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ヒロイン視点
「そう言えば、まだ名前を聞いていなかったな」
先程まで古そうな書籍を読んでいた妖‐天月は、
ふと手を止め、そう開いて聞いた。
私が人の世を捨てここに来てから一月ほどが経ったであろうか。
人の世を捨てたと言っても一般的な人並みの生活を送ってきてはいなかった身としては、あまり実感がわかない。
「可笑しなことを聞くのね。
昨日まで名前なんて気にしなかったのに。」
天月の屋敷には私と天月の二人以外誰もいないこともあり、
私を呼ぶ際は『おまえ』の一言で済まされてきた。
それに不満は無かったし、区別する相手が居ない空間では名前なんて必要がないと思っていた。
「確かに今更ではあるが、知りたくなったのだ。」
「名前なんて知らないわ。
化け物としか呼ばれたことがないもの。」
「では、私が名前をつけてやろう。」
そう言って天月は顎に手をあて思案しだした。
天月は不思議だ。
彼は私にどこまでも人らしい対応をするのだ。
朝起きれば髪を結い、
昼には外に連れて様々なものを見せ、
夜には寝物語を聞かせる。
出会い頭に乱暴に捕食する姿を見た私にとっては、
穏やかに微笑み、過ごすその姿は違和感そのものであった。
いや、もしかすると相手が天月であるからではなく、私が見世物小屋で常に嘲笑の対象として扱われていたから、穏やかな態度や反応自体に慣れていないのかも知れない。
「そうだな、おまえの名前は雲雀にしよう。」
思案し終わった天月は穏やかに微笑みながらこちらに顔を向けた。
あぁ、また私は人らしさに近づいたのだろう。
だが、まだ私は普通の人間とはずれている。
彼の瞳が穏やかな口許とは対照的に酷く歪んだ形であると呼ぶに相応しいことは、今の私には理解できていないのだから。