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アポイントも一切なしに、トングヴァ族の渉外代表ライアン・ロブレス氏は、やって来た。
少ない髪を無理矢理どうにか括ったポニーテールと、高いスーツから覗くビール腹がトレード・マークのロブレス氏がレクリエーション・公園局のネイティブ折衝ユニット(Native American Affair Unit)に現れたとき、ルイスは嫌な予感がした。
通称NAUは名前の通り、レクリエーション・公園局でネイティブ・アメリカンとの連絡および連携を担当する部署だ。イベントの運営から、博物館の展示や講座などネイティブ・アメリカンとの協力は多岐に渡る。
挨拶をしたルイスなどは、ロブレス氏の目には入らない。いつもぶっきら棒な人だけれど、今日はまたひときわだ。剣呑な空気を漂わせているのが気になった。最近、ユニットがミスをしたことはなかったが。
ルイスの視線を気にしないロブレス氏は奥にいるNAUの責任者、スティーブ・アイラーズに向かって切り出した。
「一昨日の、ペイジ博物館の事件ですけどね、おたくに、どれくらい情報が入ってます? 事と次第によっては、大変な問題になりますよ」
言葉こそ悪くはないけれど、乱暴な喋り方に苛立ちが出ている。太い眉の間に、深い皺が刻まれていた。額に汗が滲んでいる。
ペイジ博物館の事件なら、昨日はテレビで散々、取り上げられていたが、今朝のニュースには、もう出ていなかった。強盗も殺人も、まるで当たり前に起きる町だ。
「大変な問題ですかあ。それは、困りますよねえ」
奥のデスクで形の良い眉を大きく上げ、スティーブが立ち上がった。
三春ほどではないにしても、スティーブもまた背が高い。整った顔立ちのハンサムで俳優にでもなれそうなのに、動作と喋り方が、全てをぶち壊す。
スティーブが勧めたソファー・セットに腰を下ろさずに、ロブレス氏はその場で神経質に床を爪先で叩いた。
「報道はされてないが、ペイジ博物館からあれが盗まれたんじゃないんですかね? そうだとすれば、我々にとっても打撃ですよ。分かっていますよね?」
「ああ、あれ。あれと仰るのは、あれですよね? ペイジ博物館ですからあ」
不必要なほど語尾を伸ばすのが、スティーブの喋り方だ。しかも、滑舌がアナウンサー並みに良いので、初対面の相手は何となく馬鹿にされている印象を受けがちだ。
ルイスも最初は、小馬鹿にされていると思った。ロブレス氏も、長い付き合いで馴れてはいるはずだが、露骨に嫌な顔をする。
無理もない。スティーブの喋り方はコメディアン並みで、真面目さや真摯さが全く感じられない。
もっとも、ロブレス氏はスティーブの態度に文句を付けに来たわけではないはずだ。
いつのまにかルイスの背後に来ていた三春が、肩を突いた。
「あれって何のこと? ルイスは聴取のときにオズモンド部長刑事から、何か聞いた?」
小声で訊いたつもりだろうけれど、ロブレス氏にはしっかり聞こえていたようだ。汗の浮かんだ顔が三春に向く。
ロブレス氏の隣でスティーブの緑の目がくるりと宙を向くリアクションを、ルイスは見逃さなかった。スティーブとしては伝えたくなかった情報らしい。
仕事のミスでなかったのは幸いだが、三春の不用意な言葉が、藪を突いた。蛇を出さないように対応するのがルイスの役目か。突進型のロブレス氏を、どう躱せばいいのだ。
「聴取がどうしたって? 部長刑事がどうとか言ったけど、NAUでも調査を始めているんですか? そりゃ、頼もしい限りだが」
黒い大きな目が輝く。熱血のロブレス氏は、一方で被害妄想に近いほど、様々な事象をネイティブ・アメリカンに対する攻撃や、イメージ・ダウンに繋がると考えがちだ。
もっとも、トングヴァ族の置かれた状況を考えると、ロブレス氏へも同情の余地がある。
トングヴァ族は一万年以上前から、現在のロサンゼルス市を含むロサンゼルス郡に広く居住していた。ところが白人の入植によってトングヴァ族の土地は取り上げられ、散々な迫害を受けた。トングヴァ族の災難は、今日まで続いている。
近年になってネイティブ・アメリカンに対する政府の待遇も変わっては来たものの、部族によって、かなり異なる。
かつてのロサンゼルス市の一部に住みついていた部族は、チュマッシュ族も同じだけれど、チュマッシュ族は政府に部族として認定を受けた。居留地を確保し、カジノの経営で部族政府の運営資金を稼いでいる。
トングヴァ族には認定がない。カリフォルニア州では認められてはいるものの、州の認定だけでは居留地獲得もカジノ運営も無理だ。おまけに部族内の対立から、組織が二つに別れていて、ロブレス氏が所属している組織は、ダウンタウンに本部を置く一派だ。
「警察と連絡しているのか。どこまで情報を入手したんだ? え?」
異様な暑苦しさでロブレス氏が顔を近づける。妙齢の美女以外は、遠慮してもらいたい距離だ。
適当な嘘を吐こうにも思い付かず、ルイスは諦めて口を開いた。
「実は、事件が起きたときに、たまたま通りかかったんです。一部を目撃しました」
掻い摘んでいきさつを話すと、ロブレス氏の輝いた目に、荒い鼻息が加わった。
ネイティブ・アメリカンとは言っても、純血のネイティブ・アメリカンは、まず、いない。ロブレス氏も、ヒスパニックに近い外見だ。
「おお、それはそれは。で、あれは無事かな? まさか、本当に盗まれてしまった?」
「いやだから、あれって何ですか?」
しごく低姿勢に聞いたつもりだったけれど、ロブレス氏は一瞬、絶句してから、裂帛の気合いと共に「この間抜けが」と浴びせ掛けた。豪快に唾がルイスの顔に飛んだ。
「ペイジ博物館で問題になる所蔵品といったら、ラ・ブレア・ウーマンの外に、あるか。あんた方は事件に居合わせて、そんな基本的な質問も警察にしなかったのか」
ロブレス氏の叫びで、ルイスはやっと話が分かった。
天然アスファルト池のラ・ブレア・タールピットからは、一体だけ、人骨が発掘されている。女性の骨だったために、ラ・ブレア・ウーマンと名付けられた。
九千年ほど前に亡くなったと推定されている。数年前に博物館の展示からは取り外されていたために、今まで思い出さなかった。
肩を上げてポロシャツの袖で顔を拭いながら、ルイスは一歩下がった。
「すみません。ラ・ブレア・ウーマンがありましたね。しかし、あれは、チュマッシュ族じゃありませんでしたか?」
インターネットの百科事典サイトの知識で対抗しようとすると、即座に「決まってない」と返された。ロブレス氏は唇を噛んで拳まで握っている。一瞬、地雷を踏んだかと冷やりとした。
ロブレス氏は必要以上に地雷を持っているし、ルイスは他人の地雷へ注意が向かない。ロブレス氏越しにスティーブに視線を送ったけれど、援護射撃は気配すらなかった。
「チュマッシュ族が政府に認められているから、チュマッシュだと言われているだけだ。部族は重要じゃない」
これ以上の地雷を踏まないように、ルイスはすかさず「なるほど」と勢いよく頷いた。
日頃から、ロブレス氏がチュマッシュ族に複雑な感情を抱えていることは、ルイスも知っている。
「ラ・ブレア・ウーマンを欲しがるのは、どこかの部族の跳ね返りか、カルトにかぶれた能無しに決まってる」
固めた拳を宙に振って、ロブレス氏が演説口調になってきた。
「確かに、仰る通りです」
神妙な顔を作りながらルイスは、もしも犯人がトングヴァ族の誰かだったらどうするのかと疑問が湧いた。
尋ねてみようかと思い、さっき地雷を踏みかけたのを思い出す。
「どっちにしろ、ネイティブ・アメリカンのイメージは、悪くなるだけだ。馬鹿者のせいで、また我々トングヴァが、政府の認定から一歩遠ざかるんだ。こん畜生め」
下品な罵り文句を洩らして、ロブレス氏は首を振った。スティーブほどではないけれど、充分にオーバー・リアクションに見えた。
ロブレス氏が気にしている問題点は、最後の部分に違いない。しかし、ラ・ブレア・ウーマンの盗難がトングヴァ族認定に影響すると考える思考は、短絡的ではないのか。
「気にし過ぎですよ。犯人がトングヴァ族の人間だったら、まずいかもしれません。ですけど、それだって、絶対に不利になるとは限らないでしょうが」
わざと明るい口調になって、ルイスは微笑みまでおまけしたのに、逆効果だった。苦虫を一万匹も噛み潰した表情で、ロブレス氏は、口を開く。
「ああ、ああ。所詮あんた方には他人事だよな。どうせ韓国人と日本人は、車と家電以外に興味はないんだろうよ」
韓国人、とはルイスを指していた。四分の一の血について、以前に話した内容を覚えているのは感心だけれど、持ち出し方が気に入らない。
「失礼でしょう」とルイスも声を高くした。ロブレス氏の発言は、八つ当たり以外の何物でもない。言葉を継ごうとした隙に、三春が口を挟んだ。
「他人事だって、アジア人は仕事をしますよ。ラ・ブレア・ウーマンとやらが盗まれたかどうか、調べればいいんですか?」
いつもよりも低い声で訊きながら、三春がロブレス氏に向かって一歩すっと、踏み出した。
無表情に近い顔つきは怒っているわけではない。どうすれば威圧感が出るか、三春は知っている。
ロブレス氏は一瞬ぎょっと怯んだものの、負けまいとするように、胸を張った。というか、反らした。
「盗まれたのかは、いずれ分かる。盗まれていたら、犯人と動機が知りたい。早く情報を入手できれば、部族としての対応やコメントの出しようも考えられる」
一語一語ぶつけるように口にするロブレス氏の顳顬が痙攣している。本当に情報の入手で問題を回避できるかは疑問だが、部族のために奔走する行為はロブレス氏の生きがいだろう。猛進ぶりは尊重できる。
頭では重要らしいと理解しても、アイデンティティーを全て人種と部族に見出す考えは、ルイスには真似できなかった。
おそらくルイスが白人と韓国人とアフリカ系のミックスだからだし、もしかしたら落ち着きのない性格も、血の混じりっぷりが影響しているかもしれない。
「犯人と動機を調べるのは、警察の仕事じゃ?」
低い声で訊いた三春と対照的に、ロブレス氏は声を裏返らせた。
「それが他人事の姿勢なんだよ。仮にも、NAUの人間が言うことか。もういい、オートリー博物館への協力は一切、中止だ。貸した展示品も、引き上げる」
まるで脅迫だが、ルイスは慌てた。ロブレス氏の態度は子供染みているが、博物館へ影響を出すわけには断固いかない。
「分かりましたよ。調査しますよ。犯人の発見は約束できませんけどね」
ヤケ気味の声が出たけれど、ロブレス氏はそれ以上は気を悪くした風もなかった。「ふん」と鼻から大きく息を吐いた。
「やればいいんだよ。NAUなら、ネイティブ・アメリカンの立場で物を見ろ」
勝ち誇ったように言うと、スティーブに向き直る。
「調査の監督は、よろしくお願いしますよ。不真面目な調査内容だったら、オートリー博物館への協力は、本当に中止しますから」
「やむを得ませんねえ。承知しましたあ」
コメディアンのように肩を竦めるスティーブに、もう一度むっと眉を顰めながらロブレス氏は身体の向きを変えた。背中に三春が声を掛けた。
「日本人は車と家電以外、寿司にもビールにも興味ありますよ」
歩き去りながら、ロブレス氏は「馬鹿め」と吐き捨てて行った。
ルイスだって、三春のように何か言いたかった。でも、生憎、韓国がアメリカに輸出している品を思い付かなかった。真面目な内容で対抗しようと考えない性格が、事態を好転させないのは分かっているけれど。
ついでに、この先の調査についても、あまり考えたくなかった。
「えらい仕事ができたなあ。ジョセフが頭から湯気を出すぞう」
ハリケーン一過後、スティーブの第一声だった。
ジョセフ・リープホーンはNAUでは一番の古株で、スティーブよりも年上だ。出世に興味がない性格で、年下の上司を立てる温和なジョセフでさえ、今回の件には嫌な顔をするかもしれない。
「ジョセフがいれば、違った展開になっていたでしょうしね」
首を縮めながらルイスは答えた。ジョセフはおっとりした性格と、半分入っているナバホ族の血でロブレス氏のお気に入りだ。今日はパーク・レンジャーの手伝いで、もう一人の先輩のトム・モーガンと外に出ている。
ふと壁の時計を見ると、二時過ぎだ。まだ当分は帰って来ないだろう。
「ジョセフがいたって、ルイスの口が減らないのは同じだよ」
脇からさらりと言ってのける三春に、ルイスは脱力した。
三春には言われたくない。LとRの発音すら時々間違うくせに、ルイスよりも減らない口を叩けるのは一種の才能だ。
まだ震災の爪痕が残るZ県A市が二か月前に三春を送った先は、土木工事局だった。ところが、なぜか日を置かずして、三春はジェネラル・サービス局に異動になった。さらに用事でジェネラス・サービス局に行ったスティーブが引き抜いた。
以前の部署でどういう摩擦があったのかは知らないが、NAUで三春は妙に馴染んでいる。
急に、三春が「あ」と声を上げて年代物の携帯電話を取り出した。ルイスに目で合図を送ると、薄い唇の口元を緩ませて、いそいそと部屋から出て行く。
マナーモードにしている電話が震えたらしい。すぐに廊下から「モシモシ」という日本語が聞こえた。
三十四歳という年齢からすれば当然で、容姿からすれば驚愕すべき事実だが、三春には婚約者がいて、毎日、電話してくる。
日本の朝はロサンゼルスの午後だ。三春の両親もしばしば電話してきて、三春は古めかしい携帯で受ける。海外で受けられる日本の電話だそうだ。
しかし日本の「カチョー」という上司は、三春がアメリカで入手したスマートフォンにかける。三春が六か月の研修を終えるまで、あと四か月あった。
「ルイス、まずペイジ博物館に連絡してみるといい。もちろん警察の担当者も。念のためにチュマッシュ族の渉外か広報にも電話して、チュマッシュ族が反応しているか、確認も取っておくべきだねえ」
スティーブが指を折りながら指示を出す。部下にファーストネームで呼ばせる気さくさと物分かりの良さで、仕事のしやすい上司だ。たとえ普段の業務を大きく超えた内容でも、態度が変わらないのは助かる。
さっそくルイスはデスクの電話を取り上げた。インターネットで番号を調べ、ペイジ博物館に電話する。事件以来、博物館は休館しているけれど、職員は出勤しているかもしれなかった。
最初に繋がった音声案内では休館を伝えていた。ガイダンスに従ってオペレーターを呼び出す。
硬い声のオペレーターに所属を告げると、少し警戒を解いた気配がした。だが、「被害状況が分かる担当者を」という要望には、ロサンゼルス郡か、自然歴史博物館を通すようにと、冷たく断わられた。
ペイジ博物館は、ロサンゼルス郡の自然歴史博物館の系列だ。ルイスが肘鉄を食らわされている間に戻って来た三春は、隣のデスクの電話を使っていた。相手が席にいなくて伝言を頼んでいるらしい。
「急ぎですから、お願いします」と締め括って切る。先日、事件現場で会った、オズモンド部長刑事への伝言らしい。スティーブはと見ると、スティーブも電話中だ。
続いてルイスは、チュマッシュ族のサイトを検索した。チュマッシュ族もかつてカリフォルニアの中央から南にかけて、広い範囲で生活していた。
現在、居留地となっているのは、ロサンゼルスから北西に車で二時間半ほどのサンタ・イネスという場所だ。ワイナリーも多くて、ワインの映画で有名になったソルバングも近い。
全米にチュマッシュ族の団体はいくつかあるが、政府から唯一の認められている団体はサンタ・イネスだけだ。独立した国家という形を採っているけれど、彼らの居留地に行くのにパスポートが要るわけではなく、代表を国連に送ってもいない。
チュマッシュの人々はロサンゼルスにもいるはずだが、ルイスは今まで、接触が全然なかった。
パソコンの画面を見ながら大代表をダイヤルし、所属と名前を告げる。転送された電話は、すぐに繋がった。
「お待たせしました。渉外・広報アシスタントのサラ・シモンズです」
明るく丁寧な声が、ルイスの耳を擽った。