だけでもない気がしたし、実際ステーションでは「お気軽にお寄りください」というメッセージも市民に発信しているそうだ。

 サンタモニカ・ブールバードに面したレンガ作りのビルは、周囲の洒落た街並みに溶け込んでいた。

 メルが協力を仰いだのは交通係だったが、あっさり「調べましたが、ヒットはありませんでしたよ」と報告された。

 後は、なぜか、たまたま顔を出した捜査係の警部補と世間話をする羽目になった。

「大きい声じゃ言えないけど、ここは仕事が楽だよ。いや、嫌な緊張がないと言ったほうがいいかな」

 がっしりした顎と分厚い胸板を持つ、白人のハンサムな警部補は気さくに話しかけて、ウェスト・ハリウッド勤務の話をし始めた。

 巡査部長三人に、巡査長が九人もいる捜査係がある割には、管内で起こった殺人、誘拐、悪質なストーキング、児童虐待などの事件は、保安官事務所の本署で扱うそうだ。

 市警でも重要事件と判断されれば本署に回されるが、ほとんどの殺人や誘拐は、分署の強盗殺人係で捜査をする。

「結構ですね。私たちは毎度、ピリピリして飛び回ってますよ。市警嫌いの市民も多いですしね」

 本当に仕事が楽な状態が羨ましいかは別として、とりあえずメルはそう答えた。

 破産寸前のロサンゼルス市職員の自分たちは、恩給もどうなるか分からないが、ロサンゼルス郡は、ましだろう。郡職員のほうが、退職後の保証もありそうだ。

 苦笑交じりのメルに、警部補は「市警に限ったこっちゃないよ」と長い指を振った。

「ここに配属される前は、コンプトン勤務だったのさ。そりゃもう毎日、ピリピリ」

 コンプトン市はロサンゼルスの周辺市郡の一つだ。治安の悪さでは八十年代、九十年代に、全米に悪名を轟かせた。

 かつては独自の警察を持っていたが、現在はウェスト・ハリウッド市同様、ロサンゼルス郡保安官事務所が警察機構を担当している。

 二○○五年以降、犯罪発生率は減って来てはいるものの、逆立ちしても安全なエリアとはいえない。隣接しているロサンゼルス市のサウス・セントラル地区も同様だ。

 アフリカ系とヒスパニック系が圧倒的に多いコンプトン市で、白人の保安官補佐官を務めるのは並大抵の苦労ではなかったはずだ。一部のアフリカ系が持つ白人への敵愾心は、かなり厳しい。

「ウェスト・ハリウッドにいる間は、せいぜい市民に愛される保安官補佐官をやるよ」

 無邪気に白い歯をこぼした警部補に、メルは愛想笑いだけを返した。

 一昨日の話だ。警部補は今日も「楽」に仕事をしているだろうか。

 警部補の笑顔を思い出し、「楽」な勤務が羨ましいのかとメルが自問したときに、ジョージが「ここですね」と、ブレーキを踏んだ。

 ルイスと三春が所属する部署は、パーク・レンジャーの建物内にあった。

 パーク・レンジャーの事務所は、グリフィス・パークのビジター・センターと同じ建物だ。一階建で横長なビルのエントランス前には、グリフィス・パーク周辺の歴史を象った陶器の立体画があり、正面には、でかでかと《レンジャー・ステーション》の表示があった。

 メルの実家はこの近所なのだが、ビジター・センターに来たのは初めてだった。申し訳程度の展示室の奥に、鉄製のドアとインターホンが見える。

「注意・・この施設は厳重に管理されています。市の身分証提示の用意をお願いします」

 ドアのサインはビジター・センターに似合わない物々しさだった。

 だが、インターホンに出たルイスは軽快な調子で「はいはい、どうぞ。通路をずっと奥まで来て下さいね」と答え、ブザー音と共にロックが解除された。

 小ぶりのオフィスで、まずメルに挨拶をしたのはスティーブ・アイラーズと名乗るルイスの上司だった。大げさな動作で名刺を渡す。ネイティブ・アメリカン関係の部署だ。スティーブの顔は、どこかで見たような気もした。

 勧められて、デスクの近くにあるソファーに腰を下ろす。向かいをルイスと三春が陣取った。

 三春が座るときに、ソファー全体が、みしっと嫌な音を立てた。何とも日本人離れした日本人だ。

「さて、急ぎの話とは、何ですか?」

 さっそく本題に入ると、ルイスがわざとらしい笑顔を浮かべた。

「そういえば事件の被害なんですが、ペイジ博物館と言えばラ・ブレア・ウーマンですよね。ラ・ブレア・ウーマンは無事なんですか?」

 何気ない風を装っているが、どうにも演技が下手だ。メルは「は?」と軽く聞き返した。

「ラ・ブレア・ウーマンですよ。ペイジ博物館内の所蔵で」

「被害状況で目撃証言は変わりませんよね? まず、急ぎの話から伺いましょう」

 穏やかな声で促した。被害状況の一部は、市警の上部までもが意味がないと判断しているのに、博物館側は頑として公表を避けている。

 現在、首席学芸員のジョンソン博士は脳梗塞のために療養中で、自然歴史博物館から派遣されているマードック博士が代理を務めている状態と公表拒否に関係があるかは、分からなかった。

 ともかくラ・ブレア・ウーマンが盗まれた事実を、メルの口から外部には漏らせない。

 ルイスが困った顔で口を開いた。

「ええと、私が博物館内で発見した被害者の女性なんですが、胸に何かを抱えていたんですよ。それで、それがラ・ブレア・ウーマンの一部ではないかと思ったんです」

「もし仮にラ・ブレア・ウーマンの一部だったら、どうなんですか?」

 メルは軽く、顔を傾けて瞬きした。こうすると優し気に見える。

 博物館内で射殺された被害者は、博物館の技術員、キャシー・コーリックだ。キャシーは賊と一緒に館内に侵入したと見られている。亡くなる際に抱いていたのは、ラ・ブレア・ウーマンではない。

 ラ・ブレア・ウーマンが見つかったのは一九一四年だ。体長は五フィート弱(約一五○センチ)、年齢は十八歳から二十四歳の間の女性だった。

 頭がい骨の頭頂部が欠けている事から、何者かに殺害された後で、タールピットに投げ入れられたとする説もある。カリフォルニアの歴史で最初に記録される殺人事件かもしれなかった。

 しかしラ・ブレア・ウーマンの遺体と一緒に、当時すでに家畜化されていた犬も発掘されている。骨の欠損と死因は直接の関係がなく、自然死した女性が犬と一緒に葬られた、という見方もあった。また砥石も見つかって、副葬品と判断されていた。

 事件の夜に射殺されたキャシー・コーリックは、どういうわけか犬の頭蓋骨を抱き締めて倒れていた。しかし被害状況や背景を伝えることで、目撃者に余計な考えを植え付けてはいけない。

 腹芸は殺人係で一番と言われる表情を作って、メルはルイスに、もう一度「どうですか?」と尋ねた。

「いや、ええと」と言葉を濁して、ルイスが隣の三春を横目で見る。

「ルイス、君がリードすると言ったんだぞう。刑事さんはお困りだあ」

 耳障りなほど特徴のある声は、離れたデスクから飛んできた。

「この際、うちの部署の内情を説明して、協力をお願いしたほうがいいねえ」

 長い手足を大げさに動かして、スティーブがソファー・セットに近付いた。

 メルの正面で、ルイスが忌々しそうに巻き毛の頭を掻いている。仕事のパートナーだったら、問答無用で散髪に連れて行く長さだ。

「刑事さん、実はペイジ博物館の事件で、NAUも困っているんですよう」

 ちっとも困っていなさそうに、スティーブは首を回した。短い金髪の頭頂部が、かなり薄くなっているのが見えた。

 ジョージが隣で鼻を鳴らしかけたのを、メルは肘で押さえた。

「どういった状態なんです?」

 とりあえず聞く姿勢を見せたメルに対し、スティーブは身振り手振りを加えてネイティブ・アメリカンからの要請を説明した。

 オートリー博物館への展示品を引き上げられると、市としての面目が潰れるそうだ。

「……というわけなんですう。本当に困ってましてねえ。まずラ・ブレア・ウーマンの安否確認が一番の課題なんですよう」

「はあ、なるほど」

 目を閉じて眉間に皺を寄せるスティーブに釣られるように、メルも眉間の辺りに、力を入れてみた。しかし実際のところ、NAUが困ろうが、ネイティブ・アメリカンの連中が展示品を引き上げようが、どうでもいい。

 問題は、NAUが事件担当者のメルからラ・ブレア・ウーマンの安否を聞き出すために呼び出しただけで、ルイスと三春が思い出した新事実などは一切ない点だ。事件の解決が遅れて困っているのはこっちだと、怒鳴りつけたくなる。

 周りに気付かれないよう静かに深呼吸してから、頬の筋肉を上げた。笑顔に近い表情になったはずだ。

「しかし我々も職務上、警察の広報とペイジ博物館が公表していない情報は、お伝えできません」

 きっぱりと釘を刺したつもりだったが、スティーブは諦めない。

「待ってください。NAUも充分に捜査に協力できますよう。ラ・ブレア・ウーマンに興味を持つ人間は限られます。ネイティブ・アメリカンとの連携は必ず役に立ちますよう。それに今日は、これからオートリー博物館の学芸員とミーティングをする予定になっているんですう」

 普段、ラッパーもどきの喋り方をする若者を相手にしても何とも思わないのに、スティーブの話し方は格別メルの神経に障った。

「だから?」と、ついメルの声が白けた。猫の手も借りたい捜査班で、本当に使える情報があるなら出所は何でも構わないが、スティーブが言うと嘘くさい。

「博物館で殺害されたキャシー・コーリックを知っていたのは、ペイジ博物館の人間だけではありません。外の博物館の学芸員や技術員、人類学系の学者の関係で浮上する繋がりもあるでしょう」

 被害者の調査で、警察の右に出る者はいない。スティーブは警察を舐めているのか、抜けているかのどちらかだろう。警察よりも能力が上と考えたがる人間は時々いる。

 とはいえ、万が一の可能性を摘む必要はない。まして相手は同じ市の職員だ。

「なるほど。お申し出、ありがとうございます。市の部署同士での助け合いは、重要ですね。博物館関係者との連絡で犯人像が浮上したり、被害者の情報が入った場合は、直ちに知らせて下さい」

 携帯電話の番号の入っている名刺を取り出した。スティーブは礼儀正しく受け取ったが、その仕草がまた妙に大げさで、気に障った。

 はす向かいの三春が大きく上体を動かしたので、質問でもあるかと思ったが、「アメリカの刑事さんは名刺を配るんですねえ」と、どうでもいい感想を洩らす。感情が読みにくい顔のせいで、他意があるかどうかは分からなかった。

 メルが立ったままなのに気づいて、ジョージが腰を上げる。

 釣られるように、三春も立ち上がった。六フィート三インチ(約一九○センチ)は軽くある。

かつてテキサス州ヒューストンのチームで活躍した、中国人バスケットボール選手を思い出した。もっとも、中国人選手は三春よりもさらに長身だし、遙かに整った顔をしていた。

「そういえばZ県って、聞き覚えがありました。三年前の大災害で被害を受けた地域ですよね。あなたのご家族は、ご無事でしたか?」

 三春を見上げてジョージが発した問いに、メルは朧げな記憶を探った。

 日本の東北部を襲った大地震と津波は連日に亘って報道され、多くの在米邦人や各企業が寄付を募った日々は覚えている。しかし詳しい地名は、一部を除いて記憶から零れ落ちた。

「はい、家は津波でやられてしまいましたが、本当に運よく、家族は全員、無事でした」

 灯りが点ったように三春の表情が変わった。

 一応は笑ったようだ。口角と頬がやや上がり、目尻に笑い皺ができた。いくぶん人間らしい顔ともいえる。

「それは良かった。私の従兄が三沢にいて、軍のオペレーションに参加したんです」

「やあ、お世話になりました」

 急に親交を深め出した二人を横目にメルが入口へ体を向けると、ルイスが妙に嬉しそうに三春を見ていた。

 スティーブに形通りの挨拶を投げて、メルはジョージを促した。ジョージが三春と災害の話を始めたために、和やかな雰囲気でNAUを後にできたのは悪くなかった。

 日向に停めておいた無地の白い公用車は、凄まじい暑さになっていた。ドアを開けたまま留守番電話を確認した。メルには同じ班のエドから、ジョージには被害者の警備員チャールズの遺族から、それぞれ伝言が残っていた。

「お前に頼まれた参考人の調査、今日は無理」

 用件だけを乱暴なほど簡潔に入れるエドの癖は、昨日や今日に始まっていない。調査の応援は頼めないが、他の事件の手伝いをさせられるよりは数段いい。

 携帯電話をしまいながら、メルはジョージの複雑な表情に気付いた。

「何だ?」

「チャールズの遺族が、犯人に思い当たる節があるんで今すぐ来てくれと言っています」

 チャールズ・ゴメスの家族は街の東側、エル・セレノに住んでいた。ヒスパニック系の多いエリアだ。事件以来、同じメキシコ系のジョージに繁々と連絡していた。

「思い当たる節だと? お前はどう思うんだ?」

「正直、大した話ではないと思います。昨日も大事な話と言うので、電話してみたら葬儀の相談を延々とされました。そりゃ、葬儀は大事ですけどね」

 肩を竦めるジョージを前に、メルは一瞬だけ考えた。遺族の連絡を無視する選択肢はなかった。

 といって二人で雁首を揃えて行く内容でもないだろうが、エル・セレノはグリフィス・パークから近かった。

「急いで行って、急いで本署に戻ろう。エドに調査を断られた」

「はい」と返事をして、ジョージが車のエンジンを掛ける。

「今日は空振りばかりですね」

「来るボールを無視するわけにもいかないが、NAUの連中には、やられたな」

 手を伸ばして冷房を最大にしながら、メルは鼻から息を吐く。

「あのスティーブって男、役者か教員が向いてますよ、きっと」

「同感だ。気に障る物言いをする男だし、俺としちゃあ、ラ・ブレア・ウーマンとネイティブ・アメリカンの因果関係は、正直、どうでもいいんだ。ただ、撃たれたキャシーの背景は、情報が多いのに越したことはない」

「そうですね。チャールズの遺族の話が当たりなら、最高ですけど」

 期待薄な声でジョージがぼやいた。メルは背中に汗が滲んでくるのを感じながら、「まあな」とだけ答えた。

 行き当たりばったりで、大した準備もしていないように見えた犯罪の手掛かりが、二日経っても、これしかない。弱気は禁物だと、自分に言い聞かせるしかなかった。

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