汚れた手で掴んでしまった、穢れなき小さく清らかなもの
チープスリル。
それは一種の麻薬なのかもしれない。
初めはほんの出来心だった。
近くのスーパーマーケットでキャラメルをポケットに入れてしまった。
別にそれがどうしても欲しかった訳じゃない。
欲しかったのは、日常からかけ離れた今までに味わった事のない極上の緊張感。
それを知ってしまった私は、次第に自分で自分を制止する出来なくなっていた。
一度味わってしまうと、また味わいたくなる。
小さな獲物で満足できなくなると、狙いは次第に大きな獲物へと変っていく。
回を重ねるごとに刺激が足りなくなってきて、それは段々と麻痺していく。
ある日私は幸か不幸か、それに目をつけてしまう。
いかにもお金持ちそうな夫人が手にしていたバスケット。
私は一瞬のスキを突きそれを奪って走り去る。
夫人がそれに気が付き声を上げるより早く。
5番街の角を曲がり、それを抱きかかえて路地裏に滑り込むと、周りに人がいないか警戒する。
いつもの様に醒めた目でバスケットの中身を確認すると、そこには驚愕の事実が。
「わ、私はなんてものを盗んでしまったんだろう。」
私が盗んだものはバスケットではなかった。
生後間もない赤ちゃんを寝かしつけたり持ち運んだりする籠、クーファンだったのだ。
そこには財布も無ければ金目の物も見当たらない。
あるのは無垢な笑顔の小さな赤ん坊。
私はクーファンをゆっくり静かに足元に置くと、震え出した身体を自分の両手で抱きしめた。
なんていう事をしてしまったんだろう!
自責の念にかられるものの、後悔しても、もう遅いのだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」
クーファンの中で無邪気に笑う赤ん坊に謝り続ける私。
汚れた手で掴んでしまった穢れなき小さく清らかなもの。
先程とは違い、クーファンをそっと優しく抱き抱えると、来た道をゆっくりと引き返し、大通りにある警察署に出頭した。
犯してしまった大きな罪を償う為に、私はいま、人里離れた小さな刑務所にいる。
今になって思う事だけど、あの時盗んでしまったクーファンは、私にやり直すチャンスと、壊れてしまった感情を取り戻す為に、神様が遣わした天使だったのかもしれない。
都合の良い解釈かもしれないけど、私はそう信じている。