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LAダウン  作者: 宮本あおば
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 どれくらい経ったのか、レネたちの旋律が低くなり、テンポも遅くなって、ルイスは我に返った。静かに低く息を吐き切るようにして歌を終えた、レネが微笑んだ。

「今、LWを清めながら話しました。LWはロサンゼルスを、とても心配しています」

 一旦、言葉を止めたレネに向かって、最初に口を開いたのはアンディ・オースティンだった。

 先ほどオズモンド刑事と話した口振りは落ち着いていたけれど、今はどことなく悲愴感を漂わせていた。

「LWは結局、何者なんです? どういう力があって、どういう理由でアスファルトに沈められたんですか? 今の本当の望みは、何です? 私はどうしても、それを知らなくては」

 血を吐く勢いだった。レネが顔をオースティンのほうに向けた。美しい瞳は宙を見たままだ。

「ラ・ブレアほど有名ではありませんが、私たちの土地、サン・ホアキンにもアスファルトが湧く、タールピットがあります。トングヴァやチュマッシュと同じく、私たちも古くからタールピットと接してきました。タールピットは、悪魔ではありません」

 声量はないけれど、レネの声は不思議とよく通った。説明は続いている。

「しかし、時々、暴れ馬のように暴走して、人間の土地をめちゃくちゃにしてしまいます。ちょうど、今のロサンゼルスのように。天候までも変えて、ひどい被害を出すんです」

 もう一度、言葉を切ったレネは、見えない目を閉じた。

「今から九千年前にも、同じ問題が起きました。当時の暴走は規模が大きく、サン・ホアキンでもアスファルトが大量に噴出したんです。しかし、私たちにはLWがいました。暴れるアスファルトと渡り合い、大人しくさせるシャーマンがいたんです。それが、LWです」

 膝に抱いたLWを愛おしそうに撫でて、レネは微笑んだ。誰かが溜息を洩らした。しかし言葉を挟む者はない。

「LWの元へ、南のチュマッシュやトングヴァの地方でも、アスファルトが暴れている話が届いて、LWは愛犬と共に旅立ちました。途中、チュマッシュのタールピットを制圧して、さらに南下しました。今、カーピテリア・タールピットと呼ばれている場所です」

 北にも小さなタールピットがあるとは、ルイスも聞いたことがあった。三春が飛ばしてきた視線に、目で頷いた。レネは説明を続けている。

「南のタールピットは、北よりも手強い相手でした。このラ・ブレア・タールピットですね。チュマッシュたちの助力もあって、LWはアスファルトを止める技に、ほぼ成功しました。ところが、あと一歩の地点で、アスファルトが噴き上げた岩が、LWと愛犬を襲ったんです」

 数人が息を呑んだ。ルイスも同様だった。

「頭部に直撃を受けて、LWは倒れました。ですが、まだ息がありました。最期に、LWの身体をタールピットに沈めるよう指示しました。自分が必ずこの土地を守るから、と。チュマッシュたちは言いつけを守って、LWを丁寧に埋葬しました。副葬品は感謝の表れです」

「では、LWは、やはり、破壊行為に走る呪術師ではなかった」

 オースティンの声は掠れて弱かった。

「破壊の呪術師ではありません。でも、天変地異を起こして誰かに味方する魔法使いでもありませんよ。LWは今、長年に亘って守って来たロサンゼルスが荒れてしまった状態を悲しんで、もう一度タールピットに戻って街を守ると言っています」

 声を出さずに背中を揺らしたオースティンと代わるように口を開いたのは、スティーブだ。

「正直、願ってもありませんが、LWは故郷に帰りたいといった希望は、ないんですか?」

「いいえ」と即座に否定したレネは、何か面白い話でも聞いたように口元を緩めた。

「LWの気持ちは、九千年前と同じです。困っている人々がいて、自分にできることがあるなら、迷わないだけです。でも、あの……」

 急にレネの口調が変わった。大人びて落ち着いていた態度を変えて、年相応の困った表情を浮かべた。

「どうしました?」とスティーブが促した。

「あなた方は、犬を先にタールピットに戻しましたね。犬は自分の仕事をしましたが、荷が重かったので、魂が消えつつあるそうです。LWは、一人でタールピットにいるのは寂しいそうです」

 本当に弱り切った細い声で、レネが頼んだ。

「その……LWと一緒にいてくれそうな、犬か猫は、都合してもらえませんか? 今の法律では虐待になってしまいますが、LWは可愛がるから、と。何なら、鳥でもいいんです」

 街の大恩人の望みはささやかなものだが、少々難しかった。

 まさか近所の家で飼われている犬を貰い受けるわけにもいかないだろうし、アニマル・シェルターの犬猫か。

「九千年、街を守ってきて、これからも守ると言っている人なんです。一人で行かせないであげてください」

 冷静にLWの事情を説明していたときと違って、レネの声には個人的な思い入れも滲んでいるようだ。

「ペットショップでも、叩き起こしますかね。代金を払えば、アニマル・シェルターよりも融通が利きそうだ」

 首を回しながら口を開いたのは、オズモンド刑事だった。スティーブと一緒にコンプトンに向かって行ったとき、後頭部に貼ってあった絆創膏がなくなって、痛々しい傷が覗いている。

 一瞬、風が吹いた気がした。

 ルイスのすぐ近くに座っていたはずのオースティンが、音も立てずに身を起こして、サラに駆け寄っていた。

 太い腕に抱え込んで、拳銃を突き付けた。サラの悲鳴とオズモンド刑事の怒号が交差した。オースティンはタールピットのすぐ近くまで、サラを引き摺った。

「人質を傷つけたくなかったら、全員、下がれ」

 後ろから抱えられ、首を絞められて、サラがもがいた。苦しげな瞳がルイスを捉える。

「待て、待ってくれ。俺が代わりに人質になる。足が折れてるから、抵抗できないぞ」

 どうせ足が無事でも、大した真似はできない。少々射撃ができるくらいで、現役の保安官補佐官に敵うわけがなかった。

「オースティン、撮影隊の誰かから拳銃を盗んだな。今さら血迷うな!」

 拳銃を構えたオズモンド刑事が中腰で怒鳴った。オズモンド刑事の後ろで、ビバリーヒルズの警官二人も銃を抜いていた。

「『できることがあるなら、迷わない』だろ」

 鼻で嗤ったオースティンが、ルイスに向かって顎を動かした。

「小僧、LWを持って来い。お前とLWを連れて行く」

「ルイス、渡さないで」

 必死な声を絞り出したサラの足を、オースティンが「黙ってろ」と蹴り付けた。頭が沸騰した。動かない足を引き摺って、ルイスはレネの前の籠に手を伸ばした。

 レネは見えないなりに、音と空気で状況を感じ取っているようだ。口を開きかけたレネに掛ける言葉もなく、ルイスは乱暴に籠を奪い取った。

 ロサンゼルスがアスファルトに沈んでも、サラが無事ならいい。一世一代の軽はずみをやってみせる。

 三春を助けたタールピットの手があったように、ルイスが殺されても、LWをタールピットに戻す手が、きっとあるだろう。

 一歩一歩、籠を抱えてルイスはオースティンとサラに近付いた。背後で誰かが叫んでいる。

「よし、籠を渡せ」

 立たせたサラの背中に銃口を押し当てたまま、オースティンが左手を出した。

 ルイスは思い切って籠を押し付けると、サラの肩を突き飛ばした。銃口の前に身体を滑り込ませる。

「小僧!」

 叫んだオースティンが一瞬にっと笑い、ちらりと視線を逸らした。籠を抱えた左腕でルイスの胸を押すと同時に、右手の拳銃を向けた。

 とても踏ん張れなかった。後ろによろめきながら、銃口の向きだけをルイスは必死で追った。サラの無事しか考えられない。

 銃声と共に、右腕を鉈で切り付けられた痛みが走り、ルイスは地面に転がった。

 複数の銃声が後に続いて木霊した。

 右腕と左足の痛みに気が遠くなりながらも、誰かに軽々と抱きかかえられた感触が伝わった。

「ルイス、しっかりして」と、耳元でサラの声もした。

「懐中電灯で照らして。止血しなくちゃ」

 芝生の上に下ろされると、三春が脇で膝立ちになっていた。少し離れた場所から、オースティンの名前を呼ぶ、オズモンド刑事とビバリーヒルズの警官たちの怒鳴り声が聞こえた。

 何がどうなったのかと身体を起こそうとしたルイスを、三春が止めた。

「オズモンド刑事が、オースティンを撃ったんだよ。オースティンはLWを抱えたまま、タールピットに落ちたんだ」

 暗いせいで、三春がどんな顔をしているのか分からなかった。タールピットのほうから、「懐中電灯もっとないのか?」とか「早く応援を呼べ」と叫ぶ声が続いていた。

 呼吸をする度に、腕と足が痛んだが、ルイスは生きていた。さっきオースティンがほんの一瞬笑顔を浮かべ、どこかを見た動作は、もしかしてオズモンド刑事にオースティン自身を撃たせるつもりだったのでは、と思った。

                    *

 金曜日、ルイスは朝から落ち着かなかった。

 事件から四か月が過ぎていた。数日前に帰国した三春から、今日ある件で連絡が入ることになっていた。仕事が手に付かないほどではないけれど、気が付くと三春のことを考えている。 

 未曾有の暴動と大災害に見舞われたロサンゼルスの被害総額は数億ドルにも上ると言われ、いまだに市内でもタールに塗れたままの建物が、放置されている場所もあった。しかし、少しずつだが確実に、ロサンゼルスは復興に向かっていた。

 あの日タールピットに消えた、アンディ・オースティンの遺体は、上がらなかった。市警では特殊装備のダイバーを潜らせる手配までしたけれど、オースティンもLWも見つかっていなかった。

 ルイスは知らなかったけれど、オースティンはタールピットに来る前に、テレビのインタビューに答えていた。短いインタビューの中で、オースティンは真摯な言葉を残していた。

「今のロサンゼルスで修正されるべき点は多い。しかし、独立が必ずしも最良の手段ではなかったかもしれない」

 遺体が収容されていない現状によって、ネットではオースティン生存説が盛んだ。けれどもルイスは、ロサンゼルスを離れる前にレネが残した言葉を信じた。

「オースティンさんは、LWと一緒に行ったのではありませんか? LWは、きっと二度と掘り出されない場所に身を沈めたと思います。誰にも邪魔されない場所で、ロサンゼルスを守るでしょう」

 おとぎ話めいた説かもしれないが、LWやタールピットの力だって、ファンタジーじみている。

 オースティンを撃ったオズモンド刑事には、事件後に何度か会った。

 犬の骨を借り出した際に、大胆な真似をしてくれた「ハゲデブ」のヤング係長がどうなったか尋ねたところ、「ダテに長年、市警の飯を食っちゃいないから」と笑っていた。

 三春はついに、A市に戻ってしまった。

 出発の日は、サラがわざわざサンタ・イネスから来たし、NAUの全員が空港まで見送りに行った。空港でルイスは絶叫、号泣した。

 三十近い大の男が大声で「行かないで」と喚き、地団駄を踏んで、あろうことか涙を流す。周囲は同性愛者の愁嘆場かと、ドン引きしたのに違いなかったし、サラも見ていた。

 百年の愛だって覚める光景だったけれど、ルイスは抑えられなかった。

 同性愛者といえば、実はペイジ博物館の強盗殺人事件で殺害されたキャシー・コーリックがオースティンの接触を受けた場所は、ウェスト・ハリウッドだったらしい。職場ではオープンにしていなかったが、キャシーは同性愛者だった。

 捜査の目晦ましとして殺害されたティム・ヘッドランドも同じ嗜好で、ウェスト・ハリウッドに出入りしていて目を着けられた。キャシーとティムの性的嗜好が違っていれば、別の人間が標的に選ばれただろう。

 ルイスはパソコンの画面から顔を上げて、伸びをした。

 オフィスに三春の巨体が見えない状態に、まだ少しも馴れない。今から架かってくる電話だって、太平洋の向こう側からではなくて、三春が下宿していたガーデナからのような気がした。

「もう五時だから、仕事は終えていいよ。今日、全く進まなかった報告書は、週末に自宅でやってくれ」

 壁の時計を指して、スティーブが声を掛けてきた。スティーブだって、午後のミーティングをあわや、すっぽかしそうになっていた。

 約束の時間はロサンゼルス時間の六時だ。日本は土曜日の午前十時になる。デスクの上の携帯電話が発信音を立てた。予定が早まったかと緊張しながら手に取ると、サラからのテキスト・メッセージだった。

「仕事、終わり。今から、そっちに向かうわ」

 サラとの関係は、週末を一緒に過ごす時間が習慣になって来た。今の目標は、二人で休みを合わせて日本へ行くことだ。

 テキスト・メッセージに、「了解、気を付けて」と返事をし、息を吐いたときにメールが入った。今度こそ、三春からだ。

「ついに来た。俺はもう本当に、大丈夫」

 短い文面の下に、今しがた撮ったばかりの写真が見えた。

 青い空の下で大きな花束を持ち、泣き笑いのひどい顔になったフランケンシュタインの三春と、同じく目を真っ赤にしたスポーツ刈りで小太りの男性だ。同行すると聞いていた蒲生氏に違いなかった。

 三春と蒲生氏の間に写っている縦長の墓石の文字は、ルイスには読めなかった。

 Z県はロサンゼルスよりも遥かに寒い。写真の青空は、ロサンゼルスの空よりも青みが深いように見えた。三春の背後に写っているのは、松だろうか。

 ルイスの脇からスティーブが、反対側からジョセフが頭を寄せて覗き込む。

 ふいに、写真の三春の姿がぼやけた。画面にぽたりと水滴が落ちて、まずいと思ったときに、着信音が鳴った。

「写真、見た?」

 聞き馴れた日本語アクセントの英語に、ルイスは懸命に息を吸い込んで「おめでとう」と、囁いてみた。

 外に伝えたいことは、いくらもあった。けれど、言葉にならなかった。

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