「転」
『転』
玄関を出た瞬間何かに蹴躓いて、転んだ。つくづく運が無いと思いながら足元を見ると、そこには人間の足があった。
……と言っても、胴体から切り放された足だけがごろんと転がっているとか、そんなシュールな光景では無い。他人の家の玄関先に足を投げ出して寝転がっているひとりの青年――少年と言っても良いかもしれない、そいつは酷く華奢だった――が、そこに居た。
青年はどうやら眠っていたようで、むにゃむにゃと口の中で呟きながら起き上がって目を瞬かせる。
「……転んだ?」
……それが青年の台詞だという事に気付くのに、三秒ほどかかった。声色が、まるで子供。
「ああ、転んだよ」
答えると、青年の顔が明るくなった。満面の笑みを浮かべてぴょんぴょんと跳び跳ねる。
「やった、やった! 転ばせた!」
理解不能な言動を繰り広げる青年を見ているうちに、胸の奥で何かがほどけて、出掛ける気を無くしていた。
ポケットに収まっている縄――首をくくるのに丁度良い――の出番は、また先送りにされるようだ。
なんだかおかしくて、声を上げて笑い出してしまいそうなのを懸命に堪える。その様子を、跳び跳ねるのを止めた青年が不思議そうな顔で見ていた。
……伊達 転。それが青年の名前だった。「いい名前だな」と言ってやると、ふにゃりと笑った。
……これは寂しがりやで泣き虫な我が同居人と出会った日の話。空は死にたくなるぐらい青くて、風は腹が立つぐらい気持ち良かった日の話だ。
《幕》