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LAダウン  作者: 宮本あおば
18/28

18

 ロンを拘置所に戻し、メルは本署の殺人係へ戻った。地震の影響でどれほど回線に影響が出ているかは不明だが、早々にオースティンが伝言を聞くことを期待するしかない。

 いつもよりがらんとした殺人係のオフィスでは、白人とアジア系ばかりの数人が、苛ついた表情でテレビのニュースを睨んでいた。

 係長の小部屋はブラインドとドアが全開で、電話で話している、というか怒鳴っている声が丸聞こえだった。

「そんな話で、わざわざ当てこすりの電話をよこすな。何だったら、うちの部署を全部、投入してやる。最後に残るのは、誰かな?」

 つい小部屋に目を向けたメルの肩を、ウィルが突いた。

「クリフが保安官事務所の側に走ったんですよ。他の部署でも、何人もあっち側につく連中が出てきて、大騒ぎです。あと、課長が探してました」

 どちらも顔が歪む話だ。クリフはアフリカ系で、殺人係でもベテランの部類だ。暴動の鎮圧援護と現場での殺人事件の対応に出て行ったが、クリフが保安官事務所側に味方する行為は、駆け出しのパトロール警官が道を誤るのと訳が違う。

「とりあえず、課長のところに行ったほうがいいですよ」

 一瞬、茫然としたメルはウィルに勧められ、慌てて殺人係を後にした。

「ラミレス刑事は、どうした?」

 まず「報告はこまめにと言っただろ」と叩きつけてから課長は、ジョージが一緒でない状態に気付いたようだった。

 怖ろしく騒然とした騒ぎの中でも、襟元は少しも緩まず、上着はきちんとプレスが利いているようだ。案外、大物かもしれなかった。

「実は」と、切り出したメルの報告を、課長は指で机の上を叩きながら聞いた。

「ラ・ブレア・ウーマンに、そんな力が? 正気の話なのか、それは」

「この際、本当かどうかは、どうでもいいんです。犯人たちが、LWには力がある、と考えて行動している点が、重要だと思われますが」

 実際、メル自身もどう捉えるべきか腹が決まらなかった。ハリウッド映画じゃあるまいし、九千年前のカルシウムに、魔法使いばりの力があるとは思えない。

 といって、大真面目に暴動まで起こしている連中を考えると、一蹴できない気もした。

「何が重要かは、私が決めることだよ」

 急に強く机を指で叩いた課長に、メルは低く「その通りです」と答えた。

 続いて報告した、ロンとオースティンの繋がりに関する内容に、課長は機嫌を直したように見えた。しかし、オースティンに残した伝言の件になると、「馬鹿か、君は」と、机の上で拳を作った。

「FBIに傍聴されているぞ。市警は臆病な利己主義者の集まりだ、と思われるじゃないか」

「確かに、犯罪者やテロリスト相手の取り引きは、非難の対象になるでしょう。ですが、まだ具体的な話はしていませんし。少なくとも、ラミレス刑事の安否は分かるのではないでしょうか」

 賛成されるとも思わなかったが、課長がこれほど神経質に反応するとは思わなかった。しかし、伝言はすでに残してしまったのだから、何とか乗り切るしかない。

「冗談じゃないよ。第一、オースティンとやらが言った通り、ラミレス刑事が自分から寝返っていない証拠は、ないんだ。もし、そうだったら、市警はいい面の皮だ。今だってもう、どれだけの警官が蜂起軍についたと思ってるんだ?」

 確かにベテランのクリフですら、市警を離れた。ジョージが説得されても、不思議はないのかもしれない。しかし、一言もなく消えるやり方は、メルの知るジョージではない。

「あいつら皆、懲戒免職だ」と息巻く課長に、メルは静かに聞いた。

「しかし万一、ラミレス刑事が拉致されていた場合は、どうなります? 人質交換はなくとも、救出は検討して頂けますか? もしくは私が救出に向かうのは構いませんか?」

「無理。君、ニュースを見てないのか? こんな状態で、警官一人の救出なんて絶対できないし、君一人で何をするつもりだ? ラミレス刑事は尊い犠牲だよ。ロサンゼルス市が危機を乗り越える際に殉職した英雄だ。それでいいだろ?」

 課長の言葉は現実的かもしれないが、あっさり「犠牲」と言い捨てた態度は、和也たちを「犠牲」と片付けたロンと同じだ。

 映画や小説のロサンゼルス市警の刑事なら、「いいわけねぇだろ」と課長の頬にパンチの一つも飛ばせるだろう。

 しかし、階級と給料、将来の恩給に縛られている身では、無理な相談だ。もっとも給料や恩給だって、蜂起軍の動き如何では、意味がなくなるかもしれないが。

 煮えくり返る腹を宥めつつ、メルが今後のことを尋ねようとしたとき、小さく点いていたテレビから、発信音が聴こえた。

 ラジオやテレビの警報訓練で、聞き慣れた音だ。課長が「何だ?」と、ボリュームを上げた。メルも画面がよく見える位置に移動した。

 ロサンゼルス市のマークを後ろに、マイクの前にいるのは、市長だった。臨時記者会見か。

「このアナウンスはロサンゼルス区域のテレビ、ラジオを通じて放送されます」と、前置きして始まったのは、市長によるスピーチだった。

 ロサンゼルス市と周辺都市に、夜間外出禁止令が出された。九二年にも発令されたはずだ。

 現在、出動要請を受けた州兵がすでに区域に入っており、場合によっては、軍隊の出動もあり得る。「暴徒」は必ず鎮圧されるので、くれぐれも軽はずみな真似をせずに、事態の収束を待ってほしい――との内容を、市長は青い顔で喋った。

 目の下の隈が痛々しいほどで、普段のイタリア系伊達男が台無しだ。

 わざわざ指摘する点から推測して、蜂起軍に加担する「軽はずみ」な真似をする市民は少なくないようだ。

「鎮圧は、時間の問題だ。州兵がコンプトンとサウス・セントラルを制圧すれば、現場での殺人事件の捜査で忙しくなる。もしもオースティンから連絡があった場合は、ラミレスの話はせずに、投降するなら受け入れる、と伝えるように」

 課長は涼しい顔で締め括った。市警の警官や市民が加担している暴動を、深刻だとは捉えていないのだろうか。

 大物かもと思ったのは間違いで、ただ単に無神経なだけではないのか。無神経さも出世レースで、他人を押し退けるには重要な要素には違いないが。

 メルが返事をする前に、窓の外が明るくなり、次の瞬間、大音響が轟いた。地震ほどではないが、腹に響く振動もあった。

「飛行機が落ちたんじゃないだろうな」

 顔を突き合わせて窓から覗く。課長の部屋からはリトル・トーキョーのある北東方面が望めた。

 リトル・トーキョーのサード・ストリートとサンペドロ・ストリートの近辺から、煙が立ち上り始めていた。

「雷でしょう。最近、多いですね」

 正体が分かると途端に興味をなくした課長に、あえて告げる言葉もなく、メルは部屋を出た。

 課長は一蹴したけれど、人質交換の否定は、「公式」だけの話だ。敵も味方も涼しい顔で「犠牲、犠牲」と言うのが、メルは気に入らなかった。

 何を選んで、何を捨てるのか、選択を迫られている気がした。

 しかも、のんびりと考えている暇は、多分ない。同じ気分でいる警官や市民は多いだろう。

 焦燥感に駆られつつメルが殺人係へ戻ると、同僚たちは、さっきと同じようにテレビの前に固まっていた。ところが、雰囲気が違った。

「敵のアタマが出て来たぞ」

 メルを視界の隅に認めたエドが、顔をこちらに向けずに告げた。メルは黙ってテレビの近くのデスクに尻を乗せた。いつもうるさいデスクの持ち主のマーティンも、今は食い入るように画面を見ている。

 場所はコンプトンの市役所の近くだ。病院の前にある広場だろう。病院の名前が《マーティン・ルーサー・キング・ジュニア・メモリアル病院》なのは皮肉だ。公民運動に生涯を捧げたキング牧師は、どこまでも非暴力を掲げていた。

 今、前衛的で氷山のような白いオブジェの前に姿を現した人物は、長身でハンサムな白人のオースティンだった。周囲から拍手喝采が起きた。

 オースティンが暴動を起こした張本人か。ペイジ博物館の事件からの黒幕が、ただの保安官補佐官とは腑に落ちない気もした。

 だが、オースティンは吹き溜まり燻っていたエネルギーの利用法を心得ていただけかもしれない。

 演説台らしき物が置かれ、テープで巻かれた数本のマイクが設置してあった。蜂起軍は暴動が始まったときから、報道陣を締め出していない。

 マスコミを通じて蜂起軍の行動を見せつけ、今また声明を出そうとしている。この放送は全米、あるいは海外からも注目されているはずだ。

 マイクの前に立って、オースティンは沈痛にも見える厳しい面持ちを崩さなかった。

「気取りやがって。市警のSWAT(狙撃チーム)は、出てねぇのか?」

「あんな内部まで入れたら、苦労はしないよ」

 誰ともなく口を開いた刑事たちに、「黙って見てろ」と声が飛んだ。いつの間にか、係長が皆の後ろに、腕組みをして立っていた。

 画面で、オースティン警部補が口を開いた。

「私の名前は、アンディ・オースティン。今、放送を見ているあなたは、私たちの行動を何だと思っているだろうか? 貧しい地区の有色人種が、子供のように駄々を捏ねている暴動? 保安官事務所のはみ出し者たちが起こした、クーデターごっこ? 正解をあげよう。これは、独立戦争だ。私たちはアメリカ合衆国から独立して、ロサンゼルスという国を作る」

 周囲から上がった轟く歓声に、オースティンは重々しく頷いた。メルは、隣の刑事の口が開いたまま戻らない状態なのを横目に見た。

「私は独裁者ではないし、独立後の国とアメリカ合衆国が、北朝鮮と韓国のような関係になる展開は、望んでいない。ネイティブ・アメリカンのイロコイ連邦は国連でも認証され、FBIの捜査権なども及ばないが、私たちはイロコイ連邦よりも自立した体制を敷く」

 オースティンが言葉を切ると、再度、激しい拍手や口笛、声援が飛んだ。

 イロコイ連邦は、東海岸でアメリカ合衆国とカナダを跨ぐ土地にある。六つの部族から成る国家だが、国境でパスポートのチェック等があるわけではなかった。

「今、『そんな少人数の保安官補佐官と暴徒とで、何ができるか』と思ったあなたは、よく聞いて欲しい」

 オースティンの口調は、まるで政治家の演説だ。いや、国として独立すると主張しているのだから、本人は、もはや政治家のつもりだろう。

「平和で治安の良い生活を希望する者なら、現在の国籍、身分、何よりも人種を問わずに歓迎する。すでにいくつかの大企業が支援を約束しており、我々に協力する警官、保安官補佐官は公務員として採用する」

 口調だけでなく、実際の政治家の演説のように、オースティンは要所要所で言葉を切って、聴衆の反応を見た。エドが唇を突き出した。

「クリフのやつ、丸め込まれやがって」

 まるでエドの言葉が聞こえたタイミングで、画面のオースティンが眉間に皺を寄せた。

「いつ破産するか分からないロサンゼルス市は、沈みかかった船だし、ロサンゼルス郡も変わらない。大事な人生を、あなたの声を聞く気が全然ない政治家に任せてはいけない。夜も昼もなく働いて、なお来月の家賃を心配する生活は、終わりにするべきだ」

 凄まじい歓声が上がった。低所得者が多いコンプトンでは、最も歓迎される話題だ。片手を上げて歓声に応える動作をした後、再び口を開いたオースティンの口元には、微かな笑みが浮かんでいた。

「世界は、少なくとも、このロサンゼルスは、劇的に変わろうとしている」

 力強く言い切ってから、自信に満ちた口調でオースティンは「常識は捨てて欲しい」と続けた。

 最近、ロサンゼルス周辺で起きている地震や落雷は、全て「今まで誰も顧みなかった力」が働いているせいだと説明した。

 力はロサンゼルスに長い長い間、じっと眠っていたが、独立戦争のために目覚め、今、独立軍に手を貸しているそうだ。

 カリフォルニアの州都、サクラメントがどれだけ州兵を送ろうとも、ワシントンが軍隊を動かそうとも、勢いは止まらないし、独立軍がこの地にいる限り、単純な武器や人数の数量を越えた有利さがあると主張した。

「すでに多くの州兵やロサンゼルス市警の警官が、私たちの仲間になった。また万が一、アメリカ合衆国がどこまでも私たちの独立を認めない場合は、いくつかの外国政府から協力が得られる約束ができている」

 画面の中のオースティンが平淡な調子で喋っている姿に対して、画面の向こうの聴衆と殺人係の刑事の間には、どよめきが起きた。

「キューバあたりか?」

「中東でも、ありそうな話だぞ」

 いずれも現在はアメリカと国交のない国か、アメリカの勢力を削ぎたい国には違いないが、どういう形で連絡を取ったのか。

 メルが知る範囲ではペイジ博物館事件から、和也とティムの殺害事件を経て、暴動へと発展した事件だが、発端はずっと早く、思いも寄らない多方面で進行していたのだろう。

 また少し口を噤んで、聴衆が静かになるのを待ったオースティンが、わずかに声音を変えた。

「独立は、ロサンゼルスに山積みの問題を解決する、唯一の鍵だ。全てを新しく建て直そう。皆が見て見ぬふりをしてきた社会の歪みは、一掃されるべきだ。私もずっと長い間、問題から目を逸らし続けてきた」

 アップになったオースティンの目が険しくなった。

「私は、ある事件で家族を亡くして、やっと目を覚ました。もう沈む船からは降りなくてはならない。今ここに、改めて呼び掛ける。ロサンゼルスよ、目を覚ます時が来た」

 凄まじいどよめきと共に、警部補の後ろで待機していた三人の男が、順に空に向けて空砲を撃ち、聴衆は益々盛り上がった。

「ウェイク・アップ、ウェイク・アップ」

 聴衆がリズムをつけて叫ぶ声が轟いた。

 カメラが切り替わり、興奮した面持ちのレポーターが映った。アフリカ系の若い女性だった。

「ご覧の通り、たった今、独立蜂起軍リーダーのアンディ・オースティン氏から、正式な声明が出ました。蜂起軍の目的は、アメリカ合衆国からの独立です」

 レポーター自身が驚きや興奮のあまり、気にしていないのだろうが、どことなく嬉しそうな響きになった声が、メルは不愉快だった。

「独自に入手した情報によりますと、独立蜂起軍は、ロサンゼルス市ダウンタウン地区にある市役所、市警などの建物の明け渡しを要求し、市側が応じない場合には、実力行使に出るとのことです。ダウンタウン地区にお住まいの方、お仕事がある方は、注意してください」

「何だって」「こっちに来るか」と周囲から声が上がる中、テレビの画面が切り替わる前に、レポーターが「キャア」と悲鳴を上げた。

 男がレポーターの腰を掴んで身体を摺り寄せる姿を、テレビカメラは揺れながら捉えていた。

 演説会場にいた誰かが、興奮したのか悪戯心を出したのか、ハイヒールにミニスカートのレポーターにちょっかいを出したらしい。

 レポーターの悲鳴は止まらないまま、誰かの「おい、カメラ止めろ」という言葉の直後に画面が切り替わった。

 スタジオからの映像では、よく顔を見るアナウンサーが複雑な表情で「現場からの中継でした」と纏めた。

「軍規、悪そうですね」

 ウィルが顔を顰め、メルは「みたいだな」と頷いた。

「あいつら、報道関係は入れてるけど、都合の悪い画は止めていそうだな。まあ、『軍』なんて、そんなもんだろうけどよ」

 投げ出すようなエドの言葉に、メルの古い記憶が立ち上って来た。だが、口を開く気もしなかった。マーティンがエドの腕を掴んだ。

「のんびり構えてる場合かよ。奴ら、こっちに来るぞ。州兵も、あてにならないし、どうするんだ? つうか、あっちが軍なら、もう俺たち市警がどうこうする話じゃないだろ。さっさと軍を派遣してもらわないと」

 額に汗が滲んでいた。小柄なマーティンは優秀な刑事だが、射撃は下手だし、取っ組み合いも嫌いだ。

 マーティンの慌てっぷりを茶化そうかと思った時に、足元が揺れた。

 ドドドと地鳴りのような音が聞こえるほどの振動で、堪らず近くの机にしがみ付いた。電気が消えた。

 実際には三十秒も続かなかったとは思うが、三十分にも思えるほどの長い時間の後で、やっと揺れが収まった。電気は、非常灯が辛うじて戻った。自家発電もイカれてきたのだろうか。

「さっきオースティンが、変てこな力がどうとか、言ったな。お前が引っ張ってきたロンや、ペイジ博物館の事件とは、どう関係してるんだ?」

 外からの明かりを反射して微妙な色になったエドの目が、メルを見て細められた。笑っているわけではなかった。

 メルはごく簡単に、三春から聞いたペイジ博物館と、ロンたちがLWの力を信じている話を伝えた。

「嫌な感じだな。地震が偶然ならいいけど、マジだったら、俺たち、やばいよ」

 マーティンが悲鳴にも似た声を出したところに、係長の小部屋で電話が鳴った。

 電話の回線と必要な電源は生きているらしい。突き出た腹を揺すって電話を取りに行った係長は、数分で戻った。

「十階から出動命令が出たぞ。全員で警備中隊の指示下で蜂起軍を阻止する」

 露骨に嫌な顔をしたマーティンに、「頃合いですよね」と薄く笑ったウィルが対照的だった。どの程度の装備で、どれほど仕事になるのか。エドの言葉で甦った記憶が、さらに鮮明になりそうだ。

 ふと思い付いてメルは、マーティンに声を掛けた。

「ヘイ、マーティン。あんた、来たくないんだろ。オースティンの経歴を洗うのは、どうだ? 家族を亡くしたそうじゃないか。どういう経緯があったか調べて、後から合流しろよ」

 誰かが「もうオースティンを調べている段階じゃないだろ」と、文句を投げた。しかしメルは「知りたいだろ、普通」と、短く答え、係長に向かって猫撫で声を出してみた。

「ねえ、係長、いいでしょう? どうせ、マーティンは大した戦力にはなりません」

「お前、ちっと課長に馴染んだくらいで、いい気になるなよ」

 鼻の頭に皺を寄せた係長は、それでも「好きにしろ」と、マーティンにパソコンは階下に行って使うように指示を出した。電源が戻るまでの措置らしい。

 メルたち、残りの刑事はそれぞれに防弾ベストを着用し、ありったけのマガジンを持った上で、階段で下りた。こんなみっともない出撃は、ちょっと記憶にない。

 メイン車庫で警備中隊と合流した。警備中隊所属のSWATチームは出払って、今は警察犬ユニットのK9チームが出動するところだった。

 凛々しいジャーマン・シェパードは結構だが、少々草臥れたレトリバーに、何も分かってない瞳で見上げられたときには、いささか情けない感じが込み上げた。

「ワシントンは軍を待機させてはいるが、まだ出動命令は出してないだろう?」

 爆弾処理班用の装甲車の脇で尋ねている男は、少年課防犯係の係長だ。答える相手は、確か経済犯罪課だった。

 口振りから見て、状況を把握していそうで、メルは聞き耳を立てた。

「オースティンの演説は放映されたが、ワシントンは、あくまで暴動扱いにしたいって話だ。諸外国に対して体裁が悪いし、真面目に国内で独立運動が起きてるなんて、認めてみろ。国債だの株価だのに、とんでもない影響が出る」

「しかし州兵は、もう出てるじゃないか」

「州兵なら九二年の暴動でも出た。軍隊が民間人を攻撃している姿は、印象が良くない。市内の企業は保険も掛けているし、大した打撃になっていない。急がないんだよ」

「州兵と警察に致命的な打撃がないと、出動させないつもりか。我々は、どうなる? だいたい保安官事務所本部は、何をしてるんだ?」

 気色ばんだ防犯係の係長に、相手は黙って軽く首を振った。

「まだ『現状把握中』だそうだ。トロいよな。蜂起軍に人員を持って行かれるわけだよ。我々も、偉そうな口は利けないが」

 経済犯罪課は自嘲的な笑いを浮かべて、肩を竦めた。経済犯罪課の情報源がどこかは知らないが、正確でないのを願いたい内容だ。残念ながら充分に頷ける話ではあるのだが。

「おい、俺らは、あっちの車を使えってよ」

 エドが声を掛けてきた。

 メルたちはダウンタウンの南側で、高速一○号線を越えた場所にある、ワシントン・ブールバードとサンペドロ・ストリートの交差点にバリケードを築く手筈になっていた。

 防衛ラインは東西に伸びるワシントン・ブールバードに沿って敷かれ、大半を市警が、西側の一部をFBIが担当する手筈になった。

 市の東側には、アルハンブラ市、サウス・パサデナ市、グレンデール市といった隣接都市から協力が来ていた。また、数十人が籠城状態にあるウェスト・ハリウッドの保安官事務所ステーションは、近くのビバリーヒルズ警察が包囲していた。

 数台のポリスカーに分乗して、メルたちはサンペドロ・ストリートを静々と南に向かった。暮れ始めた市内は、まだ電気が戻っていない場所がほとんどだ。

 課長の部屋から見た落雷があった地点は、サンペドロとサード・ストリートの辺りだと思ったが、サンペドロの角まで来て分かった。

 雷が落ちた建物は、教会だった。大聖堂の尖塔が聳え立つ建物ではない。近代的なデザインで小ぶりの石造りのビルだ。

 道を挟んで南側は医療ビル、西側はコンドミニアムだ。高いビルに避雷針がなかったせいかどうか、背の低い教会の門と正面玄関は、見事に打ち砕かれていた。

 薄く煙が上がっているが、消火活動に当たっている人間の姿は、見えなかった。消防署は小さな教会に構う余裕がないのだろう。走っている車も極端に少なかった。

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