夜天を飾る花
とりあえず夏なので。
「はぁ、はぁ、っ──!」
息を切らしながら、駅の構内を駆け抜ける。
夜だというのに最近はちっとも気温が下がらず、足を動かす度に揺れる前髪に、汗の雫が滴っている。せっかく家を出る前にシャワーを浴びてきたというのに、これでは意味がないのではないだろうか。
「はぁ、はぁ……えっと、待ち合わせは、っと……」
構内を抜け、駅前の広場にたどり着いたところで立ち止まり、周囲を確認する。あまりに土地勘のない場所なので、こういった行動のひとつひとつに手間取ってしまう。
今までの俺であったら、まず間違いなく来ることのない場所だ。平成ももうすぐ三十年、二十一世紀になり既に十数年経っているというのに、未だに残る昭和的な建築物。そのくせ、大幅改装された駅の周りだけはやたらと近代的だったりする。
新旧入り交じる、中途半端な発展途上地域。
こんな場所に好き好んで暮らしている物好きの顔を、一度は見てみたいもの……だが、待ち人のことを思えばそんな思考は捨てなければならない。
誰だって、想い人には嫌われたくないのだから。
「っと、メールメール」
初めて訪れた場所を、己の目だけで散策するのも嫌いではないが、今だけは時間をかけてはいられない。
事前に送られてきたメールを再度確認し、指定された待ち合わせ場所を探す。
『待ち合わせ場所@駅前の、謎のモニュメント』。
謎のモニュメントって何だ、というツッコミはしなかった。謎と言うくらいだから、よほどぶっ飛んだ形状だろうと無理矢理に納得し、再び駅前広場を散策する──が、中々見つからない。
もう電話した方がいいんじゃねぇか、なんて思いが頭の中を埋め尽くした頃、
「ぁ───」
───見つけた。
ごった返す人混みの向こう、幾何学的な形状をした物体の台座に腰かける、着物姿の少女。
見れば、向こうも俺の視線に気付いたのか、こちらを見て笑顔を浮かべた。
───夜だというのに俺にはその姿が眩しく、また、とても尊いものに見えて、見惚れてしまった。
彼女は足早に駆け寄ろうとするが、慣れない着物だからか少し動き辛そうだった。はっ、として頭を振り、俺の方から彼女へと近付いた。
「遅れてごめん──早瀬」
言いながら頭を下げると、彼女──早瀬明日香は笑顔で答えた。
「ううん、大丈夫。私も今来たところだったから」
笑顔を浮かべる彼女の髪の端に、俺と同じような汗の雫が付いていることに関しては、何も言わなかった。代わりに、
───どんだけ待たせちまったんだよ、俺の馬鹿。
心の中で、自身の不甲斐なさを呪った。
もっと早く来ることだって出来ただろう。それなのに、彼女を長く待たせるなんて、情けない──
「……どうしたの?」
「えっ?」
「なんか、悲しそうな顔、してたから」
心中で自分をこれでもかと罵倒していたところにかけられた、彼女の一言。
自分では気付かなかったが、そんな顔をしていたのだろうか。
「あ、あぁ。大丈夫、大丈夫だよ」
「そう? なら良かった」
俺が慌てて取り繕うと、彼女はまた微笑んだ。彼女に心配をかけさせる自分は、なんて──と、止めておこう。これではさっきの繰り返しになる。
頭を軽く掻いて、仕切り直す。
「えと、それじゃあ……早瀬」
「うん」
俺の言葉に反応した彼女は、微笑んだまま。
「行こう───コータロー君」
そうして彼女と、俺──冬月幸太郎は、目的地まで並んで歩き出した。
◇◇◇
「コータロー君、リンゴ飴食べる?」
「あ、うん。食べる」
「了解ですっ。じゃあちょっと買ってくるね!」
返事を待たずに出店へと駆ける早瀬の後ろ姿を、俺はただただ見つめることしか出来なかった。
リンゴ飴……最後に食べたのは、いつの頃だっただろうか。もう、あまり思い出せないな。まだ、両親の仲が悪くなかった頃だったと思うが。
そんなことを考えていると、早瀬がリンゴ飴をふたつ手に持って戻って来た。
「はい、コータロー君」
「ありがとう。……あ、お金──」
奢ってもらうのも忍びなく、いそいそと財布を取り出そうとしたところを早瀬に止められた。
「いいよ。私の奢りだから」
「いや、でも……」
「だーいじょーぶっ。これでも私、バイト女子だよ?」
えへん、と胸を張る早瀬。その姿がとても可愛らしく、つい笑ってしまった。
「あっ、笑ったな。このぉっ!」
怒られてしまったが、その姿もまた、可愛らしかった。
そうして俺達は、リンゴ飴を片手に出店の間を縫って歩き、やがて大きな川を挟む土手へとたどり着いた。
周りを見渡せば俺達と同様、今しがた到着したような集団や、土手に座り込み、出店で買ったのだろうたこ焼や焼きそばを頬張る集団の姿が目についた。
「俺達も座ろうか」
「そうだね」
声をかけ、二人揃って腰を下ろす。
「…………」
「…………」
だが、会話がない。
家を出る前、シャワーに打たれながら『あれを話そう』『あれを聞こう』とイメージトレーニングしていたというのに、いざ本番となればこの醜態だ。
まったくもって情けない。この甲斐性ゼロ男め。
「コータロー君は、さ……」
「え?」
下らないことを考えていると、早瀬がおもむろに口を開いた。心なしか声のトーンが低く、少し伏し目がちだった。
「私といるの、つまんない……?」
「……は?」
「あ、いや、だって。さっきから妙に口数少ないっていうか、いつもの騒がしさがないっていうか」
自分の言葉に何やら負い目を感じたのか、早瀬はあたふたと弁明する。
……さっきから思っていたが、早瀬はまるで小動物のような可愛らしさがある。今もわたわたと身振り手振りで何かを伝えようとしている。
その姿も、やはり可愛いと思った。
「ぷっ……はは」
「コータロー君……?」
「ははは、ごめ、ごめん──ははっ」
「何で笑うの……ふふ」
土手に座り込んで笑い合う。
違う。違うんだよ、早瀬。俺がこんなに喋らないのは、ただ緊張しているだけなんだ。好きな人と同じ空間にいられるってことが、俺にはとても、勇気がいることなんだ───
本当はそう言うつもりだった。だけど、彼女と一緒のことで、一緒に笑えたのなら、そんな言葉は必要ないって思った。
「ふふ。変なの、コータロー君」
「早瀬だって……はは」
「ふふ……あっ、見てっ!」
早瀬が空を指差し、俺も指の差す方へと視線を向ける。同時に周りの観客達も、おおっ、と感嘆の声を上げていた。
見れば、真っ暗闇の夜を切り裂くような一条の光が、ひゅうっ、という音と共に空へと駆け昇っていく。
そして高く、高く、あまりに高い夜の空に溶けて消えた──と思った、次の瞬間。
───夜の中天に、色鮮やかな満開の花が咲いた。
遅れて、どぉん、という轟音が響き、鼓膜を震わせる。
それが、この都会なのか田舎なのかわからない中途半端な町で行われる、毎年恒例の花火大会の始まりを告げる一発だった。
「────」
言葉なく、次々と打ち上げられる夜空を埋める花火を眺める。
暗い空を彩る無数の光の粒子。それはまるで、光の演舞だ。
さっきは中途半端な町だと、田舎だと散々思っていた。だけど、 今この瞬間だけは、都会のような天を突かんとばかりに伸びる高層ビルがないことが幸いだった。
こんな、こんなに綺麗なものを遮る建物など、邪魔でしかないのだから。
「きれい……だ───」
ぽつりと呟く。花火の音に掻き消されたからか、その言葉に返ってくる声はない。
何とはなしに、ちらり、と隣に座る早瀬の横顔を覗くと。
「わぁっ──綺麗───」
小さな子供のように、満面の笑みを浮かべて花火を眺めていた。
キラキラと瞳を輝かせ、無邪気に無垢に、ただただ夜空を舞う光の粒を追っている。
俺にとっては、花火以上の眩しさを放つその笑顔。それを見れただけでも、生きていて良かったと思えるほどだ。
恋愛経験豊富なテクニシャンなら、ここで『君の笑顔の方が綺麗だよ』なんてキザったらしいセリフを言うのかもしれないが、圧倒的に経験値不足の俺にはとても難しかった。
───でも、それでもいいんだ。
ただこうして、好きな人のすぐ隣で同じ景色を見て、同じ経験をしている。それだけで、俺の人生は満たされたものに思えてくる。
だけど、
(でも……やっぱり付き合いたい……)
告白すらしていない、未だに友達以上恋人未満の関係の俺達。付き合いたい、と思っているのは俺だけだろうか、彼女もそう思っているのだろうか。
今日こそは、と意気込んで来たものの、まだその言葉を口にしていない。
(ああ、どうしようっ! どうしよう!)
───そうして。
うんうんと頭を抱える少年と、純粋に花火を楽しんでいる少女を。
どぉん、と一際大きく咲いた花が、眩しく照らした。
終わりです。
ありがとうございました。