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LAダウン  作者: 宮本あおば
23/28

23

 地面が鳴ったとき、ルイスは南の方角へ目を向けた。蜂起軍の爆撃かと思ったからだが、すぐに地震だと分かった。刑事たちも驚きの声を上げながら、バリケードやポリスカーに掴まった。

「何でだあ!」

 近くのポリスカーの屋根に手を突いた三春が吠えた。

「きっと、説得に時間が掛かっているんだよ」

 ルイスは必死に怒鳴り返した。スティーブが失敗するとは考えたくなかった。この非常事態だ。説得に失敗したら、その場で射殺される事態だってあり得る。

 嫌な想像に一瞬、目を閉じて開いたルイスの視界の中、遙か遠くに、巨大な黒い飛沫が上がった。

「おい、見たか。何だ今のは?」

「奴らが溜めた重油系の燃料じゃないだろうな。すごい火事になるぞ」

 刑事たちが口々に叫んだ。

 幸い、今の方角から火の手が上がった気配は感じられなかった。地鳴りの音は続いている。さらに一際ぐんと大きな音と共に、身体が沈み込む縦の揺れが来た。

 堪らず地面に尻餅を搗いたルイスの顔のすぐ前に、ポリスカーの車体が滑って来た。

「ルイス、危ない」

 三春が後ろから引っ張ってくれなかったら、エンジンも掛かっていない車に轢かれるところだった。へっぴり腰で別の一台のミラーに掴まり、ボンネットの上に這い上がる。

 何かが倒壊する轟音に懸命に顔を上げると、北側を走っている高速一○号線の高架が一部、紅茶に漬けた菓子のように、ぐずぐずと崩れていた。

 揺れが収まるまでに、ひどく長い時間が経った。

「畜生、俺はもう一生分の地震は味わったよ。もういいや」

 刑事の一人がやけになったように喚くと、三春が「俺もそう思ったけどな」と、苦笑した。

 揺れがほぼ収まったのと同時に、各ポリスカーや刑事たちの無線が忙しく鳴り始めた。

 市警だけでなく、周辺都市の警察やFBI、州兵とも繋がっているようだ。無線に応答する刑事たちの顔色は冴えなかった。

 刑事の一人が「タール、いや天然アスファルト?」と、叫んだように聞こえて、ルイスは刑事に近付いた。エド・スコット刑事だった。背を向けていたので、すぐには気付かなかった。

 殺気立って何事かコードで言い合った末に「くそったれめ、了解」と、無線を切ったスコット刑事は、すぐルイスに気付いて振り向いた。

「おいこら、NAU! お前ら、ガセネタ掴まされただろう。今、市内のあっちこっちでアスファルトが噴き出して、えらい状態になってるぞ。街全部がアスファルトに呑まれそうな勢いだってよ。どうしてくれんだ、こら」

 襟首を掴まんばかりの勢いだ。おそらく、地震の間にルイスが見た黒い液体は地面から噴出した天然アスファルトだ。

 恐ろしい量だ。それにしても、いったい何故、アスファルトが出るのか。

「あれを止める方法とか、何か聞いてないのか?」

 刑事が一番に知りたい情報は、天然アスファルトを止める方法だろう。懸命に考えたが、LWを抑える点が、全ての怪異現象を止める要なはずだ。

 ハミルトン博士のノートに、LWは、身体から出たばかりの人間の血液を大量に掛けると、およそひと月ほど無力になるとあった。記載は間違いだったのだろうか。

 ルイスはただ顔を横に振る動作しかできなかった。

 急に何か懐かしい音がした。ルイスの携帯電話だ。着信音がもはや懐かしい気すらした。電波が入ったのは奇跡だ。ジョセフからだった。

 ルイスが、スティーブがオズモンド刑事と共に蜂起軍へ入った話をすると、ジョセフは天然アスファルトがあちこちで噴き上がっている話をした。

 昨夜、動物園の撤収後はパークレンジャーに合流した、ジョセフの元へは連絡が入っているらしい。

「まるで九十年代の火山パニック映画だよ。ロサンゼルスの市内が舞台のヤツ。三春はどうしてる?」

 映画の話を持ち出すジョセフは、自棄気味のハイになっている。しかし、三春が一緒にいると伝えると、真剣な声になった。

「いいか、ルイス。これからすぐ、三春を連れて、脱出しろ。市内は東側が被害が少ない。車は駄目だが、二輪なら通れる。お前、バイク運転できるだろう。どこかでバイクを調達して、市外に出ろ。三春を逃がすんだ」

「スティーブが訊きましたけど、避難する気はなさそうでしたよ」

 一応は本人の意向を伝えたつもりが、ジョセフはおそろしい大声で「馬鹿」と叫んだ。耳が痛い。

「各国の領事館はもう避難勧告を出しているはずで、三春にだって、該当するんだよ。三春に何かあったら、NAUの恥になるんだぞ。いいから三春を逃がして、お前も家族の家にでも行ってろ」

「ジョセフ、あなたは? トムも一緒なんでしょう?」

「俺たちはギリギリまでパークレンジャーを手伝っていくよ。消防署も人手が足りないって話がある。頼むから、お前は」

 電話が急に、突然、途切れた。架け直したが、繋がらなかった。繋がれば幸運な電波状況か。

 ジョセフは三春に理由を付けてはいたけれど、ルイスも一緒に避難する理由をくれた。サンタ・クラリタの両親と、サンディエゴの祖母は心配しているに違いなかった。

「ジョセフは、どうするって?」

 背後から三春に肩を突かれた。大声で喋っていたから、内容はおよそ察しがついているだろう。避難の話をすると、軽く「したければ、してるって」と。一蹴された。ルイスも今さら、自分だけ安全な場所に行こうとは思わなかった。

 といって、ここで右往左往していても意味はない。せめてジョセフと合流して、消防署なりパークレンジャーの手伝いをする案は、どうだろうか。

「おおい、俺たちの受け持ちが増えたぞ。殺人係の半分は西のメイン・ストリートとの交差点に移動だってよ」

 一際きーんと大きな声がした。片手を高々と挙げて、皆の注目を集めたのは、レイモンド刑事だ。

「ウェスト・ハリウッドの保安官事務所ステーションに立て籠ってた連中が、攻撃して出た。ビバリーヒルズ警察の囲みは、もう破られた。ビバリーヒルズ警察が追いかけているが、西側を守備してるFBIが応援に駆け付ける。従って、俺らの守備範囲が広がる」

 天然アスファルトの被害が出ている時に、蜂起軍が動くとは。蜂起軍は予想していたのだろうか。

 さっきスコット刑事にガセネタと怒られたが、ハミルトン博士の研究が間違っていて、オースティンたちは正確な情報の元に行動している可能性はあるだろうか。

 だとすれば、天然アスファルトで壊滅状態になりつつある市内を、蜂起軍はどう処理するつもりか。

「ラインの内側で蜂起軍が動いてるなら、防衛ラインは意味ないだろ?」

 刑事の中の誰かが指摘する姿を横目に、ルイスはスティーブの携帯電話に架けてみた。さっきのような幸運があるかもしれない。

 祈る気持ちでボタンを押すと、呼び出し音が鳴ってから、留守番電話サービスに繋がった。嫌な想像が胸いっぱいに広がる。

「なあ、人手が足りてないみたいだし、ここで頭数に入れてもらう?」

「いくら何でも、無理だろ。……面白そうだけどね」

 即座に反論したものの、三春が呑気な声を出したお蔭で、一瞬だけ緊張しきった胸がほぐれた。軽口を叩く元気も、ほんの少し出た。

「何かしないとさ」

 市の職員らしい真似をするなら、ジョセフに合流したほうが役に立てる。生憎、ジョセフたちがどこにいるか聞きそびれてしまった。

 架け直そうと携帯電話を出すと同時に、光が点いて着信を知らせた。

スティーブでもなく、ジョセフでもない。表示には、サラ・シモンズとあった。

「やっと繋がった。無事?」

 ほっとしたような声に、ルイスこそ、ほっとした。怪我をしたりトラブルに巻き込まれている声ではない。

「三春と俺は無事だけど、スティーブがLWを止めるために、市警の刑事と一緒に、蜂起軍の責任者に会いに行ってる。だけど、連絡が取れないんだ。おまけに市内のあっちこっちで天然アスファルトが噴き出し始めた」

「LWよ!」

 叫んでサラは言葉を続けたが、電波が悪くて聞こえなかった。

「サラ、聞こえないよ」

 何度か頭を掻き毟りたくなるやり取りを繰り返して、ついにサラの言葉が聞こえた。

「違うのよ。LWは、怪物なんかじゃないの。早くLWをタールピットに戻して。LWが発見されたラ・ブレアのピットよ」

「ハミルトン博士の研究が、間違ってたのか?」

 血の気の引く思いで尋ねた言葉に、サラが「みたいね」と答えた。

「じゃあ、LWとタールピットの関係って何なんだ?」

 あれこれ聞いている暇はないのに、つい泣き言のような質問が出た。答の代わりに「え、何? 聞こえないわ」と、苛立った声が返った。

「私、これから……の政府に行ってからロサンゼルスに戻る。ヒントは、最初にあったはずなのよ。必ず、確かな……を掴むから、LWをタールピットに戻してね。街が沈んじゃうわ」

 言葉の一部が聞き取れないが、確認せずに、別な質問を優先させた。

「ハミルトン博士のノートには、LWの力を止めるのに人間の血が必要とあったんだ。新鮮なヤツ。直接、鮮血を掛ければ月が一回りする間、LWは止まるって。スティーブは実行したかもしれない」

「最悪! でも……なら、何か……を知っているかも。お願い、何とかしてアスファルトを止めて。私が行くまで……。そうね、……には、きっと」

「待ってくれ。止めてって、どうやって? 掛けた血を無効にする方法を、君は」

 知らないのか、と続く言葉が終わらない内に、電話が切れた。膝が鳴って、手が震えた。

 LWが怪物だとのハミルトン博士の考えは間違っていた。だが、人の血がLWを止めるという情報は、間違っていなかった。博士自身が何度か自分で試したからだ。

「どれくらい悪い話?」

 顰めっ面の三春の顔は凶悪そのものだ。電話の間中、ルイスのすぐ隣にいたから、察しはついただろう。

 さっき「ガセネタ」と声を荒げたスコット刑事に聞かれなかったかと、ルイスはつい周囲を見回してしまった。自分の卑怯さがいやになる。それから小声で三春に電話の内容を伝えた。

 フランケンシュタイン三春の口が大きく開いて、戻らなかった。

「どうしよう、三春? スティーブに伝えなくちゃ。とにかく、LWを取り戻さないことには――」

 狼狽しながらもルイスには、外に手段はないと思えた。三春と二人で天然アスファルトを止めるのは無理だが、LWさえ取り戻せば、方策は立てられる。マルティネスに相談してもいい。

 まずはリウ刑事に話そうと、歩きかけたルイスの肩を、三春が掴んだ。

「待て。伝えるだけなら、刑事さんたちにやってもらえばいいし、今、スティーブを迎えに行くのは無理だ。俺らは、自分たちでできることをしようぜ」

 ルイスに比べれば、三春は格段に落ち着いている。大災害を体験した差かもしれない。

「何ができる? マルティネスさんと連絡でも取ってみるかい?」

 困惑したルイスに、三春が人差し指を立てた。

「犬だ。確か、LWと一緒に掘り出された犬の骨は、警察に回収されただろう。LWと一緒にいた犬なんだ、何か効果は、あるんじゃないのか?」

 ルイスの脳裏に、床に横たわったキャシー・コーリックの姿が甦った。

 キャシーは、しっかりと胸に犬の頭蓋骨を抱えていた。しかし、犬でも効果はあるだろうか。

「だって、LWの話を知ってる技術員がとっさに掴んで放さなかったんだから、何かあるんじゃないか? 撃たれたキャシーの血がついていなければいいけど」

「俺が見た限りでは、ついていなかったよ」

 キャシーは頭部を撃ち抜かれて、仰向けに倒れていた。いっぱいに開かれた目を思い返して、ルイスは身震いした。

「じゃあ、ワンちゃんの骨を貸してもらおう」

 三春が刑事の群れに近付いて行く。ルイスは数秒ほど考えて、三春の後に従った。外にルイスたちが有効に動ける道は、なさそうだ。

 証拠物件の貸し出し、しかも、戻って来ない可能性が限りなく高い話に難色を示した人物はヘンダーソン刑事だった。だが、スコット刑事が味方してくれた。

「規律を遵守したって、街がアスファルトで溢れたり、蜂起軍の独立が成立しちまったら、証拠品の破損なんて、問題じゃなくなるだろ。大丈夫だ。レイモンドにも言ったけど、失点は全部、メルにつくから」

「但し」と、今度は三春とルイスに向き直った。

「同行の警官は出せない。係長には連絡を入れておいてやるから、キャビネットを開けてもらえ。もし、あのハゲデブがごちゃごちゃ文句を言い出したら、自分たちで説得しろよ」

「大丈夫ですよ」

 ルイスよりも先に三春があっさり請け負った。いざとなったら、ヘンダーソン刑事のときと同じく、腕力に物を言わせるつもりかもしれない。

 スティーブに伝言をしつこく頼んで、二人は再び本署を目指して歩き始めた。刑事たちからは「狙撃に気を付けろ」と忠告されたが、建物の近くを歩く程度が、せいぜいの用心だろう。

 今回の道のりは厳しかった。まず、あちこちで倒壊して道路を塞いでいる高速一○号線を越えるのに、西へ大きく迂回してから、北東のダウンタウンを目指した。

 ジョセフから聞いた通り、市内はひどい状態だ。天然アスファルトが水溜りのようになっている場所もあるし、何より、さっきの大地震で被害を受けた建物が目に付いた。ここ数日の地震で少しずつ崩れていた建物も、あるかもしれなかった。

 街中が天然アスファルト臭かった。アスファルトと一緒に出るメタンガスも、相当に危険だ。

 ルイスたちはサンペドロ・ストリートよりも西側のロサンゼルス・ストリートを北に向かって歩いた。ロサンゼルス・ストリートは商業地区だし、アパートも多い。

 あるビルのシャッターの隙間からアスファルトが流れ出している光景を見て、ルイスは思わず上の階に目を向けた。

 十階近くある大きなビルで、一階は店舗、二階から上はアパートか貸事務所になっている。住民はもう避難したと思いたかった。

 見上げた二階の窓に内側から黒い液体が飛び、窓ガラスに付着して、どろりと垂れた。

 奇妙なほど生々しさを感じさせる粘液に、ルイスは三春と見たタールピットでの発掘現場を思い返した。

 いったい、全ての始まりは、どこだったのだろう。つい足を止めそうになるルイスの背を、三春がそっと押した。

 二○○九年に完成した近代ビルの市警本署には、さすがに被害らしい被害は見受けられなかった。

前回と同じほどには人の出入りがあったけれど、周辺に停まっている車はロサンゼルス市警のものではな かった。アルハンブラ市警やバーバンク市警など、周辺からの応援が多いようだ。

 そういえば、ウェスト・ハリウッドの保安官事務所ステーションから立て籠もり一派が包囲を突破したばかりだ。

 受付を通り、前回とは違って勝手知ったる感で、五階まで上がった。

 殺人係を訪ねると、スコット刑事が表現した「ハゲデブ」には該当しない、スレンダーで髪の豊かなヒスパニック系の男性がいた。

 きちんとスーツを着込んでいる。ルイスが所属と氏名を名乗ると、慇懃に挨拶は返したが、自分の名前は口にしなかった。

「レクリエーション・公園局が、殺人係に何の用だい? ご覧の通り刑事は皆、出払っているし、留守番のヤングも外している」

 スーツの男が説明したときに、足音を立てて白人の男がやって来た。「ハゲデブ」の係長だ。シャツとスラックスのスタイルだが、どちらも草臥れている。

 ルイスたちよりもスーツの男に戸惑い気味だった係長だが、スーツは「そっちを先に」と譲ってくれた。

「レクリエーション・公園局のルイス・ロングです。エド・スコット刑事から、連絡があったかと思うんですが」

「あんたたちか。じゃ、こっちのキャビネットだから」

 どうやら文句をつける気はないらしい。ルイスはほっと安堵しながら、係長の背後に従った。

「ちょっと待て、ヤング。君は、この部外者たちと、何をする気だ」

 キャビネットを開けたところで飛んだスーツ男の声は、さっきの百倍も厳しかった。

「現場で、エド・スコットが必要なものがあるんで、持って行ってもらうだけですよ」

 うんざりした声で「ハゲデブ」は返事をしたけれど、態度と言葉から推測して、スーツが上司だ。

「それは、ペイジ博物館事件のボックスじゃないか。ペイジ博物館事件は私が預かると伝えたはずだ。どうしてエド・スコットや君が勝手な真似をする? メル・オズモンドは、どうした?」

 大きな声を出してはいないが、声のトーンと含まれたトゲは、剣呑だ。ルイスは割って入って「すみません」と嘴を入れた。

 外部のルイスが説明したほうが良いかもしれない。ちょっと恰好をつけてみたい気も、正直あった。

省略に省略を重ね、証拠物件を返却できない可能性には触れずにした説明を、スーツは一言で跳ねのけた。

「ダメだ。部外者に事件の証拠物件を貸し出す行為は、認められない」

 あまりにも簡単に断ったスーツの顔を、ルイスは、つい、まじまじと見た。スーツは本署ビルの外で起きている事態を分かっているのだろうか。

 多分、ルイスの後ろで三春も同じようにスーツを眺めているだろう。スーツは虫を追い払う仕草で手を振って、腰に手をやった。

「しょうがないな。いずれ分かることだから教えてやるが、明日には軍が介入するそうだ。だから、今日一日だけ防衛ラインを守っていれば、明日から本来の業務に戻れるわけさ。本来の業務で部外者に証拠物件の貸し出しは、ないだろ? 分かったね」

 最後の一言を小馬鹿にした口調で投げて、顔の向きを変えた。

「実は、今の話を君に教えるのに、わざわざ来たんだよ、ヤング」

 何一つ問題はないとすっきりした表情を浮かべるスーツに、ルイスは胃が焼けるような苛立ちを覚えた。

 警察の内規は確かに、あるだろう。しかし、証拠品の一つで人の命が救えるのなら、それこそ市民を守る組織として面目躍如ではないか。

「だから、君たちも早く、職場なり自宅なりに戻りなさい。ヤング、キャビネットの鍵は、とりあえず私が預かっておく」

 呆気に取られた感じのルイスたちに向かって、スーツは簡単に指示を出した。

 最初に呪縛が解けたのは、三春だった。

「ちょっと待って下さい。明日、明日って言うけど、今現在、危険な目に遭ってる人たちは、どうすればいいんです?」

 スーツは三春の形相に驚いた表情を浮かべつつ、「証拠物件」が市警と蜂起軍との戦闘において重要ではないと抗弁した。

 ルイスは、思わず舌打ちをした。

「たかが犬の骨で、噴出するアスファルトを、抑えられるかもしれないんですよ? 人の命も建物も、助かります。何なら、あなたは知らなかったことにしてもいい。私たちが勝手に侵入して盗んだ形にしてください」

 最後は懇願の口調になったルイスに、スーツは高飛車に「馬鹿を言うな」と声を荒げた。

「市警も協力はするが、アスファルト云々は消防署の管轄だ。それに……」

 言葉が終わる前に、三春が胸に大きく息を吸い込んだのが分かって、ルイスは慌てて三春の前に出た。殴るなら、自分がやる。

 ところがルイスが拳を繰り出す前に、アッパー気味の一撃をスーツの顎にお見舞いしたのは「ハゲデブ」の係長だった。まるで映画のような綺麗な一発に、スーツは通路に倒れ込んだ。

 直後に、ぐらっと視界が揺れた。地震だ。もう何度目だろう。

 よろけて近くのデスクに手を突くと、きちんと閉まっていなかった抽斗が振動で開いた。

 ヘンダーソン刑事が座っていた場所だったか。今や、中が丸見えだ。ヘンダーソン刑事のデスクなら、随分と物の管理が悪かった。

「この、くそったれが。出て行け」

 通路から身体を起こして「貴様」と、口を開きかけたスーツに、係長が怒鳴った。さらに畳みかける。

「お待ちかねの明日になったら、内部調査課でも何でも、連れて来い。ダテに何十年も市警にいねぇや。俺は、あの男みたいに簡単にはいかないぜ」

 係長が出した名前は、先だって疑惑の残る理由で市警を解雇されて、関係者数人を狙撃し、郊外の山荘で自死を遂げた男の名だった。あの事件で市警は大いに株を下げたものだが。

 目つきだけ厳しくしたスーツは「明日だ」と吐き捨てると、足音も高く殺人係の部屋を出て行った。

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