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LAダウン  作者: 宮本あおば
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 ルイスたちが訪れた先での、博士のノート探しは難航した。 

 マルティネス夫人まで動員して行った、博士の娘、エレン・ガーランド宅の車庫は広いだけでなく、恐ろしい量の段ボール箱や雑貨が無秩序に詰め込まれて埃を被っていた。

 車庫に車を入れずに物置代わりに使う人は珍しくないが、これほど大量な荷物は、珍しかった。

 以前、マルティネス氏が見つけておいた一箱は、すぐに取り出せた。

「あと二箱は、あるはずなのよ」

 おっとりと首を傾げたエレンの言葉で、ルイスと三春は、段ボール箱の海に飛び込む羽目になった。

ルイスたちの捜索の間に、スティーブとマルティネス氏は取り出した箱を調べた。博士の日記があったのは、収穫だろう。

 一九七五年前後の日記で、日常として月に数回ほど天然アスファルトを運んでいた件、慣習は以前の上司からの引継ぎであった背景などが書かれていた。

 また、すでに建設中だったペイジ博物館に触れた記載もあり、「必ず自分も行かなくてはならない」との決意が、数回に渡って記されていた。

 マルティネス氏の話の通りだが、話以上の発見はなかった。マルティネス氏と、娘のエレンは、博士のノートがあったはずと指摘した。

 捗らない作業を続けて数時間が経った頃、スティーブの電話が鳴った。「やあ、ジョセフ」と答えたせいで定期連絡かと思ったけれど、すぐにスティーブの口調が変わった。

「よし、これから戻る」

 断言して切ると、マルティネス氏に向き直った。

「すみません。私は、戻らなければ。コンプトンで暴動が発生して、ロサンゼルスにも飛び火しそうです。イベントの中止撤収作業を監督しなくては」

 今朝、ジョセフたちに押し付けた通常業務の中には、ロサンゼルス動物園との提携イベントもあった。子供たちの夏休み期間中なので、週末でなくとも、イベントが多い。

「暴動だって? 人心を惑わす技も、稀代の呪術師なら頷ける。行方不明のLWが関係してるんじゃないのかね?」

 大勢の人間には正気を疑われそうな疑問を、マルティネス氏は真顔で持ち出した。しかし、マルティネス氏は、誰よりもLWを知っていたハミルトン博士の友人だ。

 現実の境界線が揺らいで、ルイスは思わず胃の辺りを押さえた。

「現時点では確かめようがありませんね。しかし、LWを盗んだ犯人が現実離れした前提で動いているなら、私たちも理解した上で合わせるべきですねえ?」

 スティーブの言葉は、こんな時でも、緊張感がなかった。マルティネス氏は笑って、すぐに出発するよう勧めた。

「こっちは我々で作業を進めておくよ。博士の筆跡を読むのは、エレンと私しかできないからね。何か分かり次第、すぐに連絡する」

「すみません」と、立ち上がったスティーブが、ふと三春に視線を向けた。ルイスと三春も傍で聞いて、帰り支度を始めていた。

「危ないかもしれないよ。私は君の上司に、君の安全を約束した」

 わざとらしく眉を上げて聞いた詐欺師のスティーブに、フランケンシュタインな三春は、眠そうな目を光らせて薄く笑った。

「へいちゃら」

 ルイスの運転する車が街に近付くに連れて、ラジオから流れてくるニュースが深刻味を増した。

コンプトンで起こったドライブ・シューティングが暴動に発展しており、すぐ隣のサウス・セントラルでも、呼応する動きがあるらしい。ロサンゼルス市警は、「不要の外出を控え、報道される区域をなるべく避けるように」と、市民に呼びかけていた。

「保安官事務所の動きは、ないのかな?」

 ニュースの合間にスティーブが疑問を口にすると、まるで答えるようにアナウンサーが、保安官事務所の名前を出した。

「保安官事務所からの公式コメントは……まだのようです。コンプトンでの暴動鎮圧に苦戦を強いられている状態でしょうか」

 少々困惑した口調だった。

 ほぼ同時に、スティーブの携帯電話が鳴った。ジョセフだ。

 コスタメサを出てから、何回か連絡が入っていた。イベントの撤収の際に事故が起きたせいだ。

動物園内の一画で、ネイティブ・アメリカンの衣装や工芸品を展示し、子供たちに伝統的なゲームや楽器を楽しんでもらう企画だった。撤収作業に入ったときに、突風で催事テントが倒れて怪我人が出ていた。

「怪我人は軽傷なので一先ず医務室に収容しましたが、別の問題が」

 困惑したジョセフの声が、スピーカーにしてある電話から流れた。

「イベントに協力していたネイティブ・アメリカンのフルート奏者の様子がおかしいんですよ」と、ジョセフは続けた。

 テントが倒れる前から、「嫌な風が吹き出した」と落ち着きがなく、怪我人が出た後は、パニック状態になっているそうだ。

「部族の言葉で何か叫んだりしてます。救急車を呼ぼうにも、市内で事件事故が多発しているらしくて、いつになるか分かりません」

「トングヴァ族広報のロブレスさんに、連絡は? フルート奏者はロブレスさんの派遣だろう」

「携帯に伝言は残してあります。ともかく、何かに憑かれたみたいになって、お手上げです」

 これほど弱っているジョセフの声を、ルイスは初めて聞いた。

 今、車は高速五号線をロサンゼルスに向かっているが、反対車線はかなりの混雑だった。市内の異常を察知した人々が、すでに帰宅の途に着いているのだろうし、とにかく市外へ出ようと悪戦苦闘している人もいるだろう。

「それじゃあ」と、スティーブが指示を出しかけたときに、電話が発信音を立てた。別の電話が入ったらしい。

 スティーブは、ジョセフに動物園内の医務室と協力するよう伝えて、新たに入った電話に出た。

「サラ・シモンズです。今、レンジャー・ステーションの近くにいるんですが、どちらにいらっしゃいます?」

 スピーカーになったままの電話から声が流れて、三春とルイスは声を揃えて「サラ」と名前を呼んだ。三春は身体を後ろに向けたが、運転中のルイスにはできない。

「従兄から電話がありました。年寄りたちが動揺しています。コンプトンの暴動や、ロサンゼルス市内の事件事故を気にしているそうで、LWと何か、関係があるのかもしれません。私は街の様子を確認中です」

 サラの声は硬かった。緊張感も漂っているのは、サラが見た「街の様子」のせいかもしれない。

「ご自分の安全は確保していますか? 私たちも今、ステーションに向かっているところです。あと四十分ほどで着きます」

 スティーブの言葉に被せて、ルイスは「三十分で」と、短く断言した。

 市内に向かう北行き車線は順調に流れていた。高速道路の取り締まりは州のハイウェイ・パトロールだが、悠長にネズミ取りをしているとは思えない。

 ルイスはアクセルを踏み込んだ。やがて左手に、立ち昇る煙が見えてきた。

 ほぼ垂直に上がっている黒煙は一本ではなかった。物言いたげに三春が運転席に顔を向け、背後からスティーブが「コンプトンだよ」と、説明した。

「九二年の暴動も、コンプトンに近いサウス・セントラルからだった。六五年の暴動が起きたワッツは、サウス・セントラルとコンプトンの間だ」

 九二年の事件は、ルイスも覚えていた。大人たちが眉間に皺を寄せてテレビに見入っていたし、学校では市内に親戚がいる級友が、得意げに暴動の迫力を語っていた。さすがに六五年は生まれていなかったので、話に聞いただけだ。

「前の暴動が起きた時は、何をしてました?」

 三春の質問はルイスに向けられていなかった。スティーブが「ハハッ」と、高い声を出した。九二年なら、スティーブは二十代後半だったはずだ。

「うん、今とは違う仕事をしていた。当時はもっと……、もっと違った風に物事を見ていたんだあ。機会があったら話すよう」

 珍しく歯切れが悪かった。

 多分、三春が聞きたかった内容は、暴動の日にどこにいたとかそんな話だろうから、スティーブの返答は少々ずれていただろう。

 スティーブにとっては当時の自分に、何かしら説明のし難いものがあるのかもしれない。スティーブの心情が九二年の暴動と関係しているかは不明だが。

 暴動の話をしている内に、黒煙はゆっくりと遠ざかった。ルイスはスピードを緩めず、車は問題なくダウンタウンの東を通って北上した。

                    *

 メルは事件が拡大する様を見せつけられ、歯噛みする思いだった。

 コンプトンでの暴動は、恐ろしい勢いで広がりつつあった。市役所は早々に占拠され、病院や小さな空港も、あっという間に暴徒の手に落ちた。

 しかも、街に火を放ち銀行などを襲っている連中は、ただ暴走している一般人ではなかった。暴徒を止めるべき保安官事務所の補佐官たちに先導され、武器の供給まで受けていた。

 真っ先に標的になった場所は、白人やアジア系が経営するレストランや小売店だ。また、道路を走っている車や通行人でも、アフリカ系かヒスパニック系以外が襲われるなどの被害が出ていた。

 コンプトンの隣のワッツ、サウス・セントラルの住民たちも、ほとんどがアフリカ系かヒスパニック系なため、数時間で暴動は飛び火した。

 被害の状況は、市警で飛ばしたヘリと各報道関係からの報告があった。暴徒たちは市警を単純に敵と見なしているが、報道関係者には必ずしも敵対しなかった。

 テレビカメラに向かって、視聴者に賛同を呼びかける者もいるほどだ。

「ヘイ、テレビの前のあんた、オレらと一緒に、街をひっくり返そうぜ。今までのバカらしいやり方は、(しま)いだァ。新しい街を作るんだ。楽しいぜぇ」

 ラッパーばりに手を振り、腰でリズムを取るアフリカ系の若い男がテレビ画面でアップになった。

「ふざけやがって」と、エドが机の足を蹴った。

 時計の針は四時を指している。本署の殺人係は招集されて、まずアフリカ系とヒスパニック系から現場の応援に向かった。

 住人たちの白人への敵愾心(てきがいしん)は凄まじく、白人の警官に対して、最も容赦がなかった。担当のサウスウェスト分署でも、白人警官は後方に下げていた。

 現在のところ強盗殺人課は遊撃軍の扱いだが、まずアフリカ系とヒスパニック系が第一陣として駆けつけており、メルやエド、ウィルたちの白人・アジア系組は目下、待機中だ。

 メルはテレビから目を離して、携帯電話を確認した。ジョージからの連絡はない。連絡できない状況にあるのか、あるいは、する気も全然ないのか。

 ウェスト・ハリウッドの保安官事務局ステーションでは、ヘリが飛び立った後、数十人が車で移動したそうだ。残った補佐官たちは、武器を表に向けて立て籠もっている。

 モントレー・パークにある保安官事務所本部からの呼びかけにも答えていないそうだ。

 もっとも、ウェスト・ハリウッドだけでなく、各ステーションや本部からもコンプトンの暴動に加勢する補佐官たちが続々と出ており、保安官事務所の機能は限りなく落ちていた。

 保安官事務所を束ねる保安官は「現状を把握中」と、コメントを出しただけだ。完全に後手に回って、市警との連携どころか、連絡さえも途絶えがちだ。

「あれ、危ねぇな」

 エドが大声を出してテレビ画面を指差した。画面には市警のヘリが映っていた。テレビ局のヘリからの映像だ。

 ロサンゼルス市警の航空隊は、全米で最大規模のヘリの数を誇っている。日ごろ、街中で起こるカーチェイスを上空からサポートする業務が主な役目で、軍のヘリのように武器の搭載は一切なかった。

 画面に映っている市警のヘリは、かなり低空でコンプトンの上空を飛んでいた。下からショットガンで狙撃されそうな高度だ。

「市警のヘリが果敢なのは結構ですが、危ないですね」

 テレビのアナウンサーも、同様の指摘をした。

 ふいに画面が移動して、別のヘリが画面に映り込んだ。保安官事務所のヘリだ。さらに反対方向からもう一機、保安官事務所のヘリが近付いて来た。挟み撃ちにする角度だ。

「穏やかじゃありませんね」

 緊張したウィルの言葉を待つまでもなかった。今まで、保安官補佐官たちは暴徒の先導や手助けはしたが、市警の警官を直接攻撃した報告は入っていない。

 やっと保安官事務所のヘリに気付いた市警のヘリが、高度を上げようとした直後に、バランスを崩した。両方の保安官事務所のヘリから狙撃手が、ライフルとショットガンとで市警のヘリを撃った。

 テレビの中と、メルの周囲から同時に悲鳴が上がった。

ローターを撃ち抜かれたヘリが、なすすべもなく落ちて行く姿を、メルは声を呑んで見守った。

 商業地区の一画が、墜落と同時に轟音を上げて炎上した。

「信じられません。ロサンゼルスの上空でたった今、市警と保安官事務所が空中戦を行いました。これは第二次世界大戦の日本軍の空襲でもなく、九・一一のテロによる自爆行為でもありません。保安官補佐官が、市警の警官を殺したのです。いったい何が起きているのでしょう」

 激したアナウンサーの声と、テレビ局のヘリの音を縫って、歓声が聞こえた。嬉しそうに叫ぶ声に、メルの顳顬(こめかみ)が張り裂けそうだった。

「畜生畜生畜生! どうなってんだ」

 エドが怒鳴り、同時に卓上の電話が鳴った。待機組への出動要請に違いなかった。

勢い込んで電話を取ったメルに、階下の受付がジョン・クロスビー事務所から弁護士が到着したと知らせた。ロン・ニミッツが依頼した弁護士だ。

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