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土曜の午後と、日曜いっぱいを費やしてメルとジョージが得た情報は、ロンの証言をほぼ裏付ける内容だった。ティムのアパートには、確かに呪術関係の本が五十冊以上あり、ティムのパソコンも呪術や伝説の資料が詰まっていた。
何より「LW」ことラ・ブレア・ウーマンは和也の家からも、無論ティムのアパートからも見つからなかった。ロンが「LWが入っていた」と主張した箱は見つかったが、本体が発見されない限り、証言の域を出ない。
土曜の夕方、緊急ラインを通して連絡した日本総領事館との対応も、メルは時間と神経を使った。遺族に直接知らせたティムのケースに比べれば、感情的なやり取りは少ないと予想したが、担当の領事は、しつこかった。
最上と名乗った領事は、和也の死因や事件の内容について、遠慮なく踏み込んで尋ねた。
「遺族に伝える義務がありますから」
最上領事は硬い口調で、何度も繰り返した。遺族への伝達がどれだけ厄介な仕事かは、メルも分かってはいた。情けない気分になった理由は、不明な点があまりにも多いせいだった。
司法解剖の件も問題になった。
「未定ですが、可能な限り早く」
低姿勢で伝えたメルに、領事は「は?」と高い声で聞き返した。何の冗談かと責められた気がした。
情報が入り次第、すぐに知らせる旨を伝え、お互いの直通番号を交換して電話を切った後は、苛立ちだけが残った。
「トーキョーの治安が、どれほど良いってんだよ」
思わず八つ当たりが出ると、ジョージが渋い顔をした。
ジョージはティムの遺族に連絡し、最初は悪戯だと取り合わなかった母親に、電話口で号泣されて慰めたところだった。
日曜には、さすがに応援が付いた。
手が空いたエドとウィルの組が、メルの指示で動く手筈になった。エドたちは、本署の近くで起きたホームレス殺害事件を片付けたばかりだ。
「メルが指示を出してくれりゃいいよ」
エドが唇の片端を上げて、気楽そうに笑顔を作った。エドとメルは年齢が近く、殺人係での年数も階級も同じで、何かと比べられていた。同僚たちには「直情のエド」と「腹黒のメル」と、よく評された。
「楽はできないぞ。後で文句を言うなよ」
「あっ、お前。俺らの事件が楽だったと思っていやがるだろう」
エドが薄い眉を上げた。細い鼻梁や水色に近い目の色のせいで、薄情な印象を与えがちだが、エドはメルの十倍、血が熱い。
「絡むな。実際、面倒な捜査でもなかっただろう」
即座にメルは切って捨てた。
エドが担当した事件は、芸術家たちが多く住む地区で起こった。すぐ隣は、ホームレスが多い区域だ。
夜中に酔って歩いていた白人画家が、三人のアフリカ系ホームレスに絡まれて殴られ、持っていた銃を発射した。三人のホームレスの内の二人が死亡し、一人が軽傷を負った。
「まあな。加害者が有名人でなけりゃ、本署に回されなかったケースだしな」
エドはメルの指摘を否定しなかった。捜査自体に複雑な部分はなく、白人画家も行為を認めていた。
裁判での焦点は、銃の扱いと正当防衛の正否だろう。またぞろ、被害者側が人種問題を持ち出す可能性も高かった。
「それにしても、最近は事件が多いな。昨日も、サウス・セントラルで騒ぎがあったろ」
前日の乱射事件を思い返して、メルは首を振った。
「サウス・セントラルとコンプトンは、いつだって油が一杯の鍋さ。マッチ一本で大火事だよ」
面白くもない風に肩を竦めてから、エドが「で、何すりゃいいんだ?」と、付け加えて訊いた。
メルは、ティムの対人関係と金銭関係を洗うよう指示した。
ティム殺害で最も有力な線は、ペイジ博物館事件の他の実行犯だろう。ロンはティムが共犯者を金で雇ったと証言したが、あくまで推測だ。
とはいえ銃の扱いに長け、躊躇なく人を撃てる男たちがティムと元々の知り合いだったとは、考えにくかった。Eメールのアカウントから銀行口座の動きまで、舐めるように調べる必要があった。
エドたちと別れて、メルとジョージは日曜の半日をティムのアパート捜索で潰した。
しかし、ペイジ博物館事件の共犯者は掴めなかった。本やパソコン内の資料といった、状況証拠ばかりだ。
有力な情報も手掛かりもないまま、刻々と時間だけが経つ日曜の夕方、メルの携帯が鳴った。
その前に、最上領事から電話で、和也の遺族がロサンゼルスに向けて出発した話をされていた。事件の進展への質問もあったせいで、メルは領事に聞き忘れがあったかと、番号を見ずに出た。
「ハロー」と挨拶した声には、確かに訛りがあった。だが、領事の声よりも遥かに低い。
「どちらさま?」
「佐竹三春です。先日、NAUでお会いしました」
名乗られてすぐ、フランケンシュタインそっくりの容貌が浮かんだ。人に覚えられやすい点では、得かもしれない。メルが用件を尋ねる前に、三春のボスは了承していると前置きして、三春は話し始めた。
NAU独自の調査報告だった。
ペイジ博物館側がLWこと、ラ・ブレア・ウーマンが狙われる可能性を考慮していた話は感心もしたが、犯人への直接の手掛かりには、全然ならなかった。博物館の話を終えた三春は、和也とティム殺害について質問をし始めた。
「ちょっと待って。なぜ、ノースリッジの話になるのかな?」
ティムがペイジ博物館の事件に関与した事実は、マスコミには流れていないはずだ。メルは顳顬が引き攣った。
「え? 昨夜遅くからネットで流れている噂ですけど?」
三春の口調には、全く深刻な響きがない。
「まさか日本のサイトで?」
「いいえ。英語サイトですよ。メディアのサイトで、一つ一つのニュースにコメントを入れられる場所があるでしょう? そういうコメント欄が最初で、後から色々な人がマイクロ・ブログで『呟いて』います。うちのルイス・ロングが見つけました」
説明を聞く間に、メルは誰の仕業か、ほぼ見当がついた。発信源は、ロンではないか。
前日の聴取を終えた後に、内容は人に洩らさないようにと、しつこく釘を刺した。ところが、ロンには意味がなかったようだ。和也が亡くなって、借金が帳消しだと目を輝かせた顔が浮かんだ。
おそらく、じきに新聞社かテレビからの問い合わせも来るだろう。メディアに先んじたNAUの仕事の早さに、正直かなり感心しながらも、メディアとのやり取りを考えると、頭が痛かった。
「聞いてます? それで、NAUとしては、とにかくLWの行方を確認したいんですよ。LWは、もう発見収容されたんですか?」
「ネットの話は、あくまで噂だよ。捜査の進捗状況は話せない。公式発表を聞いてくれ」
警察の保秘事項を気にした風もなく質問する三春に、メルは努めて軽く返事をした。捜査の責任者が簡単に喋るわけがないと、分からないだろうか。
「根も葉もない噂ではないでしょう。第一、もう色々洩れちゃってますよ」
「洩れてない!」
一番嫌なところを突かれてメルが声を上げたのと同時に、机の上の電話が鳴った。ジョージが素早く手を伸ばす。
携帯電話の向こうで三春が「えー、でもー」と、不平がましい声を出した。三春に生返事をしてジョージの言葉に耳を傾けると、新聞社からだと分かった。
メルを向いたジョージが顔を歪めてサインを送り、パソコンを指差す。予想した通り、インターネットの噂の確認だ。
「忙しくなってきたから、切るよ」
「待ってください。せめて、これだけ。和也はペイジ博物館の事件に無関係だって、ネットに書いてありましたが、立証されたんですか? 和也とティムの接点は、専攻が同じってだけですか?」
テレビのレポーターばりのしつこさだ。
「言えないって言ってるだろ。もう、行かないと」
電話を黙って切らないのは相手が、同じ市の部署だという配慮もあるし、外国からの研修者のせいもあった。とはいえ、先刻あれこれ聞かれた領事といい、日本人は皆、粘り腰なのか。
デスクの電話を無理やり切ったジョージが、さらに別の電話の対応に追われている。
「あれですか? 和也の趣味ですか? ティムとサンディエゴのイベントとかにも行ってたんですかね? コミックの大きなイベントがあるでしょう」
電話のこちら側に頓着しない三春に、メルの忍耐の堤防が決壊しかけた。
「サンディエゴは知らんよ。和也はアニメーションが相当に好きだったそうだけど。ジャパニメーションとか、呼ぶんだろ? アニメ好きが事件と関係しているかは、鋭意捜査中で、話せない。じゃあね」
今度こそ、三春が質問を投げる前に、メルは通話終了ボタンを押した。切り際に、まだ「あの」と声が聞こえたが、もう付き合っていられなかった。ジョージが渋い顔で首を振った。
「インターネットで、もうティムの話が流れているそうです」
「今、NAUがご親切に教えてくれたよ」
今さらティムに問い質しても、遅い。後からもう一度、証言の確認を取る必要があったが、次回はせいぜい強面ぶっておくべきだ。
係長を筆頭に、上層部は苦り切るだろう。メルとジョージは失点、一だ。司法解剖とティムの身辺調査で手がかりを掴まないと、失点が増えるばかりだ。
再び鳴り出したデスクの電話を無視して、メルは少し離れた窓へ目をやった。五階からの眺めは悪くないが、まだ早い時間なのに、外が薄暗い。
「珍しく、曇ってきましたね」
釣られて目を転じたジョージが、何気ない声を出した。
さらに続けた言葉は聞こえなかった。雷が鳴り響いたからだ。光ってから音が聞こえたのは、ほぼ同時だった。
「落ちなきゃいいが」
落雷や、強風で送電線が倒れる停電は珍事ではないが、大概は冬に起きる。頭に湧いた嫌なイメージを振り払うように、メルは携帯電話を取り上げた。エドに頼んだ調査の進行を尋ねるつもりだった。
奇跡は起きた。
土曜に収容された遺体の司法解剖は、月曜の午前中に行われた。詰まったスケジュールの合間に入れられたため、メルは早朝から検視官のオフィスで待機させられたが、屁でもなかった。
日曜の夕方から月曜の朝にかけて続いた雷雨で、市内各所に被害が出たと聞いた。だが、気にする余裕は一切なかった。
司法解剖に立ち会ったまでは順調だったが、メルとジョージが本署へ戻ると、早々に課長に呼び出された。どうせ、ロクな話ではない。
せめて係長も一緒に絞られてくれるのかと思いきや、ジョージと二人きりの呼び出しだった。係長は午前中ですでに脂の浮いた顔で、「頑張れよ」と、知らんふりだ。
課長の部屋は、一つ上の階の六階になる。
「やあ、忙しいところ悪いね」
デスクの向こうで白い歯を見せる課長は、ヒスパニック系だ。とはいえジョージとは違ってスレンダーで、高そうなスーツも良く似合った。部下への気遣いもあると定評だ。
しかし今の状況ではどう逆立ちしても、愉快な会話にはなり得なかった。
「司法解剖に行って来たんだろう。使えそうな手掛かりは、出たかい?」
妙に親し気な物言いに、メルの脳内警報機が鳴った。確かに課長から、司法解剖を急ぐ働きかけは一応してもらったが。
「直接の死因等は判明しました。ですが、被害者の血液の検査は、まだ済んでおりません。検死官からの正式な報告書と併せて、捜査の進捗は順次報告の予定です」
緊張するほどでもないが、言葉は選ぶ。地雷原を歩かされるのは初めてでもないし、今回が最後にもならないだろう。運良く安全地帯まで爆発なしに辿り着く可能性は低く、爆発しない場合は、アリ地獄で窒息させられる。
なにぶん目撃者の証言が、まともに報告書には記載できない内容だ。九千年前の人骨が人の形になった話は、書きようがなかった。証人は混乱しており、目下、物理的な調査結果を待つ形だった。
「うん、今後の報告なんだけどね。ヤングはいいから、僕に連絡してくれるかな?」
ヤングは、係長の名だ。指揮権の移動はさすがに驚いたが、露骨に理由を訊ける状況ではなかった。
平静を装って確認だけをした。背後に立っているジョージの顔は見えない。
「課長に直接、ですか。では、指示も、課長から頂く形でよろしいのですね?」
「ああ、そうなるね。週末の間に、事件はずいぶんメディアの注目を集めている。被害者の一人は外国人だから、国外からの目もある。僕はヤングに任せて大丈夫だと言ったんだが、十階が気にしてね」
垂直に立てた人差し指で上を指す動作と「十階」は、最上階の署長室を示した。署長は肝の据わった男だと聞いていたが、署長の地位にいるからには、政治的判断にも長けているだろう。
「十階ですか。もしや、日本総領事館が何か言って来ましたか?」
「いいや。『まだ』と、言ったほうがいいかな? 総領事館にクレームを付けられる心当たりが?」
課長の眉が神経質に動いた。メルは内心で慌てたのを悟られないよう、静かに口を開いた。
「ありません。しかし、日本総領事館は我々と違った基準があるようです。例えば、司法解剖は週末でも行う点ですとか」
暗に、課長が解剖の優先のために動いた件の重要さを指摘したつもりだった。
「なるほど、勤勉な民族なんだよな。十階が気にしている相手は、日本総領事館だけじゃない。学生二人の殺人事件とペイジ博物館の事件が関連していて、外に隠れた関連事件があるかもと、インターネットでは噂が飛び交ってる」
情報の出所は言及しないが、課長の目つきは厳しかった。黙っているメルに、係長は続けた。
「大変な数のEメールが市警に届いているし、メディアの連中も、やたらしつこい。確実な捜査と慎重な対応が必要なんだよ、分かるね」
「もちろんです」と、顔を引き締めて返事をしたが、メルは課長の意図が分からなかった。上部の懸念、指揮権の移動は理解した。外の話は、お互い周知だ。
「去年から、市警の株は、ほら、ちょっとアレだろ。郡の施設や外国人を巻き込んだ犯罪こそ、早期に解決したい十階の意向なんだ。指揮にはヤングよりも僕が適任との指名だ」
やっとメルも分かった。わざとらしい課長の苦笑に釣られないよう、メルはもう一度、顔の筋肉に力を入れた。
課長が持ち出した話は、一年ほど前に市警始まって以来の大捜査を引き起こした、元警官による殺人事件だ。
警官採用の評価と、パトロール現場での対応が発端だった。警察上部やシステムの裁定を不服とした犯人は、関係者と関係者の家族を銃撃した。
「昨年の事件ですか?」
「ああ。緊急手配中に起きた事件もあるし」
忌々しそうに課長が首を振った。
大規模な犯人手配は、周辺市郡を巻き込んで行われた。緊迫した状況で、市警の警官は新聞配達の親子を犯人と勘違いし、百発近い弾丸をトラックに打ち込む大失態をやらかした。
元の銃撃事件は、数日後に追い詰められた犯人が、ロサンゼルスから車で二時間ほどのリゾート地の小屋に火を放って自殺することで終結した。だが、市警の評判と印象は、がた落ちだ。
「もちろん去年の事件だけじゃない。先々週くらいから、市内でやたらに事件が頻発しているだろう」
メルは黙って頷いた。事件件数の話は、刑事同士の間でも話題に上がっていた。エドが対処したホームレス射殺事件の外に、街頭でのトラブルも多いらしい。
「コロンビアのドラッグ・カルテルがロサンゼルスに人を送っていると、ギャング・麻薬捜査課の課長から聞いた。安値で覚醒剤なんか大量に流されたら堪らんが、もう始まっているかもしれない」
課長の話が若干ずれたが、伝えたい意味は分かった。地回りのギャングとの抗争や、中毒者と中毒者による犯罪の増加は、ギャング・麻薬捜査課だけの問題ではなかった。
「我々を取り巻く状況は厳しい。だからこそ、世間の耳目を集める、君の事件が大事なんだ」
口を噤んでいたメルに、課長は宣言するように告げた。
要するに、市警のイメージ・アップに今回の事件を使う、上部の判断だ。
素早い司法解剖の奇跡は、課長よりも上が動いたためだと、メルは合点が行った。あざといともいえるが、上部のバックアップは、人員の確保や検査の優先に俄然、有利だ。
メルは腹の中で落ち着きどころと、妥協点を見つけた。
殺人係の刑事なんかを長年やって、エゴと負けん気ばかりが強くなった。捜査の邪魔をする者は身内でも許せないし、全世界が自分の捜査に協力して当然と思うようになる。
「幼稚で、手前勝手で自己中心的」と、別れた妻に指摘された性格が、年齢と共にどんどん肥大している。
ただ、邪魔を最小限で止めるために、感情を顔や言葉に現さない腹芸も、身に着けた。「腹黒」はメルにとって、むしろ褒め言葉だった。
「で、今日、この後は?」
「了解です」と、返事をした後は鉄面皮で通したメルに、課長がようやくマシな質問を投げた。
「目撃者のロン・ニミッツから再度、話を聞きます」
「うん。口頭で構わないから、報告は、こまめに入れてくれ」
新人のような行儀の良い返事で踵を返したメルに、課長は現場が嫌う名前を出して、プレッシャーを懸けた。そこだけは係長と同じだ。
「FBIがしゃしゃり出て来る前に、片付けてくれるね」